郷土の歴史

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今日は、73回目の終戦記念日です。
敗戦時、私の父は20才で、島根県の大社基地におりました。
同郷の先輩は、爆撃機銀河の特攻出撃で沖縄へ飛び立ち、帰らぬ人となりましたが、父は晩年まで、先輩の写真を大切に保管していました。

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父と同い年の母は、いわき市の小学校の教員でした。
戦後、満州からの引き上げ家族が、常磐炭鉱の仕事に就き、その子ども達を学校で教えていました。
古い炭鉱長屋に、とても勉強のできる少女がいて、姉のように母を慕い、その方が伊達市に嫁いでからは、毎秋、美味しいりんごをいわきに送ってくださいました。当時は、木箱です。
籾殻に守られた赤いりんごが宝石のように輝いて見えました。

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7月に放映されたNHKドラマで、漫画家の赤塚不二夫さんの半生を描いていましたが、赤塚さんも満州からの引き上げ者で、子供時代に様々な差別を体験したそうです。
ニャロメやおそ松くんなどの漫画のキャラクターは、その時代にであった子ども達がモデルだそうです。
赤塚さんの弟さんも、常磐炭鉱で働く親戚にひきとられたそうですから、当時の炭鉱街は、死線をこえて生き延びた人々の復活を支える場所でもあったのでしょう。

2013年1月31日の当ブログにて「みろく世の岩戸ひらく音」で上記の炭鉱について書いています。


そして、こちらは、常磐炭鉱発祥の地「内郷」の回転やぐらです。

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 内郷駅前

13日、お墓参りの後、いわき市の内郷駅前広場に立ち寄ると、女子高生が、回転櫓の周辺でゴミ拾いをしていました。
いわき市の青少年ボランティアの皆さんでした。
高校生の皆さん、雨上がりの蒸し暑い中での奉仕活動、本当にお疲れ様でした。
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本日15日の夜9時まで、JR内郷駅前で盆踊りが行われます。
国宝白水阿弥陀堂を形どった回転やぐら・・・夜は華やかでしょうね。


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そしてこちらは、元内郷支所長の夏井芳徳さんが出版された本です。
いわき明星大学客員教授でもある夏井さんが、今年2月に出版した「いわきの戊辰戦争」を、講演会に参加した親戚から譲ってもらいました。
夏井さんは「はじめに」の中で、こう述べています。

「戊辰戦争では、いわきの地も戦いの場となり、激しい戦いが行われました。・・・今、自分がしていることや世の中の動きを過去の歴史と比較し、良いところを伸ばしたり、悪いところを直したりすることを「歴史に学ぶ」というのです。「歴史を学ぶ」こと、そして「歴史に学ぶ」こと、この二つは両方とも、とても大切なことです。」

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 夏井さんの母校・磐城高校の生徒さん

いわき市平字長橋町の性源寺には、「戊辰役戦没者之碑」が建っているそうです。
その石碑には、戊辰戦争で亡くなった若者の名前や年齢が刻まれています。
福島の若者ではありません。
因州藩(鳥取)や芸州藩(広島)、伊勢藩や下総藩の10代や20代の若者が、磐城の地で亡くなっています。
「おわりに」の中で、夏井さんはこう述べています。

「戊辰戦争では、多くの若い人たちが命を失ったのです。いい方を替えれば、戊辰戦争は多くの若い人たちから、未来や夢を奪い取ってしまったのです。戊辰戦争という歴史から学び取らなくてはならないことはたくさんあります。
しかし、それらのなかで、私たちが一番しっかりと学び取らなくてはならないこと、それは戦争をしてはいけないということだと思います。」

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 白水阿弥陀堂
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福島駅

最近、観光や援農で「福島を訪問したいです!」というお問い合せが増えています。
ありがとうございます!
とりあえず、私も乗ってみたいな〜と思っている、こちら☆
郡山〜会津を往復するオシャレなスイーツトレインあたりから、果樹王国・福島を
のぞいて見てくださいね。
「走るカフェ・フルーティアふくしま」号
http://www.jr-sendai.com/fruitea

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磐梯山とソバの花

さて、福島の民話「安寿と厨子王」の物語の中に、桃や梨などのエピソードが一つでもあればと思うのですが・・・まぁ、無いならば、創るしかないでしょう(笑)
「あんじゅ桃」とか・・・、天使の桃みたいなイメージがふくらんできました。
と、その時・・・・・
友人からNHK「ファミリーヒストリー」を見て!とメールが。
7/3のNHK「ファミリーヒストリー」には、スピードスケート金メダリストの清水宏保さんが登場し
ました。
金メダルを、小柄な日本人・清水宏保さんが手にするまでには、家族の苦難の歴史があったそうです。
父方母方のルーツは、どちらも裕福な家柄。
学業も優秀なご先祖様で、お祖父さんは北海道のエリート銀行員だったそうです。
しかし、ご両親共に、父親が早くに不在(病死等)となり、生活が困窮する中、母親の苦労を見ながら育ったため、進学を諦めた経緯がありました。
そして、清水選手のお母さんは、ご主人が病気で亡くなった後、肉体労働(土木作業)に従事しながら 清水選手の遠征費用を工面したそうです。
「母は、寒い日(北海道)でも弱音を吐かずに、仕事場に向かった」と、清水選手の
お姉さん。

苦難の中で鍛え上げられる心と身体のインナーマッスル・・・というものがあります。
それは、誰かがお膳立てした場所で、手とり足とり誰かのお世話になっている「満ち足りた」人生の中では、決して体得できないものです。
そのような「筋肉」が代々受け継がれて、ある時「花が実を結ぶ」ように、金メダルを授かる。
そのような大きな時の流れの中を、私達は生きているのでしょう。。

「実」を結ばない花が、至る所に咲き乱れる時代。
「花が実を結ぶ生き方」を、子ども達に語り継いでいきたいものです。

全国的には森鴎外の「山椒太夫」でおなじみの「安寿と厨子王」の物語。
まずは、郷土史から読み解く物語のあらすじを、「安寿と厨子王のお話ネットワーク」のホームページから一部転載させて頂きます。

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岩城判官・平政氏は平将門の子孫で、康保4年(967)に賊を討伐した恩賞として
奥州の津軽郡、岩城郡、信夫郡を賜つていわきに着任してきました。
政氏には2人の子があり、姉は家臣・村岡重頼の妻となり、弟の政道は父の後を
継ぎました。
この政道が、安寿と厨子王の父なのです。
岩城判官は、一代、二代と平和に暮らしていましたが、ある時、政道が、小山田での桜狩りの帰りに義兄である家臣・村岡重頼に殻されてしまいます。
安寿と厨子王の不幸はこのときから始まります。
政道が暗殺されてから、重頼が勢いを持ち、やがて安寿と厨子王は母と乳母、
下臣らと住吉城を追われて長い旅路に着くことになります。
まずたどり着いたのが、岩代国の信夫庄でした。
ここは安寿らの母の故郷で、今の福島市にあたります。
そして長和6年(1017)、朝廷の指示を願い岩城判官家の再興を計るために京都を 目指し、ますば越後の国へと向かいました。

森鴎外の小説「山椒太夫」はここから始まっています。
「山椒太夫」は江戸時代に流行した「説教」のひとつで、寛永16年(1639)に刊行された「五説教」の中の「さんせう太夫」を原点として書かれています。 

信夫庄を旅立ち20日あまりの苦しい旅路の末、ようやく直江津(新潟県)に到着しました。
しかし、安寿と厨子王たちはこの地で人買いに騙されてしまうのです…。
母と乳母は佐渡へ、安寿と厨子王は丹後の国(京都府北部)の山椒太夫へと売られてゆきました。
安寿は海で潮を汲み、厨子王は山で柴を刈り、奴隷として苦しい毎日を強いられます
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菊畑の下草刈り〜毎年、この作業で筋肉がつき、猛暑に敗けない身体ができる気がします。

物語の中に、2人を救う地蔵尊像の話が出てきます。
安寿と厨子王が山椒太夫の屋敷で仕置きを受け、やけどを負ったときのこと。
母から預かった家宝の地蔵尊像に祈りを捧げると、不思議や疲みは消えたそうです。
この話の由来を持つ地蔵尊像が、いわき市の住吉山通照院に保存されています。
寛仁4年(1020)、安寿は厨子王を諭して山椒太夫の屋敷を脱出させ、自らは入水
自殺を遂げます。
安寿16才。厨子王13才でした。
厨子王は追っ手を逃れ、橋立の延命寺に逃げ込みます。
そして親智和尚の計らいで京都に入り、閑院右大臣.藤原公季に匿われて文武両道に励みました。
平政隆と命名された厨子王は、3000余人の兵を引き連れて奥州を目指し、塩谷城(いわき市東田町)において村岡重頼を征伐し、長年の宿願を果たしました。

京都に帰つた政隆は、朝廷より丹後の国守に任命され、奴隷を解放し、人身の売買を禁し、善政に励みました。
一方、生き別れた母の行方を求めて、佐渡を尋ね歩くと、鳥追い唄をうたう老女に
巡り会います。
「安寿恋しやホウヤレホ〜厨子王恋しやホウヤレホ〜」
厨子王が、母にかけ寄りすがりつくと、嬉し涙に、母の眼は、奇(くす)しくも開き、
母子は再び抱き合ったということです。
 
老後の政隆は、家督を嫡男の民部大輔政保に譲って岩城に帰り、総本家にあたる相馬家繁栄の地に御所を設け、その地で余生を送ったといわれています。

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        ☆ハート型の梨の実

この物語は、冒頭から父親が不在です。
このあたりで直感的に、平将門と安倍晴明の父子を想ってしまう私です。
そして、姉(女性)の自己犠牲によって救われた弟が、地蔵菩薩に守られながら試練を乗り越え、最後は奴隷を解放して善政に励む国守となる・・・というストーリー展開。
厨子王の生まれた年を逆算すると、安倍晴明が亡くなった1005年あたりなのが、なんとなく気になります。
民話の奥から、小さな小さなささやきが、聴こえてきませんか?

名匠・溝口健二監督による「山椒太夫」は、1954年に大映で映画化され、ベネツィア国際映画祭で「銀獅子賞」を受賞しました。
安寿役は、香川京子さん。
厨子王役は、津川雅彦さん。
母親役は、田中絹代さんでした。

福島の民話が、60年前にすでに世界にむけて発信されていたのですね。
安寿の住まいがあったという、いわき市の住吉城跡や、福島市渡利の椿館など、
ゆかりの場所を訪ねてみたいと思いました。

次回は、「自己犠牲だけが女性の生き方ではありません」というワンバック選手
(女子サッカー)のお話です!

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                             ☆いわき市白水阿弥陀堂のお地蔵様
女子W杯決勝は、アメリカに花を持たせる結果となりました。
子どもを産んでからチームに復帰するメンバーもいるというアメリカ。
パーソナル・パワーのレベルの差が出ていたとも感じます。

でもよくがんばりました。
来年のオリンピックには、U22世代が登場するでしょう。
世界大会でも結果を出している若い彼女たちを育てるための長期的なビジョンや
新たな選手観が、これから益々必要になってくるのでしょうね。

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☆神田明神

さて、前回からの続きです。
ご神託を届けた巫女と、平将門の間に生まれた子ども・・・とも云われる安倍晴明。
と、ここまで書いてきて、妙なシンクロに気づきました。
安倍晴明が、福島稲荷神社を創建した年から、ちょうど1000年めの1987年は・・・
うちの次男が生まれた年でした。関係ないか(笑)
そして、ハレー彗星が地球にやって来た年でもありました。
前年には、チェルノブイリ原発事故も発生しています。
時代のプレートが音をたてて軋み始めた年・・・あれから、まもなく30年です。

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           ☆石森稲荷神社

前回ご紹介した福島市鎌田の「石森稲荷神社」も、安倍晴明が創建しました。
み〜んな「稲荷」です。
安倍晴明の母親が白狐だとする有名な伝説は、何を意味するのでしょう?
石森稲荷神社には、福島3狐に数えられる「賀茂の狐」が祀られています。
この森には、賀茂という名の「霊力をもつ狐」がいたと、石碑にあります。
ちなみに残りの2狐は、信夫山と一杯森に祀られているそうです。
「狐・稲荷」とは、何の象徴なのでしょうね。

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さて、こちらは福島市笹木野です。
水田の西側が、「おろ杉伝説」発祥の地です。
吾妻支所の駐車場から、「王老杉稲荷神社」の赤い鳥居が見えます。

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「朝廷に祟りをなした」とされた「大杉の霊」とは、いったい・・・?
まずは、地元に伝わる民話「おろ杉伝説」をご紹介します。
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王老杉稲荷神社の鳥居

昔、信夫郡笹木野村の豪農で庄屋をつとめる家に「おろす」という名の、十六歳になる美しい娘がおった。
この娘のところには村の若者がよく遊びに来ていたが、その中にきまって夕刻、ただ一人で通ってくる青年がいた。気品のある顔立ちで、他の若者とは違っていた。
この青年が、おろすの部屋に入ると杉の木を鋸でひいた時の特有の香りがしていたそうな。

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おろすは、その若者にだんだんと好意をもち、どこから来ているのだろうと思った。
ある夜、おろすがこの若者の着物に糸をつけた針を刺しておき、若者が帰った後、その糸を手繰っていくと、何百年もたっていると思われる杉の大木に刺さっていた。
おろすの憧れの人は大杉の精であった。

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☆この近くに伝説由来の「小針」という地名があります。

村人がこの話を聞きつけ、この大杉を「王老杉」と呼ぶようになり、気味の悪い大木を切り倒すことになった。村人が大勢集まり切り倒しにかかったが、大木のため、
一度では切れない。
翌日まで残すと、一晩で切り跡も残さず元に戻ってしまった。
何回やっても同じで、杉の精の不思議さにあきらめかけていた時、傍らのよもぎが、「その日に伐採したものはその日のうちに焼き払えば大丈夫」と教えてくれた。
その通りにすると、幾日かで大杉は地上に切り倒されてしまった。
しかし切り倒した大杉を運ぼうとすると、何人かかっても少しも動かない。

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そこで娘のおろすにたのんで、「どうか動いてください」と声をかけてもらうと、今度は簡単に動かすことが出来た。その後、この大杉は、福島城下まで運ばれ、「城下の木の橋」と、「大仏様」になった。

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ここまでが、笹木野に伝わる「王老杉」の伝説です。
そして、切り倒された大杉で作られた「密語(ささやき)橋」が「朝廷に祟りをなす」話は、以下。
福島城の郭内用水に架けられた杉の橋「密語橋」には、二つの伝説が残されています。
①福島城の杉の橋から夜になると、ささやく声が聞こえてくるため、人々は気味悪がってこの橋を「ささやき橋」と呼び、誰一人として渡る者がいなくなった。
そこで「おろす」と言う娘を呼んでこの橋を慰めてもらうことになり、おろすに晴れ着をきせて橋を渡らせることになった。
「おろす」は杉の精を想い欄干に寄り添い、頬ずりをしながら思わず泣いてしまった。
そして「これからはささやくことを止めてほしい」と言い聞かせ、橋を渡り終える辺りで倒れ、そのまま亡くなった。それからは、橋がささやくこともなくなり、人々は「密語橋」として、杉の精と、おろすの美しい愛情を語り伝えた。

②信達一統志に、「密語橋になった杉の御魂が、朝廷に祟りをなし、そのため平安中期の陰陽家、阿部晴明と芦屋道満が、下向し、平癒を祈願した。村人はこのため壇を築き、それが道満塚、清明塚であると言う。(現在の清明町の名は清明塚からつけたものである)さらに杉の御魂の祟りをなだめて祭ったのが杉妻大明神とし、この杉妻稲荷こそは当地の産神であるとしている。」とある。

この二つの伝説は 「王老杉」 にまつわるものです。

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「悪霊」が朝廷に祟りをなして、安倍晴明と芦屋道満までが派遣されるほどの事態とは、ちょっと田舎の古狐が悪戯して・・・というレベルの話ではないのです。
「密語橋」は、何をささやいていたのでしょうね・・・。
そのことを恐らくほとんどの市民はスルーして、深く考えたことがないのではと思います。
というか、「考えること」は、時として危険な事という認識もあったかもしれませんね。
明治から戦前にかけては、「朝敵」の王老杉ですから、地元としても上げたり下げたり大変だったのでは・・・。

王老杉の精の子どもを身ごもった娘「おろす」は、双子を産み落としたが、悲嘆のうちに墓に葬られたという言い伝えもあり、その墓所は「二子塚」という地名となって、今も市内に実在します。

「おろす」という言霊は、神託を「下ろす」にもつながります。
この伝説に隠された真実の物語が、いつか開示されることを願っています。

平将門が絡む、有名な福島の伝説を、もう一つ。
次回は、いわきと福島を結ぶ「安寿と厨子王」の物語を紐解きながら、この地に刻まれた復活の底力をご紹介します。
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M先生のお見舞いで上京したついでに立ち寄った神田明神。
まさかの「将門」(笑)
驚きの連続でした。
M先生は、ハーレーに乗って日本全国をフィールドワークする、ちょっと型破りな
牧師先生で、震災後は、出雲にも足を運んだとか。
それで、福島稲荷神社に祀られている3神の話題にもなりました。
その3神とは、伊勢神宮外宮の「豊受大御神」と、出雲の「大国主命」「事代主命」。
そして、987年に福島稲荷神社を創建した人物こそ、だれあろう「安倍晴明」なのです!

安倍晴明を、「信夫の里」福島に派遣した、朝廷の意図とは何か・・・?
そのあたりの経緯は、民話的な衣をまとった男女の悲恋から始まる伝説として、
地元で語り継がれておりまして、次回くわしくご紹介しますが、なんとも奇々怪々で、不思議なストーリー展開・・・とだけお伝えして
おきます(笑)
安倍晴明の父ともいわれる「平将門」の名を、民話の登場人物(大杉の霊)に変換した時に、私はちょっと身震いしましたが、その民話にまつわる地名が、福島市内には多く存在します。
福島市「清明町」も、安倍晴明ゆかりの場所といわれています。
高名な天文学者にして、霊力を操る陰陽師であった彼が「1000年後に私はまた
蘇る」と予言して、福島に稲荷を祀った・・・その意味を、ずっと考えています。
そして、1000年後の今、、福島の受難と復活のドラマの中で、安倍晴明のミッションはどのように花開いていくのでしょうね。

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さて、神田明神で入手した本の中に、神社の歴史が記されていました。
神田明神には、三柱の神々が祀られています。
一柱目は「だいこく様」(大国主命)
二柱目は「えびす様」(少彦名命)
三柱目は「平将門公」
創建は、奈良時代の730年。1300年前です。
出雲氏族で、大国主命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)の一族によって祀られた
そうです。
神田という地名は、そこから来ています。
平安時代中期に、関東の豪族・平将門が朝廷に反旗を翻し、敗れた後に天変地異が多発したため、「祟り」と恐れた人々が鎮魂のために将門を神田明神に合祀したということです。

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神田祭では昔から、神田明神の託宣により、「神事能」が行われていたそうですから、秦河勝や世阿弥の霊統にもつながっているのでしょう。
ということは、聖徳太子にも・・・。
それはそれとして、平将門を、この江戸の鬼門に祀ったのには大きな意味があるようです。
もともと平将門は、「平」の姓を授けられた高望王の孫にあたりますので、皇族(桓武平氏)です。
父は、賀茂氏の血流ですが、母が相馬の出身ということで、「相馬小次郎」と称したこともあります。
10代から12年間在京して見聞した平安京や朝廷の腐敗と堕落・・・。
関東の領地に戻った後、自らを「新皇」と称して、国の中心を東に移そうとした将門のビジョンを700年後に形にしたのが、同じ賀茂氏の流れの徳川家康でした。
重い負担を強いられ続けた東国の人々の代弁者として、将門の魂は、民衆の尊敬と親愛に守られ、神田明神に生き続けていました。
徳川幕府によって、江戸城の鬼門にあたる現在地に遷座されてから「400年めが今年」ということです。
これは、朝廷に反逆した将門を、将軍居城の鬼門に据えることにより、幕政に朝廷を関与させない決意の現れ・・・といいますか、裏の仕掛け人・天海僧正による陰陽道の「鬼門封じ」・・・ともいわれていますね。

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徳川家光の時代に、「将門は朝敵に非ず」との奏上があり、将門の評価は一変しましたが、その後も、歴史の激流の中で浮き沈みを繰り返しました。
明治時代は、逆賊として神田明神の三柱から外されましたが、戦後は再び復帰し、今に至っています。
「逆賊」の父の子らは、命を奪われるか、素性を隠して生き延びるか・・・宿命の二つの道を強いられました。
伊達市桑折町の半田沼には、将門の娘(側室とも?)・桔梗姫が身を投げたという伝説があります。
いわき市や会津には、娘の滝夜叉の伝説や墓などがあるようです。
息子の安倍晴明が、その素性を隠して京都の賀茂氏に預けられ、陰陽道と天文学を修めた後、真のルーツである関東〜東北に、その「印」を残したいと思ったとしても不思議ではない・・・とも思います。

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実はですね、今年の4月の駅前マルシェで、梨のシャーベットを試食して頂くために、小さな紙コップが必要になり、福島市鎌田の「福一屋」さんまで買いに行ったのです。
その帰り、美しい桜と神社が目に留まりまして写真撮影しました。
石森神社とありました。
そして、「賀茂の・・・」と石碑にありました。
この神社がですね、安倍晴明が福島に創建した二つの神社のうちの一つだということを、昨夜知りました。
続きは、また次回に。

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速報です。
なでしこジャパンW杯決勝進出おめでとうございます。
準決勝対戦相手のイングランドは、これまで一度も勝ったことのない相手でした。
前回W杯でも予選リーグで負けています。
そして今回1対1で迎えた後半ロスタイムに、日本が相手ゴール前に攻め上がった ところで、相手選手のクリアボールがイングランドゴールのバーを叩いて落ち、落ちたところがゴールラインを割ったということでゴールが認められ、最後まで逃げ切っての勝ちでした。
本当に手に汗握る試合でした。

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さて今回は、一年ぶりの東京行きでした。
先月から原因不明の体調不良で・・・と、お電話を頂いた恩師M先生を見舞った後、
新社会人の息子の寮へ。
部屋の入口に懐かしい色紙が飾ってありました!

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2011年3月1日、震災の10日前(卒業式)に、野球部の監督やスッタフの先生方から 頂いた「不動心」のメッセージです。
一番若い先生が「全ては見えない光に照らされている」と書いてくださいました。

息子いわく。
「聖光学院野球部が初めて甲子園大会に出場したのは、2001年の夏。
20対0の完敗だった。あの体験から全てが始まった。
斎藤監督は、あの大敗があったからこそ、今があると言っている」と。

10年〜20年後に「あの震災の苦しみを体験したからこそ、今の福島がある」と、
私も言ってみたいです。
「ルワンダの奇跡」を、福島にも・・・実現したいですね。

震災前に、聖光学院高校の校長先生として伊達市におられたM先生(牧師)に、
マリールイズさんのルワンダのお話をシェアしました。
内戦の後、確執の残る二つの部族を割って分裂国家とせずに、葛藤を抱えながらも統一国家を創る道を選んだルワンダの人々・・・「だからこそ、今の奇跡があるのです」と語ったマリールイズさん。
実は、マリールイズさんは、聖光学院高校の聖書の先生から、日本語を学ばれたということです。
繋がってますね。

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      御茶ノ水駅前

さて、今夏、聖光学院野球部は、夏の甲子園大会連続出場回数の新記録達成なるか・・・の正念場☆
(昨年は、智弁和歌山の最高記録とタイ!)
勝利をつかむ握力も大事だけれど、はたして勝利を招き入れる「器」が自分の中にあるのかどうか・・・
その器を、毎日キレイに洗い清め、ピカピカに磨きあげているのか否か・・・
そのあたりが、最後の土壇場で、勝敗を決めるのではないかな、と思います。
オウンゴールという相手からのプレゼントで勝つこともあったり。
私達がスポーツの世界に観ていることは、人生のドラマそのものですね。

・・・と、中央線の電車の中で、なぜか急に「神田明神」の名が浮かび、「御茶ノ水」で途中下車。
浮かんだはいいのですが、行ったことの無い私です(笑)
いつものように、勘とスマホで行けるでしょう。
「感」即「動」は、・・・野球部部長の横山先生の教えでしたね。

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あっ!ここだ〜。
聖橋を渡り、東京医科歯科大学わきをルンルンと歩いていくと、すぐ着いちゃいました。
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 随神門
そして、ビックリ!
今年は、神田明神・遷座400年・・・なんですね。

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そして、またまたビックリ!
この日は、なんと大安でした。
6/30「夏越大祓」の神事を控えた境内は、結婚式の団体さんや、茅の輪くぐりの参拝客で大賑わいでした。

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そして、休憩所には、なんと!相馬野馬追のポスターが・・・。

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東京の首塚で有名な平将門の、実は「からだ」が祀ってあるともいわれる神田明神。
そこに、なぜ、福島県相馬市のポスターがあるの・・・と、思いませんか?
実は、相馬藩は、平将門の子孫の分家にあたります。
毎年7月に福島県相馬市で開催される「相馬野馬追」は、1000年以上もの間絶やさずに伝え続けてきた将門ゆかりの神事なのです。
今年は、7/25〜27に開催されます。

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神田明神のご神紋は「三つ巴」でした。
福島稲荷神社と、先日の「五霊神社」も同じ神紋です。
「将門記」などの資料を元に、その血流の行方については様々語られてきましたが、
陰陽師・安倍晴明が将門の息子であるという説には、心の深いところで納得できる私がいます。
福島の神話や昔話の深層に光をあてて見るならば、自ずとその真相が浮かび上がってくるかもしれません。
今年は、フィギュアスケートの羽生結弦くんが「安倍晴明」を舞うそうですね。
次回も引き続き、神田明神の写真をアップしながら、平将門・安倍晴明・福島的霊性のアングラに踏み込んでみます。

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