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阪神大震災から、昨日で19年・・・。
6434人が犠牲になった震災を語り継ぐ一日です。 最長20年の契約で自治体が民間から借り上げた復興住宅も、契約期限が 迫り、転居を迫られる高齢者から不安や反発の声も出ているそうです。
南海トラフ巨大地震の対策も急がれます。 一方こちらは、東日本大震災で、津波と原発事故に見舞われた、いわき市。
今年1/3に撮影した、薄磯地区の豊間中学校です。 中学校周辺の宅地も、津波で流されたままの状態です。
もうすぐ震災から3年なのですが・・・。
未だに、校庭には大量の瓦礫が山積みされて、その埋め立て作業が行われています。 校庭が「瓦礫仮置き場」となっているため、生徒は現在、豊間小学校に間借りして授業を受けているそうです。 中学校の新校舎は、2016年完成をめざして、小学校の西側に建設が計画されています。 昨年の記事と写真は、以下。 現在、山側のエリアで、災害公営団地「薄磯団地」の造成工事が進行中です。
震災がれき処理の進捗率は、昨年11月末時点で、岩手県は90%。
96%の宮城県では、まもなく可燃物の焼却が完了し、焼却灰埋め立ても含めた全作業を3月末まで終える予定だそうです。 一方、福島県の進捗率は、62%。 原発事故の影響で、仮置き場の確保が難航したため、大幅に遅れています。 宮城では、沿岸部に仮設焼却炉を29基設置して、一日最大約4650トンを焼却。
がれき分別施設も増やして処理をスピードアップしたそうです。 岩手は、可燃物の一部を東京都や大阪市などへ委託し、広域処理で対応してきました。(1/8付福島民友新聞より) 山本太郎議員が、ツイッターで「大阪の母親の体調不良は、岩手の瓦礫焼却のせい」とつぶやいたとか。
この論理でいくと、原発からの距離が岩手とほぼ同じ「東京」のゴミ焼却も問題なのでは?と、私は思いました。 山本議員流の「論理的思考」で未来を考察するならば、
直下型地震が来る前に、東京の子ども達も避難させた方が良いのではないでしょうか? 命が大事というならば・・・。ねえ、山本さん。 他人事ではなく、自分の事として想像できたら、もっと思慮深いツイッターになるのにね。 「自民党の歴代首相は、いずれ福島県民大量殺傷罪で刑事告発されるでしょう つつがなく新年をお迎えください」
首都圏の大学教授から届いた、手紙の一文です。 長年、原発や核燃に反対してきた団塊世代の有名な先生なのですが・・・。
内容の是非はともかく、「大量殺傷」という言葉を読む、私達の気持ちを 想像できないのでしょうか。
今も、原発で収束作業を行う作業員の6〜7割は、福島県民なのです。
被ばくせずに、あなた方の安全を守れる状況ですか? 心から、叫びたい気持ちです。 いつまでも他人事の「脱原発」を論じながら、
遠くから「憂えて」いるだけじゃなく、一度、福島に来ていただきたい! 1/11に、いわき市平のアリオス音楽ホールで、宮沢和樹さんの講演会が開催されました。岩手の作家・宮沢賢治の弟のお孫さんだそうです。
賢治の詩「雨ニモマケズ」の中に、
「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ」とあります。 和樹さんのお祖父さんは、常々「この『行ッテ』が大事だ」と話していたそうです。 1933年9月に、38歳で亡くなった賢治。
この年の3月3日には、マグニチュード8の昭和三陸地震が発生し、 大船渡市には、22メートルの津波が押し寄せたそうです。
昨年は、その年からちょうど80年の年回りでした。
賢治が生まれた1896年もまた、6月15日に、明治三陸大地震・津波が発生し、 2万7000人が犠牲になった年でした。
7月には、冷害。 そして8月31日には、陸羽大地震が・・・。 この地震の4日前に、賢治は生まれました。 生まれた時から、何かお役目を背負っていた方なのでしょうね。
うちの子ども達は、夜な夜な宮沢賢治の童話を聴いて大きくなりました。 リクエストが一番多かったのは、こちら「どんぐりと山猫」です。 東京と仙台から帰省した息子たちのお土産は・・・。
☆仙台からは「鐘崎」という会社の笹かまぼこ☆ 鐘です!そして・・・・・
私 「東京カンパネラ?」
息子「カンパネラはイタリア語で、鐘という意味だよ」 私 「カンパネラといえば・・・?」 息子「宮沢賢治の・・・・・」 夫 「『銀河鉄道の夜』のカンパネルラ!」 夫にまで、浸透していた宮沢賢治の童話力。
今年は、花巻に行けるかな。 ☆ 鐘を鳴らしながら、扉をひらく年になりそうですね。
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東日本震災関連
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宮沢賢治の童話は、幼いころから何度も読んでいましたが、震災を体験してから読むと、かなり物語の深いところに入っていく自分を感じていました。
童話「銀河鉄道の夜」の中では、川で溺れた友達を助けて亡くなったカムパネルラが、天国に向かう汽車に乗って、ジョバンニと旅をしますね。
「グスコーブドリの伝記」も、主人公が人々のために自分の命を捧げて亡くなる、そんなラストでした。
本当の幸いとは何でしょう?と、
賢治に問いかけられているような気がします。
2014/1/19(日) 午後 4:36 [ ハル ]
東北人は、昔から、死と隣り合わせの生活を強いられてきたんですよね。ですから、賢治の作品には、常に「メメント・モリ」があると思います。
福島市で、宮沢賢治の研究をされている西山泰男先生をご存知でしょうか?先生いわく・・・
「東北は稲作自体が不作、凶作を繰り返し、飢餓がつきまとっていた・・・財政的不安定さはもとより、画一的税制がそれに輪をかけ、
農民は飢餓線上における単なる動物的存在というミゼラブルな悲劇が続いていた」と。
3年に一度は不作、7年に一度は凶作、17年ごとに大凶作。
1833年の天明の飢饉では、6万人が餓死したそうです。
何度も何度も、苦難をのりこえて来た生命力と智慧が、私達のDNAに刻まれていると思います。
2014/1/20(月) 午前 10:42 [ 未来塾すばる ]
こんばんは。初のコメントします。
ちぎり絵のルーノです。
私自身も昨年沖縄に行くまでは基地問題は他人事でした…。
やはりそこの場所へ行かないとわからないことがあります。
私は賢治さんはワンネスの心を持っていたと思います。
「ぼくはきっとできると思う。なぜならぼくらがそれをいま考えているのだから」
2014/1/28(火) 午後 10:05 [ yuu*uu1*25*2* ]
>ルーノさん
先日はありがとうございました。
☆なぜならぼくらがそれをいま考えているのだから・・・☆
ワンネスの賢治さん。
私たちも連なりたいですね。
原発や放射能の問題をきっかけにして、今まで目を背けてきたことを深く考えるようになった私たちです。
「福島を救おうと思ってやって来たのに、一番救いを求めていたのは自分だということに気づいた」とは知人の弁。
福島に向き合うことは、自分の中の無意識と向き合うことでもあります。大潮の時に結集して、その激流の中で脱皮を果たすカニさんのように、この時代を選んで生まれてきた私たちです。
小さな殻を破って行きましょう!
2014/1/28(火) 午後 11:05 [ 未来塾すばる ]