福縁譚

ご覧になりたい古陶磁テーマをリスト画面の検索バーで検索してください。

全体表示

[ リスト ]

その1:*開篇
古陶磁または青銅器などの器の表面に刻む/書く文字は三つの種類があります。
:銘文 ”款”と”識”の総称。
:識款(款は多意字で、ここでは、様式の意味です。)
:落款

毛筆の始まりは始皇帝前の秦国の時代です。秦国の大将蒙括が軍機を軽便に伝送するため、木管の先に鹿毛を付けて、帛布の上で朱砂顔料で字を書いた。
(帛布は細い糸で織った薄手の高級布)
しかし、帛布のコストが高いから、漢の時代500年の間も、政府の公文はまた竹簡のままですが、東晋の時代に漢族が南遷により南方で布の生産量が上がったから、漸く毛筆布書が普及した。発掘品の一番古い書画は東晋の時代のものですが、その前に壁画や漆絵としかなかった。

器の表面に文字を入れることも、刃物で刻むことから始またですから、
銘、識、款、三つの字とも刻むことと関連している。

予備知識として、まず、古漢文上にこの三つの字の本来の意味を述べます。
現代文では、混同していることが多いので、その区別が分からな方もおると思います。

:夏商周の上古時期に青銅器や木器、陶器の表面に、大体人物や事件を記念するための文字を刻む。
その内容は”xx年に災害が発生した”とか”xx年にだれとだれが戦争して勝ったとか”、だれだれが周の王から封地多少を貰ったとか、または、誰かがこの青銅器を作って子々孫々へ伝える大事な宝ですとかの記年、記事、記人の内容です。
書籍がない時代ですから、器表面の文字は現代では”歴史記載”として扱われている。そゆう刻む文字の中に、基本的に関連人物の名前がある。作者やオーナー、事件の中心人物など人と必ず関わっているから、こゆう刻む文字は後の古漢文の中で”銘文”と表現する。
銘:器と関連性のある人物の名前を刻むこと。
(図:西周 青銅器銘文)
イメージ 1

そして、周の時代に古漢文が発達して、銘文を”識”と”款”2種類に分別するようになりました。
:器の表面に刻む文字、または凸つ文字の銘文。陽文
:器の内面に刻む文字、または凹む文字の銘文。陰文

考古業界には”夏款商識”という四字熟語があります。
夏の時代の青銅器は内部に銘文があるが、外面には銘文がない。
商の時代の青銅器は表面に銘文があるが、内部に銘文がない。
(周の時代の青銅器には款と識とある。)
これは青銅器年代判定のの常識です。

古陶磁落款の場合は:
1.明清景徳鎮官民窯とも、器の底部裏に”xx年製”とか銘文を入れる。これは落款
(図:大清康煕官窯底部落款)
イメージ 2

2.光緒年西太後御用粉彩器の表面に”大雅斎”と西太後の堂号を書き入れている。これは識款
だから、””識款の器は底部にも”大清光緒年製”とありますから、一つは落款銘で、一つは識款銘で、重複はしていません。
(図:大雅斎)
イメージ 3

3.元の時代景徳鎮製官用磁器の底部にほとんど記年落款はしないが、一部の白磁ものの表面に”内府”と”枢府”墨書きや刻む文字入れがあります。
(内府は宮内庁、枢府は総理府に相当する。つまり官注品の記号です。)
それも識款です、該当製品は官注品だという記号です。この例から、中古時期以降に識款の用途は”区分記号”や”所有記号”になります。”年代記号”や”製造者記号”の落款とは意味が違います。)
(図:元内府用梅瓶)
イメージ 4


4.古陶磁に見られる最初の官方記号の識款は五代定窯に一部献上手の白釉茶碗の底部に”官”と1文字が刻まれている。
(図:五代定窯 官字識款)
イメージ 5


5.古陶磁に最初に見られる落款は宋龍泉窯の底部に”河隶簇蓮匹隼佑鎚源の刻印。
(図:南宋龍泉窯《河隶簇蓮娑文)
イメージ 6



上記例から推理しますと、中古時代から器の銘の中に製造年代、製造者名、所有者名、依頼者名以外の文字は識款ではない、落款でもない。
ただ”銘文”でいいと思います。
(例:お寺に供奉された香炉に”xx年xx氏が供奉”とか、特注したお誕生日プレゼントに”xx氏子孫敬献”とかやったら長い銘文があります。近代の例は、”xx工場成立50周年記念”の印字様式がありますよね?!)

*官窯落款の始まり
上で述べたように:
識款は陽文で、落款は陰文ですから、識款は器の関係者に見せる区分記号です。今で言えばスーツの名前入りです。落款は器の年代や製造元などの証明記号です。今で言えば、商標です。

宋元の時代に正式な官窯があったが、”官窯無官字”という落款がなかったです。
逆に官府に指定生産された民窯はその官用製品に”官”や”供御”、”御用”の字を刻むことがあって、上述べた理論からすれば、これらの記号は落款ではなく、識款である。
(図:宋建窯《供御》)
イメージ 7

款という字は”既定の様式”という意味がある。だから、落款はかならず公式で規定ありで、年代の区切りもしっかりとしているからと比較照合できるものだが、例えば:xxxx年製とかその年代のものに限る。

識款はただの記号だから、文字から花押や、絵とか自由多彩な様式とも存在する。年代の幅が長いと鑑識上はやや不確定性がある。
例えば:陶磁器の裏に秋葉一枚という絵銘ですが、景徳鎮にある民窯が明後期〜清早期にのまで使っていました。
(図:秋葉銘)
イメージ 8

一般な見解では、に官窯の落款の始まりは明永楽官窯とされています。”永楽年製”四つ染付文字や印文の器が発見されています。
しかし、福縁堂の見解は少し違います。
(図:永楽年製)
イメージ 9

福縁堂の見解は、官窯陶磁の落款の始まりは明の宣徳窯です。

発見された銘文ある一部の永楽官窯器は、その銘文の”永楽年製”は器の内部中央の花模様の中に入れているとか、底部に凸つ印銘とか、字形も花模様に捻る様子で、つまり字であることを隠している。製造年号を装飾風にされた理由は、明らかに見せたくないと思う。つまり隠しながら、一つ記号を入れただけで、落款ではなく、識款である!
永楽官窯は落款の意思に芽生えた時期と思います。

永楽官窯に識款あるものはわずかにありますが、ほとんどは落款がないものです。
(注:器の底部や内部中心に堂々と明らかに永楽年製を落款するものは基本的に後代写しですから、ご注意ください。)

宣徳官窯に、一部の落款あるものと一部の識款あるものと銘文がないものとばらばらです。歴史的に考えますと、宣徳年の僅か10年の間に、宣徳官窯は銘文しない→識款を入れる→落款に路線変換と陶磁落款形成期です。

宣徳ものの銘文は基本的に”宣徳年製”と”大明宣徳年製”と2種類がありますが、銘記場所は定めがないから、陶磁落款の雛型と考えればいい。

壺の肩部に染付”大明宣徳年製”と書くものは、理論上では落款ではなく識款です。しかし、宣徳窯の壺の底部は砂底ですから、落款できないので、壺の胴体面にあちこち書くしかないので、そんな理由で、器の表面にあるけれども、落款と認めましょう。
(宣徳染付大壷、肩部に落款)
イメージ 10

宣徳茶碗の場合は高台裏に染付”大明宣徳年製”は落款であります。
(図:宣徳底部落款)
イメージ 11

しかし、永楽から宣徳までの官窯器に落款あるものは少数ですので、珍重されている理由でもあります。鑑定上は永宣官窯ものには落款は必要だという認識はない。

宣徳以降の三代明官窯は落款はありませんでした。社会と政治の原因ですから、その詳細は別件にします。

その後成化官窯では、宣徳官窯の落款の意思が継承され、漸く落款の様式は統一され、そして印章式落款も出現した。
(図:成化年製)
イメージ 12

まれに、”天”という一字落款もあるですが、それは決して官窯ものかは今の研究ではまた究明していません。

基本的には成化官窯からは官窯ものは落款しないものはすくない。だから、成化窯で落款が制度化された時期です。とある特定時期と特定用品以外に、この制度は伝統になって清末まで景徳鎮官窯に継承されていました。


続き・・・

福縁堂主人

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事