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1/14に会津若松市で、大沼高校演劇部の「シュレ猫」と「よろずやマリー」を観劇した後、松井洋子さんの本「癒しのワークショップ」を27年ぶりに読んだことは書きました。
松井洋子さんは演出家・竹内敏晴さんのお弟子さんです。 私は18歳の時に、竹内敏晴さんの著書「ことばがひらかれるとき」と出会い、その後の進路を決めましたので、竹内さんは「卒啄の機」に、殻の外からトントンと時を知らせてくれた恩人です。 小さな固い殻を破って、いわきの「母港」から旅立った40年前を懐かしく思い起こしました。
それからは、嵐の航海の連続です・・・(笑) 1/22に、飯舘校演劇部のサテライト仮想劇を観た後、偶然うちの書庫で目が合った「日本霊性論」という本を再読していました。偶然・・・です。 「東日本大震災を契機として浮上したのは、日本人の霊的成熟についての問題である」という内田樹さんの問題提起に、福島の現場で、大きく肯く6年目・・・・・。
164ページまで読み進めた時、あ〜っ!と絶句しました! なんと、内田樹さんが、竹内敏晴さんのワークを紹介していました。 なんというシンクロでしょう。いつものことですが(笑) 以下、少しだけ転載させて頂きます。
「竹内敏晴さんはコミュニケーションと身体技法の専門家ですが、竹内さんが行うエクササイズのなかに、何人か立ってもらって、その背中に向かって「こんにちは」と呼びかけるものがあります。 そうすると呼びかけられた人は『わかる』んだそうです。背中に矢が立つようにメッセージが当たるのがわかる。 そのような身体に届くメッセージと届かないメッセージがある。・・・あなたは存在するという承認の合図・・・それは、君に用があると告げている。・・・人間は、自分が存在することについて十全な確信を持つことができずにいます。
自分がいるのかいないのか、いてよいのかいけないのか、いるべきなのかそうではないのか・・・「私はあなたに用がある」と言われると僕たちは強く動かされる」
内田樹先生は、フランス現代思想を大学で教える学者さんですが、一方で合気道を極める武道家でもあります。
それにしても「演出家・竹内敏晴」というキーワードを、立て続けに目にするというのは、「今、書きなさい」ということでしょうか・・・。 聖書のヨブ記や、仏教学者・鈴木大拙の「日本的霊性」を紐解きながら、「合図が降りてくる時代」に感受できるセンサーを覚醒するプロセスと、歩哨のミッションについて語り合った2賢人の講義本・・・
こちらは次回ご紹介します。 さて、飯舘校演劇部のサテライト仮想劇に話を戻します。
そうなんです。 この劇中に、竹内敏晴さんの声のエクササイズを想起させる場面がありました。 生徒会長のサトルは、不登校を克服して頑張っている優等生。 ずっと感情を心の奥に閉じ込めて、「ぶつかれない身体」のまま生きてきました。 一方、吉田沙保里選手似のハルカは、声だけは大きいです。 声が大きいことと、伝わるということは、違うけれど・・・。
ハルカ「ばかやろうって、行ってみな!」 サトル「ばかやろう・・・・・」(声がでない) ハルカ「二人だけなんだから、もっと大きな声で言ってみな!」 サトル「ばかやろう〜!」 そして・・・
サテライトの片隅でひっそりと生きてきた「影」のような存在「ユキ」 彼女が、たどたどしい笛の音で唱歌「ふるさと」を練習している姿を「許せない」ハルカ。 ユキは、ハルカの「影」です。 ハルカは、その「自分の影」を、罵倒します。 ハルカ「やめろよ、そんな曲!何がふるさとだよ!」
ハルカもまた、「できる、できない」という学校評価の囚れ人であり、おそらくずっと以前から自分自身に、ダメ出しのプレッシャーを与え、「弱さ」を鞭打ってきたのかもしれません。 ユキ「『ふるさと』に聞こえなくても、これが私の『ふるさと』。この学校は私の『ふるさと』だよ」 この脚本を演じている子ども達は、自身が正真正銘の「ハルカ」であり「サトル」であり「ユキ」です。
中学時代「オール5」だった優等生が、単に演技として「おちこぼれ生徒」を真似していたら、これほどの臨場感を観客に伝えることはできないだろうと思います。 その魂の叫びのような「声」が、観客の心を掴んでいます。 飯舘校サテライトの「プレハブ校舎」は、「仮校舎」という名前通りの
「仮の空間」です。
いつかは無くなる、仮の舞台(無常)です。 まさに、人生そのもの・・・アングラの舞台(テント)じゃありませんか。 夏は暑く、冬は寒い。 歩くとミシミシと、「優しい音」(ハルカの言葉)がします。 劇中に何度も入る小さな音響・・・「ガラガラガラ」・・・。 プレハブ教室の扉を開け閉めする音です。 この「扉」は、外界と内界の「境」を表しているようです。
内側の世界は、子ども達にとっては「温かい心安まる」お母さんの子宮のような居場所なのかもしれません。 生きていても大丈夫・・・と実感できる「ホーム」です。 「イクミ先生」を演じた高橋さんの、大地の母を想わせるグランディングがすばらしい! ☆劇終了後に、部員の挨拶がありました。
一方、扉から一歩外に出れば、油断できない「危険地帯」・・・闘いが始まります。
「オマエなんか、価値のない人間だ」と、内なる声がささやき始めます。 身体は、ピリピリとした緊張で縮こまり、「自分の声」を失っていきます。 でも、時が満ちた、ある日・・・傷口が疼いて開き始めるのです。 ピリピリと古い皮膚が破れるようにひらいて、成熟した新しい身体が、殻の中から現れるのです。 「脱皮」というのは、昆虫や爬虫類だけのプロセスではありません。
人間にも、あるのです(笑) 内田樹さんが、前出の本の中にこう書いています。 「人間が人間になる瞬間を表現するのが、演劇や舞踏の原初だ」と。 うちら「人形」でも「芋虫」でもないよ・・・と。 そして、コラボした釈徹宗先生が、仏教学者・鈴木大拙の言葉を紹介しています。 「一周回って、あるがまま」 そういえば、劇中で、ハルカやサトルが舞台をぐるぐると歩き回るのです。
何か象徴的ですね。 サテライトという仮の居場所で、みごとに脱皮した子ども達が、空に向かって飛翔する時が迫っています。「同じ」だけれど、一周前とは「違う」存在となって。 棄てられたんじゃないよ。 君たちは、脱皮したんだ。 今は、美しい羽をもっている「新しい身体のわたし」となって。 劇が終わると、部員が劇場の出口に並びます。
私は、感動と感謝の気持ちでいっぱいとなり、一人ひとりの子どもさんと 握手させて頂きました。 部員さん達は、人混みに紛れたら見失ってしまうような目立たない雰囲気の子どもさん達です。 そんな子どもさんが、舞台にたつと「代役が一人もいない自分だけのポジション」を、心を込めて一生懸命演じています。 熱を秘めた、温かい「手」でした。 最後に、応援の3年生(音響係)の男子生徒さんに声をかけました。 「今年8月の全国大会(仙台)、応援してるよ!」と握手しました。 暗く寒い舞台裏で、後輩たちを支えるべく、完璧な仕事を成し遂げた先輩の冷たい手を温めながら、私はまた泣いてしまいました。皆さん、ありがとうございました。 |
福島の高校演劇
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