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鶴ケ城から、この日一番の目的地「諏方神社」へ。
観光マップにも載っていないため、案内所の女性に目印などを教えてもらい 車で向かいました。途中、晴れていた天気が急変。 雪が降り始めました・・・。 まずは、2枚の写真をごらんください。 この2枚の写真は、ビフォー&アフターの証拠写真です(笑)
違いがわかりますか? 突然降り始めた雪の中、やっと辿り着いた諏方神社。
夫は、ちょっと後退りして、境内になかなか入れない様子でした。 雪に埋もれた境内全体に、何か重苦しい雰囲気があります。(1枚目の写真) この日の言霊は「ナ・オル」です。
直感ですが・・・。 心の中で繰り返し唱えながら、雪を踏みしめ拝殿へ。 雪に埋もれているのは、目に見えるものだけでは無いようです。 「大切な魂(スピリット)を忘れてはいませんか?」
「何を、復興するのですか?」 と、問われているように感じました。 御祭神は、建御名方命(タケミナカタノミコト)というお名前です。
拝殿の前で、深く深く陳謝しました。 そして、御祭神に感謝の思いを伝えました。 夫「木の上の方に、カラスがたくさんいるね。何か話をしているように鳴いている」
境内の片隅に、雪に埋もれた古い祠を見つけました。
稲荷でしょうか? 傍らの狐さんに「ごめんなさい」と謝りました。 そこに突然、西陽が・・・! 金色の光が境内に差し込んで、清々しい神気を放ち始めました。(2枚目の写真) この激変に、夫も私もビックリでした。 この諏方神社は、1293年、葦名盛宗が信州諏訪神社に戦勝祈願をしたところ、
戦わずして勝利したことから、 信州からご神体を迎え、城下に奉ったのが始まりだそうです。 信州諏訪は、出雲第二王朝ともいわれる土地です。 蒲生氏郷が、黒川を若松と改め、城下町を整備した際は、唯一郭内に残された
城下の総鎮守。
1667年、保科正之が藩主の時は、会津大鎮守六社の筆頭とされたほどの、神格でしたのに・・・。 出雲→会津→福島と、まつろわぬ者達の遠い記憶が、その時代の「縁」の舞台で再現されるかのような不思議な符合の数々・・・偶然とは思えない私です。 (ちなみに、福島稲荷神社には、出雲の大国主命とその息子、事代主命が祀られています)
二の鳥居には、今も会津戦争時の弾痕が残っています。
この神社内で、城内守備隊長の西郷寧太郎の妻「やほ子」と、一族の女性たち4名が自刃したそうです。 母の「なほ子」の外孫が、飯沼貞吉です(生き残った白虎隊士)。 野矢常方公の歌碑を捜しましたが、境内の雪が深くて見つかりませんでした。
雪解けのころに、再訪したいと思っています。 福島の自宅に戻ってから、諏方神社の祭礼などを調べてみました。
落城前は、「授光祭」という盛大な祭礼があったそうです。 6月1日から、2夜3日、普段は外で食べ物を食べてはならない武家の子ども達(什の掟)も、買い食いを許される特別な日だったそうです。
そいいえば、今年、福島で開催される東北六魂祭の日程も、6/1・2でしたね!
当時の諏方神社は、今とは比べものにならない広大な敷地をもち、総門を入ると随神門があり、左右に続く回廊が中央の拝殿や本社を囲んでいたそうです。 授光祭の夜には、境内に提灯や燈明が灯され、篝火も焚かれて昼間の様な明るさでした。 神輿や山車が賑やかに町に繰り出し、2000人以上の着飾った男女や子ども達が、歌ったり踊ったりしながら練り歩いたといいます。 会津戦争で神社が焼失した後は、途絶えて今日に至っています。 実は、ヘブライ語で「オル」は、「光」
「ナ・オル」は、「光を受ける」という意味なんです。 日本語の、「治る」「直る」にもつながる言霊です。 そして昨年、金澤翔子さんが、日新館で揮毫した書は、「光」でした。
インスピレーションが、光のように降り注ぐ、聖地・会津。 次回は、日新館と鶴ケ城で撮影した写真をアップしたいと思います。 鶴ケ城本丸に、なんと稲荷神社がありました! お楽しみに。 |
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2013年02月28日
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