遊撃隊出先機関 〜深夜アニメに向けて出撃!!〜

独立UHF局及びキー局の深夜アニメや、政治情勢について一言

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今回は『ゴールデンタイム』を取り上げます。同作は竹宮ゆゆこのライトノベルを原作としたテレビアニメです。ストーリーは以下の通り。

 

主人公・多田万里は静岡から上京してきた大学生。高校を卒業する頃、事故に遭って記憶を失ってしまい、1年の浪人を経て東京の大学に入学した。大学では同級生の柳澤光央と友人となるが、光央には強烈な幼馴染みがいた。光央を運命の人と考え、ストーキングしている加賀香子である。万里と香子は大学のサークル・日本祭事文化研究会(通称・おまけん)に入会し、1年先輩の林田奈々(通称・リンダ)の世話になるが、実はリンダは万里とは高校時代に同級生であり友人でもあった。

 

本作のストーリー上の主人公は多田万里ですが、タイトルクレジット上の筆頭は加賀香子役の堀江由衣となっています。『めぞん一刻』みたいなものですな。

本作の序盤において加賀香子が好きな相手は柳澤光央であるにも拘らず、オープニングには香子と万里しか登場しない有様で、今後の展開を隠す気がありませんでした。結局、ストーリーが進展すると、万里と香子は恋人同士になります。

 

さて、本作のストーリーは上記に見た通り、大学生のラブコメなのですが、本作のストーリーにおける特徴の1つに、万里の記憶喪失があります。事故によって万里の生霊が肉体を離れ、万里の肉体は、事故以前とは別個の自我を持ちます。主人公の万里は記憶喪失後の新たな人格であり、記憶喪失前の万里は別個の人格として肉体を抜け出し、幽霊のような姿で万里の肉体を見つめています。

 記憶喪失前の万里の魂と、記憶喪失後の万里の人格は別人格であり、例えば、記憶喪失前の万里が好きな女性がリンダであるのに対し、記憶喪失後の万里が好きな女性は香子であるといった具合です。しかし、私は、記憶喪失前の万里と記憶喪失後の万里に共通する或る要素に着目し、この物語は現代の若者が抱える或る不安を描いているのではないかと考えました。

 

 まずは記憶喪失前の万里のエピソード。第6話「イエス・ノー」の冒頭では、高校時代末期の万里が描かれます。高校卒業を記念して、万里のクラスは、クラス全員の氏名が印字されたTシャツを業者に発注しますが、印刷ミスで万里の名前が印字されていませんでした。万里は、自分がクラスメイトから嫌われていたのかと思い、悲しみのあまり涙を流します。原作2巻13ページでは万里の心の声として

「いなかったことになってしまった。」

と語られています。

 

 次に記憶喪失後の万里のエピソード。記憶喪失後の万里は或る不安を抱えていました。第3話「ナイトエスケープ」で新興宗教団体に勧誘された万里は、宗教団体の信者になったふりをして友人を逃がすため、記憶喪失になった時の身の上話を始めます。

「目が覚めたらいきなり知ってる人が誰もいない世界にいたんです。親もいない。友達も知り合いも誰もいなくって。すごい寂しくって。それからずっと不安で。苦しんでて。」

 この場面は万里の演技も含まれていますが、同時に、万里の正直な心境も反映されていると見て良いでしょう。記憶喪失後の万里は、記憶喪失前の自身を知る人々が、自分を受け入れていないのではないかと考えていました。例えば原作1巻240ページ。

「どうしてもわかっちゃうじゃん。親が、今でも『本当の万里』がただいまー!って帰ってくるのを待ってるって。今の俺に対する『これじゃない』感は、どうしても伝わるから。」

実は万里は、事故を起こして病院に入院した時点で先手を打ち、原作1巻251ページでは

「会いに来ないで欲しい。連絡しないで欲しい。」

原作5巻50ページでも

「元の知り合いが見舞いに来ても絶対に会いたくない」

と表明しています。

 そのような万里が高校時代の同級生と向き合うことになったのが第18話「マイ・ホームタウン」です。高校の同窓会が地元で開催されるため、万里はリンダと共に静岡にやって来たのです。ここでも万里は不安をリンダに打ち明けます。

「俺はみんなが会いたかった多田万里じゃないじゃん。(略)何こいつって絶対思われるよ。」

原作6巻154ページでも、万里は

「引っ込んでろよ。自覚しろよ。おまえの居場所じゃないんだよ。」

と言われるのではないかと危惧していました。このような万里の様子は以前からリンダに見抜かれており、リンダは第18話で

「何だかあんたはずっと今まで嫌々ながら生還しましたって感じだった。(略)あんたは昔をなかったことにしたがってる。私に対してビクビクしてる。」

と振り返りました。

 しかし万里の懸念は杞憂であり、高校時代の同級生は万里を歓迎しました。同級生は、万里が同級生のことを覚えていないであろうことに鑑み、ドッジボールの試合にかこつけて名前入りのゼッケンを用意し、全員に着用させるという配慮を見せました。このことについて原作6巻199ページでは

「一方的な思い込みで彼らを恐れ、悪しざまに言っていた自分の勘違いと狭量さに万里は改めて気が付いた。」

と記されています。

(↓『ゴールデンタイム』第18話 「マイ・ホームタウン」の一場面。ふたばからの転載

イメージ 1

 














以上のように、記憶喪失前においても、記憶喪失後においても、「自分は周囲から疎まれているのではないか。自分には居場所がないのではないか」という万里の不安が描かれていると言えます。これは恐らく、現代社会を生きる若者の立場に対する問題意識の表れでありましょう。このような万里の立場に対して作品か示したのは、周囲の温かい眼差しでした。高校の同級生にして大学の先輩であるリンダは最終話「ゴールデンタイム」で「あんたの全てにYESだよ!」と万里を包み込むような発言をしていますし、原作最終巻154ページでは、静岡から上京して右も左を分からなかった東京生活に思いを馳せ、

「大学という見知らぬ場所に来て、なにもわからず不安で一杯の新入生に、そうやって先輩たちは「いていいと思える」スペースを――居場所を作り、与えてくれたのだった。(略)万里にはだから、たまり場があった。わからないことを訊ける先輩がいた。それがどれだけ心強かったか。どれだけ頼りにしてきたか。」

と感謝の念を述べています。他にも万里は、二次元くんやNANA先輩ら、万里を思いやる友人に恵まれ、困った時には親身になってくれました。高校の同級生も優しさに溢れていました。

本作は、自分の立場についての現代の若者の苦悩(原作6巻154ページや原作最終巻154ページを見ると“居場所”という言葉がキーワードになっていますね)と、それに対する救済を描いていると言えます。また、本作を見ると、或ることわざの世界観を具現化しているように思えます。そのことわざとは―――。

古人曰く、渡る世間に鬼はなし、と。

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