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沖縄の知人からメールが届きました。
福島大学の荒木田准教授が、昨年那覇市で講演したそうです。 その内容についてですが・・・ 参加者がまとめた文章を読んでびっくりしました。 「言論の自由」だからと寛容に受けとめる向きもあります。
大学のエアコンが効いた部屋で、風評被害を論じる方々は、その5文字で収めることができるのかもしれません。 が、私たちは胸がザワザワとするのです。
私たちを愚弄していませんか?・・・と。 農業者は、この5年間、雨の日も雪の日も猛暑の時も、田畑で放射能と向き合い、
今では玄米でさえ限りなくゼロに近い不検出という成果を獲得しています。
震災直後は、福島でここまで放射能の移行を抑制できるとは思っていませんでした。 努力が報われた思いです。 一般市民よりも労働被ばくリスクのある私たちでさえ、年間被ばく積算量は、一ミリです。(NPOなどの調査に協力してデータを頂きました)
福島市では市民の内部被ばくの検査も行っています。
自ら栽培した米や野菜を食べている私たちでさえ「不検出」の結果です。
米も野菜も限りなくゼロに近い「不検出」なのですから、当然ですね。
その現場の労働者の立場から荒木田氏の講演内容を読んだ時に、私は怒りで体が震えました。
何も知らない福島県民が、汚染された土地に留め置かれて被ばくし「静かに人が死んでいく」と話す荒木田氏。福大の同僚が50代で亡くなった・・・と。
さらに、農業者を被ばくさせるので「食べて応援」は止めよう。
賠償金による救済の道こそ正しいのだ・・・と。 ブログ読者の皆さんはどのように思われるでしょう。
以下、講演内容は一部転載でも長文ですので、最初と最後のみ転載させて頂き その間の内容は項目のみ記します。 全文は下記ブログにてご覧ください。 2012年3月11日 いわき駅前広場で鎮魂のエイサーを舞う沖縄の皆さん
転載ここから。
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なりわい訴訟・いち支援者からの発信 from 沖縄
荒木田岳さんゆんたく学習会@那覇(2015.11.22)
「つなごう命〜沖縄と被災地をむすぶ会〜」主催で、福島大学准教授の荒木田岳さんに講師をお願いした「ゆんたく学習会」を沖縄県那覇市で開催しました。
■はじめに
《自己紹介に代えて》
・石川県金沢市出身。新潟大学に進学するが、在学中に
新潟県巻町への原発建設反対運動に成り行きでどっぷり 2年間関わることに 今でも住民運動の経過をまとめたファイルをもっている 参考:住民投票で巻原発を阻止した住民運動 ・父親は北陸電力の社員で反原発だった
・「脱ひばく」は行動しないと意味がない
まず自分が被ばくしないよう汚染地から逃げることが大事 自分は要するに「火事場から逃げ遅れた人」である ・逃げられなかった一番の理由はローンの返済があったから
(家族で住む家を建てる予定の土地と自身の奨学金) ・妻子は事故直後からすぐ新潟に避難させ自身も住民票は
新潟に移転 ・今年はこうやって人前で話すのがまだ「3回目」
原発事故による避難や被ばく問題の風化を実感している 《前提として》
■『美味しんぼ』騒動について
■現在進行形の被曝?現状?体験的被爆生活
■何がこの現状をもたらしたか?避けられた「被曝」
《政府・福島県の対応からわかること》
《子どもたちへの対応》 《除染について》 《給食の問題》 ■福島をめぐる議論の非対称性 ?「復興」を問う ■脱被曝を実現するために
・「食べて応援」は内部被曝と引き換えに東電の賠償を
減らす応援の形 ■おわりに
・福島原発事故は、東日本に未曾有の「環境汚染」を
もたらしたもの 何よりもまず、人々が被曝し続けている現状を変えて いかなければならない cf.オール福島で復興 ・甲状腺癌の状況〜問題提起に代えて
放射線由来とそうでないとを問わず(静かに広がる動揺) ・福島大学の同僚は50代で急死 静かに人が死んでいっている ・ 一緒に「脱被ばく」を!
沖縄の方へ: 福島(放射能汚染の高い地域)に避難者を返さない 帰りたくない人のサポートをお願いしたい(了) * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
転載以上です。 2011年の夏に、関西の大学教授らと当果樹園の除染実験&サンプリング調査に参加した荒木田氏の写真です。
また2011年当時の当ブログの過去記事が下記です。
2011年7月の除染実験
2011年8月の除染実験
荒木田氏が刺している棒などの資材は、今も放置されたまま畑にあります。
汚染された資材など回収したくない・・・ということなのでしょう。 研究者の倫理など、どこにもありません。 サンプルのデータも返されないまま4年が経過した昨年、調査メンバーの同志社大学教授に強く要求し、やっと秋になって4年前のデータがメール添付で送られてきました。
「あなたが送ってほしいということなので・・・」と。 放置資材についてはノーコメント。
もちろん謝罪などもありません。
震災から5年が経過しても、荒木田氏が県外でこのような内容の講演をされていることに正直驚きました。
福島の私たちは、「全面マスクが必要な場所」で、「何も知らされないまま」棄民のように暮らしている・・・と、話を聞いた沖縄の人々は思ったことでしょう。
福島では「静かに人が死んでいる」らしい・・・。 長年、脱原発の活動をしてきた大学の先生が言うことだから「間違いない」・・・。
「食べて応援は、内部被曝と引き換えに東電の賠償を減らす応援の形」と荒木田先生が言うのだから、福島産のものを食べて支援は止めようと、沖縄のみんなに伝えなくちゃ・・・と。 荒木田氏の講演内容にはかなり意図的な「操作」があります。
福島の私たちが5年間、汗と涙で積み上げてきたデータや施策、生活感覚との乖離・・・。 「右も左もオール福島で復興・・・の全体主義」という表現の奥には、荒木田氏の「怨念」「憎悪」さえ感じます。
福島大学が、荒木田氏の「言論の自由」を保障したいと言うのなら、いつまでもこの問題を放置せずに、彼に公開討論を提起すべきだと私は思います。 「私たちの税金であなた方の研究生活は成り立っている」のですから、福大にはその責任があります。 まもなく震災から丸5年です。
ビジョンがあいまいな組織、事業体に「決勝ゴール」を期待するほど私たちは愚かではありません。 どこにボールを運んでいくおつもりですか?と強く問いたいのです。 吾妻小富士山頂に積み上げられた小石
震災直後、福島市内の男子高校生が「オレたちは棄てられた。こんな国なんて滅んでしまえばいい」と言いました。 まるでドストエフスキーが描いたラスコーリニコフのように、悲しみと憎悪が心の暗がりで出口を探して彷徨っていました。 当時は、突発的なテロが起きてもおかしくないくらいの露骨な差別や蔑視がありました。 県外に避難している家族が帰還しない理由は、単なる被ばくのリスクの問題ではありません。
次世代が、世界的に有名になってしまった県や町の出身であることで被る、様々な差別をできれば回避したいという思いもあるからです。 そんな荒んだ状態から、ひとつひとつ石を積み上げるようにして私たちは生きてきました。
戦争責任も世代を超えて問われるように、放射能汚染の責任も誰かに押しつければ済む問題ではないという認識もありました。 荒木田氏は「脱被ばく論」の種が着地する、日本の精神的土壌を見つめたことがあるのだろうか、とも思います。
そのことに無自覚なまま、福島=汚染という発信を続けることは、一研究者として無責任です。
原発問題の本質は、放射能と被ばくの向こうに見え隠れする心の闇・・・
差別や排外主義の問題も含めて、福島に関する真の社会学的議論を今こそ求めていきたいと思います。 吾妻小富士の山頂から見下ろす福島市(中央に信夫山)
参考までに最近の新聞記事を貼ります。
<南相馬>子どもの屋外行動 外部被ばく線量に影響せず
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160118-00000058-mai-soci |
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2016年01月30日
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