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いよいよドキュメント映画の完成間近!
現在、アメリカから福島入りしている梶野さんとエドさんが、本日来園しました。
関西での先行上映会に向けて、福島からのメッセージを託しましたので、 以下、掲載いたします。 「3年めの福島から」
何十万人のデモや抗議があっても、世の中が変わらない・・・。
抗議する陣営の中にも、対立と分裂が起きている・・・。 先日、福島のお母さん達と、東京のボランティアの交流会でのこと。
「無力感を感じる」という東京の青年に、福島のお母さんが言いました。 「福島からは、その原因が良く見える」と。 花は咲いても、実にならない、目の前の状況の本当の原因が・・・。
その原因と責任が、まさか自分たちの内側にもあろうとは、誰も認めたくない・・・ でも、福島は、その花を実にするために、渇いた土に雨を降らせたいと思うのです。
この夏、福島大学の学生たちと、県内外の支援者が協力して、他県の子ども達を
福島に招くプロジェクトが計画されています。
ところが、放射能を心配する他県の方々から、抗議の電話が殺到し、説明を尽くしても、なかなか理解を得られない状況があるそうです。 また、ある県では、スポーツの全国大会の宿泊施設で、他県の保護者から、 「福島の子どもが入った風呂の水を抜いてほしい」と要請があったとか・・・。 「何かがおかしい・・・」と、福島の多くの仲間は感じ始めています。 2011年9月に、東京で食の安全を求める人達が「品川宣言」を発表した時、
危惧していたことが、今、現実となって福島の私たちを苦しめています。
「少しでも放射能に汚染された農水産物は、低レベル放射性廃棄物である」 「その線量の大小にかかわらず、低レベル放射性廃棄物は、市民に対する 加害物質であり、その供給は、人身に危害を加える傷害行為、ないしは殺人予備行為に他ならない」 (品川宣言より)
賛同者・賛同団体に、たくさんの人権派の「市民」が名前を連ねています。 ここで、はっきり申し上げますが、これは、福島の子どもや大人への公然たる
「暴力」です。
もはや、福島の野菜や果物の問題ではありません。 福島の子どもが流す汗も、その線量の大小にかかわらず、「市民」に対する 加害物質なのか?・・・
この問いかけは、私たちが心の暗がりに、蓋をしたまま放置している一つの箱 「差別と暴力の古びた箱」を揺さぶっています。
テーブルの上では「子どもを守る」といいながら、テーブルの下では福島の子どもや大人の心を踏みつけにしている・・・この見えない「暴力」を自覚していますか? 日本人の暴力性に関して、臨床心理学者の河合隼雄さんは、小説家の村上春樹さんとの対談などで、以下のような指摘をしています。
「日本人は、自分の内にあるこの暴力性を意識化していかないと、突発的に生じる抑制のきかない暴力による加害者になる危険が高いことを自覚すべきです」
「日本人は、西洋近代に生まれた個人主義を取り入れようとしているが、倫理無き個人主義は、利己主義になるおそれがある。この問題は、日本人がよほど真剣に考えねばならないことです」
「花は咲いても実にならない」脱原発運動の中に存在する、福島差別や障がい者差別の問題に目を背けたまま、仮に原発が全て停まっても、新たな「原発」が現れてくるのではないでしょうか。
今、私達に、何が必要なのでしょう? 最後に、仏教の国タイに伝わる、一つの民話をご紹介します。
雪の降る寒い夜、3人の旅人が小さな貧しい家の戸を叩きました。
旅人は、戸を開けた母親に、一夜の宿と食べ物を乞いました。 貧しい母親は、お一人だけでしたら泊めることができますと答えました。 3人の旅人は、「幸せ」と「成功」と「愛」という名前でした。 母親は迷いましたが、小さな娘が「愛さんに入っていただきましょう」と 言いました。 母親が「愛さん、どうぞ!」と声をかけた瞬間、 入り口から、3人全員が入ってきました。 愛があれば、自ずと幸せと成功が与えられる・・・という教えだそうです。
では、愛とは何でしょう?
「福島を生きる」とは、生きることの本当の意味を知ることだと感じます。 福島から、リバイバルが始まります。 福島に、どうぞ、来てくだされ! |
放射能被害・被災関連
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バラの花が満開の福島市です。
連日、30度前後の高温・乾燥が続いています。 雨を待ち望む梨畑では、梨の実が日増しに大きく成長しています。 4月の高温で一気に開花した梨の花に、霜が下りたり雪が降ったり・・・花は咲いても結実しない畑もある中で、なんとか踏ん張っている福島の梨たちです。 写真は、ラ・フランスの実です。 今年は、市内の小学校の運動会が、例年通りの時間枠で開催されています。
昨年は、午前中のみの開催でしたが、今年は家族でお弁当を食べた後、午後からは高学年の鼓笛パレードやリレーなどが行われました。
写真は、来年度に入学予定の子ども達が、宝物拾いの合図を待っているところです。 この小学校は、被災した校舎の一部を建設中ということで、子ども達は今も校庭に 設置されたプレハブ校舎で学んでいます。
それで、運動会は、近くの運動場を借りて行われました。 ちょうど先週は、ドイツから福島取材のお客様が来園しまして「汚染された福島から子ども達を一刻も早く避難させるべきだと欧米のエコロジストは訴えている」旨の
お話を伺ったところでした。
その取材者のKさんによれば、「福島の人はおとなしすぎる」とのこと。 「政府・東電に対して、もっと強く責任追及すべきではないか?」と。 それで、私は「広島・長崎に原爆を落としたばかりか、原発まで日本に持ち込んだ
アメリカという国の責任も追求したいです」とお伝えました。
下記が昨年、アメリカ製の原発に関して書いた記事です。
仏教国ではなく、キリスト教の国から、植民地政策やファシズム、原爆が生まれた ことは偶然なのでしょうか。
責任の追求は、私もしたいですけれど(笑)・・・とても根が深い問題のように感じています。 それから、23年前の1990年3月11日に、私達が福島市で開催した脱原発イベント
「なのはな祭り」の記録や写真集を見て頂きました。
ちょうど日付が「3/11」とシンクロしていることに、とても驚かれていました。 実は、そのイベントは、1989年1月に発生した福島第二原発3号機の大事故に
ショックを受けた母親や農業者が中心となって開催したもので、当時から福島市では、原発や放射能の学習会や講演会が行われていたのでした。
「チェルノブイリ原発事故では、30キロ圏内ゴーストタウン」 「チェルノブイリ原発から300キロ離れた町にも、ホットスポットが・・・」 「もし福島で同様の事故が発生した場合、福島原発から60キロ離れた福島市には、放射能は早くて3時間後には到着する」という想定資料も、すでに24年前に作成されていました。皆、お母さん達の手作りです。 そのことに、ドイツから来たKさんはビックリされていました。 何も知らない、可哀想な福島の人々を啓蒙して、なんとか子ども達を助けたい・・・。
そのお気持ちは、とても有難いのですが、初めから結論ありきで、自分たちに都合の良い情報だけをピックアップして、県外や海外で流す人々がとても多いのです。 そもそも「助ける(救済)」ということは、どういうことなのかといつも思います。
日本という国は、身体は健康でも、心を病んでいる人がとても多い国です。
かりに、体を守ることが救済と言うなら、関東大震災(1923年)で10万人が亡くなったエリアや、南海トラフの災害想定エリアに子どもを避難させることは、「救済」になるのでしょうか・・・。 リスクという点で、その様な場所に住む子どもより、福島在住の子どもの方が遥かに大きな命の危険があると言い切れるのでしょうか・・・。
運動の活性化のために、福島を危険な土地にしておきたい気持ちは解りますが、子ども達がいつまでも「福島の可哀想な子ども」のままでは、大切な自己肯定感を育むことはできないのです。
逞しいセルフイメージこそが、これから福島差別を乗り越えていく時に、心を支えてくれる力となるのだと私は感じています。
それで、Kさんに、はっきりと申し上げました。
「私は、福島を棄てられた惨めな場所とは思っていません。逆に、この困難があるからこそチャレンジができるし、人は成長することができると考えています」と。 Kさんからは「5年後の福島は、どうなっていると思いますか?」と質問がありました。
私「農業者は、一般市民よりは被ばくの積算線量が高いのです。田畑で労働被ばくするため、事故から2年もしたら、髪の毛も抜けて体はボロボロになっているかもしれないと覚悟していました。でも、今のところ、私の回りにもそういう人はいません。チェルノブイリと同じにはならないのではと感じています」
そして最後に、フランスの国営テレビが放映した、サッカーの川島選手の合成写真の話をしました。(Kさんもご存知でした)
試合で活躍したゴールキーパーの川島選手の腕を、4本に合成した写真映像を見ながら、司会者が、「これは福島原発事故の影響だろうか?」とコメントし、川島選手が抗議したという事件です。 「たとえ世界中の原発が廃炉になっても、福島差別だけは無くならない。そういう重い課題を背負った福島の私達は、単に原発に反対し、責任追及するだけの運動では、本当の意味で生きていくことはできない。その運動が内包する排外主義やエゴイズムにまで光をあてて、問題提起していかなければ、将来、福島は根絶やしにされてしまうという危機感を抱いています」とKさんに伝えました。
Kさん曰く「皆が人権の問題などを学んで、その様な差別が起こらないようにしなければならない」と。
人間の世界から、差別を無くすことはできないかもしれません。
実際、品川宣言に賛同した人に「あなたの子どもが、福島から避難した(もしくは 在住の)子どもと結婚したいと言ったら、あなたは認めることができますか?」と
質問した際、その方は答えることができませんでした。
大学で憲法や人権を学んだ優秀な方です。 ですから、この問題は、理屈ではなく、感情(恐怖や嫌悪感)の問題なので、根が深いのです。
ファシズムを経験したドイツの方々と、いろいろな意味で、福島は今後深く関わることになるのではないかと感じる出会いでした。
ありがとうございました。 |
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台風一過の6/21、新潟県佐渡のトキのひなも、8羽すべてが無事に巣立ったそうです。そして福島でも、前回ご紹介したモズの赤ちゃんが、早々と巣立ちました。
雨上がりの朝、柊の木の中で、ホっとしているモズの赤ちゃんです。
可愛いですね。前日より、ずいぶん体が大きくなったような気がします。 そして、ついに「旅立ちの時」がやって来ました。
巣立ち直前の早朝の写真です。目の輝きが強くなっていますね! 夕方、巣立ったひな鳥が、隣の梨畑で「ヨチヨチ飛び」をしていました。
猫が通るたび、親鳥が牽制して激しく鳴きます。 しばらくは、梨畑で飛び方を練習するのでしょうか。 無事に大きくなりますように! 今、庭のラベンダーが満開になっています。
鳥や花に元気をもらって、今日もなんとか生きて行くことができます(笑) 沖縄の友人から6/23に向けたメッセージを依頼され、一文を書きました。
ちょっと辛口ですが、添付いたします。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
2012・6/23沖縄へ送ったメッセージ ☆今、改めて福島から問う「私達は放射性廃棄物ですか?」 沖縄の皆さん、いつも物心両面のご支援に、心から感謝申し上げます。 快く避難者を受け入れてくださり、多くの福島県民が支えられ、励まされてきました。 そして、農業再生に向けては、沖縄発祥のEM菌が大活躍しています。 エイサーの元になった念仏を沖縄に伝えた僧侶が、福島県いわき市出身という御縁も、偶然のようで必然だったのかもしれないと思うこの頃です。 大いなる繋がりに感謝の毎日です。本当に、ありがとうございます。 さて、放射能汚染の苦しみの中にあっても、福島の春は、今年も桃源郷のようでした。
桃や梨、林檎の花々が美しく咲き誇り、私達農業者も再起をかけて、新たな一歩を踏み出しましたが、前途は多難です。 とりわけ、様々な人権侵害や「差別」の問題は、放射能以上に私たちの心を打ちのめしています。 昨年、沖縄タイムスに掲載された安次富さんのコラム「思いやり予算を復興に」の中に、「政府は他府県の民意を尊重するが、沖縄の民意を無視する。これは民主主義ではないし、沖縄差別だ」という一文がありました。
今、同じように踏みつけにされている福島の私達は、心の底から沖縄の問題は、福島の問題だと感じています。他者を犠牲にしながら、自分たちの幸せだけを追求してきた者たちが、何の反省もないまま招いてしまった悲劇、それが今回の福島原発事故だとも思います。
その意味で、政府・東電に対する責任追求だけでは、この問題の真の解決は無いのかもしれません。
「福島の人間の血は汚れている。近寄るな!」という差別や排外主義。 「汚染された農作物を出荷する行為は、人身に危害を加える傷害行為、ないしは 殺人予備行為だ!」と私達を非難する市民団体。
「福島県の東半分は、人が住んではならない、農耕をしてはいけない場所だ。有機農法で作られる野菜は、放射能で汚れている」と書く、有名な反原発研究者。 福島に留まる私達に、人権は無いのでしょうか?
死の影に怯えながら、差別とエゴイズムと闘いながら、そして政府・東電と交渉しながら、私達の毎日は格闘の連続です。 戦後日本の反戦・反核運動の総括と自己批判なしに、フクシマを語るなかれ! 今、福島で私が感じている、心の底からの偽らざる実感です。 私達が未だに克服できないでいる差別や排外主義の問題が、今、福島という場所で噴き出しています。福島に来れば、国家の本質ばかりでなく、人間の本質が見えてきます。
昨年、私が体験した象徴的な出来事を2つ述べてみます。 一つは、被曝の「恐怖」と「嫌悪」から生まれる市民運動への違和感です。
震災で職を失った青年が、反原発活動家の父親に「福島原発の収束作業の仕事をする」と話したところ、「なんで、お前がやるんだ?被曝してはいけない!」と反対されたというのです。 息子曰く「誰が被曝労働をやれば良いと思うのか?全ての原発を廃炉にしていく 工程でも、たくさんの作業員が必要になる。国民一人ひとりが被曝労働を担うという覚悟なしに、脱原発は実現できない。今後ますます作業員が足りなくなる厳しい現実から、僕達は逃げることはできない」と。
「汚れた仕事」は誰かに押し付けて、キレイ事だけを叫ぶ反原発運動は、結局は 「誰かに犠牲を強いたまま」差別を温存し続けてきた既存の運動そのものだと感じます。
また、被曝の恐怖や、汚染されたものへの嫌悪感から生まれる市民運動の中に、障がい者差別や福島差別を内包するファシズムを感じる人もいます。
昨年9月に、食の安全を求める団体が発表した「品川宣言」には、この運動の本質が明記されていました。 宣言曰く「放射能で汚染された農水産物は、線量の大小にかかわらず、低レベル放射性廃棄物であり、その供給は、人身に危害を加える傷害行為、ないしは殺人予備行為に他ならない」 この宣言の賛同人や賛同団体には、脱原発の有名な活動家や団体が名を連ねています。 国や県の情報隠しで、すでにかなりの被曝を強いられた私達は、この宣言を発する人々の感性に不安を感じます。私達もまた「放射性廃棄物」なのでしょうか?福島の人間と結婚できますか?福島で農業再生に取り組む農業者の人権は、守られますか?
昨年の夏、除染実験とサンプリングという名目で、関西の研究者が福島入りしました。 その後、サンプルの検査結果を、提供者の承諾もなくネットで公表したり、実験資材を半年以上も畑に放置するという状況があり、抗議しましたが未だに何の連絡も謝罪もありません。「脱原発・人権派」と評される、学者達です。 作業に協力した地元の大学教員は「一作業員なので詳細は知らない」とのこと。 このかん同じ様な無責任な言葉を、政府や東電、原子力村の皆様から、嫌というほど聞かされてきた私達は、ただただ呆れて、返す言葉も見つかりません。 問題の根深さに、愕然とする思いです。 外からも内からも、二重にも三重にも打ちのめされた私達が、それでもまた立ち上がることができるのは、同じ苦しみの歴史を辿ってきた不屈の沖縄があればこそです。
サトウキビ畑を、水田を、果樹園を守りぬき、差別や排外主義を克服する活動は、これからが正念場ですね。 「疾風に勁草を知る」 逆境の中でこそ、痛みを知る者の真の強さを体現していきましょう。 2012.6.23
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昨日4/16、福島市で桜が開花しました。
いわき市から福島に来て35年になりますが、こんなに遅い開花は初めてでは?と 思います。
毎年4/10頃には、信夫山公園の桜が見頃となり、市内の学校や会社の新歓イベント等で夜も賑わっていましたが・・・。 木を見上げて待ちながら、花を想う日々もまた良し・・・ですね。 今年は、しみじみと桜が心に染みます。 サクラの「サ」は、田の神。「クラ」は、田の神の御座所という意味があるそうです。
桜が咲くと、人々は木の下に集まり、田の神の来訪を祝ったという・・・その名残が花見ということなのでしょう。 福島では、毎年、桜が咲く頃に、種籾(コメ)の播種を行います。 ということで、うちも昨日、種籾を播きました!
育苗機の中に、1〜3日ほど入れて芽を出します。
その後、ハウスに移動して、約25日位、育成管理します。 そして、いよいよ田植えです。 今年のセシウムの動向を、見守りたいと思います。 昨年、ニキティン博士の記者会見で通訳をしてくださったOさんが、いまベラルーシを 訪問しています。 ベラルーシでは、飯舘村のような強制移住区域にも、今も留まり生活を営んでいる住民がいます。 3月に放映されたテレビ番組、「DASH村」の特番では、「ブラギン地区」の農業者が紹介されていました。
この地区は、移住義務地区(ゾーン2)で、日本の計画的避難区域と同じ位の汚染があった地域です。 この地で農業を営む32歳のキリルさんは、トマトやキュウリ、じゃがいもを栽培して出荷しています。肥育管理など、26年間の様々な知恵の蓄積があるようです。 その辺りの情報を、ぜひゲットしてきてくださいと、Oさんにお願いしました。 ベラルーシの「ホイニキ地区」という任意避難地域で、農業を営むニコライさんは、
「農業者は、患者に寄り添う医者のような者。汚染された農地を再生したい」と話していました。 チェルノブイリ事故当時、36歳だった彼には、8歳と3歳の子どもがいましたが、数千人の人々と共に留まったそうです。 今は、2万人の人々が暮らしています。 住民の皆さんと、いつか交流できたら良いですね。 ニコライさんは、都会の消費者から「汚染作物を出荷して、放射能を拡散するな!」と非難されたこともあったとか。 なんだか、日本の状況と似ていますね。 4/16、南相馬市が警戒区域解除となり、津波で家を流された御家族が、久しぶりに跡地を訪れたそうです。
何もかも流された、その場所に、水仙の花が咲いていました。 「いのち」って、私たちの想像以上に強いものなのかも・・・。 小さな固定観念から、自分自身を解放する「時」が来ているのかもしれませんね。 |
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一部マスコミしか報道していないのは怒り爆発ものですが、speediによる放射能飛散予測結果が私たち国民、福島県民にも隠し通した菅・民主党政権ですが、今回事故調査委員会によって事故直後の3月14日に、アメリカ軍の要求により、外務省が
speediの予測図を渡していたことが判明しました。
どうして菅・民主党政権は私たち日本国民、福島県民にはすぐには知らせないで、アメリカ軍には知らせたのでしょうか? さらには今回の事故調査委員会による、外務省がspeediの情報をアメリカ軍に渡したと報道したのは、朝日新聞のみです。読売新聞と毎日新聞は黙殺したようです。産経新聞は関東方面のみとはいえ報道していません。地方新聞も配信されている記事とはいえ事故調査委員会の話はあれど、speediの情報をアメリカ軍に提供したことについては、一言も触れていません。
また朝日新聞は昨年から、プロメテウスの罠(現在は第6シリーズ・官邸の5日間)、といシリーズものの連載記事を掲載しており、1月3日の記事で初めて、外務省が speediの情報をアメリカ軍に伝えていたという取材内容を発表しました。
でもこの時点では、朝日新聞の読者のみが知り得る立場で、他の人たちの反応はいまひとつでした。 今回事故調査委員会によって、公式にという形で、アメリカ軍にspeediの情報を渡したことを認めたわけです。 ただ気になるのは、記事では、外務省にアメリカ軍からspeediの情報を提供してほしいという連絡が入ったが、当初何のことか分からず、文科省に問い合わせてspeediの情報を入手してアメリカ軍に送ったとしています。
つまり官僚、役人が勝手にやったと受け取れる内容です。 緊急時なら仕方ない一面もありますが、政治主導を掲げていた民主党政権としては、あってはならないことのはずです。 でも肝心の民主党政権はspeediの存在を知らなかったととぼけるつもりのようです。 事故直後にアメリカ海軍は仙台湾に展開して救助活動をしていましたが、しばらくして仙台湾から空母が離れるという行動をしました。
日本側はどうしてあのような行動をしたのか理解できませんでしたが、speediの情報によって放射性物質がどこに拡散していたのかを事前に知っていたのであれば、 納得のいく行動です。
9月1日は防災の日として、毎年防災訓練が行われますが、原子力も原発が事故を起こしたと想定しての原子力総合防災訓練というものが毎年行われているわけです。
2010年は、10月20、21日に、浜岡原発の事故を想定しての原子力総合防災訓練が行われました。 (だから菅直人は、浜岡を止めたのか?それともアメリカ軍に言われて止めたのか?は定かではありませんが) 当然総理大臣もこの原子力総合防災訓練に参加しています。(その5ヶ月後に事故が起きたわけですが)
にもかかわらず、政権が事故処理に関して何も知らなかったというのはあり得ませんし、そのような発言を政治家が言ったのであれば、直ちに国会議員を辞職すべきです。 ちなみに麻生総理の時は、福島原発の事故を想定しての原子力総合防災訓練でした。 この訓練を理解していれば、speediの存在は民主党政権は知っていたはずです。 また地方自治体の長もこの原子力総合防災訓練に参加していたわけで、訓練の時にやっていたspeediの情報の提供をどうして要求しなかったのかが残念です。 昔、総理大臣の犯罪という言葉がありました。
今回のはまさに、菅・民主党政権の犯罪ではないですか。 知らなかったでは済まされません。 ぜひとも国会で追及してほしいです。 |


