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アーティチョーク。 別名、朝鮮アザミ、というそうです。 食感が好きで、レストランなどでメニューにあれば好んで食べていますが、家で料理するのは初めて。 ネットで調べてみたら、結構簡単に作れそうです。 ところで、我が家のマンションの入り口にいつも季節のお花が生けてあるのですが、いま飾ってあるお花の中にアーティチョークがありました。いまが旬なんでしょうか? 週末チャレンジしてみます♪♪
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雑記
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今晩は「ビールに合う居酒屋メニュー」をテーマに、我が家のシェフ(=旦那さま)が腕を奮ってくれました♪ 空豆 初ものです♪ きゅうりとワカメの酢のもの 胡麻がアクセントになってます♪ トマトとアボガドのサラダ 醤油とわさびとオリーブオイルでシンプルに味付けしてますが、ナカナカ旨い! 油揚げ焼 ゆずのポン酢醤油と刻み茗荷を添えて♪ 新じゃが炒め 油で炒めた新じゃがと、甘辛く味付けしたそぼろがマッチして、箸がとまりません。。 お刺身は珍しいノドグロとしらす 美味しい♪ そして我が家の定番、手羽先 これがホントに旨いんです!!これで商売始められるんじゃないかといつも思ってしまいます(笑) かなりの品数が並びました。どれも美味しいかったです♪ 多謝♪
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今年はなぜか私の周りで結婚ラッシュが続いています。 年齢は30前半から40前半。 女性も多いですが、男性の同僚も数名結婚が決まったり、こっそり(?)入籍した人がいます。 面白いのは、その殆どの人達が知り合ってからすぐに結婚を決めていることです。 やっぱり年齢からくるものでしょうか。(笑) さて、先週末に友達の結婚式に出席するため恵比寿のウェスティンに行ってきました。 結婚式から参列させて頂きました。 花嫁姿が何とも綺麗でうっとり。。 その後の披露宴は、豪華で且つきちんとしたものでした。 旦那さんの挨拶は堂々としていたし、彼女が最後に読んだ両親への手紙にもほろりとさせられました。もちろん友人代表の挨拶も、新郎新婦をほめながらも場が盛り上がるようツボを押さえたもの。さすが「大人」同士の披露宴といった感じでした。 さて、今日は所変わって、明治神宮で別の結婚式があったので行ってきました。 とは言っても、式は親族のみでやることになっていたので、門から式場の間を歩く瞬間に花嫁姿をとらえようとカメラを持って意気込んで行きました。 快晴の中、赤い傘の下を白無垢姿の彼女と羽織袴の旦那さんが寄り添って歩いている姿は、なんとも感動的でした。 外国人観光客もここぞとばかりに写真を撮りまくり。(笑) 大勢の人に囲まれてお祝いされるっていうのはいいですね。 8月に友人を集めて披露宴と2次会をやる時は、ウェディングドレスが見られるそうなので楽しみです。
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お互い塁に出るけど、なかなかホームに帰って来れず。 ようやく日本が一点入れると、また韓国が一点入れて。 きりきりするような試合展開でゲームが進んだ延長10回、代打の川崎がフライで打ち取られた後、日本中の人が祈るような思いでイチローを見ていたのはないでしょうか。 ねばってねばってねばった後に、ヒットが出たときは、思わず声をあげそうになりました。会社にいるのに(笑) 侍ジャパン、よくがんばった! そして韓国選手もよくがんばりました! なんだか嬉しい気持ちになりました。
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2004年の新潟県中越地震の際に、崖崩れが起こった現場です。 当時テレビで生中継されていたので覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、一家三人が車ごと生き埋めになり、スーパーレスキュー隊の活躍のおかげで男の子一人が生きたまま救出されたのがこの場所です。 上の写真は、先週末実家に帰った際に対岸から撮ったものですが、崖の上は補強工事が施され道路工事も行われているので、いまでは普通に車で行き来できるようになっていますが、崖の下のほうは当時のまま、折れ曲がったガードレールが無惨な姿をさらしています。 震度7の地震が起きた時、1時間経っても2時間経っても家の固定電話にも携帯にも繋がらず、安否が確認できなくて心配した事を覚えています。 また、物資配達や復旧支援のためにかけつけたいと思っても、新幹線も高速道路も破壊されているし、大きな余震も続いているし。。 ジリジリしていると、そのうち羽田⇔新潟間の臨時便が運行しはじめたので、即、有休申請を提出して、スーパーで大量の食料を買い込んで、朝一の便で新潟空港まで飛びました。 空港からはバスを乗り継いで、通常2時間程度で来れるところを5時間かけて姉の家まで到達。そこから車を出してもらい、道を迂回しながらようやく実家までたどり着くと、幸いなことに家自体は破損しておらず窓ガラスが数枚割れた程度でした。 ただ、家の中はめちゃくちゃになっているし、ライフラインは全て止まっているので、電気以外は問題なかった姉の家に泊まらせてもらいながら、昼間実家に行って、ひたすら片付けをする日が続きました。 自衛隊がすぐに地元入りしたので、震災から3日も経つと炊き出しが始まって、おにぎりがもらえるようになり、食べ物の心配がいらなくなりましたが、相変わらずライフラインは止まったままなので、暖かい食べ物が食べれず辛い。。 また、トイレの水も出ないので、汲み置きしたお風呂の残り湯を毎回トイレに流しながら使いました。 ただ、なにより辛かったのは、余震が続いたことでしょうか。 一度家の2階で片付けをしている時に、震度5の地震がきて、木造の古い家がプリンのように揺れました。車酔いのように気持ち悪くなり、揺れも酷くてまっすぐ立ってられずにしゃがみ込んでしまいました。 また、夜寝ている時に地震が起きることもしばしばで、遠くから地震が近づく音が聞こえると、暗闇の中、天井を見ながら「このままこの家も崩壊するのでは?」と想像したこともありました。 食べ物も、飲み物も、寝る場所も、トイレも、全て不自由な生活を強いらされて、大げさに言えば命の保証もないことを考えた時、数日前まで「普通の生活」を営んでいたことがとても不思議に思えてきました。 家が半壊や全壊してしまい、建て替えることができず仮設住宅に住んでいらっしゃる方は、いまでも本当の意味での「普通の生活」には戻れていないはずです。 こんな話をすると、大概の人には「へえ〜」と聞き流されてしまいます。 そういう私も、こういった地震の爪痕を見ない限りは、当時の事を思い出すことはほとんどありません。 ただ、神戸などの大地震を経験された方が、中越地震の際に、真っ先にボランティアとして来てくれたり、寄付を募ってくれたように、その大変さがわかるからこそ手助けをしたいと思いますし、なによりいま衣食住に困らず「桜が咲き始めたなあ」なんて思える生活があることに、改めて感謝しなくちゃいけないなと思わされた帰省でした。
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