おれをこきつかえ!政治家フジノ39才

「福祉のまち、横須賀」をめざして、今日も全力活動中(横須賀市議・2期目)

素晴らしき仲間たち

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(2009年10月4日(日)の活動日記その1)

● 上田副市長、今まで本当にありがとうございました

 本日10月4日をもって、上田副市長の任期が終わりました。

 上田副市長、今まで本当におつかれさまでした。
 こころから感謝を申し上げます。ありがとうございました。

 昨日の神奈川新聞には、上田副市長の退任が
 その『功績』について紹介された記事ではなくて

 「吉田市長のもとで副市長がゼロになること」についてが
 メインテーマとして報道されていました。

 メディア的にはそういうことになるのでしょうが
 率直にフジノはこの論調を残念に感じます。


 (2009年10月3日・神奈川新聞より)
画像1枚目参照


 フジノは今、上田副市長の『横須賀市への貢献』を
 純粋に高く評価したい気持ちしかありません。

 これまでも尊敬する歴代の市職員の方々が退任する時に、
 フジノはその方々への想いを率直に記してきました。

 例えば、

 2005年の森田副市長の退任、
 (http://www.hide-fujino.com/diary/2005/sep4.html#MrMorita

 今年7月の杉本副市長の退任、
 (http://www.hide-fujino.com/diary/2009/july1.html

 などがそれにあたります。

 もちろん行政職の方々の在任中は、
 『市議会議員』と『行政側職員』の間には絶対に越えてはならない
 『立場の違い』がありますから、決して親しくすることはありえません。

 もしも親近感を抱いた瞬間があっても
 フジノはそれを相手には絶対に伝えません。

 いつもどおり、フジノはムスッとした表情で接し続けていきます。

 仮に親しさを表明してしまえば、いざという時に市議会議員としての判断が
 情に流されたり鈍る可能性があるからです。

 けれども、せめて退任なさった時には
 きちんと本音で感謝の気持ちを記したいと思うのです。


● 政治家フジノの想いを最初に真正面から受け止めて下さった方でした

 上田副市長は、フジノが政治家に転職した2003年当時、
 健康福祉部長の立場にありました。

 自殺予防対策と精神保健福祉の向上をメインの政策にして
 市議会にいのちをかけて乗り込んできたフジノにとって

 その政策について誰よりも最初に激しい議論をしたのが
 まさに上田健康福祉部長だったのです。

 かつて森田副市長の退任にあたって記した活動日記にて
 激しい怒鳴りあいを繰り広げたエピソードを初めて記しましたが

 実は、その怒鳴りあいより
 もっともっと早い時期に、

 フジノの感情爆発をまともにぶつけた最初の相手こそ
 上田健康福祉部長でした。当選1年目の12月のことです。

 当時はまだ日本全体で自殺予防が全く話題にもならなかった頃です。

 横須賀でも、全く自殺予防対策に取り組む気配すらありませんでした。

 そこでフジノは、何故、自殺予防対策に取り組まないのかと
 健康福祉部長室で上田部長にかみついたのです。

 けれども、その時になされた激しい議論がきっかけで、
 フジノは上田部長に対して揺らぎない強い信頼感を抱きました。

 2009年の今でこそフジノは市職員のみなさんは
 このまちを一緒に変えていく強力なパートナーと確信していますが

 そもそも2003年に立候補した時点では

 「市役所なんか100%信頼できない」

 という激しい不信感と疑念を持って政治家になったフジノにとって

 上田部長との激しい議論は
 市役所と市役所で働く方々そのものへのフジノの印象が
 根底から変わるきっかけになりました。

 つまりフジノは、上田部長をとおして
 市役所全体への印象が変わっていったのです。

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 副市長の任期が終わる10月4日まで
 全議員が集まっている日程は9月16日が最後ということで

 去る9月16日の本会議終了後、
 上田副市長が全会派の控え室をあいさつにまわりました。

 無会派の控え室にもいらした時に、
 最後に記念写真をお願いしました。

画像2枚目参照

 もう一緒に激しく議論をすることも無いのだと思うと
 本当に残念でしかたがありません。

 できればフジノが政治家を引退するまで
 行政側の大きな壁として、対峙していてほしかったです。

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 残念ながら、行政職員の働きぶりは
 ふだん市民のみなさまに伝わることはありません。

 けれども、上田副市長によって
 このまちの保健医療福祉行政は大きく推進されたことは
 ぜひ記しておきたいと思います。

 例えば、全国に誇れるほどに
 横須賀市の自殺予防対策がこれだけ実現してきたのは

 政治家としてフジノが
 提案し続けてきたからだけではなく

 行政側にもその提案を
 真摯に受け止めてくれる存在がいてくれたからこそだと感じています。

 (もちろん最終的な決裁をするのは時の市長ではありますが...)

 個人としても、政治家としても、
 上田副市長の存在に、強く感謝しています。

 改めて、これまで長い間、おつかれさまでした。
 今まで本当にありがとうございました。

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(2009年9月19日(土)の活動日記その2)

● 尊敬する山井和則さん、厚生労働政務官に就任しました!

 フジノは政治家という職業が
 心底、大キライなのですが

 それでも、こころから尊敬している政治家の方が
 何名かだけいます。

 特に、最も尊敬しているのが
 山井和則さん(衆議院議員・民主党)です。

 (山井さんHP:http://yamanoi.net/

 もちろん著作は全て読んでいますし、
 衆議院での山井さんの論戦はインターネット録画中継で
 ほぼ全て観てます。

 『福祉政策』を推進する政治家の中で
 フジノの中では最も優れている政治家だと信じています。

 下の写真は、国会でお会いしていただいた時
 (http://www.hide-fujino.com/diary/2006/june2.htm#MrYamnoi)の
 山井さんとの2ショット!超緊張です。

画像参照

 その山井さんは民主党に所属していますので
 今回の政権交代によって、
 フジノは当然ながら政府に入ると信じていました。

 厚生労働大臣になってほしい、ずっとそう願っていました。

 このたび、厚生労働政務官に就任が決定しました。
 フジノは率直にとってもうれしくてたまりません。

 大臣・副大臣・政務官の
 政務3役がチームとなって政策を実現していきます。

 ようやくこの国の福祉がまともな方向へと
 山井さんらの力で向かっていくはずです。

 山井さんはポストなんかどこでもかまわない、というタイプですが
 それでもフジノとしてはトップである大臣になってほしかったです(涙)。

 でも、大臣の実力を持つ政務官って
 それはそれで素敵です。

 大臣になると、全てを所管しなければいけないので
 多忙さで身動きがとれなくなってしまうこともあるでしょう。

 けれども、政務官であれば
 徹底的に実務に集中することができるはずです。

 この国の福祉の形がついに変わる時が来ました!
 山井さん、就任おめでとうございます!

 本当にうれしいです。

 政権交代したことなんか、フジノが何よりもうれしいのは
 同じく福祉を政策のメインに掲げる政治家として

 あなたが厚生労働行政の頂点に近づいたことは
 この国の福祉が変わる上で不可欠だからです。

 本当におめでとうございます!

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(2009年9月5日(土)の活動日記その1)

● 雨宮処凛さんに取材していただきました/クイックジャパン

 今日は、雑誌の取材を受けました。

 太田出版から出版されている
 月刊誌『QuickJapan(クイック・ジャパン)』です。

 (http://www.ohtabooks.com/quickjapan/

 (下の画像は、現在発売中の最新号です)
画像1枚目参照

 この本の中で、雨宮処凛さん(あの雨宮さんです!)が
 『タダで世界を変える10の方法』という連載をされています。

 (雨宮さん公式HP:http://www3.tokai.or.jp/amamiya/

 雨宮処凛さんは、めちゃくちゃ有名な方ですが

 これまで『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版、2007年)
 などをはじめとする数多くの著作を通して

 フリーターや派遣労働者の方々の
 不安定な労働や、生きづらさについて訴えてこられました。

 この雑誌の連載では、これまでに見てきた生きづらい現実を、
 いかにお金をかけずに変えるかというテーマで、
 この分野の先人たちにお話をうかがう、という主旨になっています。

 第1回目では、自主映画の宣伝方法を次々と編み出した
 映画監督の園子温さん、

 第2回目では、ホームレスの家=0円ハウスを
 高度な建築物として研究している坂口恭平さん、

 のお2人からお話をうかがってきました。

 なんとこの連載の第3回目にフジノを、という依頼を受けたのです。

 依頼を受けてすぐにフジノはお断りしました。
 たびたびお断りしました。

 何よりもフジノは連載のタイトルとは違って
 「世界を変える」なんて決意は持っていません。

 連載の第3回目って、野球の3番打者と同じで
 これからまさに大きく得点を生み出していかれるかどうかの
 大切な機会だと思うんです。

 そこにフジノでは弱いのではないか、ともお伝えしました。

 けれども、編集者の方がとても熱心な方で
 たびたびいただくお返事に、とてもこころを強く打たれました。

 そこで、本当に僕自身の力不足さを自覚しながらも
 雨宮さんの連載の取材をお受けすることになりました。

 そしてついに今日、雨宮さんたちが横須賀に来てくれたのです!


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 取材の成果は、10月14日発売の
 次号『クイック・ジャパン』を実際にぜひご覧いただくとして...。

 雨宮処凛さんとお会いすることになるとは
 想像すらしたことがありませんでした。

 実は、雨宮さんとフジノは同学年なんですね。

 フジノは74年生まれ、雨宮さんは75年生まれ。
 ともに『ロスト・ジェネレーション』と呼ばれる世代のど真ん中にいます。

 雨宮さんの取り組んでおられる反貧困の闘いは
 自殺予防対策とも深いつながりがあるので
 彼女の著作はこれまでに何冊も読んできました。

 彼女のテーマである
 フリーター、派遣、などの非正規雇用についても、
 また、小泉元総理がおしすすめてきた『新自由主義』についても、
 フジノは同じく激しい怒りをもって批判してきました。

 こうした共通点はあっても、雨宮さんのような超メジャーな方と
 フジノのようなドマイナーのいち市議会議員が出会うことになるとは
 全く想像さえしたことがありませんでした。

 何冊もの本の著者、テレビの中の有名人、遠い存在。

 でも、今日実際にお会いしてお話した雨宮さんは
 気持ちのいい真夏のそよ風のような、とても素敵な方でした。

画像2枚目参照

 そして、雨宮さんのファンの方からは怒られてしまうかもしれませんが
 彼女の中に僕は自分といくつもの共通点を見出した気がしました。

 それは、同じ世代を生きてきたからかもしれないし
 ともにそれぞれの与えられた場で全力で闘っているからかもしれません。

 いずれにしても、お話をさせていただいているうちに
 すごく親近感を抱いてしまう、
 人として、とても素敵な方でした。

 お会いしたら1つだけ質問させていただこう、
 とあらかじめ決めていたことがフジノにはあったのですが
 彼女の答えは、同世代の、等身大の、
 なんだかとても納得いくものでした。

 決して、マスメディアから発信されているような
 『ゴスロリファッションに身を包んだ革命家』
 という感じではありませんでした。


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 雨宮さん、そして太田出版『クイック・ジャパン』編集部のお2人、
 わざわざ横須賀まで取材に来て下さってありがとうございました。

画像3枚目参照

 雨宮さん、サインまで頂いてしまってすみません。
 そして、本当にありがとうございました。

 それにしても、本当に緊張に緊張しまくった2時間でした。
 無事に終わって本当に良かったです...。

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(2009年7月22日(水)の活動日記その1)

● さすが鎌田慧さん、行動力がすごい!/週刊金曜日が届きました

 20日に取材をしていただいた鎌田慧さん。
 (http://www.hide-fujino.com/diary.htm#090720

 「荷物を軽量化したいから見本誌を持ってこなかったので
  後日、フジノさんの事務所に送らせていただきます」

 と、おっしゃっていたのですが、なんと今日、もう届きました!

 鎌田さんみたいな超一流のジャーナリストは
 めちゃくちゃ忙しい毎日を送っているのに

 取材相手に対してこんなにも気を遣って下さるのですね。
 わざわざお手紙までもきちんと入っていました。

 すごく感動しました。

 いや、取材相手をものすごく大切にしてきたのが
 まさに鎌田さんのルポだったことをはっきりと思い出しました。

 絶対に僕もこの姿勢を見習わなければ!

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(2009年7月20日(月・祝日)の活動日記その1)

● 鎌田慧さんから取材を受けました/週刊金曜日

 今日、あの鎌田慧さんから取材を受けました。

 昨夜、雑誌『週刊金曜日』から取材依頼の電話を受けた時、
 編集部の方から鎌田慧さんが横須賀に来るとうかがって

 僕は長年尊敬してきた方とお会いできることへの喜びと同時に、
 過去の自分自身の想いをはじめ、
 いろいろなことが思い出されました。

 ●

 大学卒業を前に就職活動を行なっていた頃、
 新聞記者になることが、フジノの第1志望でした。
 (http://www.hide-fujino.com/diary/2003/nov2.htm#journalist

 その理由はすでに過去の活動日記に書いたとおりですが
 そもそも高校時代の恋人が精神障がいを発症してしまったことが原因で
 僕は大学での専攻を心理学に決めました。

 しかし、大学時代に痛感していたことなのですが
 いくら東京やアメリカで最新の事例を見ても学んでも
 横須賀のような片田舎にはそんな進んだものは全く入ってきません。

 恋人を守る為にも、日本全国の精神保健福祉が変わらなければ
 とうてい横須賀の状況も変わるはずがないと考えてきました。

 (それは今も全く同じ気持ちです)

 大学時代に複数のメンタルクリニックで
 無給研修生として働かせていただきましたが

 しょせん大卒の青二才(=僕)が
 現場で働いていくだけでは

 精神保健福祉業界全体に変化をもたらすことは
 とうてい不可能で、

 福祉の現場で働いて力をつけて発言力が持てるようになるには
 きっと30年はかかるだろう、と当時の僕は思いました。

 当時22才の僕にとって50代半ばになってからやっと
 発言できるようでは遅すぎる、と思いました。

 目指している目的の実現にはあまりにも時間がかかりすぎて
 それでは僕の望むスピードではない、まにあわない、と感じていました。

 何と言っても、僕は目の前の恋人を守る為にも
 「今すぐ」に精神保健福祉の現実を変えたかったのです。

 この国のあまりにも立ち遅れた精神保健福祉を
 一刻も早く改善したい僕にとって、30年先では遅すぎたのです。

 もともと僕の性格は目指している『目的』が実現できるならば
 それを実現する為の『手段』は何でもかまわないというものです。

 そこでいろいろ悩んだ末に、

 マスメディアで働くことができたならば
 もっと早くそれが実現できるだろう、

 少なくとも15年くらい努力し続ければ
 何とか社会的影響力のある発言が可能になるかもしれない、

 との結論に至りました。

 マスメディアで働く中で少しずつ取材対象を福祉へとシフトして
 日本の福祉があまりにも弱すぎるひどい現実を世間に広く知らしめて
 海外の福祉の最新の事例をどんどん紹介することで

 政治・行政にしっかりと改善をするように求めていく、
 メディアの力で訴えていく方が早いのではないかと考えたのです。

 また、新聞・雑誌・本・テレビ・ラジオなど
 様々なメディアが存在する中で
 当時の僕が最も有効だと考えたメディアは、ルポルタージュでした。

 もともと本を読むのが好きでしたから
 いろいろなルポルタージュ(以下、ルポと略)を読んでいました。

 当時読んでいたルポをふりかえると

 竹中労さん、本多勝一さん、鎌田慧さん、大熊一夫さん、
 本田靖春さん、柳田邦男さん、沢木耕太郎さん、

 などの名前が思い浮かびます。

 やがて就職活動に2年間もかけて
 ことごとく新聞社の入社試験に落ち続けた末に僕は

 精神保健福祉の改革という目的も
 ジャーナリズムの世界に入るという手段も捨ててしまいました。

 家でも学校でも仕事でも精神保健福祉と向き合うのではなく
 その日その日を、その場その場を、
 何とか笑顔で生きられれば
 それで良いのではないかと気持ちを切りかえました。

 そして生活の為に、就職が決まっていた映画会社に入社して、
 華やかで楽しくて夢がつまっている映画の世界へ飛び込みました。

 それでも結局は恋人のいのちを失なってしまって、
 自分の浅はかさを悔やみながら、もとの目的へと戻ってきたのです。

 ジャーナリズムという手段でも遅すぎるという想いから
 今では目的実現の為の手段は、政治に切りかえました。

 そして今、こうして政治家として
 現実と闘っているのです。

 ●

 もはやジャーナリズムの世界とは縁が切れた今でも、
 現実世界をより良いものへと変えていこうとする
 ジャーナリスト・ルポライターの方々への僕の尊敬の念は変わりません。

 特に、取材対象の中に自ら飛び込んでいって
 取材対象と一体化しながら現実世界の矛盾や問題点を描き出す
 素晴らしいルポをたくさん書いてこられた
 鎌田慧さんは、僕にとって特別な存在でした。

 それは僕にとって過去形ではなく
 今もそのお名前をうかがうと、熱い気持ちが蘇ります。

 神様とまでは言いませんが、
 鎌田慧さんの存在はあまりにも大きな存在です。

 大学卒業から約12年ほどを経て、まさか自分が
 尊敬する鎌田さんから取材していただけるとは、衝撃でした。

 取材以来の電話をもらった昨夜は、
 かつて一緒にジャーナリズムの世界をめざした友達や、
 実際に今は新聞社で働いている友達らに、
 興奮しながら報告の電話をしてしまいました。

 取材内容はあくまでも衆議院選挙の神奈川11区の情勢についてであって、
 フジノにとって大切な意味を持つ精神保健福祉のことでもなければ、
 人生を賭けたテーマである自殺対策のことでもありません。

 ふだん政治家としてフジノは、政策以外の取材は受けません。
 特に、時事的なことがらの取材はお断りしてきました。

 時事的な情報は単なる商品として消費されて終わりだからです。

 特に、テレビの取材の多くは百害あって一利なしですから
 大切な政策テーマ以外では、お断りしてきました。

 でも、僕にとって鎌田慧さんは特別な存在です。
 今日は、喜んでお会いしていただきました。

 昨夜のお電話では
 「20分ほどお話をうかがえれば...」と依頼をされたのですが

 鎌田さんと実際にお会いしていただいて、
 この横須賀というまちの現実をお話ししていくうちに
 とても対話がもりあがって、

 最終的には1時間40分も過ぎてしまいました。

 それも同行しておられた編集部の方に

 「鎌田さん、そろそろ次の取材に行かないと...」

 と急かされて終了した1時間40分で、
 あくまでも鎌田さんは

 「必ずまた会おう」

 と、おっしゃってくださったのでした。

画像参照

 政治家フジノという公的な存在としても
 藤野英明という私的な存在としても

 鎌田慧さんをこころから尊敬しているということをお伝えして、
 取材を終わりました。

 もしも鎌田さんとの再会がありうるならば
 次回は神奈川11区の選挙事情ではなくて

 精神保健福祉の現状や改革の方向性や
 この国の自殺の実態やこの国の変わるべき姿についてなどを
 語り合うことができたら、本望だと思いました。

 人生とは、不思議でたまりません。

 ルポライター/ジャーナリストを目指した21才の当時には
 まさか35才になって自分が鎌田慧さんに取材をされるようになるなんて
 とても想像ができませんでした。

 生きていくということは、一体何なのだろう。
 本当に分からない。

 でも、だから生きていくのかもしれない。

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