福縁譚

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明清官窯落款の中に、年代不明な落款がある。
一番多く見られるのは染付”双線環”:二重丸
中国語では、”無字双圏”という。
普通官窯染付楷書記年落款の場合は、二重丸の中に”xx年製”とか字を入れるけれども、
”双線環”落款は、二重丸の中に字がない。
(図 明初 双線環 内裏ともありますが、落款よりも識別記号のようです。)

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今の見解では、官窯双線環落款は永楽官窯からもすでにありました。
永楽宣徳の場合は、官窯落款の様式はまた定めていなかったので、双線環様式は一つ識別記号として見るべきであって、しかし、成化以降、清の時代また、時々官窯は双線環落款を拾うことは、なにかの理由があったかと思われます。

工法上、双線環を書くには轆轤上で作業ですが、落款の字を書くには轆轤上は不安定なので、やはり、一番普通の官窯落款の双線環記年落款の場合は、丸を書く工程と字を書く工程は別別である。

つまり、双線環のみの落款は中に字を書く手順が省略された。
この大事な手順を省略されたことは、”年号を書きにくい”時代だったから、
官窯の場合は監督の了解がないとできないことです。

明清官窯史上に一番有名な”双線環”は康煕前期のものです。
(図 康煕前期官窯 双線環)
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康煕20年に、景徳鎮所在省の江西省提督(知事)の郎廷極氏が自ら景徳鎮御窯厰の監督に兼任以来、景徳鎮窯の陶磁業は大いに発展して、近代陶磁の集大成的な成果を得られた。
郎廷極氏が景徳鎮御窯厰の監督をしている時期(康煕20年〜51年)の官窯は”郎窯”との別名があります。郎窯の始まりから、ちょっとした”大清康煕年製”の落款を入れるように回復しましたが・・・では、
なぜ康煕20年以前の落款に”康煕年製”の字を書かないか?
なぜ康煕20年になってから、官府が景徳鎮窯の復興に手かけたか?
この二つの疑問に答えが一つです:国内情勢に原因がある。

中国歴史上に少年天子として名声高い康煕皇帝は6歳で即位した。
父上の順治皇帝も”皇帝になりたくない”王様であって、佛教信用が深いので、在位の時もなん度か出家騒ぎしていたが、二十四歳の若さで痘瘡をかかって亡くなりました。(当時は北京あたりは痘瘡が流行っていた。)

順治皇帝が生前にまた太子を定めていないかったため、同じ痘瘡をかかった皇三子の玄(後の康煕皇帝、当時は八歳)は奇跡的に平癒したから、なんと、免疫力がある理由で、皇帝に選ばれたという。

子供皇帝ですから、国政は前朝補政四大臣に任された。
康煕六年七月に、清の開国元老の一人、首席補政大臣が死去の翌月に、13歳の康煕皇帝が親政。少年天子の名はそこから来た。
しかし、聞政して僅か十日で、補政大臣たちが首相の座を狙い内争が爆発、”鰲拜”という軍政補政大臣は反対者を殺し、自ら一等公爵へ進位して、国政を手に握ったため、少年天子を傀儡扱いにした。

当時国内は、鰲拜の勢力に屈服し、朝廷内外は”いつか皇帝も殺されるだろう”と不穏な空気が流れている。
少年天子が皇太後の暗幕の支持で、密かに宮内で禁軍(内廷護衛)の支持を得った。
康煕八年5月十六日に、”宮廷政変”のように、権臣の鰲拜を拘束した。
それから、少年天子が執政が始まる。

当時、景徳鎮窯の所在地の江西省は藩属地であったため、中央政府からの管理が届かない。

康煕十二年 撤藩の命令より、福建、広東、広西、貴州、雲南など南方藩王が反乱し、それぞれ清から独立建国を宣告、反乱地域は湖南、四川、江西(!)に広がる。反乱平定のため、南方諸省に八年の戦乱を辿って、漸く、
康煕二十年でようやく藩乱を平定した。(康煕二十二年、台湾を光復)

康煕即位初期に、少々の楷書落款の”大清康煕年製”のものがあります。二重丸はないから、当時の景徳鎮官窯はまた制式上に厳密な管理がなされていなかったと思われるが。
(図 初期 康煕款)
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補政大臣の鰲拜が専政した時期に、朝廷内外の雰囲気が不穏なので、いつか”康煕”の年号はなくなると恐れているから、結果的に、字を入れないことにした。それも、景徳鎮官窯の監督の政治掻臭覚による観望の態度と伺えます。

歴史的な康煕二十年、戦乱で莫大な災害を受けた江西省の首要な任務は経済の復興ですから、こゆう背景の中に、当時新任の江西省巡撫郎廷極は自ら陣頭を取り、景徳鎮窯の復興を手かけた。

康煕二十年から、景徳鎮窯は史上最大な復興を迎えた。官窯の落款はちゃんと管理したと、各種倣古陶磁や新品種の創出も一番目立つ。民窯も景徳鎮窯の輸出のピーク記録を作った。

日本に渡された染付の茶碗や茶道具は”新渡り”と呼ばれる。最盛時期にあまり貿易船の多さに、江戸幕府は入港の船の数を制限したという。
また、国内の茶道具やが言う”南京赤絵”、”南京白磁”もその時期の景徳鎮民窯輸出手です。
(図 康煕景徳鎮民窯)
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郎窯の振興は、康煕皇帝自身も陶磁ファンであることも一要因であります。
金銀器より陶磁器が好きの康煕皇帝は自用のために”御窯”の”中和堂製”も作ったから、これらの落款は”堂名款”と分類される落款なので、以降の節で専門に述べます。
(続き・・・)

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