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独身時代、会社の先輩で結婚しているのに指輪をしていない人が何人もいた。 「どうして結婚指輪をしないんですか?」と聞くと、 『指輪をしてたら、結婚している事がばれて遊べないだろ』と言われた。 逆に、指輪をしている方がイイ思いが出来るという人間もいた。 曰く『結婚しているから、付き合っても深入りしないから安心だよ』 と言って女性を口説くんだそうだ。 ただし、あまり成功しているとは思えなかった。 私は結婚前、妻に「結婚しても指輪はしないよ」と宣言していた。 決して浮気をしたいが為ではない。 30近くなるまで、色気を出してシルバーの指輪とかペンダントを着けていたのだが、 歳と共に段々とアクセサリーを着けるのが面倒になってきたのだ。 ところが、結婚して13年になるが、私は結婚指輪を外した事が無い。 指輪をしていようがいていまいが、もてるかどうかとは関係ない、と思うし、 なにより外すのが面倒なのだ。 しなびてきたなぁ、と思う私の手。 一方、妻は結婚して以来、結婚指輪をはめようとしない。 どうして、と聞くと「洗い物の時に面倒なの」と言う。 普段からアクセサリー類は身につけない妻なので、 若い男と浮気をしたいからだとは思えない。 これは私にとっては逆にラッキーな事だった。 「スイートテンダイアモンド」などという宝石商の広告を見て、 妻が「欲しいわぁ」と言うのだが、 「結婚指輪もしないのに、ダイヤの指輪なんかしないだろ」 と言って、私の指輪をしている左手をかざせば話は終わる。 クリスマスイブの今日がいい日になりますように。 |
MY FAMILY
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11日の月曜日の夜、妻の祖父が亡くなった。 妻は危篤の知らせを受けて会社から病院へそのまま行き、 他の親戚と祖父を看取ったが、安らかな最期だったらしい。 95歳の大往生である。 亡くなる前日の日曜日にお見舞いに行ったが、 その時は目を開けて声に反応はするものの、はっきりとした意識は無いように見えた。 今年の初めに腎臓ガンの摘出手術で手術室に入る前、 医者に「頑張りましょうね」と言われ、 「お前が頑張れ」と言い返したほど元気だった祖父だが、 手術後は体力も落ち、認知症にもなった。 食欲がまったく無くなったので入院させた時、 ガンが他の臓器にも転移いているのが見つかり、肺炎も起こしてしまった。 12日に仮通夜を家で行い、お寺で13日お通夜、14日葬儀となり、 妻と12日の夕方に妻の実家へ行って昨日帰ってきた。 内孫である妻も義兄も家から出す葬儀は初めての経験だ。 私は中学までに、父、祖父、祖母を亡くしているが、 まだ子供だったし、お通夜の夜にお寺に泊まるのは初めての事だった。 お通夜の際、ご住職が、 「故人に色々とお世話になった事を思い出し『ありがとうございました』と送って下さい」 と仰った言葉が印象に残っている。 葬儀を終えて火葬場から戻り、 繰上げ初七日法要の後の宴席もひと段落して親戚がほとんど帰った後、 義兄夫婦と妻とご香典の整理をした。 義兄夫婦が熨斗袋からお金を出して金額を袋に書き、 私がそれを確認して金種ごとにまとめ、妻がパソコンで名前と金額をリストにする。 最後にパソコンでの集計金額と現金を比べたら、現金が18000円少なかった。 翌朝、ベッドで目を覚ましたが、 計算が合わなかった後の記憶が無く、ベッドに寝た覚えも無い。 妻にたずねると、金額に違いが出た後、私は後ろに倒れて座敷の扉で頭を打ち、 危ないので横にころがしておいて、後からベッドへ寝かせたと言う。 「使えねぇ〜」と義兄は笑っていたそうだ。 意識を失うほど飲んだ覚えは無いのだが、 あまり付き合いのない妻方の親戚と何日も一緒にいたので、 気が抜けて一気に酔いと疲れが出たのだ、と自分に言い訳をしてみた。 金額が合わなかったのは、2千円を2万円と義姉が書き間違いをし、 チェックする私もそれに気がつかなかったのだと判明した。 やはり私は使えなかった。 昨日の昼に次男である叔父夫妻が帰られたが、妻と私は夕方まで残る事にした ほとんどの親戚が前日に帰っていて、あまりバタバタ帰ると、 94歳の祖母が寂しがるかもしれないと思ったのだ。 遅めの昼食にはちょっと油気のある物が食べたかった。 仕出しの弁当やお寿司など冷たい物が続き、朝も残り物を食べていた。 前日にたくさん炊いたご飯が手付かずで残っている、と義母が言っていたので、 私がチャーハンを作る事にした。 「ハムか何か無い?」と義母に聞くと、 「これはダメ?」とソーセージを出してきたが魚肉ソーセージだった。 他には冷凍庫に鶏肉やステーキ肉があると言う。 そこでサーロインステーキ用の牛肉を2枚解凍して使った。 他に使いたかった卵や野菜は全部あった。 大きい中華鍋を借りたが、祖母、義父母、義兄夫妻(姪と甥は学校)、私達の7人。 材料を半分に分けて4人分ほどずつ作った。 牛肉を小さく切り、脂身をまず炒めて脂を出してから肉を炒めて塩・コショウして取り出す。 サラダ油でニンニクを炒めて香りが出たら玉ねぎを加えて炒める。 卵を加えて軽く混ぜたらご飯を入れ、塩・コショウをしてひたすら混ぜる。 火力が弱いし量が多いので、中火でご飯がパラパラになるまで炒めた。 肉を戻して最期に醤油で調味して「牛肉ニンニクチャーハン」の出来上がり。 2回目に作った方が味が濃くなった。 調味料を加えるのを任せていた妻が、醤油をドボッと入れてしまったのだ。 祖母も美味しいと言ってくれ、義父母はお代わりをして1回目と2回目の両方を食べてくれた。 義兄夫妻には作り方を細かく聞かれた。 私も少しは役に立つ所を見せて帰ってこれたと思う。 明日がいい日になりますように。 |
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日曜日は妻の実家へ行ったが、 その前に金曜日に入院した祖父を見舞いに病院へ。 95歳の祖父は、最近になって認知症が進んで固形物を食べようとしなくなり、 このままでは栄誉失調になるので入院させたのだという。 一ヶ月前には妻や私の事をちゃんとわかっていたのに、 この日は孫である妻の事さえ「わからん」と言い、無表情のままだった。 10分ほどで「寝る」と言い出して面会終了。 義父が病院まで迎えに来てくれた。 隣に住む義兄一家が顔を出した。 義兄とビールを飲んで世間話をしていたら、 小学生の甥っ子が、そばに来て突然私の髪に指を突っ込み、 「○○ちゃんの髪の毛ふわふわ」と言った。 半年以上髪を切っていないし、クセ毛が雨の湿気て膨らんでいた。 私は思わずドキッとして義兄を見た。 私より若い義兄だが、髪が少し寂しくなってきている。 しかし、気にも留めていないようなのでホッとした。 やんちゃな甥っ子が、私を「ちゃん」づけで呼ぶようになったのは数ヶ月前からだ。 やはり妻の実家へ行っていた時、すっかり寝込んでしまった私を、 「○○ちゃん、起きなさい」と甥っ子が妻の真似をして起こそうとした。 そしてそれがすっかり気に入ったようなのだ。 夕方になって帰ろうとしたら、 中学生の姪っ子までが「○○ちゃん」と私を呼ぶので、 妻は「なんで私は『△△おばちゃん』なの!」と文句を言い出した。 姪っ子はあわてて『△△お姉ちゃん』と言い直したが、 義姉と一緒に駅まで送ってくれた時、 『△△おばちゃん、バイバイ』と言っていた。 明日がいい日になりますように。 |
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妻が昨日は給与計算の残業で帰宅が遅くなると言っていた。 しかも寝坊したらしく、夕飯用のご飯を炊飯器に仕込んでいなかった。 何時に帰ってくるのかわからなかったので、 私も夕食の準備はせず、外食にしようと思っていた。 10時半頃に「これから帰る」と電話があり、 何が食べたいかを聞いたら「ビールが飲みたい」の一言。 時間が時間なので、近所の居酒屋へ行くことにした。 しかし「呉朝明」も満席。 だが、どこへ行こうかと相談している内に3人連れが帰ったので店に入れた。 生ビール、焼きワンタン、きびなごの唐揚げ、タコキムチをオーダー。 <焼きワンタン2人前(以前撮った写真)> 飲み食いしながら妻と色々な話をした。 今度の日曜日に尋ねる妻の実家の様子、 結婚3年目なのに最近飲み会に旦那を連れてこなくなった妻の友人(離婚か?)の話、 来月エリック・クラプトンのコンサートを見に大阪へ行く時にどこで何を食べるか、 宝くじが当ったら何に使うか、等々。 ふと思ったのは、普段こんなに妻と話をしていないという事だ。 テレビを見ながら夕食を食べ(しかも私は夕刊を読みながらの事も多い)、 しばらくすると妻はリビングの床で寝始めてしまう。 朝は私が寝ている間に妻は仕事に出かけるので、話をしている時間は無い。 一時間ほど飲んで家へ帰り、すぐに妻は寝てしまったが、久しぶりにゆっくり話をしたと思った。 昨日も妻は会社のパートのおばさんからおかずを貰って来た。 そして「呉朝明」で飲んでいる時に、 「ウチは家計が苦しいと思われているらしいの」と笑って言った。 しかし私は笑えなかった。 私は今、知人の仕事を手伝っているもののまともな収入は無く、 2年前にリストラで辞めた会社の退職金を10年分割で貰っているのが主な収入である。 (信託銀行が運用するので、一括で貰うよりも金額が3割多くなる) 妻の稼ぎが無ければ毎月赤字で、わずかな老後資金がどんどん減ってしまう。 我が家の資産管理は私の担当で、妻はお金には無頓着だ。 結婚した当初、私は独身時代に遊び倒した借金が500万円もあったが、 その時でさえ私の収入がいくらあるのか妻は聞かなかった。 妻の家族からの持参金や、妻も働いてくれたおかげで私の借金を返済し、 ある程度貯えが出来た時に、私の年収を話したら、 「へぇ〜、そんなにあったんだ」と言ったぐらいである。 「結構ぎりぎりの生活で、お前の収入が無いとやって行けない」 と昨日飲みながら正直に言ったら、 「火の車?」と聞くので 「火の車」と答えた。 すると妻は、「じゃぁ、頑張って働く」と明るく言ってくれた。 普通なら「あなたがちゃんと稼いでくれなきゃ」となるはずだと思うが、 何とも大らかないい女性を嫁を貰ったものだと嬉しくなった。 しかし、常々「離婚したら財産の半分とあなたの借金返済分は私の物よ」と脅されてもいる。 今日がいい日になりますように。 |
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この間の日曜日、妻の実家へ行った。 妻の曽祖父(ひいおじいちゃん)の50回忌の法事があったのだ。 私は土曜日の夜は外出していて、帰ってきたのは夜中の3時半だった。 すぐに寝ればいいのに、つい焼酎を飲みながらブログを開いてしまって………。 結局一睡もしないまま、シャワーを浴びて妻と出かけた。 さすがに電車と駅からの車(義父が迎えに来てくれて、妻が運転)の中では気を失った。 叔父や叔母達が夫婦で集まり、12時から法事が始まった。 妻のところは浄土真宗だが、仏教の作法は今ひとつわからない。 私の方の親族の宗教が神道だからだが、 プロテスタント系の私立小学校に入学した私は聖歌隊で賛美歌を歌っていた。 宗教の違いで戦争が起こる事など信じられない、日本の大らかさだ。 長時間正座をしたのは久しぶりだった。 最近ではお葬式も家ではなくて葬祭殿で行う事が多くなり、椅子に座っていられる。 たぶん、私の母方の祖父のお葬式が最後の正座だったように思う。 私はまだ20代だったので、30年近く昔の事になる。 住職は説法があまり上手ではなかった。 話が何度も戻ってその度に同じ事を言う。 説法の前に「足を崩してくださって構いません」と住職は言ったが、 みんな正座のままだった。(小学生の甥っ子は初めから正座拒否) 「『最後に少しだけお話を…』と言ったのになかなか終わらないんだから…」 とこぼした義兄は、シャツの胸が汗びっしょりになっていた。 脂汗を流しながらずっと足の痛みを我慢していたのだ。 叔父のひとりは、一時間経っても「足が捻挫したみたいな感じだ」と言っていた。 私は大丈夫だった。 それというのも、始まって10分で我慢出来なくなって足を崩してしまったからだ。 その後も、正座をして辛くなったら足を崩す事を繰り返していた。 私は根性なしである。 義兄は長男なので、外様の私のようには振舞えなかったのだろう。 しかし、兄嫁(B型)は足を崩しただけでなく、つい居眠りもしてしまったらしい。 法事の後の食事は、家の広間では行わずに外に出かける事になっていた。 家でやると祖父母の様子をみんなが気にするし、祖父母も落ち着かないだろうと考えたらしい。 妻と兄嫁と甥っ子が家に残って祖父母の面倒をみた。 食事は私達が食べに行く宴会場に出前を頼んでいて、 迎えに来たマイクロバスが運んできていた。 マイクロバスの車体に書いてある施設名には見覚えがあった。 バスに乗ると、義兄が「懐かしいでしょう」と言った。 向かっていたのは、私たち夫婦の結婚式と披露宴を行った総合結婚式場だった。 13年ぶりにまた来るとは考えもしなかった。 叔母さん達もあれ以来だと言っていた。 「この辺にはこういう場所が無くて、クラス会でも何でもここなんです」 と義兄が教えてくれた。 住職を囲んで宴が始まった。 料理は品数が多くて趣向も凝らしているのだが、 天ぷらは冷たく、不味いわけではないが美味しくも無い。 まぁ、そんなもんだろう。 発泡酒ではないビールをいやほど飲まされた。 60歳前で大柄な住職は雄弁だった。 どんな話題にも突っ込んできてイニシアチブを取ろうとする。 かなり苦手なタイプである。 しかし、ふと思った事があり、 本音を隠して住職の話に少しばかり大きく反応するように努めた。 福岡へ移り住んだ以上、この住職との付き合いは長くなる。 なにせ妻の実家には、祖父、祖母、義父、義母と先立つ人が揃っているのだ。 今日がいい日になりますように。
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