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 バイクは、青春のエンジンだ! 
 
回顧録と化した ふじ○ブログですが、ご訪問 ありがとうございます。
VMAXにたどり着くまでの背景を 書いて見たくなりました。

高校入学時は、正に単車ブームが始まろうとしている時代で、ふじ○は単車に熱中していきました。
 
通っていた高校は 校則が全く無く! 単車通学も可能で、バイク天国でした。
この事を 事前に知っていて、この高校を受験した訳ではなく、入学後に知りました。
 
 この時代は、バイク免許を取らない、バイクを所有しない、バイクに乗らない、という
 『三無い運動』で バイク好きの高校生にとって、氷河期でした。
 
父の日曜大工用 作業倉庫を 単車で占領し、バラバラ事件の発生も頻繁でした。
 SL350K、XL250、パッソル、トッツアンバイクが、 高校生のふじ○のオモチャでした。
学校帰りは単車屋、 夏休み 冬休み 春休み は 単車屋でアルバイト。 楽しい青春でした♪
この経験が、後に ふじ○の仕事(生産技術)に 大きく役立つ事になります。
 
新潟大学への進学、それ以外の大学への進学、浪人が、夫々 三分の一を占める進学高校にあって、
ふじ○は、異端児的な存在!でした。
 
大学と似ていて、ほぼ 単位制であった高校では、好きな教科を選択します。
赤点しか取れませんが、科目としては好きな理数化学を履修するふじ○は、皆より 遅い登校時間です。
校舎と校舎の間にある 単車置き場に ダンストールのマフラーが奏でる排気音(爆音)で 参上!
教室の窓から顔を出す教師の目は、 逆三角▼!(笑) ふじ○は、空ぶかしで おはよう!の挨拶。
 
当時、250cc 単気筒のロードスポーツバイクは無く、トレール車を改造して創りました。
 ホンダXL250が、そのベース車両になりました。
  エクゾーストパイプと21インチロードタイヤは、クシタニさんが造っていました。

イメージ 1
 
自分で、欲しいバイクをデザインしていたのも 日本車に無い アメリカンタイプのバイクでした。
その後、XS650スペシャルが 日本メーカー製初のアメリカンタイプとして 衝撃のデビュー。
ハーレーも含め アメリカンタイプのバイクは、大型自動二輪だけでした。
そこで、中型二輪で乗れるアメリカンタイプのバイクを造りました。(後にメーカーから発売されますが・・)
 ホンダSL350K3が、そのベース車両になりました。
  リアショックアブソバーは 取り付け位置を変更し、車高をローダウン。
  ヤマハXS650スペシャルのリアホイールリムを移植。スポークを切り、ネジを転造(ネジ山盛り上げ)。
  エンジンは、オキツモの耐熱塗料で、真っ赤に。
  基となった車両の面影は、ガソリンタンクとエンジン・マフラーのみに。 改造項目は書き切れません。
  銀塩の写真が一枚も残っていないのが残念です。(昔、一緒に暮らした彼女の部屋に置き去りに)
  CGで再現したいのですが、掲載写真は Webで見つけてきたベース車両の写真です。

イメージ 2
 
この頃になると、自宅の倉庫に コンプレッサーを入れて、塗装も楽しみました。
ラメのフレーク塗装までは 出来ませんでしたが、メタリック塗装は面白かったです。
タンク、フレーム、ヘルメットの 模様をデザインし マスキングしながらの塗装は根気が必要でした。 
 
今はインジェクションに代わってしまいましたが、当時の気化器はキャブレターで、これをイジルのも楽しかった。
このような作業は、アルバイトしていた単車屋で 教えてもらったり、見よう見真似で習得しました。
 
単車屋では、一通りのメンテナンスを教えてもらっていました。印象に残っている作業は、
 ・ Z2のカムとバルブのクリアランス調整 (厚み寸法の異なるバルブシート=シムを交換して 適正間隙に)
 ・ 4気筒エンジンの吸気バランス調整 (多連バキュームゲージとにらめっこして キャブ調整)
 ・ ポイント式イグニッション車の点火タイミング調整 (ヤスリで 接点を磨いたり、ポイント取り付け位置を調整)
 ・ エンジンのオーバーホール や ボアアップ、バルブの擦り合わせ
 ・ 通常の修理や消耗品交換、オリジナル部品の製作は お手の物
 
高校は、かなり難しい授業で 宿題も山盛りでしたが 全く勉強していませんでした。
学校にいる時間よりも 単車屋に居る時間が長かったです。
また、夏休みには同級生と東北一周ツーリング。
途中でセレン整流器がパンクし、鉄屑屋で 同系単車から代替品を見つけて 交換。
同行した友人は、○京大学 理Ⅰへ進学。 頭のイイ人は、集中力が凄く、長時間勉強しない事を知りました。
 
ふじ○が楽しみだったのは、学園祭! 勉強しない ふじ○には 学園祭の準備にも夢中です。
 
油にマミレテいる時間も楽しかったですが・・・。
高校3年生の学園祭で、当時大好きだった彼女を初めて単車に乗せた思い出は、今でも背中が鮮明に憶えています。
それまでは 単車に乗ってくれませんでしたし、その時のふじ○は 彼氏扱いされていませんでしたから。
そんな彼女は、大学卒業後 今話題の航空会社へ。
 
高校3年の秋になると、大学受験の申し込みです。 共通一次試験が、初めて開始される年でした。
 
ふじ○は、大学へ行くよりも ホンダインターナショナルテクニカルスクールに行きたかった!
大学病院での健康診断を義務付けた ホンダ。
赤緑色弱をドクターに指摘され、過去の事例より 断念せよと。 人生がキリモミ降下した瞬間!
今でも思い出すと、涙が溢れてきます。 記事を書いている今も涙が溢れています。

 
ろくに勉強もせずに 私立大学を受験し、運よく 合格。 川崎市生田の大学に入れて頂きました。
 
大学時代も 新潟県に戻った時は、単車屋でアルバイト。
この単車屋さんは、全ての外車や逆輸入車、側車を扱い、その種類や台数は 目を見張るものがありました。
その中にあって、最も 走りに魅了されたのは モトグツィ850ルマンです。
路面を滑らかに滑走する様は、フィギュアスケーターのようでした。
 
 
高校時代も含め、その間に乗り継いだ単車を挙げてみます。
もう忘れてしまった単車もあります。思い出したら、随時追記します。
 
  XS650、MS90(左記2台は、兄が乗っていた単車、無免で・・・)
  XL250、SL350K3、YD90、パッソル
  乗るまでに至らなかったヤマハDT1(レストアを断念)
  TL50(理Ⅰ友人の単車をレストア)
  GT380、KH250、RD400、GL400、メッキゴリラ
  Z250Ltd、Z400Ltd、Z400Ltd(2台目)、FT400
 
でも、次第に オートバイは 単に 移動手段になっていき、次に熱中していくのは、洋楽 と オーディオでした。
  
つづく
(次回の掲載時期は未定です)

<参考ブログ記事>

END

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自動二輪免許の変遷

    ●年早く 生まれていれば・・・   
 
もしも、●年早く生まれていれば、この年齢で自動二輪に乗る事は無かったのでは?と思います。
 
1960年以前に生まれ、二輪免許が取得可能となった年齢で二輪免許を取得された方は、
排気量に制限が無い免許が取得できました。
イメージ 1
上の画像は、バイク雑誌 「Bike Bros.」より 無断ですが、掲載させて 頂きました。(ユルシテネ)
 
御年を めされた諸先輩から、下記のお話を聞いた事があります。
 「俺の時代はさ〜、車の免許を取ったら、単車の免許も付いてきたよ」 とか、
 「単車の試験を受けていないのに、必要かと聞かれたので、必要と答えたら 二輪免許が付いてきたようだね」
こんなイイ時代もあったのですね。
 
しかし、ふじ○は 免許制度改正後に 免許取得が可能な年齢になり、悔しい思いをしました。
男女共学の高校に入学した翌年、突然男子校に変更!と宣告されたような 衝撃です。(笑) 
 
その当時、単車メーカーも 突然の制度改正に 面食らったと 思います。
  ホンダCB400(並列4気筒 集合マフラー)は、発売当初408ccでした。
  この免許制度の改正により、このモデルは 大型二輪免許が必要になって しまいました。
  その後、中型免許で乗れる 398ccのCB400が発売されました。(プレミアバイクの元祖)
 
この免許制度の改正が無ければ、高校への通学は Z2(750cc)又はXS(650cc)であったと思います。

高校生時代、自動二輪と過ごした青春は 改めて記事にしますので、ご期待!?下さい。
 
先ずは、中型自動二輪(400cc未満)の免許を取得しました。
その後、大型二輪免許の取得に挑戦します。当時は、限定解除と呼ばれ、難関な実技試験でした。
私が育った新潟県は、黒埼、長岡、柿崎の3ヶ所に運転免許試験場がありました。
当初、最寄の柿崎では 限定解除の試験が行われておらず、長岡まで1.5時間かけて行きました。
ある時は
レストアしてピカピカの単車で 試験場へ行った帰り、ミゾレ混じりの雨となり、泣きべそかいて走りました。
 
後に20分で行く事が出来る柿崎でも 試験が開始されました。 近くなった事で、練習も楽になりました。
当時 中型免許で乗る事が出来るオートバイで 最も大きく重い ホンダGL400で、早朝の試験場コースを練習しました。
一発で免許取得を目指す方々は コースを借りて練習し、自動二輪の料金は 1時間400円だったと思います。
試験場のコースを熟知したので、後の自動車 仮免許取得は楽でした。
 
実技試験に用いられる大型自動二輪は、スズキGT750(通称G7:ジーナナ)。
2サイクル 水冷 3気筒 エンジンで、低速トルクに乏しい単車でした。
現在も同じですが、最初に1回だけ事前試験として 単車の取り回し試験があります。
転倒したG7を 引き起こすのは、単車屋で開店前に数十台の単車を店頭に並べているふじ○には、問題ありません。
しかし、取り回し試験用の単車は 特別仕様でして、ガソリンタンクに砂を詰めて 重量を増していたようです。
この件は 定かではありませんが、単車でバイトしていて 単車の扱いに慣れた私は そう感じました。
 
新潟県の公安委員会は、一般の方々に対し、免許取得を 極端に制限していたと思います。
この状況は、全国の試験場でも同様であったようです。 周りの高校では、PTAが三無い運動・・・。
黒埼の試験場では、白バイ隊員の候補生のみが すんなり免許取得しているという噂が、聞こえて来ました。
 
そのような状況と 単車レストアの楽しさから 限定解除への挑戦は 中断します。
その後、進学や就職等で 環境も変化し 大型自動二輪への情熱も冷めてしまいます。
 
以上のように  免許制度の改正や 大型自動二輪免許に対する行政人生の岐路により 不完全燃焼した部分があります。
 
今年の春、完全燃焼に向けて 動き始めています♪
環境保全や資源問題から 化石燃料や生化学燃料を燃焼させる内燃機関を搭載した車両に乗る事が出来るのも、あと数年の期間かも。
くろ○が乗る自動車は、あと3年でPEVに乗り換えでは?
内燃機関の単車は、高い燃料消費率や 少ない構成材料から 自動車よりも延命するかも。
  でも、いつまで運行可能なのか? 疑問です。 オジサンの体力も 衰えるばかり。
  大排気量二輪車に乗るのは、今しかない!
  教習所で 大型二輪の免許取得も出来るようになっている!
  腰痛をおして、大型二輪免許の取得にいくぞ!(実技教習は腰痛のリハビリにもなりました。取得済み)
 
今は「国内販売は、750cc以下!」という ホンダと旧運輸省で決めた不文律も無くなり、イイ時代です♪

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新型VMAXアラワル

    納車が 待ち遠しい♪   
 
単車販売店に ふじ○のVMAXが搬入されたというので、偵察に行ってまいりました。
現在、明日のオプション部品着荷&取り付け と ナンバー登録待ち 状態です。  
 
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YSP店の 店長(ふじ○とタメ年!)と 社長(悪代官役が似合う・・・失礼シマスタ♪)。
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このお店で購入を決めた理由は、下記通り。
 ・ 一見 無愛想で融通がきかない社長ですが、実は 面倒見が良い事を実感した事
 ・ 充実した工場とは言えないですが、店長とスタッフがしっかりしている事
 ・ ヤマハ発動機販売(株)の営業マンと ここで知り合えた事
 
今週末に このYSP店で VMAXの試乗会が開催されますが、その試乗車も届いていました。
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この試乗車は、オプションてんこ盛ですが、ふじ○が選んだオプションは皆無です。(笑)
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写真を編集していて、オプションの値段設定のオカシイ事に 気付きました。
39,900円、33,600円の値段が複数あります。 偶然では無く、意図を感じますよ。
 
あと、今日は任意保険も予約しました。 友人が代理店をやっている 三井住友海上です。
対人対物無制限・人身傷害・弁護士特約付きで、年間71,930円
単車では、ゴールド免許割引や車両保険の設定は 無いそうです。
 (今回、青免になって、心配していた事項)
次年度は、1年間無事故であれば、5万円ほどに なるそうです。
 
納車は、来週の中頃 でしょうか。

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