おれをこきつかえ!政治家フジノ39才

「福祉のまち、横須賀」をめざして、今日も全力活動中(横須賀市議・2期目)

プライベート・家族

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(2009年7月8日(水)の活動日記その1)

● 重症心身障がいのある方々を想う気持ちは、父への想いと同じです

 この数日間、市民の方からのご相談を受けて
 重症心身障がいのある方について必死で勉強しまくっています。

 今日は、『はぐくみかん』の中にある療育相談センターで
 実際に働いている方からも詳しく意見を聞かせていただきました。
 (はぐくみかんとは:http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/hagukumikan/

 これまでも市立養護学校などをはじめとして
 あらゆる場で重症心身障がいのある方々と接してきましたが

 改めてこれまで以上に勉強しまくっている理由は
 重症心身障がいのある方々と接すると
 僕自身の父のことを想い起こさせらるからなのだと思います。

 重症心身障がいのある方々の多くが
 僕の父と同じように

 のどに穴をあけて痰の吸引をしやすくしていたり
 (=気管切開)、

 お腹に穴をあけて胃に直接に栄養を流し込むようにしていたり
 (=経管栄養)

 という状態で、生活をしています。

 僕の父は植物状態なので、意思表示はできません。

 政治家としても個人としても
 フジノがいつもいつも考えているのは、

 QOL(=クオリティ・オブ・ライフ)を高めていく為に
 どういう人生を送れるように政治・行政はサポートをすべきなのか

 ということです。

 自らの意思を他人にハッキリと伝えることが難しい方も多い中で
 その人にとって何が本当に良いことであるのかをいつも考えています。

 どのように生きていくのが
 どのように死んでいくのが

 本人にとって、
 ご家族にとって、

 本当に意味があるQOL(人生のクオリティ)となるのかを
 しっかりと考え続けていかなければならないと、いつも考えています。


● 父のお見舞いへ

 今日は、午後から父のお見舞いへ行きました。

 本来ならば市長選挙が終わった翌日に行きたかったのですが、
 今日までずっと忙しくて全く時間をとることができず、
 遅くなってしまいました。

 父の病院は、江ノ島の見える海のそばにあります。

画像1枚目参照

 最近すっかり体調を崩してなかなか外出できない母をつれて
 一緒にお見舞いへと向かいました。

 父の余命はあと1年と言われてから、
 もう数ヶ月が経ってしまいました。

 あと何回、僕は父に会えるのだろうか。

 毎日、僕はこの現実を考えずにはいられません。
 きっと余命を宣告された方のご家族は誰もが同じ気持ちだと思います。

画像2枚目参照

 この数ヶ月間は市長選挙にかかりきりだった中で
 どんな嫌がらせやネガティブキャンペーンよりも本気でイヤだったのは
 当選報告会の大騒ぎの中での出来事でした。
 (http://www.hide-fujino.com/diary.htm#090703-2

 僕のことなんか全く何も知らないくせに
 親しいふりをして近づいてきて

 父のことも何も知らないくせに
 みんなの前で堂々と
 僕の父のことを知ったかぶって
 ベラベラと僕に向かって話し続けた中年男性がいたことです。

 「そういえば、フジノくんのお父さんは元気にしてるかい?
  前はよくお父さんと話したりしたけど
  今日は当選報告会には来てないの?」

 僕は怒りで凍りつきそうな目でそのおっさんをにらみつけましたが
 まわりに居た『チーム雄人』のスタッフが止めにかかりました。

 そもそもおれはあんたのことなんか名前も顔も知らないし、
 そもそもあんたはおれのおやじに会ったことなんか無えだろうがよ!
 ああ、このくそったれ野郎が!

 選挙に当選するたびにいつも
 会ったことも見たことも無い人々が突然に現れて
 元クラスメートだとか同じ学校の先輩だとか親しさをアピールするけれど

 「有名人になると親戚が増える」という言葉があるように
 ほとんどの人々については、
 かわいそうな人々なのだと許してあげてきました。

 けれども、この中年男性だけは本当に許せない気持ちでした。

 フジノと本当に親しい人々は誰もがみんな、
 僕の父親の現状を知っているし、心配してくれています。

 人はみんな弱いものですから(僕だって弱いダメな人間です)
 たいていの人々のことは僕はお互いにゆるしあいたいと願っていますが
 この男性のような人間だけは
 こころの底から軽蔑します。虚しい。


(つづく)

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(2009年7月1日(水)の活動日記その3)

● 大学院を「退学」しました

 2007年4月に念願かなって入学が実現して
 (http://www.hide-fujino.com/diary/2007/apr1.html#070402

 2年間にわたって在籍してきました
 上智大学大学院の博士前期課程(福祉政策専攻)を

 昨日6月30日付をもって
 正式に『退学』いたしました。


画像参照


 どんなにつらい内容であっても僕は公人ですから

 学歴や職歴に新たに変更があれば
 きちんと「事実」を報告し、
 その「理由」を説明する責任があると考えています。

 そこで、退学に至った3つの理由をご説明いたします。


 第1に、最大の理由は、『学費が支払えないこと』です。

 政治家は高いお給料をもらっているんだから
 大学院の学費ぐらい何とでもできるだろう、という偏見があります。

 僕はクルマも持っていませんし、持ち家でもありません。
 父の医療費を支払いながら、家族の生活を守っていくので精一杯で
 かねて申し上げている通り、
 借金はあっても、貯金はありません。

 もう今年はどうしても
 大学院の学費を捻出することができませんでした。

 それが『退学』の最大の理由です。


 第2に、休学としなかった理由、『休学の費用も支払えないこと』です。

 1年分の学費の支払いはムリだとしても
 いきなり退学を選ぶのではなくて

 大学側は苦学生に対して細やかな配慮をしてくださっているので
 『休学』という措置があります。

 これは学費の5分の1だけ大学院に納めて、
 大学院に籍を残して学生ではあるけれども
 ゼミなどには出られない状態を『休学』といいます。

 けれども今年は休学費用もつくることさえ、どうしてもできませんでした。
 だから、休学もいたしませんでした。


 第3に、人として僕自身のこころの葛藤が許せなかったからです。

 例えば、『父の医療費の1か月分』=『大学院の休学費用』です。
 『父の医療費の5か月分』=『大学院の1年間分の学費』です。

 上智大学院の福祉政策専攻において
 こころから尊敬するT先生のもとで
 地域社会政策をもとに横須賀の自殺予防対策を研究することは
 僕の夢でした。

 だから、植物状態で闘病中の父の医療費のせいで
 大学院をあきらめることに
 とても怒りを感じることがありました。

 父さえ、こんな状態じゃなければ...と。

 あるいは、当初のドクターの見立てどおりに
 2009年の今、すでに父が亡くなってしまっていれば学費が出せたのに、
 ということさえ僕の気持ちの中には何度も浮かびました。

 けれども、同時に僕にとって父の存在は
 誰よりも大切な存在なのです。

 大切な存在が死んでしまうことが
 イコール大学院の学費をつくることが可能になる、という現実がいつも
 僕のこころを苦しめてきました。丸1年間、悩み続けました。

 人のいのちを大切にすることを最大の人生のテーマにしている僕が
 僕自身の欲求の為に父の死を願うようなことは耐えられませんでした。

 この葛藤から自由になる為には、退学するしかありませんでした。


 この3点から、大学院を退学いたしました。


● 尊敬するT先生には感謝してもしきれません

 僕の指導教授になって下さったT先生は
 かねてから先生の論文・文献をほぼ全てにわたって読んでいました。
 (http://www.hide-fujino.com/diary/2007/may1.html#070507

 T先生の研究テーマの1つである『地域社会政策』は
 『自殺予防対策』とは地域ですすめていくものだと考えるフジノにとって
 新たな視点・新たな道を拓いて下さったものでした。

 論文や文献でしか知らないけれども
 個人的にずっと尊敬していたT先生が教授をしていらっしゃる
 上智大学大学院で学んでみたい

 と、2004年のある日、
 夢物語かもしれないけれども考えるようになりました。

 それから政治家としての仕事のかたわら
 2年間をかけて必死に勉強を重ねて、公務の合間をぬって入試を受けて、
 なんと、合格することができました。

 しかも、念願が叶って、
 T先生のご指導を受けることができるようになりました。

 T先生のご活躍はとても有名ですから、
 この福祉業界の方々ならば

 すでに『上智大学』『T先生』というイニシャルだけでも
 フルネームが分かっておられるはずです。それくらい素晴らしい方です。

 そんなT先生ですから、ふだんは多忙を極める毎日です。

 それなのに、今回の僕の退学騒動では
 最後の最後の日まで、
 なんとか退学にならないようにできないか、
 研究生活に戻ってこられないかと、僕を激励し続けてくださいました。

 その頃、僕は吉田新市長の誕生後のフィーバーに振り回されていて
 プライベートのことを考える余裕はまったくありませんでしたが

 T先生がわざわざ僕の携帯電話に留守番電話を残して下さったり、
 メールにて「最後まであきらめちゃダメだ」と書いて下さったのを見るたびに

 こころがとても切なく、苦しくてたまりませんでした。

 もともと僕は政治家にはむいていません。
 (http://www.hide-fujino.com/diary/2006/july1.htm#mycallingisnotapolitician

 やらなければならないことがあったから、
 他に誰もやらないから僕がやるしかなかったというだけのことで

 (フジノが政治家に当選する前、このまちに
  自殺予防対策は存在していませんでした)

 本来、僕は政治家という職業をひどく嫌っていますし
 自分がこの仕事を続けていく姿が想像できないことは
 この活動日記にもずっとくりかえし書いてきました。

 T先生も僕の内面を深く理解して下さって

 「いつでも政治家を辞めて、研究生活に戻ってきなさい」

 と言って下さいました。

 もう上智大学院生でも何でも無い一般人の僕に対して

 「きみは私の弟子です。いつでも研究室に顔を出しなさい」

 と言って下さいました。

 尊敬する師匠の温かいお言葉に、
 僕は泣けてしかたがありませんでした。

 T先生、本当にごめんなさい。本当にありがとうございます。

 いつの日にか、僕に学費を捻出できるような暮らしができる日がきたら
 もう1度、ゼロから入学試験を受けて、
 もう1回、先生のもとで研究を続けたいです。

 「学問は生涯を通じて行なうものだ。がんばりなさい」

 というお言葉、いつも胸に刻んでいます。

 T先生、そして福祉政策専攻のみなさま、上智大学院のみなさま、
 ご迷惑をおかけしたことをこころからお詫びすると共に

 政治家という激務をぬっての短い学生生活でしたが
 本当にこころから感謝しております。ありがとうございました。

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(2009年6月10日(水)の活動日記その1)

● 父のお見舞いと医療費の支払いへ

 今日は、夕方から父のお見舞いへ行きました。

 僕は、毎月必ず月はじめに医療費の支払いに行かねばなりません。

 病院側の方針で、全ての患者さんのご家族は
 1日でも多くお見舞いに来てもらう為に

 入院費用の支払いは病院の受付での直接でのやりとりのみで
 銀行での振込みとか引き落としは無しなのですね。

 でも、先月は忙しすぎて病院に行ったのが月末になってしまいました。
 (http://www.hide-fujino.com/diary.htm#090520-2

 そのことで病院にも迷惑をかけてしまったし、
 やっと同じ県内に父を転院させることができたのに
 なかなかお見舞いに行けないことは僕にも大きなストレスでした。

 今月にはもう今日の午後しかスケジュールの空く日がありません。

 ふだんは議会シーズンには
 プライベートの用事は入れないようにしていますし
 今は6月議会のまっただなかですが、

 やむをえず今日、病院へ向かうことにしました。

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 お見舞いに『行く』のはとてもイヤです。
 行く時にはつらいイメージしか沸かないからです。

 実際には『帰る時』にはたくさんのエネルギーをもらったように感じるので
 お見舞いを終えると「ああ、行ってきて良かった!」と思うのですが

 『行く』という決心をするのはなかなか難しいのです。

 それこそ医療費を支払わなければならないという義務が無ければ
 なかなか足が病院へ向かってくれません...。

 しかも、僕はパニック障がいなので
 江ノ電の混雑が大のニガテです。

 特に最近は忙しくて眠っていないので
 睡眠時間が少なかったり疲れていると
 クスリをのんでもパニック発作が出やすくなってしまうのです。

 今日もまた、観光客で鎌倉はいっぱいでした。
 僕は逃げ出したい気持ちでいっぱいになりました。

画像参照

 そこで、友達にメールをしてわざと宣言してみました。

 「いま鎌倉。お見舞いに行ってくるよ」

 するとすぐに

 「お父さんから元気をもらっておいで!」

 と、こころのこもった返事をもらいました。

 彼女は先月おじいちゃんをみとったばかりなのですが
 おじいちゃんが闘病の為に入院していた半年間は

 彼女がお見舞いに行かれるように
 逆に、僕の方が背中を押していました。

 彼女はシングルマザーでお子さんが2人いて、
 複数の仕事をかけもちしながら長い時間を働き続けているので

 毎日とても忙しくて
 なかなかお見舞いに行く時間を作ることができません。

 でも、末期がんだったおじいちゃんとの
 最期の時間を一緒に過ごしたいという気持ちが
 とても伝わってきていました。

 「おじいちゃんコだったからお見舞いに行きたいんだけど
  なかなか休暇を取るふんぎりがつかなくて...」

 と迷っていた彼女に、
 僕はときどきメールを打って、

 「お見舞い、行かれた?」

 とか

 「がんばってこどもたちとお見舞いに行っておいで」

 と、やんわりと促し続けました。

 ムリ強いされているような気持ちだとか
 追い込まれないくらいの頻度で、ごく時々に。

 でも、みずからお見舞いに行こうという勇気が出るくらいの頻度で。

 この頻度というかタイミングは
 闘病中の家族を持つ人間にしか分からないものがある気がします。

 家族は、とても自責感を持ちやすいのです。
 いつでも、「行かなければ」という気持ちを抱えているのです。

 だから、何気ない言葉でもけっこうズシリと傷つくのです。

 今、彼女はもうすぐ四十九日の法要を迎えるのですが
 笑顔でおじいちゃんのことを語ることができています。

 本当にとても良いことですよね。

 やっぱり、最期のその瞬間を見送ることができなくても
 「できる限りのお見舞いに行けた」という気持ちは持てるということが
 人には、とても大切なことだと思います。

 僕も、やがて来るその日にそなえて
 笑顔でいられるように、しっかりとお見舞いに通いたいです。


(つづく)

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(2009年5月20日(水)の活動日記その2)

● 父のお見舞いと入院費用の支払いへ

 その1で書いたとおりで
 毎日の相談件数がフジノの限界を超えてしまって

 必死になって何とか対応しているうちに、
 プライベートの時間がほとんど取れなくなってしまいました。

 毎月はじめに、父の入院している病院を直接に訪れて
 入院費用の支払いに行っているのですが

 (これは転院した病院の方針で、
  家族にはなるべく多くお見舞いに来てほしいという考えからで、
  振込みでの支払いは受け付けていないのです)

 今月は、時間がとにかく取れずに、 
 とうとう下旬にさしかかった今日まで遅れてしまいました。


 今月の入院費用は、22万9800円。
 さすがに現金で30万円を銀行からおろすのはいつも緊張します。

 実は、数ヶ月前、まだ転院先が見つからなかった頃、
 フジノは2ヶ所の『地域包括支援センター』へ相談に行きました。

 介護についての何でも相談を受けてくれるのが
 『地域包括支援センター』です。市内には14ヶ所あります。

 (http://www.yokosuka-benri.jp/db/g_info/l100050588.html

 でも、フジノの場合には、ここでの相談は
 現実的には何の役にも立ちませんでした。

 受け入れが可能な入所施設は市内には存在しないので
 自宅で介護(在宅)すべきだ、と言われました。

 それでは介護保険を使って費用だけでも安くなるかというと
 むしろ自己負担は30万円台に上がるだろう、
 という見込みでした。

 おカネの負担・出費は全く減らずに、
 ただひたすら家族が介護をする苦労だけが増えていく。

 これが現実です。

 しかし、地域包括支援センターが悪いのではありません。

 ずっと書いてきたとおりで、
 この国の福祉の在り方そのものがおかしいのです。

 (同時に、現・市長の高齢者福祉への消極的な対応にも
  大きな問題があります。市長は『やればできること』をやっていません。
  http://www.hide-fujino.com/diary/2008/dec3.html#ourpain

 この国の高齢者福祉の制度は、
 僕の父のような状態の人々に対しては、全く機能していません。

 なんとか僕の父の場合には転院先が見つかったので
 僕も母もおやじも無事に生き延びることができましたが

 転院先を見つけることができなかった方々の多くが
 在宅介護で本当に苦しめられているのを知っています。

 心身ともに疲れきって、病に倒れたり、
 うつ病に陥ってしまったり...。

 この国の福祉政策は、明らかにまちがっています。
 絶対に変えなければいけません。

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 父の病院は、JR鎌倉駅から江ノ電にのりかえて行きます。

 江ノ電はいつ乗っても混雑しているので
 パニック発作が出ないように
 なるべく空いていそうな時間帯を選んで乗るのですが

 今日は、山梨県から遠足に来たというこどもたちで
 すさまじく満員になっていました。

 2泊3日でこっちへ来ていて、
 昨日は国会議事堂を見学して宿泊をして
 今日は鎌倉を1日見学して、夕方に江ノ島に集合だそうです。

 楽しそうなのは素晴らしいのですが
 あまりの混雑ぶりにパニックが出そうでつらくてたまらず
 電車を降りたくてたまりませんでした。

 たった20分くらいしか乗らないのに
 パニック持ちだとめんどくさいです。

画像1枚目

 1ヶ月ぶりに再会することができた父に、
 (http://www.hide-fujino.com/diary/2009/apr3.html#090408-2

 何よりもまず最初に

 「市長選挙の結果で議員辞職をするのはやめたよ」

 という報告をしました。
 (http://www.hide-fujino.com/diary/2009/apr4.html#090418

 「おれと心中してくれないか、なんて言って
  父さん、すまなかったよ」

 と、こころから謝りました。

画像2枚目

 今日の父は、何となく元気そうに見えました。

 いや、父さんが元気なように見えたのは、
 きっと僕のこころの反映でしかないのだろう。

 前回、僕がお見舞いに行った理由は、
 辞職の決意を伝える為で、僕はひどく悲壮感に満ちていた。

 けれども前回のお見舞いの時と今回は全く逆で
 希望ある未来に向かってただひたすら闘い続けている立場だから、

 僕のこころに明るさがあって
 だから父に元気があるように『見えた』だけなのだろう。

 人のこころというのは、そんなものだ。

画像3枚目

 僕は、父のそばに居たい。

 今みたいに仕事が忙しくなければ
 毎日だってお見舞いに来たい。

 ベットサイドにいて、父に話しかけ続けていたい。

 いのちのカウントダウンが始まっているのに
 自分の父親が少しずつこの世界からいなくなりつつあるのに

 何故、他人を救う為に必死で働いているのか、
 ときどき僕は自分で理解できなくなることがある。

 激しく理不尽な怒りに襲われることがある。

 叶うのならば、僕は今もっと父のそばにいたい。

 でも、4人部屋の同室の他の患者さんが
 若くて明るい看護師さんたちにうながされて発声しているのを
 聞くのがつらい。

 「Aさん、今日の朝、おはよう、って言ってくれたんだよ」

 「えー、すごいね、Aさん!
  わたしにもおはようって言ってくださいよ〜!」

 「お、は、よ、う...」

 「わー、言えたね!おはようって言えたね!すごいよ!Aさん!」

 「Aさん、良かったね。言えたね!」


 僕の父は、もう4年間ひとことも言葉を発していない。

 市民病院に入院していた時に
 ドクターに呼ばれて僕は

 「痰の吸引がしやすくなりますから
  お父さんのノドを切開して管を入れますが、よろしいですか?

  管は必要が無くなったらすぐに外せるし、
  外せばノドの穴はすぐにふさがるから大丈夫です。

  管をつけたままでも、声を出したければ
  手で穴を押さえれば出せますし」

 なんて言われて信じこんで

 その当時は切羽詰っていて何も分からなくて
 とにかく言われるがままに管を入れるしか無いのだと思っていた。

 しかも、またすぐにそんな管を外せるようになって、
 のどの穴がふさがれば、父は話せるようになるのかと思っていた。

 そんな言葉を信じた僕がバカだった。

 ドクターがのどに穴をあけたかったのは
 ただ単純に、痰の吸引がしやすくなる、というだけのことだ。

 植物状態の父が、もしも話したいという意思を持つことができたとしても
 自分の手でのどの穴をふさぐことなんてできない。

 手を動かすという命令系統が機能していないのだから。

 それ以前に、ノドを震わす筋力さえ無いのだ。

 いや、それ以前に、声を出そうという意思が
 再び父に起こることがありうるのだろうか。

 もしも何かの偶然で声が出るチャンスがあったとしても

 穴のあけられた父のノドを誰かが
 まさにそのタイミングでふさぐなんてことはありえないから

 つまり、僕が父の声を聴くことは2度とありえない、ということだ。

 けれども、それでもいいから、そばに居たい。

 僕の仕事は、他人に希望を示すことだけれど、
 僕は僕の人生に希望の灯りがほしい。

 父が生きていることは、僕にとって大きな希望だ。
 その灯りが消える時間まで残りわずかならば、そばに居たい。

--------------------------------------

 でも、わずか1時間のお見舞いで僕は病院を去って
 そして、再び仕事に戻っていく。

 今夜は、カフェトークだ。

 少しでも参加者の方々に気持ちよく過ごしてもらう為に
 僕は笑顔をつくる。

 人は誰だってつらいことをいくつも抱えているものだ。
 僕だけじゃない。みんな、闘っている。
 おれだって負けていられない。

 闘っていくんだ。
 生きていくんだ。他に何ができる?

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(2009年3月24日(火)の活動日記その2)

● 純太さん、ありがとう!

 明日が本会議最終日なのですが
 そこで行なう『反対討論』の為の原稿を書いています。

 すでに昨夜もその前の日も
 この討論を書く為にほとんど寝てなかったりして

 パソコンを打ちながら机でウトウトするだけでなく、

 横浜から電車に乗って座れてふと目を閉じたら
 次の瞬間、すでに金沢文庫を過ぎていたり、

 沸かしたばかりのお風呂に入って
 気づいたらもうお湯は全て完全にお水になっていたとか

 もう訳が分からない日々が続いています。
 寝不足は本当に危険です。

 今もすでに日付は変わって
 25日(本会議当日)の深夜1時20分です。

 疲れたなあ...。

 どうせ討論(反対の意見に説得する為に行なう演説)を行なったとしても
 会派による拘束がしっかりとかけられている以上、

 本会議場で「賛成」にも「反対」にも
 態度が変わる議員なんて現れるはずがない。

 (フジノ自身は、瀧川議員が行なった討論を聞いて
  本会議場で自らの賛否を変えたことがあります)


 どうせムダに終わる討論をあえてフジノが作っているのは
 いつか将来この議事録を読むであろう
 新しい世代の政治家たちの為...。

 フジノは政治家になってから、過去の議事録を
 ヒマを見つけては必死になって読んでいます。

 歴代の先輩たちが何とか守ってきたからこそ
 民主主義は捨て去られずに生き残ってきた訳です。

 だから、フジノも民主主義を守る為には
 今この瞬間はムダだと分かっていても
 それでもあえて正しいと信じることを訴え続けることが
 絶対に必要なのだ、と信じています。

 それを信じて...

 でも、こんな信念も、過労の前にはこころが折れそうになります。

----------------------------------------

 ふと休憩して、インターネットを観ていました。

 フジノが大好きな『JUN SKY WALKER(S)』のギタリスト
 森純太さんのHPを観ていたら

 その3月24日のブログの写真に驚きました!
 (http://morijunta.com/mj/diary/

 『ロックの学園』でのひとコマです。

画像1枚目参照

 これを、よーく観てくださいませ。

画像2枚目参照

 おおー、フジノが写っているじゃないか!

 (ってもちろん純太さんが撮影する時に
  真後ろに居たから写るのは分かっていたのですけれども、
  ブログに掲載されるなんて思わなかった!うれしい!)

 先日も書いたけど、やっぱりがんばったら神様は見てくれているんだ。

 あきらめたらダメだ。

 いろいろあるけれど、あきらめたくない。

 がんばろう!


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