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予科練の歌を覚えている。14歳で志願して入隊した兄がいたから、兄弟達が何時も歌っていたから、幼い私もいつのまにか覚えていたのだろう。
今も忘れずに歌えるなんて,三つ子の魂100まで〜とはよくいったものだ。
13も離れていた兄のことは兄弟と言うよりやさしいけれど、どこかよその人のような、お兄さんだった。とても優秀だったと、低学年のとき、家では勉強させないでほしい〜担任から言われたと母から聞いたことがある。
中学の教練の時間、センセイの帽子が風に吹かれて転がって兄の前で止ったとき、拾い上げて、返しにいかないで、自分がさっとかぶってしまったこと〜
周りの人は兄が叱られると、はらはらしたのに、センセイはなにも言わず、兄の勇気?みたいなものを認めたらしい〜エピソードを聞いたこともある。
白い海軍の制服を着て背筋を伸ばして歩いてくる姿〜目立っていた。ぼんやりと〜覚えている。
休暇で帰って来たというより、肋膜になって、一時自宅で静養していた。
母が毎日湿布していたこと。治ったと、又戻っていったこと〜その期間がどのくらいだったのか、思いだせない。戻っていったけれど、終戦になり、その後、警察官になったけれど、結核になり27歳で死んでしまった。
わたしのこと、オッコチャン!と優しい声で呼んだ。
もっともっとはなしたかった。もっともっと兄のこと知りたかった。
兄のことを話してくれる母や兄や姉もみんないない〜
特攻隊のこと、テレビで見たから、ことしは兄のことを、思い出している〜
写真は、
双子のように並んで実ったパッションフルーツ。
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戦争は終わったのに結核とは残念でしたね。
パッションフルーツ、今も元気なのですね。
2017/8/16(水) 午後 4:53 [ 吉野朝男 ]