なぜかロンドンそして東京

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裁判員制度に関連して、
 
「不可思議で やがて腹立つ 言い草かな」
 
な感じの記事に出会いました。
 
 

「今も壮絶な葛藤と重圧」 元裁判員20人、死刑の一時執行停止を法相に要請
2014.2.17 15:02
(記事引用ここから)
 裁判員として刑事裁判に携わった経験を持つ20人が17日、死刑執行を一時停止したうえで死刑についての情報公開を求める要望書に署名し、谷垣禎一法相あてに提出した。
 
 署名者には裁判員経験者らの中には実際に被告人に死刑判決を出した人も3人含まれ、「一般の刑罰と比べて死刑は明らかに一線を画するもの。壮絶な葛藤と、今なお抱える重圧がある」と要望書の中でその心情を表現した。
 
 署名者らは「私たちは自分の判断の当否についての議論や、死刑制度の存廃を提起したいわけではない」と前置きしたうえで、
「死刑の実情について詳しい情報公開がなされていない現段階で、裁判員裁判における死刑確定者の刑の執行がなされれば、裁判員経験者の煩悶は極限に達するだろう」と述べ、
(1)執行の一時停止
(2)死刑に関する詳しい情報の公開
(3)死刑問題の国民的議論を促すこと−
の3点を法務省に求めた。
 
 裁判員裁判での死刑判決事件は計20件で、うち刑が確定している死刑囚はこの日現在で4人。裁判員制度のもとで執行はまだない。

  裁判員経験者らは「死刑が法律に明記されている以上、必要な選択として適法とは理解している。死刑について不明瞭な中での執行に違和感を募らせている」としたうえで、裁判員制度のもとで死刑が確定した死刑囚への執行につき、「これまでは国家の判断による死刑だったが、これからは国民の判断による国民への死刑となる。死刑を直視し議論する機会を国民に与えて欲しい」と要望した。
 
 要望書の提出を呼びかけ、提出後に会見した田口真義さん(38)は、「署名者の中には死刑判決を選んだ人や死刑肯定派もいる。死刑判断をした方たちは、判決当時は(判断は)間違っていないと今でも思っているが、一方で、今は何の情報もなく分からないままに死刑が執行されることに怖さと不安を感じている」と署名者らの気持ちを代弁。
 
「裁判員裁判にかかわった一般市民からの『執行はちょっと待った』という声を無視しないでほしい。執行が続けば、裁判員はお飾りに等しい」と訴えた。
(記事引用ここまで)
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
この記事を最初に読んだときは、単なる死刑制度廃止運動かと思いましたが、
よく読めば、そんなことはないとあります。
では、なんなのでしょうか・・・彼らの言いたいことって。わかるようで、よくわかりません。
 
裁判員制度は周知のとおり、裁判官3人と裁判員6名が、合議で有罪無罪と量刑を決める制度です。
一般の国民の社会常識を司法に十分反映させることや、裁判官にわかりやすい説明を促すことなどが目的です。
合議が成立しなければ多数決となりますが、裁判官1人以上が加わった案でなければ成立せず、つまり裁判官が3名とも反対した案は採用されません。
 
制度として、特に問題はないと思いますし、裁判員の必要性は、過去の(特に下級審に多い気がしますが)頭でっかちで非常識な判決をいくつか思い起こすだけでも十分でありましょう。
 
さて。
 
今回この署名をした人たちは、何が不満なのでしょうか。
 
彼らは、自分たちの死刑判断が「正しかったかどうかに自信がない」から、「死刑にしてほしくない」のでしょうか。
記事を読むと、そういうわけでもないようです。
 
では、死刑に関する詳しい情報の公開って、なんなのでしょうか。
今以上に、どんな情報が必要だというのでしょうか。
そして、そういうものが公開されたら、ではどうするというのでしょうか。
 
みっつめについている、「十分な議論」。これが、やはり、本音なのでしょうか。
やはり?
死刑制度を廃止したい?
 
そして一番わからないのが、なんだかわからない上記の2つのことが達成されるまでの間は、死刑を執行するなという主張。
 
かたや、「このまま死刑が執行されたのでは裁判員はお飾りに等しい」
 
??????
 
意味がわかりません。
 
要するに、なにがなんでも要するに、つまりは、
「死刑にしてほしくない」、ということなんではないんでしょうか?
 
 
なぜ。
 
そうですよね。
自分たちが、人を殺したことになるのが、いやなんでしょう?
そして自分たち以外の裁判員たちもきっとそうだろう、だから裁判員がかかわった裁判において裁判員がいいと言うまで死刑執行すべきでないと、そう思っているんでしょう?
そうとしか、わたくし、解釈のしようがないのですが。
 
裁判員として死刑の判断をしてから後、
ずっとずっと心が苦しい。眠れない。
それは、人として非常に普通の反応だと思います。
そこまでは。
 
でもその苦しさは、法治国家の一員として、自分の心に引き受けるべきものです。
 
死刑だけじゃありませんよ、こわいのは。
懲役だって、同じです。人間の時間を奪う意味では、同じです。
取り返しがつかないのは、死刑だけじゃないんですよ。これは是非声を大にして申し上げたい。
あ、話が少しそれてしまいましたが、
どんなにどんなに手続きを慎重にして、よくよく調べても、どんなベテラン裁判官がどんなにがんばっても、
絶対に、完璧な裁判なんて、ないんですよ。
みんなみんな、苦しいんです。自分の判断が正しかったか?と。
それをみな、引き受けているんですよ。
 
死刑の判決をくだしたとき、傍聴席から飛んできた「人殺し!」の言葉が、ずっと耳から離れないという裁判官のひとがいました。
 
裁判員制度は、プロの裁判官ではない一般の国民にこの苦しさを直に分け合ってもらう代わりに、より透明でわかりやすく常識的な判決を国民にもたらそうというものです。
何かを得るためには、何か痛みが伴う。
当たり前のことです。
 
 
そして、上記の署名をした人々のもう一つ身勝手なところは、
裁判員制度の死刑を「国民がやる死刑」、それ以前のものを「国家がやる死刑」と、わけて語ったところです。
民主主義国家において、国家はすなわち民ですよ。
そんなこともわからないで。
苦しみひとつ受け入れる覚悟もなく。
法治国家でぬくぬくと生きていないでください。お願いします。
 
そんなことを、思った、わたくしでした。

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冤罪を恐れている訳でもないようです。
日本の場合、刑が加算されることはないので、一つの犯罪に対し最も刑の重い犯行に対して量刑判断がなされる、その結果の一つが死刑だ、と云うに過ぎません。選ばれた市民裁判員は一人ではないので、死刑判断を下すのがトラウマとなる程嫌いなら、良心に従えばよいだけです。
量刑の決め方や事実認定に拘る証拠の問題点を指摘して、現状のあり方を訴えるというのなら理解できるのですが、結果としての死刑判断を肯定しながら、死刑の執行を問題視するという彼らの自家撞着振りは、理解できません。

2014/2/19(水) 午前 0:16 [ chengguang ]

chengguangさま、そうなのですよね、彼らは決して冤罪を恐れているわけではなさそうです。自分たちがした有罪の判断、そして量刑の判断について、間違っているとか間違っていたかもしれないとかは、一言も言っていない。なのに執行だけをやめろと。この点が、じつに、意味が分からないです。
この激しい矛盾に気づかないのか、自分たちの思考が矛盾していることに気づかぬふりをしているのか、よく分かりませんが、
いずれにせよ明らかなことは、彼らの求めていることが120%自分たちのためであり、ほかの誰のためでもないこと、つまり死刑囚のためですらないということですね。
彼らに比べれば、裁判員就任そのものから逃げ回る人々のほうがはるかにマシです。逃げ回る人々は自分たちが怖がっていることも、ルール違反をしていることも、少なくとも自覚しておられるわけですから。。

2014/2/19(水) 午前 7:58 [ ふくふきママ ]

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