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(2009年2月15日(日)の活動日記その2)
● 父の転院、ようやく明日の出発へ(その2)
父が植物状態になって4年間も経つ、というのは
家族にとっても残念でたまらないことですが
何よりもまだ69才になったばかりの父本人にとっても
本当に無念で悔しいことだろう、と僕はいつも思います。
絶対に忘れない。
僕は死ぬまで忘れない。
何よりも、父はしっかりと意識があるままの状態で
自分の足で市民病院まで歩いていって
入院をドクターから言い渡された後も
ベットに座りながら
福祉や医療に詳しい僕といろんな話をしながら、
僕たち家族が心配しないように
たくさんのくだらない冗談をとばしながら
「英明、リハビリをすればまたこの手のしびれはとれるのか」
とつぶやいたり、
「オレンジジュースが飲みたい」
と言うので買ってきたジュースをおどけながら飲んでみせて
とにかく僕たち家族を安心させようと父は努力をしていました。
父は自らの手が動かせなくなったり
ろれつが回らなくなっていく、明らかに悪化していく状況を
どれほど不安に感じながらいたのだろうかとその内面の恐怖を思うと
いつも僕は吐き気に襲われます。
何故、僕はもっと必死にナースステーションでわめかなかったのか。
何故、僕はもっと大声でドクターが来るように叫ばなかったのか。
何故あの時、何度も何度もナースコールを押したのに
市民病院のナースは1人も来てくれなかったのか。
何故、ドクターはいつまでもいつまでも父を放っておいて
容態が悪くなっていく一方の父を診てもくれなかったのか。
セカンドオピニオンを求めた
横浜脳血管医療センターのドクターがおっしゃったように、
「最初からうちに運ばれていたら今もお父さんは意識があったはずです」
ということを思うにつけても、
決して戻ることのない父の意識と、母と過ごせたはずのこの4年間を、
家族みんなを苦しめ続けた日々を、
僕をすさまじい借金に追い込んだ莫大な医療費を、
あらゆる全ての恨みと怒りを市民病院に抱かずにはいられません。
父の手術が終わってセカンドオピニオンをもらいに行った頃、
全国紙の新聞記者で医療過誤について追っている方や
弁護士の方が僕の相談にのってくれて
「裁判を起こせば必ず勝てる。やるべきだ」
と言ってくれました。
でも、当時の僕には
父のことで倒れて入院してしまった母を守ることや
とにかく医療費を捻出することだけで毎日が過ぎていくばかりで
訴訟を起こすことはできませんでした。
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父の脳は大半が死んでいて、
生きているのは中脳と脳幹だけだそうです。
だから、意思疎通は全くできない。
目はあいていても視力は無く、音声刺激もほとんど伝わっていない。
それが医学的な正式な診断です。
けれども、病室を訪れるたびに僕は父に
元気だった頃のようにきちんと全てを説明して聞いてもらいます。
「父さん、ようやく待たせてしまったけれども転院が決まったよ。
突然なんだけれども、明日なんだ。
行き先は、鎌倉の病院だよ。
かつて父さんが働いていた頃に一時期、鎌倉にいたね。
きっと懐かしく感じるよ。
明日、おれが民間救急車に父さんと一緒に乗って
鎌倉まで移動するよ。母さんたちは、鎌倉で待っているよ。
父さんに親切にしてくれた、熱川温泉病院のみなさんに
今日のうちにどうか感謝とお別れを伝えておいてね」
写真1枚目
僕にとって父はいつも魂のレベルで
僕の言葉を理解している、と受け止めてきました。
僕はこれを真剣に書いています。
理解している、とハッキリと感じます。
「そもそも転院する理由は、父さんの寿命がもってあと1年半と言われたよ。、
だから熱川温泉病院に全く何も不満は無いけれど
身体が弱い母さんがお見舞いに来れないから
横須賀に近いところに
父さんに移ってほしいんだ。
同じ残り1年間から1年半の命ならば
父さんだって、母さんやおれたちと毎週会えるほうがいいよね。
だから、おれの独断で転院先を探させてもらったよ」
そう説明した時にも、父は理解した、と感じました。
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病室には、たくさんの千羽鶴や手紙やFAXが飾られています。
父の同期生(警察官だった父の同期の方々です)がしばしば訪れてくれたり、
僕たち家族が書いた手紙やFAXを病院の方々が
いつも音読して父に聞かせてくれていました。
写真2枚目
千羽鶴は4年間のあいだにあまりにもたくさんになって
いただいたお守りの数もすごく多くなってしまいました。
それらを全て大きな段ボール箱に詰め込んで
その他の荷物を全て整理しました。
明日、民間救急車(転院する場合、自分で契約するのです)に載せて
次の病院でもすぐにこれらを病室に飾れるといいなと思います。
片づけは、看護師さんたちの協力もあって
たくさんあったにも関わらず、わずか1時間で終わってしまいました。
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病院の目の前には穏やかな川が流れています。
この上流には俳優の別荘があるそうで、
毎日のように釣りをしているそうです。
写真3枚目
この穏やかな川の流れを
僕は穏やかな気持ちで見れたことは今までありませんでした。
いつの日か、観光地である熱川を
僕は観光で訪れることがあるだろうか。
そんなことを考えながら、明日の転院に向けて
緊張感は高まっていきました。
民間救急車での移送は、父のような容態の方々にとって
常に死と隣り合わせです。
(これは民間救急車だから悪いという意味ではなくて
ほんのわずかな衝撃でも大きなダメージになるという意味です。
むしろ移送のプロが振動を少なくする為に見事な運転をしてくれます)
だからこそ、僕が同乗することを希望しました。
どんなことがあっても、長男の僕が全てを見届けると決めたのですから。
(その3へ続く)
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