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それは、突然でした。
「今の私には受けることは出来ません。理由は・・・・・」
「私の家」には、今母はいません。
父は、会社員で大学を卒業してから、ずっと同じ会社に勤めています。
2年前に病気になり一時入院もしましたが、その後は月に2回ぐらい通院して治療を受けています。病気が治らないから通院をしているんだろうけど、見た目は意外と元気にしています。会社勤めをやりながら、ご飯の用意、ワン吉の世話、洗濯、毎日のお風呂の掃除も全部お父さんがやります。私は洗濯物のアイロン掛けや部屋の中をコロコロで掃除するぐらいのお手伝いはしています。
私には、兄がいます。兄は大学を卒業して、今は県外でアパート暮らしをしています。盆と正月以外、滅多に帰って来ることはありません。兄は小中高大とずっと野球をしていました。リトルリーグ時代には、土日はいつも父と一緒にグランドまで応援に良く行きました。私の目からも「うまい」選手だと思いました。兄が活躍して勝つ試合がたくさんありました。父も野球キチガイなので、夜はいつもプロ野球の中継を観ていました。その所為もあり、野球経験の無い私も知らぬうちに野球は好きになり、ルールや野球用語ももちろん、簡単なスコアブックならつけられるようになっています。
兄は、この秋に結婚をします。父の病気のこともあり、多分、無理をして早めたんだろうと思います。お付き合いして1年ぐらいだと聞いています。本当に幸せに成れるんだろうか私は、少し心配しています。父は喜んでいるようですが、結局、結婚しても職を替わる訳でもないので兄が家に帰って来ることはありません。相手の女性も職場の人らしく、当分共稼ぎをするらしいです。これでは、兄が結婚しても何も我が家には変化はありません。この事は、父は判っているんだろうか?少し心配しています。
今、私がこの家を出てしまったら、父だけになってしまいます。
正確には、ワン吉と父だけになります。
「居間で酒を呑んで寝てしまった父の世話や体調が悪い時の世話は誰がやるの?今年ある兄の結婚式でお金を使ってしまうのに、連続では我が家では厳しいはず。兎に角、今の状態の父を独りぼっちにしては嫁げない。家を飛び出せない。本当は、私だって兄のように家を出て自分の人生を送りたい。自分だけの事を考えて生きたい。父の所為で私の人生が犠牲になるのは嫌だ・・・・・・」と言う心の叫びがあります。
本当は、「父の所為にして決断出来ない」ということが一番楽だから、その所為にしているだけの「ズルイ娘」かも。
不動堂
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人恋しくて、電話が鳴るのを、酒を呑みながら、ひたすら待った。
待っても、待っても電話は鳴らない。
あなたからの電話に待ち疲れてしまう。酒の量とタバコの吸い殻が増えるだけ。
そのうち、誰彼と関係なく電話を駆け回ってしまう。
次の日、誰に何を話したのかさえ覚えていない。そんな一人暮らしをしていた若い頃。
すべてが自分中心で、他人のことなど猶予している余裕がなかった。
願うものはすべて叶うと信じていたあの頃。
自分に成れないものはないと夢見ていた頃。信じられるのは自分自身だけ。
強いものだけが生き残れると信じていた。
喧嘩にも、バイクや車の運転にも、そして、どんな我慢比べにも誰にも負けないという
過信が間違いなくあった。
その頃の自分は、どことなく誰も寄せ付けない、ピリピリした空気を出していたような気がする。
強がっていたのは、「何か」に怯えていたから。
その「何か」を悟られるのが嫌だったから。
そして、それから逃げ出したかったから、大きな声で吠えていたのかもしれない。
それは、偽物の自分を演出していた。格好つけていたに過ぎない。
周りの目を気にして、人の評価を無視していた。
でも自分一人で生きて行けない事。
それは、他人の世話にならないと成せない事も感じていたあの頃。
いつからだろう。すべてを受け入れることを決意したのは。
それは遠い昔ではない。もしかしたらつい最近のことかもしれない。
己の弱さも、見栄も、未熟さも、運もすべて受け入れて生きて行くことに。
蓋をしてしまいたいことや目を瞑っていたことに勇気を振り絞って立ち向かうことも。
運に頼ったり、不運を嘆いたりして運命を罵ったりしても何も始まらないことに気付いた。
自身の不足を補ってくれるものは、自分自身じゃない。取り巻く環境であることに。
こんな姿勢にあの頃から気づいていたら、もっと他人に迷惑を掛けない人生を送ることが出来たかもしれない。「みんなともに生きていく」ひとりでは生きて行けない。互いに良い影響を与え、受けながら生きて行く。
こんな私でも他人に感謝される人生を謳歌していたのではないだろうか。
不動堂
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