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福島駅

最近、観光や援農で「福島を訪問したいです!」というお問い合せが増えています。
ありがとうございます!
とりあえず、私も乗ってみたいな〜と思っている、こちら☆
郡山〜会津を往復するオシャレなスイーツトレインあたりから、果樹王国・福島を
のぞいて見てくださいね。
「走るカフェ・フルーティアふくしま」号
http://www.jr-sendai.com/fruitea

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磐梯山とソバの花

さて、福島の民話「安寿と厨子王」の物語の中に、桃や梨などのエピソードが一つでもあればと思うのですが・・・まぁ、無いならば、創るしかないでしょう(笑)
「あんじゅ桃」とか・・・、天使の桃みたいなイメージがふくらんできました。
と、その時・・・・・
友人からNHK「ファミリーヒストリー」を見て!とメールが。
7/3のNHK「ファミリーヒストリー」には、スピードスケート金メダリストの清水宏保さんが登場し
ました。
金メダルを、小柄な日本人・清水宏保さんが手にするまでには、家族の苦難の歴史があったそうです。
父方母方のルーツは、どちらも裕福な家柄。
学業も優秀なご先祖様で、お祖父さんは北海道のエリート銀行員だったそうです。
しかし、ご両親共に、父親が早くに不在(病死等)となり、生活が困窮する中、母親の苦労を見ながら育ったため、進学を諦めた経緯がありました。
そして、清水選手のお母さんは、ご主人が病気で亡くなった後、肉体労働(土木作業)に従事しながら 清水選手の遠征費用を工面したそうです。
「母は、寒い日(北海道)でも弱音を吐かずに、仕事場に向かった」と、清水選手の
お姉さん。

苦難の中で鍛え上げられる心と身体のインナーマッスル・・・というものがあります。
それは、誰かがお膳立てした場所で、手とり足とり誰かのお世話になっている「満ち足りた」人生の中では、決して体得できないものです。
そのような「筋肉」が代々受け継がれて、ある時「花が実を結ぶ」ように、金メダルを授かる。
そのような大きな時の流れの中を、私達は生きているのでしょう。。

「実」を結ばない花が、至る所に咲き乱れる時代。
「花が実を結ぶ生き方」を、子ども達に語り継いでいきたいものです。

全国的には森鴎外の「山椒太夫」でおなじみの「安寿と厨子王」の物語。
まずは、郷土史から読み解く物語のあらすじを、「安寿と厨子王のお話ネットワーク」のホームページから一部転載させて頂きます。

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岩城判官・平政氏は平将門の子孫で、康保4年(967)に賊を討伐した恩賞として
奥州の津軽郡、岩城郡、信夫郡を賜つていわきに着任してきました。
政氏には2人の子があり、姉は家臣・村岡重頼の妻となり、弟の政道は父の後を
継ぎました。
この政道が、安寿と厨子王の父なのです。
岩城判官は、一代、二代と平和に暮らしていましたが、ある時、政道が、小山田での桜狩りの帰りに義兄である家臣・村岡重頼に殻されてしまいます。
安寿と厨子王の不幸はこのときから始まります。
政道が暗殺されてから、重頼が勢いを持ち、やがて安寿と厨子王は母と乳母、
下臣らと住吉城を追われて長い旅路に着くことになります。
まずたどり着いたのが、岩代国の信夫庄でした。
ここは安寿らの母の故郷で、今の福島市にあたります。
そして長和6年(1017)、朝廷の指示を願い岩城判官家の再興を計るために京都を 目指し、ますば越後の国へと向かいました。

森鴎外の小説「山椒太夫」はここから始まっています。
「山椒太夫」は江戸時代に流行した「説教」のひとつで、寛永16年(1639)に刊行された「五説教」の中の「さんせう太夫」を原点として書かれています。 

信夫庄を旅立ち20日あまりの苦しい旅路の末、ようやく直江津(新潟県)に到着しました。
しかし、安寿と厨子王たちはこの地で人買いに騙されてしまうのです…。
母と乳母は佐渡へ、安寿と厨子王は丹後の国(京都府北部)の山椒太夫へと売られてゆきました。
安寿は海で潮を汲み、厨子王は山で柴を刈り、奴隷として苦しい毎日を強いられます
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菊畑の下草刈り〜毎年、この作業で筋肉がつき、猛暑に敗けない身体ができる気がします。

物語の中に、2人を救う地蔵尊像の話が出てきます。
安寿と厨子王が山椒太夫の屋敷で仕置きを受け、やけどを負ったときのこと。
母から預かった家宝の地蔵尊像に祈りを捧げると、不思議や疲みは消えたそうです。
この話の由来を持つ地蔵尊像が、いわき市の住吉山通照院に保存されています。
寛仁4年(1020)、安寿は厨子王を諭して山椒太夫の屋敷を脱出させ、自らは入水
自殺を遂げます。
安寿16才。厨子王13才でした。
厨子王は追っ手を逃れ、橋立の延命寺に逃げ込みます。
そして親智和尚の計らいで京都に入り、閑院右大臣.藤原公季に匿われて文武両道に励みました。
平政隆と命名された厨子王は、3000余人の兵を引き連れて奥州を目指し、塩谷城(いわき市東田町)において村岡重頼を征伐し、長年の宿願を果たしました。

京都に帰つた政隆は、朝廷より丹後の国守に任命され、奴隷を解放し、人身の売買を禁し、善政に励みました。
一方、生き別れた母の行方を求めて、佐渡を尋ね歩くと、鳥追い唄をうたう老女に
巡り会います。
「安寿恋しやホウヤレホ〜厨子王恋しやホウヤレホ〜」
厨子王が、母にかけ寄りすがりつくと、嬉し涙に、母の眼は、奇(くす)しくも開き、
母子は再び抱き合ったということです。
 
老後の政隆は、家督を嫡男の民部大輔政保に譲って岩城に帰り、総本家にあたる相馬家繁栄の地に御所を設け、その地で余生を送ったといわれています。

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        ☆ハート型の梨の実

この物語は、冒頭から父親が不在です。
このあたりで直感的に、平将門と安倍晴明の父子を想ってしまう私です。
そして、姉(女性)の自己犠牲によって救われた弟が、地蔵菩薩に守られながら試練を乗り越え、最後は奴隷を解放して善政に励む国守となる・・・というストーリー展開。
厨子王の生まれた年を逆算すると、安倍晴明が亡くなった1005年あたりなのが、なんとなく気になります。
民話の奥から、小さな小さなささやきが、聴こえてきませんか?

名匠・溝口健二監督による「山椒太夫」は、1954年に大映で映画化され、ベネツィア国際映画祭で「銀獅子賞」を受賞しました。
安寿役は、香川京子さん。
厨子王役は、津川雅彦さん。
母親役は、田中絹代さんでした。

福島の民話が、60年前にすでに世界にむけて発信されていたのですね。
安寿の住まいがあったという、いわき市の住吉城跡や、福島市渡利の椿館など、
ゆかりの場所を訪ねてみたいと思いました。

次回は、「自己犠牲だけが女性の生き方ではありません」というワンバック選手
(女子サッカー)のお話です!

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                             ☆いわき市白水阿弥陀堂のお地蔵様

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