日記

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今朝は、NHKの朝ドラ「花とアン」の後の番組「あさイチ」で、昨日の閣議
決定、「集団的自衛権の行使容認」について、司会者やコメンテーターが率直な意見や疑問を述べ合っていました。
ディレクターはハラハラしていたのでは・・・と思います。
ちなみに、今朝のあさイチのテーマは「スパイス活用法」でした・・・(笑)
 
10代の視聴者からの質問「戦争に巻き込まれる不安はないのでしょうか?」も紹介されていました。
自衛隊員やその家族にも不安が拡がっています。
「命がけの仕事」を志願する人が減少した場合、安倍さんは徴兵制導入も
想定しているのではないでしょうか。
 
いろんな考え方の人がいます。
そう認識した上で、あえて申し上げたいのは、
殺生を禁じる宗教者が、若者を戦場に送り出す歴史に、再び加担してはならない・・・ということです。

地の塩であるべき人々が、総崩れで「敵」に向かっていった負の歴史を、
再び繰り返してはならない。
 
そのようなダブルスタンダードの自覚が無い人々が、福島をスケープゴートにしてきた悲しい現実を、私たちは幾度も経験してきました。
社会の不安を逸らすための『いけにえ』にだけはなりたくないと思っています。
 
今後、集団的自衛権の問題で重要なポイントとなるのは、首相が自衛隊に出動命令を下した際に、どこで法的な歯止めを掛けるのか? どこまで法的な歯止めを掛けることができるのか?という点です。
今のマスコミの報道に欠けている視点なのではないかと思います。
 
ちなみにアメリカでは、戦闘を1ヶ月以上継続する場合は議会の承認が必要となります。これはベトナム戦争の反省によって定められたそうです。
 
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7月の庭で、ヒマワリが太陽に向かって背伸びしています。
畑では、トマトやキュウリ、ナスやスイカがすくすくと育っています。
震災から3年がすぎて、少しづつ陰が陽に転じる気配を感じます。
結婚や赤ちゃん誕生のお知らせをたくさん頂くようになりました。
祝福のシャワーを浴びて、皆んなで元気になりましょう〜☆
 
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さて、突然ですが、河合隼雄さんです(笑)
笑顔がとても素敵ですね。
この記事も、大掃除で開けた引き出しから出てきました。
15年前の朝日新聞のインタビュー記事です。
実は、前回ご紹介した1999年の沖縄特集記事の「裏面」にも、河合隼雄さんの文章が掲載されていました。
何事にも「表と裏」があるのです。
偶然とは思えない私です。そして・・・。
 
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「国際化時代の『開かれた』人」〜瀬戸正人『トオイと正人』に思う〜
1999年に、新潮学芸賞の選考委員だった河合さんが、受賞した瀬戸正人さんの作品「トオイと正人」を紹介しながら、開かれたアイデンティティについて書いています。
「瀬戸正人さんの父親が、第二次世界大戦の敗戦時に、中国からベトナム、ラオスを経てタイに潜入し、そこでベトナム系タイ人の女性と結婚して、日本人であることを隠しながら写真館を経営していた。
正人はその長男で、トオイと命名されていた。しかし、トオイが8歳の時に、父親は日本人として帰国することを決意し、家族と共に、東北地方の村に引き上げてくる」
とあります。
 
「東北地方」ですか・・・。
15年を経て、引き出しの中から現れた記事の中の河合隼雄さんの笑顔が、
「この本を読め!」と言ってます(笑)
東北の兵隊が、アジアで行った戦争行為(アジアを植民地にしていた白人との戦いも)・・・そして、東北を襲った震災の惨状が、「表と裏」のように
なぜか絡み合って私の心をザワザワさせました。
それで、早速アマゾンで検索して、中古本を注文したのです。
 
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本を開いてビックリ!
瀬戸正人さんの父親が帰ってきた「故郷」とは、福島県伊達市梁川町でした!
 
早速、インターネットで梁川町瀬戸写真館と検索してみると、ヒットしたのは・・・なんと!福島県立美術館・・・。えっ、え〜っ???
瀬戸正人さんの写真展が、福島市森合の県立美術展で開催中!でした。
 
県立美術館の特別展「瀬戸正人展 バンコク・ハノイ・福島」は、
先月6/10〜29 開催されました。

瀬戸さんは、梁川中、保原高校を卒業し、タイ、ベトナム、福島を行き来しながら活動しておられるそうです。
1996年には、木村伊兵衛写真賞を受賞されました。
 
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届いた中古本に挟まっていた新聞記事の切り抜きです。
新潮学芸賞の授賞式ですね。
「朝日、'99・7/1 夕」とメモがあります。
この記事を見て、本を購入した方が挟んだのでしょう。
15年後の7月1日に、偶然、この切り抜きを見ている私・・・。
河合隼雄さんに導かれて、この夏も汗だくの井戸掘りが続きそうです(笑)
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梅に塩をふって数日で、梅酢が上がってきました。
梅を天日で干してから、赤紫蘇を入れる方もあるそうですが、
うちは塩で揉んで白梅酢で発色させた赤紫蘇を、梅の上にのせて、土用干しを待つことにします。
 
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さて、前回に続き、1999年6月23日付の沖縄戦・特集記事を紹介したいと思います。
 
なぜ、15年前、この記事を切り抜いていたのか・・・まったく記憶にありません。
当時、高校一年だった長男の修学旅行の説明会で、旅行会社のスタッフから沖縄の話を聞いたこと、そして、旅行代金11万円を捻出するために、パートで仕事を始める決意をしたことなど、思い出しました。
おそらく、旅行の事前学習の際に、長男に読んでほしいという思いで、切り抜いたのではないかと思います。
 
2014年6月24日付の朝日新聞、沖縄慰霊の日の記事は、わずか20行・・・。
23日に沖縄県糸満市で開かれた戦没者追悼式の平和宣言で、仲井真県知事が「普天間基地県外移設」を求めなかった、とあるのみです。
記者(若い方なのかしら?)は、以下の内容をご存知でしょうか?
 
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      沖縄の月桃花
 
「体験の継承、曲がり角」という見出しで、以下の内容が紹介されていました。
 
「沖縄に来年(2000年)3月、新しい県立平和祈念資料館ができる。
糸満市にある、戦争で死亡した人たちの名前を刻んだ『平和の礎』の北側に、リゾートホテルのような立派な建物が外観を現している。・・・総工費約74億円・・・。
沖縄戦展示を貫くテーマは、『敵味方を問わない軍隊によって、住民が遭遇した惨劇』である。」
「県は2年前、専門家らによる監修委員会を作り、展示内容の検討を始めた。
日本軍による住民虐殺や『集団自決』をどう伝えるのか。細部の詰めにかかると、その伝え方をめぐって戸惑いや異論が吹き出した。」
 
「6月23日が迫ると、沖縄県内の多くの高校で沖縄戦を題材にした平和学習が盛んになる。
だが、教師自身が沖縄戦を肌身で知らない世代になった。
県立陽明高校教諭の新城さんは、4年前、生徒3000人にアンケートした。・・・
こんな設問があった。
Q「慰霊の日」は、何をもとに決められたと思いますか?
①沖縄戦が終結した日(回答49.3%)
②日本軍が降伏文書に調印した日(4.8%)
③米軍が、沖縄作戦の終結を宣言した日(8.6%)
④牛島司令官が自決した日(22.8%)
⑤わからない(14.5%)
 
正解の④は、4分の1に満たなかった。
沖縄戦の特徴の一つは、司令官の自決で日本軍の組織的な戦闘が終わったにもかかわらず、依然として沖縄は戦場であり続け、多くの犠牲者を生み出したことだ。それを伝えきれていなかった。」
 
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「地区の半数以上が死亡」との見出しでは、以下の内容が紹介されていました。
 
「糸満市真栄平地区は、激戦地の糸満市の中で、住民の戦没率が最も高い。
二人に一人以上が亡くなった。・・・
当時14歳だった大城さんは、戦後、地区の住民に戦争体験を聞いて回った。
家の敷地に掘った避難壕の明け渡しを求められ、方言で返事をした老婆が、日本兵に首を切られた。
逃げた子どもたちも銃剣で刺し殺された・・・。」
 
「沖縄戦を中心に記された糸満市史がまとまったのは昨年末(1998年)。
・・・3万9992人を対象に、各戸を訪問した調査員は約100人。
その一人、大城さん(30)は、ぼそっと話した女性の言葉が忘れられない。
「子どもの顔を水につけたら『おぶー(水)、もういらないよ』って」
場所も状況も語らない。
自分の子どもに手をかけざるを得なかったのだろうと推測されるだけだ。
54年たった。
それでも、いえない傷が残っている。」
 
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1945年3月。
西太平洋を制圧した米軍が、沖縄の慶良間列島に上陸。
4月からは、艦船1500隻、のべ54万人の大部隊を投入した。
 
一方、沖縄守備軍は、約10万人。
3分の1は、学徒隊を含む現地招集の補助兵力だった。
 
首里にあった司令部は、5月末には撤退。
南部の自然洞穴(ガマ)に立てこもる持久作戦に出た。
ガマにはすでに住民が避難しており、十数万人の軍民が混住することになった。
日本軍による住民追い出し。
沖縄方言使用によるスパイ容疑での住民虐殺。
「集団自決」などの惨劇も含めて、20万人が犠牲となった沖縄戦。
 
6月23日に日本軍の組織的戦闘は終了したが、掃討戦は続いた。
降伏文書調印は、9月7日。
 
来年2015年は、敗戦から70年目。
太平洋戦争末期の最大の地上戦、沖縄の惨劇を、私たちは忘れてはいけない。
なでしこジャパン、悲願のアジアカップ優勝を果たしました。
おめでとうございます。
この調子で来年の女子W杯も再び優勝できますように☆
 
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昨日の地元新聞に写真が掲載されて、ご覧になった方もあるかと思いますが、おとといの昼ごろ、福島市に珍しい水平に延びる虹が現れました。
おとといは、福井県でも、太陽の周りに美しい虹の輪が観測されたそうですね。
大飯原発の運転差し止め判決(福井地裁)に、天も喜んでいるのでしょう。
 
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24日の昼過ぎ、梨の摘果作業を終えて自宅に戻り、昼食前にヒマワリの発芽の写真撮影をしていた時に、偶然、虹を発見しました!
 
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福島地方気象台によれば、この虹は「水平環」または「環水平アーク」と
呼ばれる現象で、アーチ状の虹と違って、太陽の方向に現れるのが特徴なんだそうです。
虹の周りに、ちょっと気になる雲がありました。
 
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2011年3月にも同じような雲を撮影していました。
その記事も合わせてご覧ください。

http://blogs.yahoo.co.jp/fukushima_apple/8084191.html

 
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今年は、背丈が2メートルにもなるロシアのヒマワリの種を蒔きました。
小さな殻を脱ぎ捨てて、太陽に向かって命を開いていく、その力強さに
感動!
この命のリアリティに触れもせず、道を説く君!
都会の冷暖房完備のビルの中で、パソコンに向かって観念的に福島を憂いている、そのあなたに、今年こそは福島に来ていただきたいものです。
 
群馬大学の早川由紀夫教授が、
「福島県で育って、放射能を浴びた娘は、我が家の嫁に迎えないが、これは合理的な理由があるから差別ではない」
とツイッターに記した、そのレベルで「脱原発」とか「健康被害を隠すな!」などと言う人も多いようです。
ちなみに、早川教授は、東京大学のご出身です・・・。
いろいろな意味で、東京の顔色をうかがう時代は終わりにしなければ・・・と思います。
 
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昨年12月に、福島市上空に現れた「月虹」の記事もご覧ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/fukushima_apple/11560053.html
記録的大雪から一週間。
今朝も、除雪した道に10センチほど雪が積もっていました。
朝刊の一面はフリーで自己ベスト142.71の高得点を出した涙の浅田真央
選手(2013年11月のNHK杯で出したベスト136.33を大きく更新!)
 
今朝の新聞に各選手ごとの点数が載っていましたが、仮に真央ちゃんが
SPで74点取っていたとしても、銅メダルがやっとという感じの点数でした。
となるとトリプルアクセルを飛ぶことの意味は何なのでしょうかね。
高得点が得られるからという理由もあったはずなのですが。
また調整の難しさもあるようです。
今回金と銀を取った選手は団体戦には出場していませんでした。
次の個人戦までの間、日本の選手たちは隣国のアルメニアで調整したものの、
氷の状態があまり良くなく早々に引き上げて再びソチに入ったそうです。
何か前回のロンドンオリンピックの体操選手の事前調整の時と似ていますね。
体操の器具が合わないとかで、感覚がおかしくなってしまったそうですから。
 
真央ちゃんの記事の右隣は福島第一原発汚染水漏れ「弁は開いていた可能性」の記事。
高濃度の汚染水(2億4000万ベクレル/L)が、100トンもタンクから漏れていた・・・。
弁の操作を誤った東電が、現場のミスを隠そうとした可能性・・・と報じられています。
現場ではスパナって何ですか?という作業員がいるくらいだそうですから、何が起きてもおかしくないですね。
「安全」なものを動かしているのは「不完全な人間」であることを教えてくれました。
しっかりと記録し、記憶したいと思います。

処理後に残るトリチウム水に関しては、10万トンタンカーをチャーター
するなりしてタンカーにトリチウム水を移動してはどうでしょうか?
2重構造になっているので、水漏れはありません。
 
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           ☆雪の重みで折れた梅の木
そして、もう一つ。
記録しておきたいのは、森喜朗元首相の発言です。
東京五輪組織委員会会長の森氏が、2/20に福岡市の講演会で話した内容が
話題になっています。
「真央ちゃん、見事にひっくり返りました。
 あの子、大事な時には必ず転ぶんですよね」
「日本は団体戦に出なければよかった。
 負けると分かっている団体戦に、浅田選手を出して恥をかかせることはなかった」
 
フィギュア女子ショートプログラムで、16位と出遅れた浅田選手に投げかけられた元首相の言葉を聞いて、友人が言いました。
「この国の首脳陣がオリンピックに何を求めているのか、ハッキリと判った」・・・と。
 
そもそも森氏は、首相時代、渡米してクリントン大統領と面談した際に、
「How are you?」を間違えて「Who are you?」と言ってしまったお方です。
ジョークだと勘違いしたクリントン大統領が、
「私はヒラリーの夫です」と返したら、
森氏は「Me,too」と・・・・・(笑)
森氏を首相にして、恥をかかせることはなかった・・・。

今また、高齢の森氏が、このような前科を抱えながら、東京五輪の表看板として世界にうって出る意味は何なのか?・・・と、ずっと考えていました。
 
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   2/16は、積雪50センチを超えていました
 
今回のソチ五輪も、隣国のウクライナ(キエフ)で77人が亡くなる騒乱のさなかの開催ということで、何らかの政治的意図があるのかもしれませんね。
 
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   ☆雪の重みで、車庫やハウスの倒壊もあった福島市
 
1936年にドイツで開催された「ベルリン・オリンピック」が、ナチスの力を世界に誇示する「ヒトラーの大会」といわれたことは有名です。
第一次世界大戦に敗北し、国土荒廃、経済危機に直面していたドイツ。
 
1933年「救世主ヒトラー」が表舞台に登場し、ナチス政権となってわずか一年で、
600万人もいた失業者が激減・・・・・。
オリンピックスタジアム建設などに国費が投入され、失業者対策などの短期的な経済効果に酔った国民が、マインドコントロールされていった経緯がありました。
 
今では当たり前となった「聖火リレー」は、ヒトラーによって初めて行われたそうです。
また、巨費を投じた競技施設や選手村の建設、おごそかな開会宣言、「民族の祭典」というキャッチフレーズ、初のテレビ中継など、期間中の華麗な演出は、現代オリンピックの原型となりました。
 
そのような国威発揚の3年後の1939年9月、ドイツはポーランドに侵攻し、
第二次世界大戦が勃発しています。
歴史は繰り返すと言われますが・・・冷静な「鳥の目」で世界を見ていきたいですね。
 
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   ☆2/16 の除雪作業。車も電車も運行不能。
 
「ナチス党のお抱え監督」と呼ばれた映画監督、レニ・リーフェンシュタール女史は、「私はナチ党員ではありませんでしたし、ユダヤ人迫害に賛成したこともありません。唯一私が興味があったのは、『美』だけでした」と話したそうです。
この政治的鈍感さは、人ごとではありませんね。
 
浅田真央選手の渾身の演技に幾度も涙する私ですが・・・、
森元首相発言の裏にある「国家的意図」には気をつけなければ・・・とも思っています。
 
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2/15午前4時すぎ。
ソチ五輪のフィギュアスケート男子フリーで、仙台出身の羽生結弦選手が
金メダルを獲得しました!
おめでとう!結弦くん!
 
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高橋大輔選手が、清々しい笑顔で、スケートリンクを掃き清めるような素晴らしい舞いをみせた後、羽生くんが緊張の面持ちで登場・・・。
白い衣をまとった、定義如来の安徳鯉のような雰囲気です。
 
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                       ☆仙台市青葉区の定義如来で撮影した白い鯉です
 
「羽生」というお名前のとおり、19歳の結弦くんの背中に、天使の羽根が
生えたような・・・・・素晴らしい飛翔の舞いでしたね。
 
最初の4回転ジャンプ(サルコウ)は上手く着氷できなかったので、
心のなかで、定義如来の白い安徳鯉にサポートをお願いしました(笑)

次の4回転トウループは完璧に決めた羽生くん。
「ロミオとジュリエット」を全身全霊で舞いました!
 
ショートプログラムでは、公式大会史上初の100点超え(101.45点)で、
首位。
そして今日のフリーの点数178.64を加算して、総合得点280.09点!
堂々の金メダルです!
 
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羽生くんは、仙台市泉区の出身で、現在は東北高校から早稲田大学に進学しています。
「結弦」というお名前は、中学校の先生をしておられるお父様が「弓の弦を 結ぶように凛とした生き方をして欲しい」と命名されたそうです。
 
仙台出身の金メダリスト・荒川静香さんは、アイスリンク仙台の先輩。
2011年3月11日。
そのアイスリンク仙台で練習中に、大きな揺れに襲われました。
壁が崩れ、氷が波打つ中を、スケート靴を履いたまま 外へ避難したそうです。
リンクも自宅も壊れ、近くの小学校の避難所で過ごした4日間・・・。
大きな余震と悲鳴が渦巻く体育館で、おびただしい数の死の気配を感じ
取った16歳の少年は、「スケートを止めよう」と思ったそうです。
 
ここまで書いてきて、先日のブログでもご紹介した、小林研一郎さんのメッセージが心に浮かびました・・・・・いわき市立豊間中学校の子どもたちを前に、伝えられたベートーヴェンのお話です。
羽生選手が、仙台で被災したこと、そして金メダルを獲得したことは、
偶然ではない・・・のかもしれません。
 
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その後、羽生選手は県外に避難して、復興支援のアイスショーへ出演する
など、各地を転々としながら練習を続けたそうです。
 
そして、2012年、17歳で初出場した世界選手権で、いきなり3位銅メダルを獲得!
17歳3ヶ月での世界選手権メダル獲得は、日本男子選手の最年少記録となりました。
右足首や左膝の故障などで、2013年世界フィギュアスケート国別対抗戦は
辞退しましたが、フィンランディア杯では、フリーで2種類の4回転ジャンプを成功させ、2年連続の優勝。
そして迎えた、ソチ五輪でした。
 
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実は、羽生選手は、2歳のころからぜんそくに悩まされ、2012年9月には練習 拠点のカナダで、急な発作に襲われるなど、体調の不安を抱えていました。
今も、飲み薬は朝晩2錠ずつ。吸入薬も手放せないそうです。
 
ぜんそくの影響で、肺を大きく開いて、息を吸い込むことができないため、
4分半、全力疾走するような運動量のフリーでは、後半必ず息苦しくなります。
普段の練習は、長くて2時間。
スタミナが羽生選手の課題でした。
 
2/15付朝日新聞の記事によれば、昨年から、硬い上半身をほぐすため
「置きばり」というはり治療の市販品を使っているそうです。
全身に15ヶ所ほど、長いもので2ミリ弱のはりを、試合中や就寝中も、
身体に入れたまま・・・。
「今シーズン、ケガもなくやってこられた。去年と比べ、成長したのは
そこ」と羽生選手。
 
強くないからこそ、人は謙虚に精進できるのかもしれません。
「弱さの中に、神の力が完全に現れる」・・・ということでしょう。
 
羽生選手、本当にお疲れ様でした!
被災地に、黄金色の飛翔の翼を、ありがとう!
真央ちゃんも続いて欲しいですね。
 
昨年、仙台市の定義如来で、とても不思議な写真を撮影していました。
以下、ブログ記事をご覧ください。
 
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