日々世の中で感じる事や呟き

一人暮らしの男の戯言、自分なりの価値観、人生観を綴ってみます。

恣意的に歌われなくなる歌

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

学童唱歌


月の沙漠 - 小鳩くるみ<iframe width="420" height="345" src="http://www.youtube.com/embed/yMAtRvM5CUQ?rel=0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
 
 
 
 

石原裕次郎月の砂漠(アカペラ) アカペラとはめずらしい<iframe width="560" height="345" src="http://www.youtube.com/embed/SrszOxZaQQs?rel=0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
 
 月の沙漠(つきのさばく)は、日本の画家、詩人である加藤まさをの作品の一つ。
作曲家の佐々木すぐるによって曲を付けられ、童謡として有名になった。
 
大正から昭和初期に叙情的な挿絵画家として人気を博した加藤まさを
が、
講談社発行の雑誌『少女倶楽部』1923年(大正12年)3月号に発表した、詩と挿画からなる作品である。
 
これに、当時まだ若手の作曲家であった佐々木すぐるが曲を付けたことで、童謡としての「月の沙漠」が生まれた。
 
童謡の普及活動もしていた佐々木すぐるは、自ら主催する普及のための講習会で同曲を用いた。
 
また佐々木は教育現場での音楽指導用の教本として「青い鳥楽譜」と呼ばれる楽譜集を出版しており、童謡としての「月の沙漠」もその中に収められている。
 
上記の経緯から、当初は児童の音楽教育の中で使われていたが、1927年にラジオ放送されたことから評判となり、1932年に柳井はるみの歌唱で録音、レコード化され、より一般に知られるようになった。
 
その後も童謡として長く歌い継がれ、世代を超えて支持される歌の一つとなっている[1]。
 
「沙」の字について
 この詩は「ラクダ」に乗った「王子様」と「お姫様」が月下の沙漠を往く情景を描いており、
 
異国を連想させる内容からか、また現在では「沙漠」という表記が一般的ではないことからか、
 
しばしば「砂漠」と誤記されるが[2]、
 
題名、詩文中ともに一貫して「沙」の字が用いられている。この字が用いられる理由として
 
「沙」には「すなはま」の意味がある。
 
学生時代に結核を患った加藤が、保養のために訪れた御宿海岸(千葉県)の風景から発想した。
 
海岸の風景がモチーフになっており、海岸の砂はみずみずしい
ことから、「砂漠」ではなく「沙漠」としている。

というものが良く知られている(生前の加藤の述懐による)。
 
また、モチーフとなった海岸は御宿ではなく、加藤の生地である静岡県西益津村(現・藤枝市)近隣の海岸である
「加藤が公言した」とする資料もあるが、定かではない。
 
〔月の沙漠記念館〕
月の沙漠記念館から程近い海岸に建てられている、ラクダに乗った王子と姫をあしらった像、
 
千葉県夷隅郡御宿町の御宿海岸には、『月の沙漠』に登場する、2頭のラクダに乗った王子と姫をあしらった像が建てられている。
 
その数メートル脇には『月の沙漠』の冒頭を刻んだ月形の詩碑が存在する(加藤の直筆による)。
 
また、海岸より道一本を隔てて「月の沙漠記念館」が建てられており、加藤の作品や生前愛用した楽器などが展示されている。
 
初めて「月の沙漠」のレコードを吹き込んだ「柳井はるみ」は、後に松島詩子として歌謡界で活躍した。
 
 ⇒<<ウイキペデイアより引用>>
 
○曲の空想的世界から離れて、現実的に
詩の内容を見ると、砂漠の現実では有り得ない風景として、王子様とお姫様の金と銀との鞍と壷。
 
熱砂の砂漠では金属の鞍なんて、焼けまくって、大火傷するでしょうし、金属の壷に水を入れていたら、煮えたぎってしまうそうで、皮の水袋でなければ、とても、過ごせないものらしく、おぼろに輝いた月の夜というのは、激しい砂嵐が発生している時だそうで、とても、ラクダにのって、とぼとぼと謂うわけには行かないということですね?
 
まあ、作者は、朧月夜の海岸の砂浜を砂漠に喩えて、幻想的な雰囲気になってできた詩なんでしょうね!?ロマンティックに・・・。
 
哀愁のある、澄んだメロディーと詞、心にすぅ〜っと入る、不思議な歌ですね?
 
辛くなったり、寂しくなったとき、ふと口ずさんでいる自分がそこに、あります。

 
 
 
 
 

童謡、わらべ歌

「シャボン玉」(しゃぼんだま)は、野口雨情作詞・中山晋平作曲の日本の童謡である。
1922年(大正11年)に雑誌『金の船』に発表された。
雨情とゆかりの深いいわき湯本温泉の最寄駅である湯本駅では、発車メロディにこの歌が使われている。また、常磐自動車道の中郷サービスエリアの下り線には、この作品の歌碑が建てられている。
歌詞にはシャボン玉で子どもが遊んでいる様子が描かれているが、それには夭逝した子供への鎮魂の意があるという説もある。
 
1908年、雨情は後に協議離婚に至った妻のひろとの間に、長女「みどり」をもうけた。
人形のように愛らしい赤ん坊であったが、産まれて7日目に死んでしまった。
当時は、乳幼児が死ぬのはさほど珍しいことではなく、2,3割の子供が学齢前に死亡していた。そのため、夫婦は子供を何人も産み、一所懸命育てた。
雨情もその後何人かの子供を授かっているが、長女の死を後々まで悔やんでいたという。
 
ある日、村(茨城県多賀郡磯原村)の少女たちがシャボン玉を飛ばして遊んでいるのを見た雨情が、娘が生きていれば今頃はこの子たちと一緒に遊んでいただろうと思いながら書いた詩が、この「シャボン玉」だというのが最もよく知られる説である。
しかし、これを裏付けるような決定的事実は無く、説の段階を越えていないとする見方もある[3]。
 
以上の鎮魂歌説は、テレビ番組において定説であるかのように放送されたため、一般に広まった。
しかしその他にも、時期的な観点から実子ではなく親類の子がモデルであるという説や、特定のモデルはなく子どもの死一般を悼んだものとする説、そもそも鎮魂の意は無いという説など、諸説存在する。
 
 なお、雨情自身が子どもの死との関連について触れている資料は一切無い。雨情の遺族の間でも意見が分かれており、現状では鎮魂歌説を含めいずれの説も確たる根拠を欠いていると言える。
 
 
作詞:野口雨情
作曲:中山晋平
1.シャボン玉 飛んだ
屋根まで 飛んだ
屋根まで 飛んで
こわれて 消えた
2.シャボン玉 消えた
飛ばずに 消えた
生れて すぐに
こわれて 消えた
3.風 風 吹くな
シャボン玉 飛ばそ

著作権法の規定により、1995年に著作権が失効している。
 
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた
風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ
野口雨情(のぐち うじょう、1882年(明治15年)5月29日 - 1945年(昭和20年)1月27日)は、日本の詩人、童謡・民謡作詞家。本名は野口英吉。茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)出身
廻船問屋を営む名家(楠木正季が先祖と伝えられているが不明)の長男として生まれる。
東京専門学校(現・早稲田大学)に入学し、坪内逍遥に学ぶが、1年余りで中退、詩作を始める。1905年(明治38年)処女民謡詩集『枯草』を自費出版。1907年(明治40年)三木露風、相馬御風らと共に早稲田詩社を結成するが、その後しばらく詩作から遠ざかる。この時期、雨情は北海道に渡って新聞記者となっていた。
『小樽日報』に勤めていたときには同僚に石川啄木がおり、交友を結んだ。
しかし雨情は当時の主筆に対する排斥運動を起こしたが敗れて退社し、啄木とは1ヶ月足らず机を並べただけに終わる[1]。
1909年(明治42年)に北海道を離れ、いったん帰郷した後再度上京する。
1919年(大正8年)詩集『都会と田園』により詩壇に復帰、斎藤佐次郎により創刊された『金の船』より童謡を次々と発表。藤井清水中山晋平本居長世と組んで多くの名作を残し、北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた。
他方童謡とともに盛んとなった「新民謡」(創作民謡)にも力を注ぎ、1935年(昭和10年)には日本民謡協会を再興し、理事長に就任している。
日本各地を旅行し、その地の民謡を創作した。
また同じ年の1月、仏教音楽協会も設立され、雨情は評議員に推薦される。仏教音楽の研究に加え、新仏教音楽の創作や発表、普及にも力を尽くした。
 
野口雨情の生家(北茨城市磯原町)
(2006年6月撮影)1943年(昭和18年)軽い脳出血で倒れて後は療養に専念。
1945年(昭和20年)疎開先の宇都宮市近郊で死去。
 
代表作は『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』『シャボン玉』『こがね虫』『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』など、枚挙にいとまがない。他に『波浮の港』『船頭小唄』など。
 
^ 1908年、読売新聞が雨情が札幌で死去したという記事を掲載した際に、東京にいた啄木は「悲しき思出(野口雨情君の北海道時代)」という回想文を書き起こしたが、誤報であることが判明したため中断のまま終わっている[1]
 
<<ウイキペデイアより引用>>
 
◎童謡の裏側を調べる事は、面白く、勉強になりました。(*^_^*)

仰げば尊し

①仰げば尊し我が師の恩
 
教えの庭にも早や幾年
         (はや)(いくとせ)
思えばいと疾し
       (とし)
この歳月
   (としつき)
今こそ別れめ今まさに別れよう
 
いざ さらば
 
②互いに睦みし
      (むつみ)
日ごろの恩
 
別るる後にも やよ忘るな
    (のち)
身を立て名をあげ やよ励めよ
 
今こそ別れめ いざ さらば
 
③朝夕馴れにし
(あさゆう、なれにし)
学びの窓
 
蛍の灯火 積む白雪
   (ともしび)(つむしらゆき)
忘るる間ぞなき ゆく歳月
    (ま)
今こそ別れめ いざ さらば
 
 
あゝ、諸行無常、価値観の変転、旋転、めまぐるしく、志正しく貴き者(たかきもの)は疎まれ、悪の跳梁跋扈、悪い奴程、よく笑い、よく喋る、異常な元気さが腹立たしい。正直者、貧者、病者、無知者を騙し誑かし(たぶらかし)、
精髄を喰らい吸って弱らしめ、疲弊させ、醜悪なる魔道の害をばらまき、喜々悦々としている。
裁かれるべきものが権力を篭絡し不浄たらしめ、此の世は我が為が世なりとばかりに
逆道の者無しと高笑いか・・・・・・??? 
嗚呼、無情なるかな、この世は理非に満ち充ちて、如何(いかん)がせん‼
       
 
①蛍の光 窓の雪
 
書読む月日 重ねつつ
(ふみ) (つきひ)
何時しか年も
(いつ)
杉の戸を 明けてぞ 今朝は
              (けさ)
別れ行く
   (ゆ)
 
②止まるも行くも
       (ゆ)
限りとて
 
互に思う
(かたみ)
千萬の心の端を
(ちよろず) (はし)
一言に
(ひとこと)
幸くと許り
(さき) (ばかり)
歌うなり
 
③筑紫の極み陸奥
(つくし)    (みちのおく)
海山遠く隔つとも
(うみやま)  (へだつ)
その眞心は隔て無く
 
一つに盡くせ 
     (つくせ)
国の為
 
④千島の奥も沖縄も
 
八洲の内の守りなり
(やしま)
至らむ国に
 
勲しく
(いさお)=勲(君や国に尽くしたてがら
努めよ我が背
(つとめ) (わがせ)
恙無く
(つつがなく)
 
 
 

日の丸の歌

          日の丸の歌
   
 (発表当時)
 1)
 白地に赤く
 日の丸染めて
 ああ 美しや
 日本の旗は
 
 2)
 朝日の昇る
 勢い見せて
 ああ 勇ましや
 日本の旗は
 
 (昭和十六年改訂)
 1)
 青空高く
 日の丸揚げて
 ああ 美しい
 日本の旗は
 
 2)
 朝日の昇る
 勢い見せて
 ああ 勇ましい
 日本の旗は
 
 (戦後改訂)
 1)
 白地に赤く
 日の丸染めて
 ああ 美しい
 日本の旗は
 
 2)
 青空高く
 日の丸揚げて
 ああ 美しい
 日本の旗は
 
私は小学校一年生で、この歌を習いました。
現在、学童唱歌として、歌われてきた歌を歌わせない、覚えさせない、というのは日本人である事を否定、恥じる事に酔っているとしか思えません。
人類は、全知全能ではありません‼!
過ち、犯罪、殺戮、強奪、戦争を繰り返しています。
 
日本人だけが全て悪いと卑屈に考えるのは断じて間違いと言及しておきます。
戦争、侵略、植民地、奴隷、日本国だけが、世界中にしましたか?
謝れと賠償しろと言いますが、欧米各国はどこかの国に謝りましたか?
日本だけがいつまでも言われ続けれなけりゃならない定めなんて
 ありゃしねえよ、どこのどいつが決めたんだい!?
あぁっ〜!?
てやんでぃ!!べらんめい!!
 
戦勝国または敗戦国は国家賠償しましたか??? 個人賠償しましたか????
そんな事すれば、国はつぶれます。
きりがないじゃないですか!!!!
互いに国を富ます為に喰うか喰われるかの戦いだったでしょうに・・・・・・。
 
 大体がお互い様なんですぅ!!

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事