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 その2:チョッパー製作者の失踪 
#2: Where a bona fide chopper builder have gone?

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Cliff Vaughs with a re-creation of his ”Captain America” chopper in 2014,
best known for his creation of the ‘Easy Rider’ choppers

クリフボーズ(Cliff Vaughs)氏は、最も象徴的なバイクのデザインに携わり、これを創った男達の一人として、最近になって知られるようになった。 そのバイクとは、映画「イージーライダー」に登場するワイアットとビリーが駆るチョッパーだ。

 数年前、ボーズ氏はベンハーディ(Ben Hardy)氏と共にロサンジェルスでピーターフォンダ氏の指示の下に映画「イージーライダー」のチョッパー製作したと、チョッパー史研究家 ポールドルレアン(Paul d’Orléans)氏のインタビューに答えている。 また、ピーターフォンダ(Pete Fonda)氏も自身のフェイスブックでクリフボーズ氏がチョッパーの製作者であり、且つ、映画制作に貢献したスタッフであった事を強調している。

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ポールドルレアン(Paul d’Orléans)氏の著書
”The Chopper The Real Story” (2014)
Photo courtesy kachinaparts.jp 又はreverb-inc.jp
(上記サイトで購入可能 英語版 約8千〜1万円)

 ボーズ氏は、メイウェスト(Mae West)嬢の映画「わたしは別よ (She Done Him Wrong)」の中の “I Wonder Where My Easy Rider Has Gone”から映画イージーライダーの題名を思い付いた、とも主張していた。 しかし、ボーズ氏の名前は、短期間ではあったが製作補として映画「イージーライダー」の製作に携わったにも関わらず、製作関係者として映画の最後の文字情報には出てこない。 この欠落は、彼が黒人であった事、彼が関わった期間が短く、映画配給会社のコロンビアが映画製作スタッフの殆どを途中で入れ替える前だった事が原因ではなかろうか。

from the film ”She Done Him Wrong”(1933)

□映画「イージーライダー」のチョッパー製作に関しては、多くの謎が存在し、映画公開後約40年間に渡り論争が絶えなかった。 何故なら、張本人のクリフボーズ氏が突如としてアメリカから姿を消してしまったからに他ならない。 映画公開前の1968年のエドロス(Ed Roth)氏監修”Choppers Magazine”誌において、ボブ ガルシア(Bob Garcia)氏のインタビューにクリフボーズ氏が応えた記事が、映画用チョッパー製作について知る事が出来る唯一の手掛かりだった。

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Ed Roth's Choppers Magazine (March 4, 1932 – April 4, 2001)
雑誌の内容は、flickr.com ”Ed Roth Choppers Magazines”で見ることが可能。

 1974年、アフリカ系アメリカ人であったボーズ氏がアメリカと決別して向かった先は、カリブ海に面したパナマの港町。 当時のパナマはコロンビアからアメリカの支配に代わっていた。 後にパナマ軍のトップに伸し上がるノリエガ氏がアメリカのCIAと結託し暗躍していた時代である。 パナマは南米コロンビアのコカイン等を北米へ密輸する中継地点になっていた。

 ボーズ氏は帆船を購入し、アミスタッド号と名付ける。 見識にあふれた彼ならではの船名だ。 ”Amistad”は、スペイン籍の奴隷輸送船の名前。 1839年、アフリカ人奴隷がキューバ沿岸を航行中に反乱を起こして、この船を乗っ取った。 その後、アメリカ海軍により逮捕、勾留されるが、そもそもアフリカ大陸からの移送が非合法であったとアメリカでの裁判で認定され、1842年に彼等は故郷のアフリカへ帰還。 これは「アミスタッド号事件」として注目を集め、奴隷廃止運動を牽引する事件だった。

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Clifford Vaughs, seen in the Panama Canal around 1990

 ボーズ氏は帆船アミスタッド号の船長メディアノッチ(MediaNoche、スペイン語で真夜中の意)として、2015年中頃までカリブ海で暮らす事に。 その船に住み、表向きは観光客相手に生計を立てていたらしい。 実際はカリブ海の海賊のような業容で、非合法で大麻や拳銃、兵器等の運搬をしており、何度も収監されたり船を没収されていた。 ボーズ氏の素姓を知る方が、船長メディアノッチの健在な姿を撮影した動画をYoutubeに投稿している。

Captain MediaNoche of the sailing vessel ”Amistad” is/was Cliff Voughs.

 2011年5月パナマのポルトベロ(Portobelo, Panama)より、ボーズ氏はロサンゼルスのウエストハリウッドに住んでいた当時の旧友カルロスディーガン(J Carlos Deegan)氏とチョッパー史研究家 ポールドルレアン(Paul d’Orléans)氏にコメントを送っている。 それには、ボーズ氏の映画「イージーライダー」への関与やチョッパー製作の詳細が綴られていた。

■1967年ボーズ氏は全米ネットワークTV局ABCのロサンゼルス支局KABCで働いていた。 この時、カメラマン組合への入会を拒否されたが、訴訟により人種の壁を撤廃している。 ロスのラジオ局KRLAで働いていた時、大俳優ヘンリー フォンダ(Henry Fonda)氏の子息 ピーター氏が大麻所持で逮捕された。 多くの市民が大麻吸引で拘束収監されている事に大多数の視聴者が興味を示していて、ボーズ氏もそれが少し気になっていた。 それで、裁判所に行き、ピーター氏と暫く会話をし、彼をウエストハリウッドにある自宅に呼び寄せた。 ピーター氏もボーズ氏の近所に住んでいたのだ。

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Peter Fonda with his father, Henry in late 1960s

 ピーター氏は、ボーズ氏が単車をデザインしたり組み立てたりする趣味に非常に興味を持った。 いつも裏庭で単車いじりをしている事をピーター氏に伝えると、彼は数日後にデニスホッパー(Dennis Hopper)氏を連れてやって来た。 ボーズ氏はホッパー氏がジェームズディーン(James Dean)氏と共演した映画「理由なき反抗 (Rebel Without A Cause)”を暫く前に観ていた。 会話が弾み、ピーター氏とホッパー氏が単車を中心に据えた映画を撮ろうとしている事がボーズ氏にも伝わった。

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James Dean in ’Rebel Without a Cause’ (1955)

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Dennis Hopper in ’Rebel Without a Cause’
左から2番目がデニスホッパー氏
    Youtube:

 西部をテーマとした映画は衰退しているが、馬の代わりに単車に乗った主人公がアメリカを冒険する映画はヒットしそうだ。 そんな彼らの見解にボーズ氏も同意見だった。 3人は物語を即興で創り上げた。 それは、友人二人が冒険を求めてアメリカを旅行するという内容。

 ボーズ氏の自宅には、メイウェスト嬢の映画「わたしは別よ (She Done Him Wrong)」の中の曲 “I Wonder Where My Easy Rider Has Gone”のタイトルが書かれたタペストリーが飾られていた。 ボーズ氏は、ここから映画の題名、”イージーライダー”を二人に提案した。

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Dennis Hopper and Peter Fonda circa 1960s
Photo courtesy aponderingmind.org

 その後、数回に渡りウエストハリウッドのボーズ氏の自宅で、三人は映画製作の議論を進めた。 ところが、金利の高騰や資金調達について、彼らの知識では不十分。 ボーズ氏宅の応接間では話が停滞してしまい、別の場所で話を詰めた方が良さそうだと言う事になった。 映画界では一日の長があったピーター氏とホッパー氏に資金調達を任せ、ボーズ氏は単車のデザインと製作及び視覚的な課題を担当。 登場人物の名称”キャプテンアメリカ”と”バッキー (後にビリーに変更)”、衣装、赤白青を基調とした配色等を決めた。 これらは、コミック誌”キャプテンアメリカ”からインスパイアされたもの。 何時しかボーズ氏は製作責任者の補助役になっていて、パンドゥー(Pando)という名前を付け、映画製作会社を発足させた。

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Peter Fonda on 1949 Harley-Davidson Dragon Bike in ’Wild Angels’(1966)

 ピーター氏はボーズ氏に単車デザインのラフスケッチを渡した。 それは1967年9月27日にカナダのトロントで描いたものだった。 ティアドロップ型のガソリンタンク、背丈の高いシッシーバー、極太のリアタイヤ、映画「ワイルドエンジェルス(Wild Angels 1966)」で用いた寝かせたフロントフォークのキャスター角が、デザインの基調だった。 これをボーズ氏は更に洗練したものにし、キャスター角はこれまでに無い程の寝かせた角度とした。 ピーター氏は、このキャスター角では運転は難しいものの、見栄えが素晴らしいと絶賛していた。 キャプテンアメリカ号のガソリンタンクに描かれた星条旗は、ピーター氏のアイデアだったらしい。


 映画「イージーライダー」で使用した単車は、ボーズ氏の裏庭で彼が自ら設計して組み立てた。 ボーズ氏が師匠と仰ぐ旧友ベンハーディ(Ben Hardy)氏が親身に製作を支援した。 1961年、ボーズ氏は1947年製ナックルヘッドエンジンで初めて自分の単車を組み立てる時にハーディ氏と会っている。 ハーディ氏は長年単車の修理で繁盛しているロサンゼルスのウエストフローレンスの店舗でボーズ氏と接触していた。


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Ben Hardy's Motorcycle Shop was located at
1168 E. Florence in Los Angeles (Google Maps)

 ジェームズ マグネラ(James Magnera)氏の”MC Supply”は貴重な会社で、ハーレーダビッドソン社が番号無しのショベルヘッドエンジンをボーズ氏に販売する際に便宜を図ってくれた。 この販売には、カリフォルニア州議会による新たな法律が必要だったのだ。 マグネラ氏はロサンゼルスのサウスセントラル地区で急成長する黒人が経営する単車店の資金調達にも積極的に関わった。 マグネラ氏とハーディ氏はロサンゼルス在住の単車専門家とボーズ氏のパイプ役としても尽力していた。

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Harley-Davidson FL HydraGlide 1949

 ボーズ氏の単車創作には、ブチャナン(Buchanan)社がフレーム製作で、ディーン ランザ(Dean Lanza)氏が芸術的な描画で、レイリー ホッパー(Larry Hooper)氏がシート製作で関わっている。 ロサンゼルス市警のオークションで1949、1950、1952年製ハーレーダビッドソン ハイダラグライド(HydraGlide) 4台を500ドルで購入。 この中古車エンジンは、ハーディ氏が再生した。 クロームメッキの会社はボーズ氏の記憶に残っていない。 ボーズ氏が追求していた特徴的な装飾に、ハーディ氏は湾曲したテールライトブラケットの製作で応えた。 「イージーライダー」の革製衣装を仕立てた店舗についてボーズ氏は思い出せない。

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Ben Hardy was an African-American motorcycle engineer
and chopper builder. Cliff asked mentor Ben Hardy to
construct a pair of Easy Rider crash doubles.
Photo courtesy reunionblackfamily.com

 単車が完成し、登録は映画製作会社のパンドー社名義とした。その後、ハーディ氏に使い捨てとなる2台の単車製作をお願いした。 当時のボーズ氏は映画関連の日々対処しなければならない仕事で謀殺されており、家で単車を製作する時間が取れなかった。 最終的に映画で使うチョッパーは、1台 1,250ドルで完成した。 (映画製作費は34万ドル) 当時、日本での大卒初任給は月給3万600円(85ドル×360円)なので、約15ヶ月分の給料に匹敵。 現在の大卒初任給20万円を基にチョッパー製作費を推算すると、1台 約300万円となる。

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The Captain America and Billy bike in the movie ’Easy Rider’,
known as the most famous motorcycles in the world.
Jacket, Gas tank and Helmet emblazoned with the American flag,
are iconic, symbolic

 製作会社パンドゥーで、ボーズ氏は各担当者や役者のリクルートに尽力した。  撮影監督としてベイルド ブライアント(Baird Bryant)氏、プロダクションマネージャーにポール ルイス(Paul Lewis)氏。 その後、レス ブランク(Les Blank)氏、 メーキャップアーチストにヴァージル フライ(Virgil Frye)氏、カレン ブラック(Karen Black)嬢、 シーモア カッセル(Seymour Cassel)氏、フランシーヌ リード(Francine Reid)嬢、 単車のメカニックにラリー マーカス(Larry Marcus)など。 当時、ラリー マーカス氏はボーズ氏とアパートをシェアしており、映画用チョッパーの製作に携わった。 ジャック ニコルソン(Jack Nicholson)氏は、ニューオーリンズの撮影の後に雇われた。

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Larry Marcus with a Captain America replica in 2014,
built the Billy bike for ’Easy Rider,’ in the backyard of the home
he shared with Cliff Vaughs in 1967/8

 ボーズ氏は、映画資金の援助をしたレイバートプロダクション(Raybert Productions)のボブ ラフェルソン(Bob Rafelson)氏とバート シュナイダー(Bert Schneider)氏に会う事は無かった。 また、映画にクレジットされていた脚本担当のテリー サザーン(Terry Southern)にも正式に会っていない。 映画は後半のシーンから撮影が開始され、 ニューオーリンズが最初のロケ地になった。 映画撮影が始まるまで、準備は順調に進んだとボーズ氏は感じていた。 しかし、撮影開始直後の段階で、監督デニス ホッパー氏のフィルム使用量が多過ぎるとの口論が起きてしまい、同時にボーズ氏は解雇されてしまった。


Filmed in the St Louis No.1 Cemetery, New Orleans, Louisiana
現像前のフィルム缶を落とし、缶が開いてしまう露光事故が発生。
ニューオーリンズのシーンがハチャメチャな画質なのは、これが原因。

 ボーズ氏の解雇は、デニスホッパー氏、ポールルイス(Paul Lewis)氏、バートシュナイダー氏による決定だった。 この事実はボーズ氏の解雇後に権限を持たないピーター氏に知らされた。 理由は、謝肉祭の最終日マルディグラのパレード(Mardi Gras Parade)迄に映画で使う単車が準備できなかった事。 まだ、脚本すら出来ていない時の出来事だった。 ピーターフォンダ氏はボーズ氏へのメッセージとして、この解雇が非常に残念だったと2014年10月のフェイスブックに綴っている。

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 1968年の秋に映画「イージーライダー」はクランクアップ。 音楽と映像を上手く組み合わせた映画に仕上げられ、アメリカでは1969年7月に公開された。 ロックンロールがBGMとして使われた初めての映画。 映画音楽専門の作曲家が其々の作品に合わせ 書き下ろしたものが使われてた時代で、そんな中、映画冒頭でステッペンウルフの”The Pusher(プッシャー)”が流れ、観客は驚いたに違いない。

 その年の夏には、ニューヨーク州でウッドストック フェスティバル(Woodstock Music & Art Fair)が開催されている。

 映画評論家は完成した映画「イージーライダー」を高く評価し、デニスホッパー氏はカンヌ映画祭で新人監督賞を獲得。 アフリカ系アメリカ人は、役者であれ製作関係者であれ映画にクレジットされる事は無かった。 また、黒人バイカーのギャングが出てくる場面等、撮影された多くのシーンは映画に盛り込まれなかった。 ボース氏の解雇やシーンの省略は単に予算が原因だったと ピーター氏は映画完成の40年後に語っている。



Quote from a website on which introduces Cliff Vaughs very well.
Put my commentary with those together,
paying homage to "thevintagent.blogspot.com".

If I am using your image without proper authorization or credit,
please let me know so that I can change it or remove it immediately,
per your request.

<関連ブログ記事>
  (1968) Oct. 2, 2016

<参考サイト>
 ※この記事の最終編にまとめて掲載予定
END

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