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大型台風の上陸、そして地震。
夢であってほしい・・・。 現地では、今日も懸命の捜索・復旧作業が続いています。 亡くなられた方々、そして御家族の皆様に心からお悔やみ申し上げます。 福島から、札幌や大阪に避難して被災された方々もたくさんおられます。
「大丈夫ですか?」と声をかけ合うことで、自分の心も落ち着いてきます。 大変な状況だと思いますが、被災直後の混乱期を、なんとか乗りきってくださいね。 今、オーストラリアのベリーズさんから、メールが届きました。
大阪のお友達は、今もテレビ・ネット・固定電話が使えないそうです。 台風被害で、今も停電しているのですね。 心からお見舞い申し上げます。 9月4日、家の書棚のガラス戸が「カタカタ、カタカタ」と何回も音を立てていました。低周波地震というのでしょうか?
プレート境界でスロースリップしている可能性もあるため、4日の夜、神奈川で病院勤務の息子にメールしていました。 地震が来るかもしれないので、病院の予備電源を確認するように・・・と。
9月5日の早朝、茨城県沖が震源の地震(日立市・震度4)がありました。 そして、9月6日。 早朝3時すぎに、北海道で震度7の地震が・・・。 昨年、「札幌地震の夢」をブログに記録した時に、その記事をオーストラリアのベリーズさんが読んでくださり、北海道のお友達にメールでお知らせしたそうです。 夢を見た後、札幌市のホームページを検索してみると「震度7」の地震を想定した内容がありました。 「札幌で?」と、とてもビックリしたことを覚えています。 また、夢が現実になってしまいました。 ブログ記事「夢の不思議」から
https://blogs.yahoo.co.jp/fukushima_apple/folder/532552.html 東京近辺、静岡県沼津や伊豆周辺、名古屋〜高知の南海トラフエリアにお住まいの皆さんは、今までの教訓を心に留めながら行動されるよう、お願いいたします。
☆「人と防災未来センター」(神戸市)のパネル展示です。
それにしても地震予知の何と難しいことか。
2011年東日本大震災の前の2008年に、「岩手・宮城内陸地震」がありました。
この時は、栗駒地域などかなり広範囲で、山肌が露出する土砂崩れが発生しました。 これと似たような土砂崩れが、今回の北海道地震でも発生しました。 あと数年は、大きな地震に警戒したほうがよさそうです。
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27日夜のNHK番組「プロフェッショナル」で、世界屈指の昆虫写真家が首を傾げていました。
「今年は、何かおかしい。虫が静かで、春の息吹を感じられない」と・・・。 私は6月に、ラフランスの畑で、隈笹の花を生まれて初めて見ました。 そして、この夏の異常な暑さ・・・。 1924年、1994年、2010年も、記録的な猛暑だったそうです。 1923年は、関東大震災。1995年は、阪神・淡路大震災。そして、2011年は、東日本大震災。 猛暑の前後は、大地震を警戒する必要があると思っています。 クマザサの花
立命館大環太平洋文明研究センターの高橋学教授が、2020年までに南海トラフ地震が起きると警鐘を鳴らしています。災害リスクマネージメントが専門の先生です。
以下、一読をされて、早急に備えていただければと思います。 「大阪北部地震は、南海トラフ前兆の可能性」 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56187
さて、福島市の「サンチャイルド」事件が、海外メディアでも話題になっていますね。
本日8月29日付の全国紙にも、サン・チャイルド撤去の記事が掲載されました。 これはもう「事件」ですね。 モニュメント設置と撤去の費用が、250万円以上・・・とのこと。 合意形成なしに独断設置した木幡市長の市民軽視や、利権重視の本質が、このような税金の無駄遣いを招いたと思います。
この像が設置されると、様々な批判と議論が起こりました。 英国BBCが 「福島市がJR福島駅付近に設置した防護服姿の少年像に、住民らが怒りの反応を示している。2011年に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故以来、同市が未だに放射能に汚染されたままだとの印象を与えるとの声もある」と報じ、同国のガーディアンやデイリー・メール、シンガポールのストレイツ・タイムズや香港のSCMP、中国新華社通信などの海外メディアまでもが報道する事態となっています 批判に対し、像を受け入れた福島市の木幡浩市長は「空を見上げ立ち上がる姿に、力強さと希望を感じる。風評への影響は限定的だ」とコメントしていましたが、ついに28日、サン・チャイルド撤去の記者会見を行いました。 今朝、新聞記事を読みながら、私は震災直後の様々な心理的葛藤を思い出していました。 同じ「福島県民」とはいえ、それぞれの被災状況によって、その葛藤の質は違っていたと思います。 たとえば、2013年に放送されたNHKの朝ドラ「あまちゃん」。 皆さんは、観ることができましたか? 「元気をもらった」という人がいる一方で、うちの夫は「観たくない」と毎朝スイッチを切っていました。 実は、私も同じ気持ちでした。 放射能の風評と汚染の現実に打ちのめされていた私たちは、どうしてもあの賑やかなドラマを観ることができなかったのです。 サン・チャイルドの「防護服」も、当時の悲しい記憶を呼び起こしました。 中東支援で有名なNPO代表が、防護服を着て、うちの除染に参加したことがありました。 防護服を着たのは、彼一人でした・・・。 東京に帰った彼がブログにアップした内容は「フクシマで除染をした時、もうここにいたくないと思った」というもの。 プレゼントした梨は、食べないまま萎びたものを写して、「汚染された悲しいフクシマ」を象徴する梨として拡散されました。 その頃、依頼されて県外のイベントに送った梨が、実行委の反対で搬入を拒否される「事件」が起きました。 梨は、限りなく放射能ゼロに近い「不検出」の検査結果でした。 それでも、「福島産が安全という間違った認識を与える」と、福島から関西に避難した有識者が実行委を説得したと・・・。 その夜、私はひとり、台所の床に突っ伏して泣きました。 涙が止まらなかったです。 大きな力に抗えないまま産道に迷い込んだ赤ん坊のように、泣いた・・・。
今、思えば新しい「私」の誕生は、あそこから始まったと思います。 そんな痛いトラウマもあって、サン・チャイルドを見ると、「希望」よりも「痛み」を想起する私です。 そのような「想像」すらできない人々が、「善意」を福島に押しつけることも有る。
「フクシマ」を利用したり、名を挙げたい人々の思惑に乗じて金儲けをしようとする企業もある。 自治体の長が、そのことを見抜けなかったはずはないと私は思うのです。 福島西高等学校の美術部員が描いた黒板画
素晴らしいアートは「県外」にあるのではありません。
震災の痛みの中から、新たな「物語」や「アート」が創造されているキセキを、なぜ福島から発信しないのだろうかと思います。 そのようなビジョンと感性を、自治体のリーダーには持っていただきたいです。
南相馬市の精神科医、堀有伸さんが、なぜサン・チャイルドが福島で問題になっているのかを書いておられます。
堀さんは、1972年東京都生まれの精神科医。大学病院勤務を経て、2012年から福島県南相馬市で精神医療に携わり、現在、ほりメンタルクリニックの院長です。著書に『日本的ナルシシズムの罪』。 以下、堀さんの文章を、長文ですがご紹介します。 とても共感しました。 堀有伸「サン・チャイルドについて思うこと」 〜私は、福島県のまさに地元の人が、さまざまな葛藤を乗り越えて達成した心性を、内側から表現する優れた作品が、あちこちにたくさん現れて、 県内のさまざまな場所に展示される未来を望みたい〜(文中から) https://www.facebook.com/notes/%E5%A0%80-%E6%9C%89%E4%BC%B8/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E6%80%9D%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8/1819003848180894/ 今、自分の生き方や、お金の使い方を、考え直す時に来ていると感じます。
250万円のお金で、差し迫るメガ災害の被災者を受け入れる準備が少しでもできたはずです。 自然と密着する農業者の直感として、何かが近づいていると胸騒ぎがする昨今。 早急に、備えをしましょう! |
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夏の甲子園100回記念大会が終わりました。
103年ぶりの秋田勢決勝進出を果たした金足農業高校野球部。 準優勝、本当におめでとうございます。 5回裏に、大阪桐蔭高校が11点リード。 容赦ない加点に、耐えるしかない状況でした・・・。 でも、逃げるわけにはいかないのです。 人生には、このような局面が幾度となく訪れます。 40℃以上はあろうかというマウンド上で、大阪桐蔭のホームランを仰ぐ金農の吉田投手・・・。 連投の疲れがあったと思います。 6回裏、吉田くんに代わり、打川くんが今夏初登板しました。 4番主砲・打川くんの気迫の投球・・・8回裏は、みごと三者凡退でした! 金農のほとんどのメンバーは、高校入学後に硬式野球を始めた子どもたちだそうです。 この極限状態の踏ん張りが、必ず宝となる日がやってくる・・・ 私はそう信じています。 王者相手に、選手も応援団も最後まで立派に闘い抜きました。 すばらしい感動をありがとうございました。 仙台四郎
ユング心理学に「コンステレーション」という言葉があります。
例えば、無関係に並んでいるように見えた星々が、星座のつながりとして見えてくる・・・といった、「意味のある配置」を示す言葉です。 初めは「運が悪い」と思えたハプニングが、幸運の始まりだったり、偶然の出会いが、予期せぬつながりを引き寄せたり。 不運や障害に一喜一憂せず、その全体の配置(コンステレーション)が見えてくるまで、じっと「待つ」・・・。 そのような知恵が、人生に良い流れを生み出すことが多々あるようです。 今は、懐かしい思い出となりましたが、10年前、三男は学級崩壊のクラスに馴染むことができず、一年半不登校状態でした。死を想うこともあったようです。 光の見えないトンネルの中で、息を潜め、うずくまる日々・・・。 それでも春はやって来て、自動的に中学を「卒業」。 なんとか、甲子園常連校のS高校に入学することができました。 当初、不登校生は「通信課程」を勧められたのですが、なぜか「全日制」への合格通知を頂きました。 なにかの間違いだったのかもしれません。 今でも不思議です。 その頃から、不思議なシンクロが増え始めていました。 野球部に入った息子は、マネージャーという裏方の仕事に精進して、3年連続で甲子園大会へ。 一年と三年の夏に、ベスト8を二度経験させて頂きました。 先生方との出会い。クラスや野球部の仲間たちとの出会いが、息子を支えてくださったと思います。 しかし実は、それ以上の奇跡的な出来事が、裏舞台で次々と起きていました。 40年間、交流の無かった私の従姉妹の息子K君が、野球留学で同じS高校に進学していたことが判ったのも、偶然でした。 チームメイトのK君と息子は、同学年。 そしてなんと、クラスも一緒でした! 「コンステレーション」 出会いは、いつも必然なのかもしれませんね。 中学2年の夏休み明けから、息子は登校しませんでした。 今、悩んでいる子どもさんや親御さんがいたら、無理に登校しなくても大丈夫です。 10年前、不登校だった息子は、今、神奈川の総合病院で理学療法士の仕事をしています。 一緒に不登校だった同級生たちも、今は医者の仕事をしていたり、それぞれの道を元気に歩んでいます。 子どもも、親も、ゆっくりと疲れた心と身体を、まず休めてくださいね。 新しい道が、きっと見つかりますよ! 大丈夫。 不思議な糸の「つながり」で、世界は満ち満ちていますから。 |
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「県立高校だよ!」
「東北の農業高校だよ!」 「103年ぶりだよ!」 やった〜!秋田の金足農業高校、決勝進出、おめでとう! 1915年に開催された第一回甲子園大会の決勝は、東北代表の秋田中学と、京都代表の京都二中の対戦。
103年前は、1対2で、花道を譲った秋田中でした。 今年こそは、堂々と花道を歩かせて上げたいです! 8月18日の準々決勝、第1、2試合で勝った2チームが準決勝の組み合わせ抽選で第2試合を引き、必然的に金足農業高校(金農)が勝ち上がれば、第1試合となる展開で、今日を迎えました。
18日は、甲子園の神様?の「シナリオ」通りに、金農が近江を破って、準決勝進出! そして本日、第1試合の「レジェンド始球式」に登場したのが、桑田真澄さんです!
34年前の準決勝で、金足農と対戦したPL学園の2年生エースだった桑田さん。 当時、「金農」は初出場で快進撃を続け、優勝候補PLにも2―1とリード。 その「金農旋風」を止めたのが、八回裏に桑田さんが放った逆転2ランでした。 松井秀喜さんが始球式をした開幕試合のチームは、松井さんの母校の星稜。
今夏も不思議なシンクロが盛沢山の甲子園です。 優勝候補の横浜高校を破った試合では、逆転3ランが飛び出した「金農」。
そして、準々決勝の近江戦では、逆転サヨナラ2ランスクイズ。 私は、劇的な「2ランスクイズ」というものをテレビで初めて観ました。
感動しました・・・。 近江のバッテリーも「想定外」だったそうですが、なんと金農の監督も、ホームにヘッドスランディングした2人目を見てびっくりしたそうです(笑) 私たちだけでなく、監督も想定外の劇的逆転サヨナラ!
こんなスゴイ試合を観ることができて、「今まで生きてて良かった」とまで思いましたよ(笑)
ありがとう!金農ナイン。 そして、今日の準決勝。
金農の吉田投手が、日大三高打線をみごと抑え、全員野球で勝ちました〜。(2-1) いよいよ、明日は、夢の決勝です!
がんばれ、金農! 話題となっている「金農」校歌の作曲者は、岡野貞一さん。
唱歌「春よ来い」「故郷」「春の小川」「朧月夜」等を作曲した方です。 金足農業高校・校歌
可美しき郷 我が金足 霜しろく 土こそ凍れ
見よ草の芽に 日のめぐみ 農はこれ たぐひなき愛 日輪の たくひなき愛 おおげにや この愛 いざやいざや 共に承けて やがて来む 文化の黎明 この道に われら拓かむ われら われら われら拓かむ
(追記)
県立の、それも農業高校ということもあってか、まさか決勝まで行くとは誰も考えていなかったようで、その結果大阪での滞在費用が不足し、寄付を募っているそうです。
農業高校といえば、1931年(昭和6年)夏の甲子園球場で行われた第17回全国中等学校優勝野球大会に、台湾の嘉義農林学校が出場していました。
結果は準優勝でした。 3年前に『KANO 1931海の向こうの甲子園』という映画も日本で公開されています。
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今日は、73回目の終戦記念日です。
敗戦時、私の父は20才で、島根県の大社基地におりました。 同郷の先輩は、爆撃機銀河の特攻出撃で沖縄へ飛び立ち、帰らぬ人となりましたが、父は晩年まで、先輩の写真を大切に保管していました。 父と同い年の母は、いわき市の小学校の教員でした。 戦後、満州からの引き上げ家族が、常磐炭鉱の仕事に就き、その子ども達を学校で教えていました。 古い炭鉱長屋に、とても勉強のできる少女がいて、姉のように母を慕い、その方が伊達市に嫁いでからは、毎秋、美味しいりんごをいわきに送ってくださいました。当時は、木箱です。 籾殻に守られた赤いりんごが宝石のように輝いて見えました。 7月に放映されたNHKドラマで、漫画家の赤塚不二夫さんの半生を描いていましたが、赤塚さんも満州からの引き上げ者で、子供時代に様々な差別を体験したそうです。 2013年1月31日の当ブログにて「みろく世の岩戸ひらく音」で上記の炭鉱について書いています。 そして、こちらは、常磐炭鉱発祥の地「内郷」の回転やぐらです。 内郷駅前
13日、お墓参りの後、いわき市の内郷駅前広場に立ち寄ると、女子高生が、回転櫓の周辺でゴミ拾いをしていました。 いわき市の青少年ボランティアの皆さんでした。 高校生の皆さん、雨上がりの蒸し暑い中での奉仕活動、本当にお疲れ様でした。
そしてこちらは、元内郷支所長の夏井芳徳さんが出版された本です。 いわき明星大学客員教授でもある夏井さんが、今年2月に出版した「いわきの戊辰戦争」を、講演会に参加した親戚から譲ってもらいました。 夏井さんは「はじめに」の中で、こう述べています。 「戊辰戦争では、いわきの地も戦いの場となり、激しい戦いが行われました。・・・今、自分がしていることや世の中の動きを過去の歴史と比較し、良いところを伸ばしたり、悪いところを直したりすることを「歴史に学ぶ」というのです。「歴史を学ぶ」こと、そして「歴史に学ぶ」こと、この二つは両方とも、とても大切なことです。」
夏井さんの母校・磐城高校の生徒さん
いわき市平字長橋町の性源寺には、「戊辰役戦没者之碑」が建っているそうです。
その石碑には、戊辰戦争で亡くなった若者の名前や年齢が刻まれています。 福島の若者ではありません。 因州藩(鳥取)や芸州藩(広島)、伊勢藩や下総藩の10代や20代の若者が、磐城の地で亡くなっています。 「おわりに」の中で、夏井さんはこう述べています。
「戊辰戦争では、多くの若い人たちが命を失ったのです。いい方を替えれば、戊辰戦争は多くの若い人たちから、未来や夢を奪い取ってしまったのです。戊辰戦争という歴史から学び取らなくてはならないことはたくさんあります。
しかし、それらのなかで、私たちが一番しっかりと学び取らなくてはならないこと、それは戦争をしてはいけないということだと思います。」 白水阿弥陀堂
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