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(2008年7月16日(水)の活動日記)
● 僕も14才だった
世間は、またも14才によるバスジャック事件で揺れているのに
今日の活動日記は政治の話題ではなくて、ごめんなさい。
とてもうれしいニュースがありましたので、ご報告します。
去年、毎日新聞の湘南版に、こんな記事が載りました。
その日から僕は、うれしくて事務所の壁にずっと貼っておいたのです。
(画像1:2007年2月25日・毎日新聞・朝刊より)
宗田理さんの小説『ぼくらの七日間戦争』は、
中学時代の僕にとても大きな感動を与えてくれました。
映画が公開された時に14才だった僕は、
学校をさぼって映画館に行って、1日中くりかえし観たのを憶えています。
そもそも宗田理さんが『ぼくらの七日間戦争』を発行したのは
なんと57才の時です。60代近い作家が
こんなにも中学生の気持ちを理解してくれるのかと衝撃でした。
その後も『ぼくら』シリーズを何作も描き続けてくれましたが
2005年の『ぼくらの第二次七日間戦争 グランド・フィナーレ!』で
いちおうの区切りがつきました。
宗田さんもすでに78才、続編はありえない、と僕は考えていました。
そこに、毎日新聞・網谷記者の上の記事が昨年でたのです。
うれしかったです。
80代近い宗田さんが、再び『ぼくら』の新作の為に
取材活動をなさっていることもうれしかったですし、
かつて毎日新聞の横須賀通信局(支局みたいなものです)に配属されていた
あの網谷記者(素晴らしい新聞記者の方で、とてもそんけいしています)が
この記事を書いてくれたということもうれしかったです。
網谷記者は、いつも視線が低いところから記事を書いてくれて
横須賀時代からとても尊敬していました。
大好きな2人の近況を同時に知れたことがうれしくて、僕は事務所の壁に
この記事を貼って、毎日毎日眺めていました。
正直なところ、新作は出ないかもしれない、と思う時もありました。
でも今日、こんな記事が出たのです!
(画像2:2008年7月16日・毎日新聞・朝刊より)
宗田さんの新作、ついに出版されました!
しかも、網谷記者、やっぱり宗田さんのことを追い続けていてくれました。
やっぱり網谷さんはすごい人でした。
日刊紙の記者の方って、1度何かを報道したらそれで終わり、ってことが多いのですが
網谷記者のすごいことは、1つの対象をずうっと追いかけ続けているところです。
(さらにすごいことは、対象が1つの問題や1人の人物だけではなくて
あらゆることに対して、問題意識を持続し続けて何年間も追いかけていくのです。
新聞記者の鑑、お手本だと心底から尊敬しています)
フジノは政治家として、1つの問題を何年も何年も追い続けています。
その姿勢はもちろんフジノオリジナルでもありますが、
やっぱり網谷記者の影響も大きくあります。
そして、14才の僕をこころから感動させてくれた宗田理さんが
新作を出してくれた、つまり、ずっと変わらない想いの人だったことを
こころからうれしく思います。涙が出そうなくらい、うれしいです。
かつて14才で学校をさぼって映画館に1日こもって
『ぼくらの七日間戦争』を観まくった僕は
やがて23才の時に
まさにその映画を作った東宝株式会社に入社しました。
反抗と反権力が信念だった14才だった僕が、
29才の時には何故か政治家になってしまいました。
けれども、今もあの頃の気持ちを忘れることはありません。
だからこそ、14才がバスジャックなんてことを
またも起こしたことをこころから悲しく感じます。
涙が出そうなくらいに悔しいです。
同じ14才だったはずなのに、僕たちは今、こどもたちに希望を示せていないのだろう。
だから、何度も何度もくりかえして
こんな少年犯罪が起こってしまう。
かつて『ぼくら』シリーズをわくわくしながら読んだ14才たちは今、
30〜40代になっていて、会社や社会の中で重要な役職に就いていたり、
社会を動かすことができるポジションにいるはず。
だから、今こそ14才だった僕たちが
今の世の中に希望を示すべきです。
こんな絶望に満ちた社会に対して、僕たちが希望を示すべきです。
それがかつて14才だった、僕たちが今なすべきことです。
僕も政治家として、希望がある社会になるように全力をかけます。
だからあなたも、一緒に希望を見出せる社会に変えていってください。
一緒に。
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