なぜかロンドンそして東京

更新が止まる日、それはブログの終わりではなく完成なので、過去記事をときたま覗いて頂けたら幸甚です。

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第八話(挿話)その1

ガーディアン 第八話(挿話) 〜紛争〜
 
 河合茂が、平日昼間勤めている会社が終わった後、夜のかなり遅い時刻になってから、土日夜間限定で契約している警備会社の事務所へ到着すると、予想通り事務所には先輩警護員がひとりいるだけだった。
「こんばんは、高原さん。」
 しばらく間があって、狭い事務室内の自席で作業していた高原が顔を上げてこちらを向いた。
「おう、河合。最近残業が多いんだね。」
「三村には、単に仕事が遅いだけだってバカにされてますけどー。」
「お前、英一さんとたまには仲良くしろよな。」
 この小さくて若い警備会社の大森パトロール社で、茂が尊敬する先輩警護員である高原晶生は、メガネが似合う知的な顔立ちに不思議な愛嬌と人懐っこさが同居した好青年である。すらりと高い背丈、爽やかな短髪、そしてそつのない身のこなし。警護のレベルが極上であるのみならず、宴会一発芸もうまいというパーフェクトな人材である。
「高原さん、ここのところ、俺がいつ来てもここにいらっしゃる気がするんですが・・・」
 事実であった。土日夜間限定のパートタイムの警護員である茂は平日は夜しか来ないので遅い時間になるのは当然だが、フルタイムで勤務している高原が、茂がどんなに遅くなって来ても事務所にいるのは、ここ最近の傾向だ。
 警護員の仕事に昼夜も土日もないが、それにしても少し極端だと茂は思っていた。
「そうか?」
「お仕事、忙しいんですか?」
「そうでもないけどさ、怜を見習って俺も事前準備の精度をさらに上げてみようかなと思ってねー。」
「高原さんの準備の精度はもう十分高いと思いますが・・・・」
「あははは。怜といえば、やっと海外出張が終わって今頃あっちを飛び立ってるころだな。」
「帰国は明日でしたね。」
「海外で、いろいろ無事に済んでるといいけどね。」
「高原さん・・・それは、警護のことじゃなくて、ですよね?」
「もちろんさ。」
 葛城怜は高原の同僚で、茂が尊敬するもうひとりの先輩警護員である。高原に肉薄するような有能な警護員であるが、男性とは思えないその恐るべき美貌のため、それは本人の責任ではないとはいえ余計なトラブルを招くことがある。
 茂は給湯室へ行き、麦茶のピッチャーと、グラスふたつを持って戻り、麦茶を注いだグラスのひとつを高原に渡した。
「おお、サンキュー。」
 一気に麦茶を飲み干し、高原は大きくため息をついた。茂は二杯目を注ぐ。
「・・・なにか、心配事ですか?高原さん」
 高原は茂の透き通るような琥珀色の両目をじっと見て、しばらくして声を出して笑った。
「河合、お前最近ますます、怜に似てきたんじゃないか?」
「光栄ですが、その点はすごくまだまだだと思います。」
「お前に頼みがある。」
 突然口調を変えた高原の言葉に、茂はびっくりし、麦茶を気管に入れないよう慌てて飲み込んだ。
「・・・・?高原さん?」
「まあ俺も人のことは言えないんだが、・・・・それぞれの警護案件については、担当の警護員以外には不必要に情報を共有しないのが原則だよな。」
「はい。」
「それを、厳格に守ってくれ。前回の件について。」
「山添さんとの・・・・城生ひとみ氏警護の案件ですね。」
「そうだ。」
 高原や葛城と同期入社の警護員である山添崇とは、茂は前回の警護で初めてペアを組んだ。山添は途中で過剰防衛事故を起こし、それが原因で犯人側からの報復に遭い、生命の危機に瀕した。
 山添が、プロの、それも経験を積んだ警護員にあるまじき過剰防衛事故を起こしたのは、その前の、葛城と茂がペアを組んだ警護案件と関係がある。茂もそう考えていたし、高原もそう考えていることは間違いなかった。
「それはつまり、葛城さんに、話さない、ということですね?」
「そうだ。波多野部長と、それから山添にも、同じことを頼んである。」
「高原さん・・・・」
 茂が思いつめたような表情になっていることに気がつき、高原が笑った。
「なんでそんな顔をするんだよ、河合。確かに、俺の考えすぎかもしれないけどね。」
「・・・・」
「前回の怜とお前との警護で、山添が殺しても飽き足らない人間を、クライアントとして怜とお前が警護することになった。それは会社の方針を放棄しないため、お前たちが非常な努力をしてやり遂げたことだ。だが、その警護を手助けした山添が、その直後の警護案件で事故を起こしたと怜が知ったら、あいつは必ず自分を責めるだろう。」
「はい。」
 茂は、高原の言葉に異存はなかったし、葛城の性格は誰より高原が知っているはずだから彼の言うとおりにするのが一番だと素直に感じた。茂が気になったのはその点ではなかった。
「高原さんの心配って、このことだったんですね。」
「うん、そうだな。」
「そうですよね。」
 話し終わった後の高原の顔を見て、今度は茂が心配そうな表情になっていた。

 翌日の土曜日、午前中から茂は波多野営業部長に大森パトロール社の事務所に呼び出されていた。新たな警護案件のことである。
 事務所に茂が入ると、やはりいつからそこにいるのか分からない高原が、根を詰めた様子で自席の端末へ向かって作業していた。
 波多野の姿は見えないが、声が聞こえる。応接室から、地声の大きな波多野の、機嫌のよさそうな声が漏れ響いてくる。
「あ、もしかして・・・」
「そうだよ。今日は山添が退院後の初出勤で、顔を出したんだ。」
「部長嬉しそうですね。」
「ははは。そりゃそうだ。まあ、過剰防衛事故のときは死ぬほどあいつも波多野さんに怒られてたけど、それだけ波多野さんも心配してるんだからね。」
 外は快晴だが、窓の景色の少し奥に、やや暗い雲が見える。今日の予報は午後から雷雨だ。
 応接室から出てきた山添崇警護員と目が合い、茂は数歩近づいて会釈した。
「おはようございます、山添さん、お疲れ様です。」
「河合さん、おはようございます。前回の警護案件ではいろいろご迷惑かけました。」
 山添の身長は、茂より少し高いがそれほど変わらないから百七十センチ少々だが、百八十センチほどある高原に負けないくらい長身に見えるのは、見るからにスポーツ好きそうな鍛えられた体つきのせいだ。それも、ごつい感じではなく、しなやかで、柔軟な感じがする。よく日焼けしている肌に、茂よりやや濃いめの茶髪が耳の下くらいまでかかっている。黒目勝ちの目が似合うきれいな顔立ちは、青年というより美少年という感じだ。
 山添は茂の背後の自席から自分のほうを振り返っている高原のほうへ、歩いていく。
「波多野さんから、正式に、業務復帰の許可があった。ただし、最初は後方支援から、ということだ。今回の案件も、俺の代わりにお前に担当してもらうことになって、申し訳ない。」
「気にするな、ゆっくり戻ってこいよ。」
 高原は立ち上がり、労わるように山添の肩へ手を置いた。
 応接室から呼び声があり、茂と高原は応接室で待つ波多野部長と向かい合ってソファに座った。
 波多野営業部長は、相変わらず坊主頭に近い短髪に全然似合わないメタルフレームのメガネをかけ、麦茶を飲みながら書類をめくっている。しかし確かにその様子は、かなり機嫌が良さそうだった。
「晶生、すまんな。今回も急な交代になった。」
「大丈夫です、資料は目を通しました。定例的な案件ですし、一日だけですし。」
「崇の体調は、ほぼ問題ないし、思ったより早く復帰できてほっとしたよ。が、警護案件への本格復帰はこの次の案件からにする。念のためだ。」
「はい。」
「・・・で、本来は晶生ひとりで十分な案件だが、茂、今回久々に高原とペアを組んでもらうのは、OJTだ。」
「はい、ありがとうございます。」
 茂は嬉しそうに応え頭を下げた。高原のような上級の警護員とペアを組ませてもらう機会は、多ければ多いほど、新人警護員としてラッキーなことだ。そもそも茂が現在、ほぼ偶然の行きがかり上、葛城の下で普段のペアを組んでいること、そのことだけでも幸運である。茂は自分がよほど日頃の行いが良いのだと思った。
 二人はあらかじめもらっていて持参したファイルを取り出し、内容を確認する。
「警護案件は、山添ご指名で一応ぎりぎりまでキャンセル待ちだった案件だ。この××弁護士事務所さんはうちの会社始まって以来のお得意様なんだが、山添と高原と葛城がお気に入りだ。特に公判時の移動時警護は、山添を指名されることが多いんだよな。」
 高原が笑った。
「波多野さん、それは完全に奴の外見のせいですね。」
「はははは。まあ、三人の中では、サングラスをかけると崇が一番怖そうだよな。」
「そうですか?」
 確かに、あの愛らしい両目を隠してしまうと、ちょっと野性的な迫力が出るのかもしれない。
「茂は有給休暇大丈夫か?」
 警護予定日は平日である。
「はい、昼間のほうの会社の許可は取れました。」
「よし、じゃあ今日は、晶生の下見に同行してこい。」
「はい。」
 出て行こうとした二人に、最後に波多野部長が言った。
「晶生、本番ではサングラスはちゃんと怖そうなやつをかけろよ。」
「・・・・波多野さん、楽しんでますね?」

 茂と高原が応接室から出て事務室へ戻ると、山添は自席で端末に向かっていた。休んでいた間に書類やメールがたまっているのだろう。今日中に全部片づけるのを早々にあきらめたように立ち上がり、応接室から出てきた高原を認めると、改めて山添は高原のほうへ歩いてきた。
 茂は二人から離れ、共有の作業席へ向かった。
 山添は高原の前で立ち止まると、さっと頭を下げた。
「晶生、俺が今日もここに立っているのはお前のおかげだ。・・・ほんとに、ありがとう。」
「・・・・」
「ごめんな。俺は、和人のことを、抱えきれずに、しかもその自覚さえできてなくて、お前に迷惑をかけた。恥ずかしいと思ってる。」
「・・・・」
 高原は微笑もうとして失敗したような、奇妙な表情になった。そして少し硬い顔つきになり、同僚の顔を見ていた。
「許してくれ。・・・いや、プロの警護員として、もちろん許されるようなことじゃないけどな。」
「・・・許されないのは、俺のほうだ。」
「晶生?」
 高原の様子が少し尋常でないことに山添が気がつき、黒目の大きな両目を凝らすようにして、高原のメガネの奥の知的な両目を見た。その表情はさらに硬くなっていくように感じられた。
「・・・」
「どうした?晶生」
「それ以上、言わないでくれ、崇。俺を・・・・甘やかすな。」
 山添だけではなく、離れた席で二人の会話が耳に入っていた茂も、高原の反応に少し驚いていた。
 警護現場の裁判所から最寄りの地下鉄駅、そして弁護士事務所までの移動ルートを確認しながら、茂は、隣の高原から色々な実地指導を受けつつ、つい気が逸れそうになる自分をコントロールするのに苦労した。
 あの後高原はまたいつものように山添と仲良く会話していたし、今も全くもって普段通りの様子だ。しかし、山添がさっき事務所で前回警護のことをあらためて詫びて礼を言ったとき、なぜ高原はもっと嬉しそうにしなかったのだろう。
 早くも空模様が怪しくなってきた。湿った風が肌に感じられる。
「・・・研修でもひととおり聞いてると思うが」
「はい。」
「ハイプロファイル警護は、クライアントが注目を浴びることが避けられない場合に行うが、ハイリスク・ハイリターンだ。」
「はい。」
「クライアントの近くで遠慮なしに警護できるが、自分自身が襲撃のターゲットにも非常になりやすい。基本的な警護技術をバランスよくクリアすることはもちろん・・・物理的な腕っ節にもかなりの自信が必要だ。一撃必殺くらいのね。」
「は、はい。」
「自分が倒れたらもう後がないのが、身辺警護員だからさ。ロープロファイル警護や周回警護より、それが顕著だし、襲撃者のレベルも通常、上がる。」
「・・・はい」
「まあ、さっき波多野さんがおっしゃっていたのは半分冗談だけど、実際、警護員は強面につくって心理的ハードルを上げるんだよ。でも、だからこそ、そのハードルを越えて実行される襲撃は、覚悟や威力が違うわけだ。」
「そうですよね。」
 高原は緊張の面持ちの後輩警護員に優しく微笑みかけ、さらに移動中の位置取りや周回警護のチェックポイントについて、細かく指導をしていく。
「あまり緊張しなくていいよ。実際は今回の警護は難易度は低い。裁判案件の重要度は中の下くらいだ。しかしもしももっとやばい案件の場合は、本当に一人の警護員では危険だから、今回のお前みたいなサブ警護員を潜ませる。」
 弁護士事務所前で下見を終えたとき、ついに空から大粒の雨が落ちてきた。

 茂と高原が下見の現場から引き揚げつつあったとき、大森パトロール社の事務所では、山添が一人残って自席での作業を再開していた。しかしあまり能率が上がらない。もちろん、今日の高原との会話を思い出していたからだ。
 そのとき、事務所の従業員用入口をカードキーで開ける音がして、中型のキャリーバッグを引きながら同僚の警護員が事務室へ入ってきた。
 肩の下まで伸ばした髪も、上着も、急に降りだした雨に遭って濡れている。
「怜!今帰ったのか」
「ただいま。今日も仕事なんだね、崇。お疲れ様。」
 雨に少し濡れた髪をかき上げながら、葛城怜は山添の顔を見て笑顔になった。大森パトロール社が誇る有能な警護員のひとりである葛城怜は、しかしとてもそうは見えない、茂と高原が海外出張中のトラブルを心配していたほどの絶世の美貌の持ち主であり、茂と同じくらいの身長のごく細身の青年だ。
 山添の顔が少しこわばったことに、葛城はすぐに気がついた。自席の椅子の背に上着を脱いでかけ、キャリーバッグから仕事関係の書類を出して机上で整理しながら、声をかける。
「俺の海外出張中に、崇が茂さんとペアを組んだ案件があったと聞いたけど・・・・無事に終わった?茂さんは新人だけど、もうかなりの回数の経験もあるから、大丈夫だったとは思うけど・・・。」
「うん、問題なかったよ。河合さんはまだ経験値は浅いけど、一所懸命やってるね。」
 壁面に掲示してある、警護員ごとの動静表に目をやり、葛城は山添のほうを見る。
「今日は・・・晶生と茂さんは一緒に出張みたいだね。何か聞いてる?崇。」
「ん、いや、特には・・・・。」
「?」
 どんな美女も戦慄するような、異様な美しさの両目で、葛城は不思議そうに山添の顔を見た。

 月曜日、裁判所と弁護士事務所との間の移動時警護は、午前中で終わった。
 高原の予告通り何事もなかったが、マスコミ関係者や傍聴者の数は少なくなく、茂にとって初めての良い経験となった。ハイプロファイル警護を援護する周回警護の、つかず離れずのむずかしさを実感し、何度か視界の外にクライアントと高原が隠れてしまった。
 レビューはかなりのページ数になりそうだ。
 インカムを装着し数メートルの距離を開けて見守る茂の目に、見え隠れする高原の姿は、以前初めてペアを組んだとき以上に厳しく、そして犯しがたい存在に見えた。サングラスなどなくても、十分近寄りがたい。
 茂は、前回警護で、山添警護員を救援に入った高原の動きを思い出していた。犯しがたいことを相手に分からせるのは、つまり、一撃必殺の実力の持ち主だからだ。
 高原の警護の壁を超えて襲撃することは、この世のあらゆる困難なことの中でも、有数の困難なことに入るだろう。この先輩警護員には、まったく、隙というものがない。山添が言っていたように・・・「とても、バランスがいいんです。つまりは、パーフェクト」である。
 しかし今自分が、なぜこんなにこの先輩のことが気がかり・・・おこがましさを承知で遠慮なしに言葉を選ぶならば、心配であるのかが、茂自身不思議だった。
 二人は弁護士事務所前で警護を終了し、そのまま建物内まで念のためクライアントに同行した高原を、茂は路上で待った。
 玄関ホール正面の階段を使って降りてきた高原は、建物出口で迎えた茂に微笑みかけた。
「河合、お疲れ。どうだ?お前もそのうちハイプロファイル警護、やってみたくなっただろ。」
「ははは・・・・。千年早いですよね・・・きっと。」
 建物内から外へ出て、茂は高原の顔をふと見て、非常に単純なことに気がついた。
 高原の、顔色が恐ろしく悪いのだ。
「高原さん・・・・」
「ん?」
「あの、もしかして今日はかなり、お疲れですか?」
「あっははは、そんなことをお前に言われるとはなー。」
「す、すみません」
 神経を使う警護の後は、仕方がないことなのかもしれない。

 午前中有給休暇をとった昼間の会社へ、午後から茂は戻った。
 同じ係の、斜め向かいの席では、同期入社の同僚の三村英一が相変わらずてきぱきと働き、茂のまったりとした空気と好対照をなしている。
 茂は、この、才色兼備で傲慢で唯我独尊の同期が非常に苦手だが、彼は大森パトロール社となぜか腐れ縁ともいえる縁があり、茂の先輩の高原や葛城、そして上司の波多野とも仲がいい。
 会議に出て、再び席へ戻ってきた英一は、高原くらいある長身の背筋を相変わらずぴしっと伸ばし、カラスみたいな真っ黒の髪と同じ漆黒の目を、斜め下の茂のほうへ向けた。
「河合、今日の資料、抜けがあったぞ。とじる前に確認しろ。そのくらいはアルバイト嬢でもちゃんとやるぞ。」
「ああ・・・悪かったよ。」
「?」
 英一は、茂の反応が上の空であることに気がつき、珍しそうな顔をして改めて目の前の同僚を見た。
「なんだ、また警護疲れで心ここにあらずか?」
「あ・・・それは・・・・」
 それは茂が一番言われたくないことである。
 しかし警護員としての仕事を話題に出されたことが、茂の背中を押した。
「・・・どうした?」
 思いつめた顔になった茂に、英一が思わず声をかける。
「あのさ、三村。ちょっと、その・・・・」
「?」
「その・・・相談が・・・・ある。」
 茂には気づかれなかったが、英一は手に持った書類を危うく落としかけていた。
 茂が英一になにか相談ごと、というのは、いわば数万年間降水量ゼロの砂漠にゲリラ豪雨が降るというようなものだ。
「は・・・・?」
「・・・今日、終業後、時間あるか?」
「・・・・」
「ダメか?稽古あるもんな。」
「あ、いや・・・・大丈夫だよ。」
 

 月曜午後、ほかの数名の警護員たち同様に、自席で次回警護の準備作業をしていた葛城は、入口近くにいた警護員が自分を呼びに来たとき、今日は事務員の池田さんがいないことを知った。
 艶やかだが雑に切られた黒髪をなびかせるようにして葛城のところに来た同僚の警護員が、面倒そうな態度を隠そうともせずに言う。
「××弁護士事務所さんだ。山添も高原もいないから、お前が出たほうがいいんじゃないか?」
「わかった。ありがとう、月ヶ瀬。」
 事務所の受付窓口まで行くと、見たことのある事務員の制服姿の女性が立っていた。
「突然に恐れ入ります。××弁護士事務所の者ですが・・・・。」
「いつもお世話になっております。すみません、今日は事務の者が不在で・・・」
「警護員の葛城さんですよね、しばらくお会いしなかったですが、お元気でしたか?お会いできてうれしいわ。」
 ××弁護士事務所は大森パトロール社始まって以来のお得意様だが、こうして先方の事務員がこちらへ来ることは普通はないし、あっても事務員の池田さんが対応するので、こういう形で警護員が直接顔を会わせるのは極めて珍しいことだ。
 弁護士事務所の事務員の女性は、申し訳なさそうに手元の大型封筒を取り出した。
「すみません、お支払書類に不備があって・・・。うちの社長が、今回も非常にスムーズに警護を完了してくださったのに、入金が滞ることになったら申し訳ないので、すぐにお届けしてくるようにって。いつもお願いしてる山添さんじゃなかったのはちょっと残念そうでしたけどね。」
「そうなんですね。わざわざ恐れ入ります。」
 事務員の女性は人目をはばかるように笑った。
「社長ったら、山添さんがサングラスをしてうちの弁護士についてくれると、もう絶対なにも起こらない気がするんですって。でも今回は仕方ないですよね・・・前の警護で、かなりひどい怪我をされて、入院されたんですもんね。」
「・・・・・」
「うちの社長は皆さんが新人のころから知ってますから、もうこの話ばっかりですよ、今は。今まで、警護中にそんなことになるなんて、ほとんどなかったですもんね。なにかあったんじゃないかって、心配してましたよ。」
「・・・・・」
「葛城さんも、くれぐれもお体大切になさってくださいね。また葛城さんや高原さんにも、色々な警護のお願いが行くと思いますから。」
「・・・はい、どうもありがとうございます。」
 弁護士事務所の事務員を見送ると、葛城は踵を返し、事務室の壁に掲示してある各警護員別の動静表に目をやった。
 

 夕日が沈み夜が始まったばかりの街は、まだ月曜のせいか、まっすぐ駅へ向かうサラリーマンたちはほとんどその途中にある建物には見向きもしない。
 二人が平日昼間勤める会社と駅の反対側にある大森パトロール社の事務所との、ほぼ中間地点にあるコーヒー店に、茂と英一が入ってきたときほかに客は誰もいなかった。
 英一は長い脚を狭そうにテーブルの下で組みながら、少しの警戒心さえ覗かせながら茂の言葉を待った。
「ごめん、急に。」
「いや、それは構わないが・・・・」
「高原さんのことなんだ。」
「・・・お前の先輩警護員の?」
「いつだったか、お前が、高原さんの異変に俺より早く気がついたことがあったよな。」
「ああ。」
「あのときは、ただし原因は多分明らかだったけど・・・・今回、全然俺、わからないんだ。」
「?」
 氷水の入ったグラスを、茂は両手でつかんで見つめた。
「お前は俺より、高原さんと多分親しいし・・・なにか、わかるんじゃないかと思ってさ。」
「お前のほうが高原さんと会ってる時間は全然長いけどな。」
「そうなんだけどさ。・・・今日、短時間の警護だったけど、久々に高原さんの下でペアを組んだ。確かに神経をすり減らすハイプロファイル警護だったけど、・・・それにしても、高原さん、異常に疲れた様子だった。」
「短時間だったのに?」
「うん。それに、今考えると、今日に始まったことじゃないんだ。」
「・・・」
「最近、俺が事務所に行くと、ほぼ毎回顔を合わせるんだけど、いつも明るいし優しいんだけど、なんか変なんだ。」
「お前、そう言いながら原因に心当たりがあるな。」
 茂は英一の顔を見た。コーヒーが運ばれてきて、二人は一瞬会話を中断した。
「ある。三村流関係者の、あの能舞台での警護案件。」
「・・・・」
 英一の顔が少し強張った。茂は念押しするように英一の端正な漆黒の目を見る。
「業務上のことを、本当は警護員はむやみに口外しちゃいけないんだけど・・・秘密は守ってくれるよな?三村。」
「ああ、大丈夫だよ。」
「あのとき、俺たちは、過去にうちの会社の警護員を、欺いて、犯罪に利用した人間を・・・再びクライアントとして警護した。それは、当日警護現場にいた葛城さん、高原さん、そして山添さんという先輩警護員たちにとって、共通のことだった。」
 英一は、そのクライアントのことは警護前夜に高原から概要を聞いて知っていたが、茂には言わない。
「山添さん?」
「山添さんっていう警護員がいるんだけど、この人は、なかでもその警護員・・・かつてそのクライアントに利用され、殉職した朝比奈警護員と、つきあいが長くて親しかった。でも山添さんも、うちの会社のポリシーを守るために、最後は自ら望んで、その警護の支援をしてくださった。」
「すごいな。」
「すごいよ。ほんとにすごい。でもその後、山添警護員は、直後の別の警護案件で、事故を起こした。」
「・・・・そうか・・・。」
「高原さんは、その警護案件の間じゅう、山添さんのことを心配して気遣っていたんだけど、事故は起こってしまった。」
「そのクライアントのことがわかったのは、どういう経緯だったんだ?」
「事件から数年経って、最近になって山添さんが高原さんに協力を頼んで、当時の経緯をもう一度調べなおして、わかったんだ。そして、奴らが、ふたりのクライアントが同一人物だと教えてくれた。」
 英一は目を伏せしばらく黙っていたが、再び顔を上げて、茂を睨むように見た。
「・・・・・・高原さんは、山添警護員が事故を起こした警護案件のとき、こんな感じじゃなかったか?・・・能舞台での警護で、自分のことで精一杯で、仲間のことを考える余裕がなかった、そのことを、申し訳なかった・・・というようなことを言っておられなかったか?」
「そのとおりだよ。」
「ものすごく想像つくよ。」
「その後・・・」
「ずっと、高原さんが元気がないんだな?・・・あのさ、さっき、いつ事務所に行っても会う、って言ってたよな。」
「うん。」
「俺も経験あるけど、高原さん、多分常軌を逸した働き方をしてると思うよ、今。」
「え・・・・・」
 聞き返した茂に答えず、英一は逆に茂に質問した。
「葛城さんは、どうしてる?」
「前回の、山添さんが事故を起こした警護案件のとき、葛城さんは海外出張中だったんだ。でも葛城さんが帰国されたら高原さんはきっと山添さんの一件を話すと思ってたんだけど・・・」
「高原さんは、葛城さんには言うなと言ったんじゃないか?」
「そうなんだよ。葛城さんの性格だと、絶対に自分を責めるだろうからって。」
 英一はコーヒーを一気に飲み干すと、大きなため息をついた。
「ほんとにあの人・・・・」
「?」
「あの人、警護員としては天才的なのに、こういうことは、ダメダメなんだな。」
「え」
「河合、お前がまずやったほうがいいのは・・・高原さんに怒られるのを覚悟の上で、このことを葛城さんに話すことだな。」
「やっぱりそうだよな」
「それから、高原さんの労働状況について、波多野さんに相談しろ。」
「・・・・そうするよ。」
 そのとき、茂の携帯電話が着信を知らせた。
 発信者名を見た茂が、意外そうな顔で言った。
「電話・・・山添さんからだ。」

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全く隙がないのはいいこと

2015/9/22(火) 午後 3:39 [ イクゾー ]


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