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(2009年2月1日(日)の活動日記)
● 自殺対策の地方議員有志の会の代表を辞任しました
『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』の定例会を
本日、開催しました。
その最後に、フジノは
『代表の辞任』を申し出ました。
あらかじめ、メーリングリストでもその旨をお伝えしていましたので、
今日、参加者のみなさまに正式に了解していただきました。
新しい代表には、かねてから熱心に自殺対策にとりくんでおられる
高槻市議会議員の川口洋一さんに就任していただきました。
(川口さんHP:http://www.111041.com/)
今後、フジノは一切の役職には就かずに
いち地方議員として自殺対策を推進する活動を続けていきます。
画像参照
2006年6月1日に
『有志の会』をスタートしてからの2年8ヶ月間、
(http://www.hide-fujino.com/diary/2006/may4.htm#060601)
この国の自殺対策を推進していく為に
代表としてフジノは
自分が「正しい」と信じる道を
どこまでも徹底的に貫かせてもらいました。
そして今、最後に「正しい」と考えた選択肢が
在任が長くなりすぎた代表職を自ら辞めることでした。
自殺予防対策はわが国ではスタートしたばかりなので
ある程度は軌道に乗るまで
『カリスマ的な存在』が
どうしても必要なのかもしれませんが
どんな組織であっても、同じ1人が代表を長く続けることは
活動の停滞や陳腐化をもたらしてしまいます。
時には、確執やしがらみをも生み出します。
組織は常に自ら生まれ変わっていくことで
より良い姿へと発展していくのだとフジノは信じています。
そして、常に自殺対策を前へ前へと進めていくことが
フジノ自身の人生をかけた最大の目的である以上、
代表として自分が存在し続けることよりも
新しい力に新しい風を吹き込んでほしいとフジノは願いました。
もしも日本の自殺対策の歴史があるとするならば
自殺対策基本法が成立するまでが
きっと第1世代と位置づけられると思うのです。
フジノはこの第1世代に属しています。
けれども、わが国の自殺対策はすでに
第2世代、第3世代とも呼ぶべき活動を担う人々が現れてきています。
基本法の成立前にはありえなかった
新しい素晴らしい取り組みを
第2世代、第3世代が始めてくれています。
第1世代は新しい世代をしっかりと見守りつつも
少しずつ新しい世代へと役割を交代していくべきだと
僕は感じています。
わがままばかりを言い続けたフジノを
約3年間にわたって支え続けて下さった副代表をはじめとする
有志の会のみなさまには感謝の想いでいっぱいです。
ご協力いただいた他の団体のみなさまにも
改めて在任中のご厚意に感謝しています。
ありがとうございました。
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『有志の会』は、新しい代表のもとにさらにパワーアップして
もっともっと積極的な活動を繰り広げていくことになるはずです。
特に、自殺が初めて3万人を超えてしまった1998年よりも
もっと厳しい経済・社会状況にある2009年の今、
絶対に自殺を増やさない、むしろ減らすのだ、という固い決意を持って
有志の会メンバーはみんな活動をしています。
地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会の
今後の活動にどうかご期待ください。
● この約3年間を個人的にふりかえって
辞任した今だからこそ率直に書けるのですが
代表としての日々をふりかえると、
個人としては本当にとてもつらくて長い3年間でした。
何よりもつらかったのは、
マスメディアの取材とその報道の影響でした。
『有志の会』設立の記者会見をはじめ、
現在に至るまで、本当にたくさんの取材を受けてきました。
もちろん、有志の会のミッションや活動を知っていただく為に
マスメディアとの良好な関係を築こうと努力をしてきました。
多くのメディアが好意的に取りあげてくれて
実際に事態がいくつも良い方向へ進んだこともありました。
(http://www.hide-fujino.com/diary/2006/june1.htm#060602)
ただ...。
元恋人を自死によって亡くしたことが理由で
政治家に転職する決心をした、という
極めて個人的な想いを
設立(代表就任)と共に
全国に向けて公に発表せざるをえなかったことは
私人としてのプライバシーを全てあきらめるという
僕個人だけのダメージで
とどまることはありませんでした。
いつもいつも、彼女のご家族のことが心配でたまりませんでした。
取材を受けて、根掘り葉掘り質問をされて、
一生懸命に答えた僕は、
それから何日間も立ち直れないようなユウウツな気持ちになって
ようやく気持ちが落ち着いてきた頃に今度は、
発行されて活字になって、放送されて、ネットにのって
再び自分の傷口を広げて見せつけられるのです。
これらは全て覚悟の上のこととは言えども
やはり僕も生身の人間なのでとてもつらくて
安定剤を飲んでみたり、仕事をキャンセルして長く眠ってみたり、
カウンセリングを受けたりしながら、そうした取材を受け続けました。
でも、僕はまだ公人だからと割り切ろうとすることができるけれど
彼女のご家族はみなさん大丈夫だろうかと
いつもいつも葛藤して、苦しみました。
このまちのような小さなまちでは
僕の元恋人なんてすぐに特定されてしまいます。
何通ものひどい中傷のメールを僕は受け取りました。
そんな状況の中、
ご家族は政治家でも公人でも何でもないのに
僕が語る言葉のせいで、
僕以上に苦しみを感じているのではないか、と悩みました。
連絡をとるたびにいつも「大丈夫だよ」とご家族に言っていただいても
それは僕の活動に気を遣っての
優しさからの言葉なのではないかと
いつもいつも迷い続けました。
僕は、彼女のお墓を訪れるたびに
自殺対策基本法は
彼女をはじめとする犠牲者の人柱のおかげで成立したのだと
こころに刻み込んできました。
この法律を全国の市町村が武器にして
自殺対策を推進していくのだ。
そして、僕は身を粉にして働き続けて
このまちから自殺を限りなくゼロにすることだけが
唯一、僕がすることのできる供養なのだ。そう受け止めてきました。
残念ながら、約3年間の在任中には
日本全体の自殺を減らすこともこのまちの自殺を減らすことも
実現することができませんでした。
10年単位の活動が必要だとアタマでは理解していても
毎年、減らない自殺の統計が発表されるたびに、
本当に悔しくて悲しくて、自分の活動が足りないのだと感じました。
この気持ちは決して代表を辞めたら終わるというものではなく、
政治家である限りは永遠に続く感情なのだと思います。
それでも激しい自責感は、代表という重責からの別れとともに
もしかしたら少しだけ変わるのかもしれません...。
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