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一昨年、福岡に移住したが、正確には「天神のような所に住める福岡へ移住した」である。
30歳の時、大阪転勤で生まれて初めて東京を離れ、4年後、福岡への転勤を命じられた。
「東京へ帰るどころか、もっと遠く離れた」とガッカリした。
転勤となると、まずは家探しである。
東京でも大阪でも通勤時間は45分程だったので、その感覚で
「会社(天神)まで地下鉄で30分ぐらいで良い所はどこ?」
と同僚にたずねると、
「お前、何でそんな遠くに住みたいんだ?!」
と呆れられた。
実際、地下鉄やバスで10分程の所に住んでいる人間が多く、
驚いたのは「徒歩」で通っているヤツがいた事である。
東京の六本木や大阪の本町に「徒歩」で通勤してくる社員など居なかった。
天神西通りにある不動産屋へ行ってみると、
本当に「徒歩」で通える物件が大名1丁目のほぼど真ん中にあり、しかも安かった。
事務所として使っている部屋も多いらしく、
案内された部屋は和室を含めて照明がすべて剥き出しの蛍光灯で、
小さな拍子木を組み合わせたLDKのフローリングは所々段差が出来ていた。
(つまむと取れる板もあり、後々よくつまづいた)
築20年でお世辞にも綺麗とは言い難かったが、蛍光灯を全部外す事を条件に即決した。
6畳・4畳半・12畳の2LDKで、家賃は6万円代だったと思う。
それから、我が人生で最良の独身生活が始まった。
歩いて出勤し、
(徒歩5分、走って3分、自転車1分、寝坊しても起きて10分後にはデスクに座っていた)
仕事が終われば歩いて天神や今泉で飲み、へべれけになっても歩いて帰れた。
映画館やデパートもすぐそこだし、
「タクシーで1000円は遠い」という価値基準になってしまった。
女の子を家に誘うのも簡単だった。
店を出た後、ちょっと話しながら歩いていると、もうそこは我が家である。
むしろ、女の子の方から泊まりに来る事が多かった。
しかし、4年後、東京へ転勤になり、「人生最良の日々」は終わった。
後に妻となる彼女がいた事もあり、「不便な」東京へは帰りたくなかった。
東京とは比較にならないものの、必要な物は揃う十分な都会でありながら、
その中心部に住む事が出来る福岡、必ず戻って来る気がしていた。
それから12年経ち、今度は妻と一緒に天神へ戻ってきた。
終の住処とするマンションを買うまでの仮住まいを探したが、
昔と違い、今はインターネッゥトで物件の下調べが出来る。
20程の候補をリストアップして検討し、決めたのはかつて住んでいた大名の同じビルだった。
妻にとっても思い出深いところである。
当然ながらさらにボロくなっていたが、仮住まいだから家賃は安いに越したことは無い。
73平米の2LDKで7万7千円。昔とあまり変わらなかった。(地震にも耐えた)
その大名のビルに越してきて、その月の内に購入するマンション探しを開始した。
第一希望の大名・今泉地区にはこれという物件が無かった。
(今泉の国体道路沿いにタワーマンションがあったが、狭い上に造りがチャチで、そのうえ高かった)
その時期、天神地区で新築物件があったのは、天神の南の渡辺通り周辺と、
天神の北西に接する舞鶴地区(親不孝通りの西側、いつから「親富孝」になったのだ?)だった。
舞鶴に複数あった物件の内、「間取り」「価格」「仕様」が気に入ったところに決めて契約し、
昨年の春の完成と同時に入居した。
3月の福岡西方沖地震で、エントランス部分などのダメージがあったが、
引渡し前だったので開発会社の費用で修繕された。(ラッキー!!)
今では天神近辺には大規模なマンションを立てる土地が無いらしく、
大濠公園の周辺や、けやき通り、浄水通りあたりに新築マンションが多くなった。
もっと前に移住していたら、大名や今泉でマンションが買えたかも知れないが、
間違いなく地震で大きな被害を受けていただろう。
実際、「中古でもいいや」と思い、大名と今泉のマンションを検討したものの、
間取りが気に入らずにやめていた。
検討したその2つの物件は、共に地震で外壁に大きくヒビが入るほどの大ダメージを受け、
修繕費用の負担問題がニュースになってた。
早くもなく、遅くもなく、いいタイミングで天神に移住できたものだと思う。
明日がいい日になりますように。
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