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本日4月5日、福島市の桜の「開花」が発表されました。
2日に、郡山駅前で見上げた桜の蕾も、きっと開いているでしょうね・・・。

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 4/2郡山駅前の桜


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 4/2郡山の桜の蕾

昨日は、福島稲荷神社で、久しぶりに御神籤を引きました。

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第3番「大吉」
です。和歌は・・・

わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れくるかも
(大伴旅人)

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 4/3雪の梨畑

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 4/3雪が解けていく畑

新元号「令和」の典拠ともなった万葉集・・・大伴旅人邸の「梅花の宴」で詠まれた和歌の序文が由来とのことでした。

このタイミングで、大伴旅人の梅花の和歌・・・・・。シンクロが加速してますね(笑)

この奈良時代の「梅花の宴」・・・梅を愛でる風流な宴会のように聞こえますが、実はその背景に、平城京の政争があったようです。

長屋王政権と藤原四兄弟の激しい政治的対立・・・。長屋王という人は、父が天武天皇の長男・高市皇子。母の御名部皇女は天智天皇の娘です。

その長屋王は、聖武天皇の外戚であった藤原四兄弟が勢力を拡大する中で、729年に自殺に追い込まれます。歴史上「長屋王の変」と呼ばれる事件です。

大伴旅人
は、長屋王自殺の前年である728年に九州の「太宰府」に赴任(左遷?)しています。
そこで、当時は筑前守として赴任していた山上憶良などと「筑紫歌壇」を形成して多くの和歌を残したそうです。

二人とも、長屋王政権の中枢にいた実力派官僚ということで、藤原氏からは疎まれていたようです。

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福島稲荷神社の境内にある山上憶良の和歌の石碑
☆2016年、来福されたオーストラリアのベリーズさんの記念写真です。

新元号「令和」の典拠の背景となった「梅花の宴」の主催者は、大伴旅人。
そして、テキストを書いたのは山上憶良ではないかとされています。

「太宰府」という場所は、この政争から約180年後に菅原道真が左遷された場所でもあります。梅の花は、道真との縁も深い花です。

「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
(菅原道真)

そんなわけで、「梅花の宴」にちなんだ「令和」という元号・・・・・古人(いにしえ人)の悲しみや平和への願いをも抱越して、現代に蘇ってきた言霊なのかもしれません。

※令和の「令」の字ですが、一般的なフォントでは縦線になるようですが、
 教科書や楷書体、旧字では、カタカナの「マ」の字になるようですね。
 こちらのほうが穏やかな印象になると思います。

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