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(2009年9月23日(水・祝日)の活動日記)
● 2時間半の激しい議論、平行線のまま
3日前に書いたフジノの活動日記が
市民の方々の中に、
賛否両論の感情で受け止められています。
(3日前の日記:http://www.hide-fujino.com/diary.htm#090920-2)
もっとも、フジノに対して頂くメールのほとんどは
「フジノの想いは理解できる」というもので
否定的な意見はありません。
一部の方にどうも誤解があるようですが
この3日前の活動日記を書く前から
もともと決まっていたスケジュールとして
今夜、吉田市長と2人きりでお会いすることに決まっていました。
3日前の日記を書いたから会うのでは無く、
美術館問題の今後について
「今のままではあまりにもおかしいではないか」と
吉田市長に直接に申し上げる為に
セッティングした場であって
一部の市民の方の期待を裏切って申し訳ないのですが
『笑顔で和解に向けて話しあうような気持ち』は
最初からフジノにはありませんでした。
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4年前、木村正孝さん(前市議)が市長選挙に立候補して下さった。
(木村さんHP:http://www.h3.dion.ne.jp/~m-kimura/)
まだフジノも雄人も政治家になって2年しか経っておらず
あまりにも実力不足だったけれど、
このまちの危機に対する『憂いの気持ち』だけは
誰にも負けない2人だったと信じている。
そんな僕たちの、
行動力は足りないけれども
はちきれそうに強い想いを見かねて
木村正孝さんは立候補を決意して下さった。
率直に、僕たちのかわりに立候補をして下さったのだと
今になってハッキリと分かる。
フジノにとって、『政治家としての父』は
木村正孝さんであり、その想いは何年たっても変わらない。
『このまちの改革』という名前の家族があるならば
その父親は木村さん、
長男はフジノ、
次男が吉田雄人、という感じだ。
正しさの為ならば身体を張るし、鉄砲玉にだって喜んでなる、
感情的で血の気が多い長男・フジノと
クリーンで、いつも冷静、論理的かつ合理的な
血統の良い正統派の次男・雄人と
そんな風にイメージが全く正反対でケンカの絶えない2人を
いつも笑顔で父が見守っていてくれた。
僕らは、そんな感じだ。
画像参照(4年前のフジノたち)
4年前、僕たちは必死に市長選挙を闘った。
しかし、木村さんを勝たせることができなかった。
木村さんは最高の候補者だった。
敗因は僕たちの力不足だった。
僕たちに力が足りなかったせいで、
僕たちが未熟だったせいで、
木村さんは政治の世界を去らねばならなかった。
本来ならば、木村さんには成すべき仕事が
まだまだたくさんあったのに...。
もしも木村さんが政治家のままで居てくれたならば
もっともっとたくさんの市民の方々が
救われたはずだったのに...。
払った犠牲は、本当に大きかった。
だから、あの日、僕たちは誓った。
(http://www.hide-fujino.com/diary/2005/05mayorelection.htm#oath)
誰もが希望を感じることのできるまちへと改革すること、
それが僕たちの誓いだ。
たとえ会派がバラバラになろうと、
たとえ肩書きが変わろうと
たとえ時間が経とうと
少なくとも僕はそう信じていた。
そう信じていたのは、僕だけだったのか?
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現状を打ち破るべきだ。
僕たちは、市長選挙で市民のみなさまと契約を結んだのだ。
市民のみなさまとの契約である
マニフェストを
今すぐに実行していかねばならない。
ちゅうちょなんかしている暇は無い。
調整に時間をかけている暇も無い。
マニフェストをもりこんだ来年度予算案をしっかり作る為にも
何よりも今は副市長を
一刻も早く選ばねばならない。
可能な限り早く財政危機を克服しなければならない。
そして、市民のみなさまが実感のできる幸せを得られるように
政治と行政が全力でサポートしなければならない。
2時間半も話し合って、何の着地点も見えないままに
僕たちはどこに向かおうとしているのか。
ゴールは1つしかないのに。
僕はあの日から何も変わったつもりは全く無い。
目的を見失なったつもりも僕には全く無い。
雄人よ。
今こそ、僕たちは誓いを果たすべきだ。
マニフェストの完全なる実現、これが唯一の回答であるはず。
それ以外、答えは無いだろう?
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