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そこはかとなく書き綴る撮影日誌
鉄道・飛行機・艦船・風景なんでもありのごった煮撮影碌

書庫ちほく高原鉄道の今

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鉄橋のガーダーのみは当時の面影を強く残している

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当然ながら線路は撤去済みでバラスト以外は何も残っていない


北見〜北光社間について

 ちほく高原鉄道の始発駅でもあり、終着駅でもある北見駅は北海道の中では指折りの都市に数えられる為、隣の北光社駅と共に第三セクターとしてはかなり乗車率が高い区間であった。北見市街から郊外に抜ける事もあり、車窓の変化にも富んだ区間であった。
 途中、常呂川を渡る為鉄橋が架かっており、ここの様子を調べる為に自転車を走らせてみた。
ちなみに鉄橋は立ち入り禁止区域に指定されていたので(当たり前か)当然ながら立ち入っていない。
御法に触れるのは御免蒙るというお話である。

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鉄橋入り口には立ち入り禁止の張り紙が・・・

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こう見ると今にも列車が着そうな気配さえするのが不思議だ。

 この日は曇りであった為か割と朝から冷え込みが厳しかった。
気温も上がらずといったところだが、空気が乾燥しているのでそれほど不快感は感じない。
 祖母の家の脇に放置してある自転車を修理して辛うじて運転できる状態に持っていった後、油なら慣らしも兼ねて鉄橋まで行くことにした。
北海道はとにかく道が長く直線なので遠くがかすんで見える。
 成程、自動車が鉄道を退けた理由も分かる。便利であり、駅で待つという事が無いのだからJR北海道の経営が圧迫されているのも当然の成り行きといえるかもしれない。
鉄橋近くの踏切跡から線路跡を辿って鉄橋に行く事にした。
 バラストが残っている為、一歩、一歩踏みしめる毎に「ジャリッ、ジャリッ」と音を立てる。
勾配標や踏切中継が残っているのでここに鉄道が通っていたと一目で分かるだろう。
 さて、本題の鉄橋跡に着いたが、廃止から2年近く経過しているのにも関わらず老朽化はさほど進んでいないらしい。薄緑色のガーダー橋は現役そのままと言った感じだ。
橋脚には蛙の卵のような文様が縦横無尽に走っており、不気味である。
 線路が無いだけでもこれほど寂しくなってしまうものなのだろうか・・・。
感想は無残にも荒れ果てている南側地域よりも原型を留めている北側地区の方が当時を偲ぶ事が出来る。
最近はマトモに鉄をせず、廃墟巡りのような記事ばかり書いてしまっている。
そろそろ鉄もしたいものだと思って締めくくらせていただく。

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踏切中継。もう2度と使われる事の無いのだ

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勾配標。なんだか墓標のようにも見えてしまう・・・

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かつての上常呂駅


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その日、ここから人が消えた


上常呂駅

 池北線は道東の主要都市である北見と道南の池田を結ぶ路線として石北本線よりも早く開通した歴史ある路線である。開かれたのは明治44年とかなりの歴史を持っている駅であった。
かつてはC58型などの中型蒸気機関車も乗り入れる主要線区で道東と道南を結ぶバイパス的な役割を果たしており、なおかつ付近には栄えた都市部も数多く存在し、乗客も非常に多かった。
そんな池北線の北見方面で最後の交換駅であった事もあり、貨物ターミナルも併設されている立派な駅であった。
 しかし、車社会の到来により、移動距離が長い北海道では利便性の高い車はたちまち現地の人々に受け入れられ、鉄道は廃れる一方であった。
 1980年台にもなるとかつての栄光を偲ぶ物は何も無くなっており、その時には単行の気動車が一日に何本か往復する盲腸赤字ローカル線に転落していた。
 国鉄の赤字が深刻化する中で国鉄再建法による廃止検討路線となったが、第3セクター化し、「ちほく高原鉄道」として生まれ変わった。
 ただ、それでも状況が好転するはずも無く、2006年に静かに歴史の波間に消えていった。

現在の上常呂地区


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未だ時を刻む時計・・・


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1人また1人とこの集落から去ってゆく。残るのは廃屋と記憶のみ・・・


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このベンチで思い出話を語ったのも昔の話

 自転車を使っても北光社からかなり距離がある為、ここまでが自転車で行ける限界半径であった。
集落の入り口は既に分からない程、廃れきっており、取材が終わるまで人の姿を見る事は無かった・・・。
集落は廃屋の集まりと化していて錆びきったガスの元栓や割れたコンクリが印象的であった。
人がおらず逆に何処かしら恐怖心さえ掻き立てられる。「Siren」の異界のような感じだった。
 感傷に浸っていても仕方が無いので本題の上常呂駅の取材を行おうと駅構内に入ったが、これまた衝撃的なものであった。北光社駅は草刈等がしてあったからまだ良かったものの、上常呂駅は荒れるに任せると言った状況でホーム母屋は良いものの、対向式のホームは草が伸び放題で往時を偲ぶ物なぞ残っている訳が無かった。廃墟巡りとはこのようなものか「来なきゃ良かった」と反省したものだった。

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北光乗車場の案内


廃止から2年経って

 今回は急な用事があり、北海道へ急遽、赴く事となった。
そんな事もあってヒマな時間を見つけて近くを走っていたちほく高原鉄道の跡を見ようと思い、一番近くの北光社駅から見て廻る事にした。
ヒマな時間を見つけて歩いたとは言え、池田までの長い区間をすべて調査すると言うのも無理があったので今回は北見〜上常呂間を自転車で回り、徹底的に調査した。

北光社駅

「北光社」とは高知から入植してきたキリスト教集団にちなむ駅名で北見の開拓はこの「北光社」と屯田兵によって行われてきたと言っても良い。元々、仮乗降場として開設されていたが、北見市街とは距離もあり、近くには北海商科大学が立地しており住宅地でもあるために一面一線の無人駅にしてはかなり賑わっていた。私も祖母の所へ帰る度にこの駅のお世話になっていたが、乗降数はそれなりのものであった。

北光社駅の今


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北光社駅を北見方面から見る。


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ホームの板張りも撤去されておらず、そのままであった。


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駅名表は御覧の通り、既に撤去されている


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線路跡。もうバラストしかの残っていないのが残念であった。

 久方ぶりに訪問してみたが、ホームは撤去されておらず線路と枕木は撤去してあるのみであった。
駅周辺は最後に訪問した4年前よりも寂れた気がする。
住宅とかはそのままでそのままであったが、人気が全く無くなってしまった感があり、「ここも寂れたものだな…。」と少しばかり悲しくなってしまった。
駅名板と時刻表が既に撤去してある以外は特に現役時代と変わりなく、北見方面の駅の中では最も原型を留めた駅と思われる。
草等も適度に刈り込みがされており、廃止後にあるにも関わらずここまで綺麗に保たれているのには好感が持てた。
 しかし、ホームから少し離れた所は既に草が伸び放題であり、廃線になってしまった事を痛感させられた。また、ホームの写真を見てもらえれば分かると思うが縦張りの板張りと横張りになっている事からホームを後々、付け足した事がお分かりいただけるだろう。
一時は長編成の快速列車等も停車したようである。
 線路さえあれば今にも列車が来る様な感さえした。次に訪問した旧上常呂駅に比べると全然、マシなモノであった。










 

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