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新年1/2に、いわき市の白水阿弥陀堂境内で撮影した地蔵菩薩です。
たまたま三ヶ日無料参拝ということで入った境内で、なぜか心惹かれた菩薩様。 純粋直感で写したものですが、昨日、心惹かれた理由が解りました。 1/5〜10、福島市のコラッセふくしまで「金澤翔子書展」が開催されています。
金澤さんは、NHK「平清盛」の題字を書いたことでも知られる天才書家です。 昨日、夫を誘って一緒にコラッセへ行ってきました。 実は前夜、200枚の年賀状「書き初め」をなんとか終えてホッとしながら、昨年末に
槌田先生から送って頂いた本「原発事故後の日本を生きるということ」を読んでいました。
槌田劭さんも、対談者の小出裕章さんも、高齢の人は「福島産」の物を食べていこうよと提案されている先生方です。 その対談の中で、槌田さんが「放射能の危険に人は怯えます。それが現実です。 誰もわが子が不自由な体で生まれてくることを望まない」と言い、小出さんが「もちろん望みません」と応えています。
えぇ〜???と、私はなんだかモヤモヤした気持ちで夫の顔を見ました。 「槌田さんも小出さんも、障害が怖いというのは間違いだが、障害や病気の原因となる放射能を撒き散らすシステムは止めなくてはいけないと言っている・・・でも、
やっぱり怖いのかなと私は思う。人間だから、頭では間違いと理解していても・・・。
人生に起きる様々な試練は、人間の小さな分別智を超えた領域から『授かる』
宿題だということを受け入れることなしに、本当の意味で恐怖を超えることはできないと思う。人間がコントロールできない領域への畏れ・・・感じることありますか?」と夫に聞いてみました。
「う〜ん・・・。人間の判断で人生(世界)をコントロールできると思っている限り、どこまでもどこまでも悪しきものを排除していくだろうね。「逃げさえすれば」「食べなければ」「あいつさえいなければ」人生幸せ・・・みたいな。長年、障がい者解放とか、連帯とか言ってきても、心の奥で本当に全肯定してきたのかどうか?原発や放射能を語る時に、自分自身が問われているなと感じる時がある。
障がいはできるなら無い方が良いと言うのは、人間の傲慢だと感じるし、その命を現に生きている方々に無礼だと思う。それを文字化して出版するのは、ひとつの暴力ではないだろうか?」と夫。
ということで、前置きが長くなりましたが(笑)
昨日、偶然テレビで紹介されていたダウン症の天才書家・金澤翔子さんの書展へ行ってまいりました。 とても素晴らしい内容でしたので、ご報告します! 会場内では、金澤さん母娘が出演したテレビ番組(NHK&金スマ)のビデオ上映もあり、皆さん熱心に見入っていました。
黒墨のハライ(祓い)は、まるで耳なし芳一の体に記されたお経のように・・・。
金澤翔子さんの無心の境地に降りてくる書は、魂鎮めと魂振りなのだと感じました。 翔子さんは、母親の泰子さんが3回の流産の後に授かった大切な命でした。
帝王切開で生まれた時、主治医は父親の裕さんを呼んで「娘さんはダウン症の 赤ちゃんで、敗血症の治療が必要だが、延命しますか?」と聞いたそうです。
クリスチャンの裕さんは「僕は神の挑戦を受ける」と決意し、迷うことなく自分の血を娘に輸血するよう頼んだそうです。 一方、母親の泰子さんは、なかなか娘を受け入れることができず、命を絶つことも 考えたといいます。
しかし、「娘は誇り」と言う夫に支えられ、奇跡を願って神仏に祈る日々。 その頃、翔子さんを抱いて、毎日のように地蔵菩薩に祈っていたのだそうです。 人生をいつも「勝ち組」として生きてきた泰子さんは、これまでの自分自身を顧みる中で、「この試練は私に何かを教えるために起きているのでは・・・」と感じるようになったそうです。
そして、書家でもあった泰子さんは、5才の翔子さんに書道を教えます。 翔子さんは、母を喜ばせるために書道に集中しました。 14才の時、父親の裕さんが心不全で天国に召されましたが、母娘はさらに強く支えあいながら生きてきました。 2011年12月、奈良の東大寺で開催された翔子さんの個展に、泰子さんが一文を
寄せています。
「念願叶って大仏様の前での席上揮毫。しかし大仏様はかつて平家一族の焼き打ちに会い、体にはまだその時の傷跡が生々しく残っている。・・・私はとっさに『翔子に謝らせます』と言ってしまった・・・ まるで天から降ってきたように私の口から発してしまった。 これを言霊と言うのでしょうか。
翔子は、清盛像の写真を傍らにおいて、祈りながら、まるで清盛公が翔子に乗り移った様に憑かれて「平清盛」を書いた。
その翔子が、かつて平家一族に焼き打ちを受けた大仏様の前で今、書を揮毫する・・・歴史という事も、敵や味方という概念もない、興亡、栄枯盛衰もなにも解らない無心の翔子の魂に、平家一族の長・清盛の魂がおりてきて、謝罪したかったのかもしれない・・・」
泰子さんと夫の裕さんは、能を学ぶ中で知り合い結婚したのだそうです。
なにか、深い縁(えにし)があったのでしょうね。 翔子さんは、幼い頃から「勝負」や「優劣」の二元の世界を超えたところで生きていました。 運動会のかけっこでは、転んだクラスメートを追い抜かず、手をさしのべて・・・いつも自分は最後を走ります。 その翔子さんは、今、書道教室の先生として、自閉症の子どもさんを見事なコミュニケーションで指導されているのだそうです。 コラッセふくしまの書展は、本日1/10(木)の午後3時まで開催しています。
夫が、翔子さんを紹介するビデオの前で号泣しました・・・。 「私は、お母さんが大好きだから、お母さんのところに生まれました」と翔子さん。 皆さん、ハンカチを忘れずに持参してくださいね(笑) |
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障害とは障害をもっていない人が作り出した偏見なのかなと思います。しかし、障害というものに対しての免疫のようなものがない人は、偏見のみたいなものを感じてしまっても仕方ないのかなとも思います。
障害をもっている人や免疫のようなものがない人などを含めた包括的な環境作りをしていく必要があるのかなと思います。
近年、障害をもっている人が頻繁にテレビに出ているところを目にします。障害をもっている人からのアプローチを我々がどう受け取るか。
そして、我々からどうアプローチをしていくか。
焦る必要はないと思います。
しかし、考え続ける努力を積み重ねることが必要だと思います。
2013/1/11(金) 午前 0:03 [ crow ]
Sくん
いつもありがとうございます。
今から30年前、私もSくんと同じ青春時代の真ん中で、試行錯誤していました。
大学で観念的な議論に明け暮れる日々の中で、青白い自分の手が急に恥ずかしくなり、成人式には出席しないで援農の旅に出たり・・・。
今は、手のひらが豆だらけですけどね(笑)
その頃、同い年の女の子が障がい者施設を出て、市内で自活を始めたため、彼女と交流しながら介助の仕方も教えていただきました。
今、年老いて障がいと共に生きる両親の介護をしながら、その当時を思い出しています。
若い頃は、なんだかんだ言っても「障がいは他人事」だったように思います。でも、そのように生まれようと、生まれまいと、人間は誰もが年をとり、体も心も「不自由」になって、死を迎える・・・ということが、今は実体験として理解できます。
「福島で生きる」とは、今まで目を背けてきた人間と世界の本質に、光をあてていくことなのかもしれません。
目の前に起きていることの「本質」を見ていきたいものです。
今年もよろしくね!
2013/1/11(金) 午前 11:57 [ 未来塾すばる ]