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(2009年2月16日(月)の活動日記その2)
● 民間救急車を待ちながら、熱川温泉病院の4年間をふりかえる
ペンションをチェックアウトして、熱川温泉病院へ向かいました。
朝もペンションの方が病院まで送ってくれて、ありがたかったです。
病院に到着して、民間救急車が到着するのを待ちました。
昨日から満開となった河津桜のせいで、
桜を見るための観光客で道路がすさまじい渋滞になっていて
到着時間が30分ほど遅れるとの連絡がありました。
民間救急車は藤沢から来てくれるのですが、
転院を決めて予約をした日には
まさか昨日みたく温かい日になるなんて想像もできず、
(伊豆は、夏のようでした!)
新聞の1面が『河津桜、満開』と載るほどとは
予想外の出来事でした。
ささやかな変更でさえも心配で、
すぐに転院先の鎌倉の病院と家族へと連絡をしました。
転院先は「ゆっくりどうぞ」と言ってくれて
とにかく僕は待つことにしました。
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けさの父さんは、すごくスッキリしていて
出発を理解しているのだなあと感じました。
写真1枚目
千羽鶴やたくさんの手紙が貼られてた壁も昨日片づけてしまい、
父さんを励ます孫たちの声を録音したテープや
好きな音楽がかけられるラジカセも
全てダンボールに入れてしまったので
僕はしばらく父さんのそばに座っていることにしました。
それから、病室の窓から外を眺めました。
写真2枚目
熱川の景色は、僕たちが暮らしていた武山にとても似ていて
せめて父さんのさみしさが少しでも減ってほしいと願ってきました。
そんなことをぼんやりと考えていると
熱川温泉病院のスタッフの方々が
次々と父さんへあいさつしに来てくださいました。
看護師さん、看護助手さん、理学療法士さん、
医療相談室のMSWさん...。
しかも、現在の担当者の方々だけではなくて
4年の間で父の担当から替わった前任の方々まで来てくれました。
そして、父さんに別れの言葉を語りかけてくれました。
涙を流して「藤野さん、良かったね。横須賀に近くなるね」と
父さんの肩をさすってくれたり、
血のつながった家族のように
親身な言葉が続きました。
僕はその様子にますます混乱してしまって、
転院が正しい決心なのかが分からなくなりそうでした。
リハビリがとても熱心で評価もとても高い病院なのですが
本当の魅力はこんなに素晴らしいスタッフがいることなのだと思います。
写真3枚目
父の部屋からは、山々と川が見ることができます。
父と同じ4人部屋に入室している誰もが、自力では窓の外を見れません。
でも、外が見られるように、日向ぼっこができるように、
スタッフのみなさんは毎日必ず車椅子に乗せてくれました。
父さんの体調を除けば、本当に平和な日々を送ることができました。
この病院と出会えて、本当に良かったです。
● ついに出発です!
ついに民間救急車がやってきました。
写真4枚目
前回、横須賀市民病院からここへ転院する時には
やはり市民病院から
「ご自分で手配してください」
と言われて、全く初めてのことでとまどいながら
何社にも電話をかけまくったのでした。
その会社での費用は、17万円もかかりました。
そもそも数社から1社をどうやって選べば良いのかの
基準さえも分かりませんでした。
それが今回の転院の場合、
転院先の鎌倉の病院のMSWさんが数社のパンフレットを見せてくれて、
値段などを比較して、MSWさんと相談しながら決めました。
おかげで、とてもいい相手と出会えました。
『細野民間救急車』という藤沢の福祉タクシー事業者です。
(藤沢市本町3−15−26、0466(25)3743)
藤沢市消防本部認定第1号の民間救急です。
今回の転院にかかった費用は、わずか5.5万円でした。
もちろん、痰の吸引も酸素もありで、看護師さんもついてくれます。
家族の座るイスも前回とは違って、ゆったりとしてました。
金額が安いのに質的には前回よりも明らかに良くて
本当に親切な運転手さんと看護師さんが来て下さいました。
それなのに、前回の相手先との差額は
マイナス12万円です。この安さのおかげで助かりました。
情報がある、ということは本当に大切だと感じました。
加えて、何も分からずに苦しんでいる家族にとって
MSWさん(医療ソーシャルワーカー、相談員さんのことです)の存在は
本当に大きくて大切だと思いました。
写真5枚目
熱川温泉病院の看護師さんと
民間救急車の看護師さんとの送り渡しが終わると
ついに出発です。
救急車の窓は、中にいる僕からは外が見えるのですが
外からは中にいる父さんや僕の様子は見えません。
それでも熱川温泉病院のスタッフの方々がみんな玄関に立って、
民間救急車が見えなくなるまでずうっと手を振ってくれていました。
僕も何度も何度もお礼の気持ちでおじぎをしました。
見えるとか見えないとか、お互いにカンケーないのですね。
熱川温泉病院のみなさま、本当にありがとうございました。
このご恩は生涯を通じて、僕は絶対に忘れません。
● 現場の姿から学んだことを、政策として必ず反映させる
この4年間、僕は、熱川温泉病院のみなさんの姿から
本当にたくさんのことを学びました。
そして今日、最後に出発する別れ際に
あるスタッフの方から、こう言われました。
「フジノさんの仕事ぶりを、HPで読ませてもらっています。
医療のこと、福祉のこと、現場の想いを代弁して訴えて下さって
ありがとうございます」
僕の職業をうすうす気づかれてるとは思ってたけれど
仕事についてこの4年間で1度も言われたことが無くて
初めて仕事について頂いた言葉が感謝の言葉だったことに
思わず、涙が出そうになりました。
アクセス解析ソフトのおかげで、
フジノHPをどこから観てくれているかは全て把握していて
遠く離れた北海道や沖縄からも観てもらえていますし、
伊豆・熱川でもHPを観て下さっている方々がいるのは知っていました。
でも、スタッフの方々が観てくれている方がいるとは思わず、
恥ずかしさと同時に、大きな感謝の気持ちがわきあがりました。
フジノは小さな横須賀というまちの
43人の市議会議員のうちの1人に過ぎません。
けれどももしもフジノが政治家を続けていって
まかりまちがってもしも国会議員になるような日が来るとしたならば
絶対に厚生労働大臣になりたい。
そしたら、僕は自分の命をかけて、この国の医療を守る為に働く。
患者さんとそのご家族はもちろんのこと、
医療の現場で身体を削って働いている方々の力になりたい。
もちろん市議会議員の今だって
やれることはたくさんある。
あくまでも横須賀市内のことにフジノの権限は限られているけれど
与えられた権限の中で、これからもできる全てのことを行なっていくんだ。
それだけが、僕のできる唯一の『恩返し』なのだと思います。
いつも全力を尽くす。いつも必死に働く。
全身全霊をかけて生きていくんだ。
(その3へ続く)
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