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本日お昼過ぎに、久しぶりに大地の底から響くような地震が来ましたね。
皆さんの所では大丈夫でしたか? さて11日の福島民報紙に昨年12月10日から今年1月8日までの、1ヵ月間の
放射線量測定値の推移という一覧が掲載されていました。
こういうのを見ると、統計とは大事なんだなと分かります。 福島市は長らく1マイクロシーベルト/hを少し上回る数値が続いていて、いつになったら1マイクロ切るんだろうなと漠然と見ていましたが、先月あたりからようやく1マイクロを切るようになってきました。
そして一覧を見ると、12月26日に突如として0.97から0.86マイクロシーベルト/hに下がり、翌27日には0.82マイクロシーベルト/hまで下がりました。これは雪が 降って積もったからなのでしょうかね?
ただ翌28日から徐々に上がり始め、問題の1月3日には0.92マイクロシーベルト /hが記録されています。
そして5日には0.78マイクロシーベルト/hまで戻り、それ以降は0.80マイクロシーベルト/hと安定しています。 やはりセシウム降下量急増とリンクしていたようですね。 私の実家のいわき市は、ここしばらくは0.17マイクロシーベルト/hと安定していましたが、12月23日あたりから0.18、0.19マイクロシーベルト/hと若干高い数値を
示しています。なにか風向きとかもあるのでしょうか。
福島市の放射線量の測定は県北の保健福祉事務所にて測定されているため、
渡利とか阿武隈川周辺の高い数値と繋がっているようです。
ところが同じ福島市でも、果樹研究所は0.58マイクロシーベルト/h、福島西ICは 0.40マイクロシーベルト/h、自治研修センターは0.32マイクロシーベルト/hと 半分から3分の1程度の放射線量となっています。
福島市の西側はどういうわけか低い数値です。阿武隈川を境に分断された様な感じですね。 引き続き監視を続けていく必要がありますね。
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放射能被害・被災関連
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ふくしま会議の最終日に、鎌田實医師の講演がありました。
鎌田先生の著書「なさけないけど あきらめない(朝日新聞出版 1470円)」にも、 震災以降の先生の活動が詳しく紹介されています。
山下俊一氏との対談もありますので、一読をお勧めいたします。 福島YWCAのHさんが、鎌田医師の講演の内容をレポートにまとめてくださいましたので掲載いたします。
H23年11月13日(日)午後1時30分〜4時15分 福島大学 「復興カレッジ:チェルノブイリからフクシマへ」 【鎌田 實さん(内科医)の講演より】
1 チェルノブイリから福島へ
1991年より20年間ベラルーシの放射能汚染地帯の子どもたちを守るために医師団派遣と医薬品を送る活動をしてきた。 6300人の子どもが小児がんを発症したが、放射能との関係性を証明しにくく、 IAEAやWHOは「放射能ノイローゼ」などと言っていた。 肺がんなどで亡くなった遺体の肺の中にプルトニウムと思われる光る物質をみることがあった。 病気の原因究明にレントゲンやCTが手軽に使われるが、それぞれ一回で50μシーベルト、6.9ミリシーベルトの放射線を浴びることになる。私は放射能が嫌い。 たとえ少量でも放射能を浴びないことがいいと考えてきた。
3/15に小高市立病院やっと連絡がとれ、医師も看護師も足りないという院長の訴えに南相馬市に入り、巡回診療などを行った。現地では20kmゾーン内での命がけの救出作業が続き、「高齢者がいるために逃げられない」、「俺はいいからと若い家族を逃がす高齢者」、「高齢者の枕元に何個もおにぎりを並べて泣く泣く逃げた家族」など、一人ひとりが苦渋の選択をさせられていた。
2 放射能の「見える化」に取り組め!
3・11の風向きで翌12日は一関へ、15日は福島を初め新潟・日光・横浜を放射能は流れた。 そして21日のメルトダウンで千葉へ。すばやい対応が求められた。我々は積算線量計50台を妊婦に貸し出し、外部被爆を避けるための生活改善に取り組んだ。 住居の除染にも取り組み、コンクリート・アスファルト・屋根の材質によってでこぼこに付着した放射能を除去することは難しいことも分かった。 少しでも早く放射能値の「見える化」に取り組みことが重要となる。 ベトカでは人口2万人のところにホールボディカウンターが2台、あるいは3台。 人々は半年に一回測定を受ける。
セシウムの体内被曝があっても、汚染されていない食べ物を食べおしっこを出すことで、3ヶ月できれいになる。 3月末に1150人の避難者を検査すると、その45%が被爆していた。福島県内36万人の子どもの検査をするために今のホールボディカウンターの数では足りない。 また、これからの検査では何をどのくらい被爆したかは推測に頼るしかない。また、甲状腺ガンの発症は被爆から5年後とも言われている。 3 日本は世界一厳しい規制値に!
今後の内部被爆を避けるためには食料品の暫定値を早く「世界一厳しい規制値」にすること。 また、決まっていない幼児の規制値を作ること。これらが決まって、放射能値が全品表示されることで、それぞれが自己決定できることになる。加えて日立沖のプランクトンに660ベクレルの放射能が検出され、海が汚染されている可能性が大きい。 海の汚染は初めてのことである。
チェルノブイリ原発から3,5km地点で昨年17μシーベルトの地域は除染をしていない。 同じ敷地の中にもホットスポットがある。埋葬の村は、148万ベクレルで強制移住地であるが、そこを離れずにすみ続けている住民もいる。現地のご馳走はきのこ スープ。彼らに添った支援をすることは甘いものではない。
命・健康・仕事・生活・絆、そこに残る人、避難する人。チェルノブイリに20年間付合って、自国の事故に向かっていえることは、放射能に絶対正解はない。△(さんかく)を探していくこと。 専門家の議論は空中戦でしかない。できるだけ○(まる)に近い△を探すことで ある。
※この講演は、NHKの「復興カレッジ」第2回分として収録されました。
放送日は、12月11日(日)午後2時〜2時50分です。 Eテレ 東北ブロックで放映されます。 Hさんの自宅の椎茸です
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昨日、ハルさんがコメントで紹介してくださった光合成細菌の記事は
11日のふくしま会議でも話題になっていました。 11/11付、毎日新聞「セシウム汚染:微生物で約90%除去 広島の大学教授ら」
簡単にまとめると・・・。 広島国際学院大学の佐々木健教授(バイオ環境化学)らの研究グループが、 9月に福島市内の公立学校のプールからヘドロを採取し、現地で実験をした。 実験開始前に、12.04〜14.54μSv/hだった放射線量は、3日後の計測で、 2.6〜4.1μSv/hまで減少した。 細菌90グラムをアルギン酸などに混ぜた粒状物質を、濃縮したヘドロ50リットルに 投入したという。 佐々木教授らは、土壌での実証実験も予定しており「常温常圧で、現地で除去 作業ができるのが利点。コストも安く、福島再生のためにぜひ普及させたい」と 話している。 ☆今までの常識や固定観念を覆す、様々な研究が表にでてきましたね。
期待したいです! * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
先日のふくしま会議の会場前で、浪江の酪農家、吉沢さんからお話を伺いました。
現在、吉沢さんの農場の地面は、12μSv/h。空間線量は、6μSv/hだそうです。 メッセージの一部を紹介させていただきます。 「家畜の命を救う希望の牧場」
(有)エム牧場浪江農場長 吉沢正巳さん 3月18日に舎飼いの肥育牛、育成牛を放し、330頭の和牛に餌としてモヤシ粕を
運び入れました。立ち入り禁止地帯にされ、放牧場の草もまだ無い中、牛たちは 貴重な餌として命を繋ぐことができました。 警戒区域に立ち入り、餌運びの合間に近所の農家の惨状を目撃していた私達は 牛たちの命を助け、餓死させない決意を固めました。 多少の放射能被曝はしても、家畜に餌運びをしたのは畜産人としての当然の道で あり、意地でもあったと思います。
牛たちは現在、広い牧場の豊富な草の中で元気に群れ、子牛たちも動き回って います。この様子は「希望の牧場」のブログで見ることができます。 国は警戒区域に生き残った家畜の殺処分を指示しました。
農家の同意を得てという条件付ですが、これは抹殺を意味しています。 「希望の牧場」構想では、被曝した牛たちをずっと生かし続けながら、被曝・除染 の研究や実証の場を各大学・研究機関に積極的に提供し、成果を出しながら、 餓死でも抹殺でもない第三の道としての牛たちの生きる意味を、国に認めてもらい 復興に役立てていきたいと考えています。 絶望的な津波の被害や放射能汚染の深刻さの現状に、浪江町が負けていいのか
と思います。 季節外れに咲いた乙女椿。本来は春に咲きますが、ここのところの暖かさで咲いてしまった
のでしょう。以前紹介した白い山茶花も今年は珍しくきれいにたくさん咲きました。例年ですと
寒さにやられて花がまともに咲かないことが多かったりします。
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