|
私が生まれ育って30歳まで暮らしていたのは東京の上野。 御徒町から春日通りを隅田川方向に15分ほど行った所で、 大きな通りをひとつ渡ると地名に浅草がつく。 今は地下鉄大江戸線とつくばエクスプレスの「新御徒町」駅がすぐ近くに出来ているが、 私が住んでいた時にはこの駅は無かった。 子供の頃は「台東区西町1」と簡単な地名だったのに、 その後「台東区東上野1丁目−○○番地−○○」と変わり、 年賀状で自分の住所を書くのが急に面倒になった覚えがある、 地下鉄銀座線はJR御徒町駅のちょっと先に「上野広小路」駅があり、 「上野」駅から浅草方面へ90度曲がって次は「稲荷町」。 その為、私の家からまっすぐ行けば「御徒町」駅で、 家の前の道を右に行くと「稲荷町」駅になる。 だから、出掛ける時は行き先によって利用する駅を変えていた。 御徒町(JR「御徒町」、日比谷線「仲御徒町」、銀座線「上野広小路」)「上野」、「稲荷町」。 その場所には今も70歳を過ぎた叔父夫婦が住んでいる。 赤ん坊の頃から一緒に暮らした3人の姪っこ達はみんな嫁に出て、 孫を連れて入れ替わり遊びに来ているらしい。 去年の5月に東京へ帰った時、 弟と母と墓参りの後に叔父の家へ行って車を停めさせてもらい、 稲荷町から地下鉄で浅草へ。 稲荷町へ向かって歩きながら、懐かしい店がまだ残っている風景を楽しんだ。 娘さんの家庭教師をした八百屋さん。 3色パンをよく買ったパン屋に、 ちょっと先にある森永の棒アイスをよく買った別のパン屋。 御徒町方向はほとんどがビルになってしまっているが、 この辺りは見知らぬビルが増えたものの、まだまだ昔の建物が残っていた。 時代が止まったかのような食堂。 ここで何かを食べた覚えが無いのだが、 家で母の作るご飯を食べていたのだから当然だ。 食堂の脇の露地には長屋が続いている。 今では絶対に使えない差別用語を使った「キッチンくろんぼ」。 建物はボロボロだし、まだそのままの店名で営業しているとは思わなかった。 昔の物が残っている反面、 稲荷町駅の近くにはマクドナルドや吉野家が出来ていて、 見つける度に「おっ!」と声が出た。 かの夏目漱石は小学校時代は西町に住んでいたらしい。 そして、私がお神輿を担いでいた「下谷神社」のすぐ近く(今の東上野3丁目)は、 萩本欽一、天海祐希が育った場所である。 (ひょっとしたら、子供の頃に一緒にお祭りに参加していたのかも) 地下鉄「稲荷町」の駅も変わらない。 階段は相変わらず狭く、エスカレーターやエレベーターの設置予定は無さそうだ。 もう戻る事の無い街だが、 大通りからひとつ入った道に連なる風景は私を子供時代に戻してしまう。 幼い時、家の後ろにある大通りの先には田んぼが広がっていると信じていた。 それが自転車に乗れるようになり、 ある時大冒険のつもりで自転車で大通りを越えて走ってみた。 すると田んぼはまったく現れず、いつのまにか賑やかな浅草へ出てしまった。 そんな思い出もある。 今の東京はどこもかしこも超高層ビルだらけ。 あと数年したら、浅草から眺める新東京タワーも名物になっているのだろう。 それでも、肌から染みこむ様に体を満たす空気が懐かしい私のホームタウンは健在だろうか。 今日がいい日になりますように。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2008年03月16日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



