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亀岡文殊の本殿
小雨の中、山形の亀岡文殊(高畠町)へ、でかけました。 1,400年前に、高僧・徳一上人が、伊勢から山形へ移されたという文殊菩薩です。 日本三文殊(出羽の亀岡・大和の安倍・丹後の切戸)として有名です。 雨が上がり、陽がさしてきた参道で、トカゲの子ども達と目が合いました。 ハワイなど世界中の言い伝えでは、トカゲとの遭遇は、幸運を招く吉兆なんだそうです。 ホントかな(笑) トカゲの子どもは、尻尾が美しい瑠璃色です・・・。 「キレイだね〜!可愛いね〜!」と声をかけたら、石の下から出てきてくれました。 トカゲ界の羽生結弦くんみたいな(笑)・・・ピュアで神々しい気配がありました。 亀岡文殊のユヅルくん、ありがとう〜! 今朝7/20の福島民友新聞に、「徳一の謎に迫る」という記事が載っていました。
昨日、会津若松市の県立博物館で、玄侑宗久さんと赤坂憲雄館長の対談があり、徳一上人の謎に迫ったそうです。
現在、県立博物館では、復興祈念展「興福寺と会津〜徳一がつないだ西と東」が開催されています。 玄侑宗久さん曰く。 「徳一と天台宗の開祖・最澄が繰り広げた激しい論争は、全員だれでも成仏できるのか?という点を争った。最澄が、誰でも極楽行きの乗り物に乗れるとしたのに対して、徳一はそれは方便だと反論した」と。 なるほど〜。 エリート学僧の最澄と、民衆に寄り添って仏教を説いた徳一。 人生、イロイロですね〜。 腐敗した都を離れて、奈良から東へ向かった徳一のように、その300年後、平将門が中央政権に反旗を翻しました。将門は桓武天皇の直系です。
将門を倒した従兄弟の平貞盛の直系子孫が、平清盛・・・。 そして、その平家を滅ぼした源氏の義経が、兄の追手から逃れて向かった先が東北の平泉。 浄土思想が花開く100年の都でした。 将門の時代から約300年の後のことです。 御神籤〜社務所で引いた御神籤は「吉」でした〜
徳一の時代から、1,400年・・・光の影で、闇ますます深まりて。
謙虚に、自分を見つめながら生きていきたいと思います。 徳一さま〜、瑠璃光に輝く亀岡文殊を、出羽の聖地に祀っていただき、ありがとうございました。 蓮の花と紫陽花
今日も、最後までご覧いただき、ありがとうございました。 |
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2019年07月20日
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