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その立場や状況になってみなければわからない事は多い。
失恋した友人を慰めていても、自分の心は痛くないし、
虫歯になったことの無い人には、虫歯の痛みはわからない。
髪の毛が豊かな人には、薄毛やハゲの悩みはわからない。
視力の良い人には、近眼の人の見ている世界はわからない。
階段を2段飛ばしで駆け上がれる若者は、
地下街から階段で地上に出ただけで息が切れる自分を想像できないだろう。
リストラも自分がその対象になり、会社を辞める事を考えなければならなくなるまでは他人事だった。
私は大学を出てから30年近く外資系のソフト会社に勤めていた。
1998年をピークに業界売上は毎年下がり続け、2004年にはマーケットが2/3にまで縮小した。
私のいた会社を含め、業界各社はリストラを始めた。
最初は45歳以上が条件で、私は対象外だった。
その後、「早期希望退職」という名のリストラは、いつも「今回が最後」のはずが毎年行われた。
対象者の条件も広がり、ついには「入社3年以上」、つまり20歳代も含まれるようになった。
そして、300人以上いた社員の内、100人以上が会社を去った。
対象者は役員や人事部が個人面接をして「早期退職」の条件説明をする。
「辞めて欲しい人間」は当然リストアップされており、
そうした候補者にはより「丁寧」に「説得力」をもった説明がなされる。
「指名解雇」や「辞めてくれ」と迫ることは「不当労働行為」で違法なため、会社もそれは出来ない。
あくまで「自分から早期退職に応募」するように促すのだ。
会社としても有能な社員に辞められては困る。
だから早期希望退職は「会社が早期退職を認めた社員」しかできない事になっていた。
私が対象になって数年は、面接の時は簡単な退職金の説明だけで、あとは世間話だった。
「君は辞めないよね」と言われた事もあった。
ある年、私の部下が、
「ここだけの話ですけど、早期退職に手を挙げたんですけど、引き止められました。」
と話してきた。
会社に必要とされて嬉しかったのか、みんなが「ここだけの話」を知っていた。
しかし、その彼も翌年は引き止められず、早期退職した。
私が「候補者」リストに乗ったのは辞める前年だった、と後から気がついた。
その年の面接で担当役員から、
「これからはポストが減る」「良い条件だと思う」「これからの人生を考えるチャンスだ」
などと言われ、最後は「よく考えてくれ」と念を押された。
しかし、大阪に転勤したばかりの私は辞めることを全く考えていなかった。
明るく「考えてみます」と返事をして役員室を出た。
私が本社で面接を受けた後、一般社員の面接のために人事部長が大阪へ来た。
彼は、休憩時間に私を含めた旧知の数人に、あくまで雑談として
「これ以上の条件はもうないと思う」「自分も辞める」「40代の内が再就職に有利だ」
などと話して退職を勧めた。
そして本当にその人事部長は辞めたが、私も辞めたその翌年はもっと条件が良くなっていた。
その年の早期退職で先輩や同期の多くが辞め、私より先に入社した人間はほんの数人になっていた。
「候補者」リストに乗ったのに辞めなかった私は、その後職務を兼務するようになり、
その内のひとつの業務では、職等が下の後輩から指示を受けるようになった。
次にリストラがあったら自分の番だ、そう思わざるを得なかった。
社員と同じく、組織のリストラも進んでいた。
地方のオフィスの相次ぐ閉鎖。
部門の統合や、本社での集中管理による効率化。
管理職のポストも減り、現場を持つプレイングマネージャーが増えた。
辞めないことも考えた。
しかし、元々定着率の低い会社ではあった。
創立40年近いが、定年退職した人は二人だけ、しかも55歳定年だった10年以上前である。
勤め続けたとしても、55歳で役員になっていない場合、
一般職に降格して年俸も大幅にカットされる「役職定年制」も導入されていた。
尻すぼみの未来しかなかった。そしてそれに耐えて定年まで勤める気にはなれなかった。
割り増しされた退職金で今後の生活の計算もでき、一昨年の早期退職に手を上げた。
私の上司も、部門の本部長も、私の面接をした役員も辞めた。
正社員はまだましである。
縮小された部門で働いていた契約社員の殆どが契約を打ち切られた。
もともとの給与が低い上、何年働いていようが退職一時金は無い。
最近問題になっている「格差」は確かに存在する。
昨年あたりから業績が上向いてきたようで、私が辞めた以降はりストラは行われていないようだ。
しかし、正社員の代わりに契約社員が増え、
社員でも管理職ポストが減ったために昇進できない人間が多くなった。
明日がいい日になりますように。
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