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「いつの」意思が、自分の(その人の)意思なのか。について、
前も少し書いたことがあります。 昔、会社の同僚が、年老いたお母様のために、したい仕事をあきらめたことがありました。 いえ、介護保険などを活用すればできなくもなかったのですが、 精神的にお母様が「傍にいてほしい」という希望が強く、それをかなえてあげたいとのことでした。 でも、その話をしながら、その人が、実に哀しく無念そうな顔をしていました。
満足な選択という感じではまったくなく、そこにあるのは孝行美談ではなく悲劇であるのがあきらかでした。 わたくしは、その人に尋ねました。 「あなたにもお子さんがおられます。あなたは、自分が将来年老いて気弱になったとき、自分が不安にならずに済むために、自分のお子さんがあなたのために好きな仕事をあきらめることを望みますか?」 その方は、もちろん絶対にそんなことは望みませんと答えました。 わたくしは、言いました。 ならば、あなたのお母様の本当の望みも、あなたと同じなんじゃないですか、と。 その人は、涙を浮かべていました。 その人も、将来年老いて気弱になったとき、自分のお子さんに「したい仕事をあきらめて、自分の近くにいてほしい」と言うのかもしれません。
しかし、今、「そんなことは望みません」と言っている「意思」と、年老いて気弱になったときの「意思」と、どちらがその人の本当の意思なのでしょうか。 わたくし、数々のご批判を覚悟の上で、はっきり言いたいと思います。 心身ともに、健康なとき、強いときの意思が、その人の本当の意思だと。 たくさんの「時点」「場合」の、たくさんの「意思」たちのなかから、
たったひとつだけ、 その人の人生を通じてその人の全存在をかけた、意思をひとつ選ぶなら・・・・・、 ・・・・・神様あるいは自分の強い愛と良心に照らして発言できる強さがあるときの意思が、それがそうなのだと思うのです。 今日の新聞で、3.11の津波の犠牲者ご遺族代表の、17歳の女性の言葉を読みました。
彼女の傷ついたお母様ががれきの下に閉じ込められ、彼女に「行かないで」と言ったけれど、 津波が迫り、ともに死ぬよりも、自分だけは逃げて生き延びることを選んだそうです。 それは、どこからどう見ても正しい選択であるばかりでなく、 「行かないで」と言ったお母様にとってさえ、正しいことだったのではないでしょうか。 「行かないで」と言ったときのお母様は、傷つき不安で目の前の娘さんに、傍にいてほしかったのでしょう。本当にそうだったのでしょう。娘の命のことなど考える母親としての気持ちさえ見失って。
そして、置いていく娘さんはどれほどつらかったことでしょう。 もちろんそのつらさは、お母様が「私を置いて行きなさい」と言ったとしても、少しも変わるところはないでしょうけれど・・・。 このお母様が、どんな性格の人か、わたくしは知りません。
もしかしたら、心身ともに元気なときでも、娘のことよりまずは自分が大事、という性格だったのかどうか、まったくそれはわかりません。 しかしこれらの事例から、わたくしは、ますます思います。
「いつの意思が、その人の意思か」 というのは、とても大事な判断なのだと。 難しいけれど、その判断から逃げてはいけないし、 なにより重要なことは、一番新しい意思が無条件に最優先ということは、絶対にないはずであると。 ひとつめの事例のかたも、
ふたつめの事例のかたも、 お子さんは、お母様のことを愛し、お母様のために罪悪感を感じるような人々です。
そんな優しいお子さんに恵まれたお母様たちは、 母として、お子さんがむしろ一刻も早く母親の自分から巣立ち、独立し、自分の自由と幸福を追求することを望むはずですし、 もっと言えば、望む義務があるとまでわたくしは思います。 話が少しそれましたが、 世の全ての、優しいお子さんたちに言いたいです。このことを。 さて、そういうわけなので、
心身ともに健康なときの事前の意思表示というのは、 よい死に方をするためにも、とても重要だと思います。 老衰で、口から食べられなくなったら、延命はしないで。
自然に死なせて。 臓器は最大限提供させてほしい。 植物人間になったら、やっぱり、流動食はやめて。 もしも植物人間になったときにわたくしが心の底から「チューブから栄養を送りこんで、1日も長く生かしてほしい」と望むのだとしても、 そのときの意思ではなく、今の、この意思のほうを、断固実現してほしい。 それがわたくしの、ほんとうの意思だと、思っています。 |
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どちらもその人の意思ではあるまいか。
ですから、選択する人が決めたことが正しいのですよ。
ちなみにこの津波被害者の娘さんの言葉は重すぎます。
ワタシも今朝のニュースで、読み上げているシーンを見ましたが
あまりに残酷・・・しばらく何もする気が起きませんでした。
2015/3/12(木) 午後 9:04
この記事は、私も考えさせられました。
ふたりだけの秘密として胸にしまっておけたものを、なぜこの娘さんは公にしたのでしょうか。自然災害の過酷さは、経験していないものがどんなに想像したところで想像できるものではない、ということを言いたかったのでしょうか。多くの人に強烈なテーマを与えたという意味で、勇気ある証言だとは思います。
因みに、夫の母は、元気なときに養護施設などには絶対入りたくないと言ったために、夫の兄弟姉妹6人は自宅介護で苦労し、その後の関係もぎくしゃくしています。子どものためであれ、自分のためであれ、ゆくゆく子ども心の重荷になるようなことは口にしないのがいちばんかな、と今は思っています。気弱になったら何を言い出すか分からないけど(^^ゞ
2015/3/13(金) 午前 11:52
書かれている内容から推測すれば、恐らく高齢者の病状の一部を前提とした話なのだと思います。
しかし、要介護高齢者にもその程度により段階があり、寝たきり老人の場合にも何かの病気に依るのか、重いアルツハイマーなのか、それとも老衰状態にあるのかで異なります。総ての高齢者が重篤なアルツハイマーになる訳ではありません。また、普通に老衰して死に直面している人を植物状態にあるとは言いません。
生に対する執着心を持ちたくないと言うことなのか、死に際して選択権を持ちたいと言うことなのか、植物状態で生きていたくないと言うことなのか(若い人でも交通事故などで植物状態になります)、論点を絞ってもらった方がコメントするのに助かります。
2015/3/13(金) 午後 2:18 [ chengguang ]
> ますたぁ様、
個別のケースごとに、結局は、選ぶ人が決めるしかないですよね。
わたくしも、そう思っています。
そのときに、弱気になるな。そう言いたい。そう思ってこの記事を書きました。
2015/3/13(金) 午後 9:48 [ ふくふきママ ]
> 真珠の涙さま、
老いて、あるいは病んで弱気になっているときでもないのに、自分のことしか考えない発言をするかたは、この記事の考察の範囲からは厳密には外れるのですが、
真珠の涙さまのお母様は、どのような意図でそうした発言をなさったのか、それはやはり色々な解釈がありえるのかもしれないですね・・・・。
親の幸せ、子供の幸せ。深くて困難な課題だと思います。
2015/3/13(金) 午後 9:50 [ ふくふきママ ]
> chengguangさま、
そういった区別は、たぶん承知しているつもりではあります。
この記事の趣旨は何か。
自分で解説するのもお恥ずかしいのではありますが、
・・・愛と良心のもとに意思表示をするようなことがある人の、その意思は、その後のより劣後すべき意思より優先しましょう、ということなのだと思っております。
一生そもそもそういう意思表示をしない人も、もちろん、おられましょう。
2015/3/13(金) 午後 9:52 [ ふくふきママ ]
うん。
そうだと思います。
ありがとうございました。
2016/5/17(火) 午後 9:28 [ 人生の後輩 ]