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雨の日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
週間天気予報では来週あたりから晴れの日が続くようなので、来週にも梅雨明けして欲しいところです。
畑の梨が日増しに大きくなっています。
ヒマワリも背丈が2メートルを超えました。 お盆用に栽培している菊の出荷が始まり、朝4時から畑で作業をしています。
連日、暗いニュースが続いて鬱々としていましたが、偶然この映像を見て、
目が覚めました(笑) 福島市のソーシャルメディアプロデューサー・熊坂仁美さんらが福島の元気を発信するために制作した動画です。
動画投稿サイト「ユーチューブ」に公開されて、15日間で170カ国以上からアクセスがあり、再生回数も、現在54万回を突破しています。 狩野安則(かのやすのり)福島駅長が玄人なみのリズムをとりながら福島駅の改札を出るシーンで始まります。
小林 福島市長もサッカーで子供たちと真剣勝負!
まずはご覧ください。
動画サイトはこちら http://www.youtube.com/watch?v=B-pk8z8rX2U(動画時間 4:03秒)
※「HAPPY」は、米のPharrell Williams(ファレル・ウィリアムス)の
大ヒット曲です。
福島市出身の俳優なすびさんや、お寺のお坊さん、若者、全村避難が続く飯舘村民、仮設住宅で暮らす女性たちも踊っています。
それにしても、昨年8月に行なわれた瓦礫撤去(福島原発3号機屋上)の際に、
20キロ離れた南相馬市まで放射性物質が飛散していたとは・・・・・。
今頃、公表?・・・南相馬の稲も汚染って・・・県は知ってて、今まで隠していたのですね。
今年10月の福島県知事選では、東電や国の利益ではなく、県民の命を守れる新しい知事を選出して、「HAPPY」最新版で踊っていただきましょう☆☆☆
前回ご紹介しました宮本延春さんの子供向けの宇宙の本です。
この本の中に、宮本さんの自己紹介文があります。
「私は、小学生のころからずっといじめられっ子で、学校が大嫌いでした。
・・・学校嫌いが勉強嫌いへとつながり、中学ではオール1という成績をもらいました。 そして中学を卒業したあと、成績が悪くて高校へは進学できなかったので、見習い大工として働き始めたのです。 当時、一ヶ月の給料は7万円でした。 中学を卒業した翌年、私が16歳のとき母は亡くなりました。 ・・・私は養子で、もらわれてきた子供です。」 「このころ、同級生が楽しそうに高校に通っているとき、私は7万円のために厳しい現場で働き、食事も、掃除も、洗濯も、経済的なことも、精神的なことも、全てひとりで支え、何の楽しみもなく、ただ『生きる』ためだけに生きていました。
そして、18歳のときに父も亡くなり、そこから天涯孤独の人生がはじまりました。 ここでキミに感じてほしいのは、『悲惨だな〜』ではなくて、『生きるとは何だろう』ということです。」 この続きは、次回に書きますが、なぜか私は、宮本さんの半生と、福島での体験が、深いところでつながっているように感じるのです。
差別や暴力の問題・・・。
そこから、いかに自分と他者を解放していくのか・・・という課題。 海外旅行先で、福島の子どもたちが「福島から来た」と伝えると、現地の人々が皆「アーメン」と言って、十字を切ったそうです。
「汚染された福島に住む気の毒な人々・・・これから病気になるかもしれない可哀想な子ども達をお守り下さい」と。 それが世界のイメージする「福島」であり、もしかして、そうあってほしいという「期待」さえあるのかもしれない・・・。
子どもたちの感受性は敏感にそのことを察知し、ショックを受けて帰国しました。
私たちは、悲惨で可哀想な「だけ」の人間・・・なのか。
元気に笑ったり踊ったりもしながら、『差別や放射能に抗して強く生きていく人間』であってはいけないのだろうか・・・。 汚染されているのは、福島だけではない。 同じく放射能が降り注いだ東京は、首都直下型地震の切迫したリスクからも目を逸らしたまま、2020年にオリンピックを開催するという・・・。 東京で暮らす子ども達の命は、大丈夫なのだろうか? マスコミも知識人と言われる人々も沈黙したまま・・・。
『悲惨なこと』は全て福島で・・・という前提で議論が展開し、
「福島県は人が住めない」などと、学者や医師が軽々しく言う。 福島に人が住めないなら、東京にも住めないだろうに・・・。 「被害を隠すことが問題だ。鼻血だけじゃなく、福島で障がい児がたくさん生まれている」などと、言いたい放題・・・『言論の自由』という暴力に侵害され続ける『福島の人権』と『障がい者の人権』。
今年6月に、東京新聞で紹介された郡山の漫画家、芳賀由香さん。
彼女が週刊金曜日に連載した「郡山もんもんライフ」には、福島県民が曝されている暴力とは、レイプされた被害者が裁判においてさらに傷つく『セカンド・レイプ』と同様のものだと記されています。 次回に続く。
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教育問題
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観測史上最多の大雨と強風で列島を直撃した台風8号・・・。
大きな被害と犠牲者のニュースに心が痛みます。 台風が関東地方に来るあたりから温帯低気圧になったことは、農業者にとってはありがたいことでした。 気象庁によれば、エルニーニョ現象が少ないため、今年の夏は冷夏にはならないとのことですが、今回の台風でも後半満足な予報が出来なかったのですから、安心してはいけないと思います。 また、今週は県外の複数の知人から、訃報が相次ぎました。
メメント・モリ・・・。 死(無常)を想い、自らを糺す7月です。 心からご冥福をお祈り申し上げます。 白水阿弥陀堂のハス
今朝方、昨年他界した父の夢を見ました。
大きな学校のような場所です。
新調したのか(あの世で?)オシャレな旅支度で現れて、嬉しそうに、ニコニコとお土産を私に手渡す父・・・。 なぜか私は、松井選手(野球で被災地支援?)の会場案内もしていて、二人を引き合わせようとしている夢でした。
なんなんでしょう(笑) 先日、その父が遺したアルバムの中に、三男の写真を発見しました。
中学時代、不登校だった三男が、私立のS高校に入学した2008年4月。
オリエンテーションで、いわき市の海浜自然の家に宿泊した際のクラスの 集合写真です。
男子生徒のほとんどが丸刈り(野球部)で、この子らが、まさか3年連続で夏の甲子園大会に出場し、最後の夏はベスト8で、春夏連覇の沖縄興南高校と対戦することになろうとは・・・この時、だれも予想してはいませんでした。
そして、写真の中の息子のすぐ後ろに立っているのは、同じ野球部のAくん。
この時点で、遠方から野球留学で入学したAくんのお母さんと私が、なんと
従姉妹であったという不思議な巡り合わせに気づいている人は、誰もいない・・・
神のみぞ知る・・・2008年4月でした。
「出会いは必然」といいますが、
人間の小さな思惑や、心配、不安とは全く別の次元で、「道」は準備されているようにも思えます。 ☆福島県伊達市「伊達駅」
そもそもの初まりは、2007年7月7日。
この日、中学3年の息子と一緒に、伊達駅の小さな待合室で、天井に揺れる 七夕飾りを見上げていました。
私立S高校の学校説明会・個人面談の当日です。 伊達駅から歩いて数分。
久しぶりに「外界の空気」を吸う息子の緊張が伝わってきました。 学校側からは「全日制に不登校の生徒を受入れた前例は無い。通信制もあるので、そちらの受験も考えてみてほしい」との説明がありました。
前例が無いなら、作るしかない・・・と思う私。
息子の決断は・・・
専願で、S高の全日制を受験する・・・ダメモトで。 落ちた場合は、通信制に入学する・・・。 どちらにせよ、S高で大好きな野球を続ける・・・と。 (七夕飾り)現在は、駅舎内店舗の中に☆
中学2年の夏休み明けから、登校を拒否していた息子。
当時、息子が入部していた野球部の保護者代表をしていた夫も、 息子のことで「うつ状態」・・・でした。
夫が帰宅して玄関のドアを開ける瞬間・・・その「微妙な音」を聞き分けて、脱兎のごとく階段を駆け上がり、部屋にこもる息子・・・今となっては笑い話ですが・・・(笑)
これから、どうなるのかなぁ・・・。
希望の光が全く見えない、どん底の日々・・・子どもも、親も、一番苦しい時です。 クラスには、不登校の生徒が5人いました(卒業式の日に初めて知りました・・・)。
時々、自習室や保健室に登校できる生徒もいましたが、学習を指導する教員は配置されていませんでした。 「勉強したければ、福島第四小学校の中にある支援学級に通ってほしい」と言われました。
面談の際に、クラス担任いわく。 「定期テストを受けていないので、学力判定はオール1です。 出席日数もわずかなので、全日制は、無理だと思いますよ。 それにしても、子どもさんが不登校なのに、あなたは何でそんなに明るいの???」 それで、私は、この本を先生にプレゼントしました。
初版発行が、2006年の7月31日。
息子の不登校とほぼ同じタイミングで出版されています。 実は、この年の3月・・・
まだ、不登校になるなんて想像もしていなかった時期に、偶然、読売新聞の記事を切り抜いていました。 2006年3月5日付の記事です。 潜在意識は、すでに息子の未来を予知していたのかもしれませんね。 台風が通過する間、久しぶりに宮本延春さんの本を読んでいました。
震災を体験した私の心に、宮本先生のメッセージが、以前よりも深く入ってくるのが判ります。 現在、宮本先生は、自閉症の子どもさんを授かり、共に生きる体験の中で、講演活動や本の執筆などをされています。
赤ちゃんは、素晴らしいお父さんとお母さんを選んで生まれてきたのではないでしょうか?
次回は、宮本先生の「出会いと奇跡の物語」をご紹介し、震災後の生き方を考えてみたいと思います。 |
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久しぶりに恵みの雨が降り、東京からのお客様とゆっくり交流することが
できました。
偶然、その時の話の内容とシンクロするメルマガが届きビックリ! 皆さんにも、一部シェアさせていただきますね。 ■ 学習障害と診断された少女
先週、次女の入園式に参加した時の事。
先生のお話にとりわけ大きなリアクションを取り、立ったり座ったりする
女の子がいました。
私は、
「個性的で、元気な子がいるな〜。」
「芸能人とか、人の前に立つ才能があるのかな」 などとほほえましく思っていました。
入園式も終わり、妻から聞いた話によると、今の先輩園児のクラスには “問題児”が居るとの事。
で、どうやら、その“問題”視されている子が、大きなリアクションをして いた女の子のようなのです。
“問題児”という評価が、先生によるものなのか、父母によるものなのかは わかりません。
確かに、30人ほどの子供たちをまとめ、さまざまな予定や行事をこなす上では、周りと違う動きをする子がいるのは不都合なこともあるとは思います。 ですが、親の都合や、学校の都合だけで子供の自然な行動を制限したり、
評価するのは、特別な才能を潰してしまうことにもなりかねません。
ここで一つの実話をご紹介しましょう。 ---------
1930年代のイギリス。
ロンドン郊外の街に、一人の小学生の女の子がいました。
ある日のこと。
少女の両親が、学校の教師に呼び出されました。 そして、教師から 「お宅のお子さんは、学習障害があります。」
と伝えられたのです。
集中力が無く、いつもそわそわしているというのです。
両親は心配になり、専門家のところに相談に行く事にしました。
専門家のところへ着くと、少女と母親は分厚い壁に囲まれた部屋に
案内されました。 母親は、専門家に、少女が学校でどのような問題行動をしているかについて、20分以上にわたり説明しました。
いつも宿題を遅れて出したり、周りの子の勉強の邪魔をしたり、などなど。
そして、一通り説明が終わると、その専門家は少女にこう言いました。 「君のお母さんの話を聞いて、お母さんと二人で少し話をしたいんだ。
すぐに戻るから、少しここで待っててくれるかな。」
そう言って、少女を一人部屋に残し、母親と出て行きました。
部屋を出る時に、医師は机の上のラジオの電源をオンに
してから出て行きました。 そして、母親と一緒に隣の部屋に入ったのです。 その部屋には、少女のいる部屋の様子を見る事が出来る窓がありました。
その窓は、マジックミラーになっているので、少女の方から、母親と医師は 見えません。
そして医師は、母親に、ここでしばらく少女を見ているように言いました。
しばらくすると少女はラジオから流れる音楽に合わせて元気に踊り出しました。 その姿をしばらく眺めてから、医師は母親に言いました。
「お母さん、彼女は病気なんかではありません。彼女はダンサーなんです。
ダンススクールに通わせてあげなさい。」
そう言ったのです。
母親は医師に言われた通り、少女をダンススクールに通わせる事にしました。 ダンススクールの教室に初めて足を踏み入れた時、少女は感激しました。
なぜなら、そこには自分と同じような子ばかりだったからです。
じっと座ってなんかいられない。 考えるのにまず体を動かさないといけない。 そんな子ばかりだったのです。
少女はそこでダンスを習いました。 どんどん上達し、やがて少女は、17歳でロイヤル・バレエ団の前身である
サドラーズ・ウェルズ・バレエ団に入団することになりました。
そこで次々と大役を射止め、一躍スターバレリーナとなったのです。
しかし、彼女の活躍はバレエにとどまりませんでした。 彼女はバレエ団を退団すると、TV、映画、舞台と活躍の場を広げ、成功を
おさめます。
彼女の仕事の中で、最も輝かしいもの。
それは、世界的なヒットミュージカルである「キャッツ」
「オペラ座の怪人」の振り付け。
モダンとクラッシック、バレエと演劇を融合させた彼女の振付によって、
世界的にヒットしたのです。
彼女の名前はジリアン・リン。 爵位を授与された天才ダンサーであり、天才振付師。
学習障害と診断され、ラジオに合わせて夢中で踊っていた 天才ダンサー。 ---------
私達は、学校や家庭において、周りと同じようにするように教えられる事も 少なくありません。
しかし、才能、個性とは、周りとは違う事。
物事には常に二面性があります。
あなたが欠点として見ている側面は、裏を返せば長所になります。
子供に対しても、自分に対しても、常識や偏見にとらわれることなく、
あるがままを見ているでしょうか? そして、そのあるがままの特徴が最も活きる場所はどこだろうか? 周りと違う事を恐れず、あなたの、そして、子供達の個性が最も活きる場所を選んで行こう。
自分自身を、そして、周りの人達を、個性と才能を最大限発揮できる場所へと導いて行きましょう。
全ての才能と個性が、最も輝ける世界を願って。
■ 編集後記
昨日は、二十四節気でいうところの穀雨(こくう)でした。
穀雨とは、穀物の成長を助ける雨のことでこの時期は、田畑の準備が整い、 それに合わせて春雨の降る頃ということだそうです。
昨日の午前中に、畑に枝豆やトウモロコシの種をまいたり、スナップエンドウやインゲンマメの苗の植え付けをしたのですが、夕方から小雨がぱらつきだし、今朝も霧雨が降りっていました。 種まきや、苗の植え付けの後に雨が降るという絶好のタイミング。
まさに恵みの雨という感じでした。
そして、あと2週間ほどで八十八夜を過ぎ、立夏を迎えることとなります。 日本人は、農耕民族としての歴史が長いからでしょうか、季節の移ろいを
細かく観察し、季節の移ろいを表現する言葉が文化や習慣の中にも残って
いますね。
日々の忙しさの中にも身の周りの自然を観察し、季節を感じ、楽しむ心の ゆとりを持って行きたいものです。
生命の息吹に溢れるこの季節。 私達も日々、成長していきましょう!
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昨夜、七宮史浩さんのコンサート会場で懐かしい皆様と久しぶりに再会しました。
七宮さんとは、6年ぶり?でしょうか。 11/12小林かおるさんの応援シンポジウムで、七宮さんのお母様が声をかけて くださったお陰です。出会いは、ベストタイミングでやってくる「必然」ですね。
思い起こせば、七宮さんとの出会いは・・・2007年。
今年20歳になった三男が、中学3年生の時でした。 一年半もの間、不登校で毎日「自宅警備員」だった息子が、大好きな野球を
諦めきれず、高校進学にむけて自宅学習を始めた頃だったかと思います。
息子のクラスには5人、他のクラスにも2〜3人の不登校生がいました。
思い悩む母親たちと通ったカウンセラーのK先生宅で、七宮さんのCDを頂いたのが、初めての出会いでした。 息子は、中学時代の半分を引きこもっていました。
今改めて思い返すと、感慨深いものがありますね。 成績判定が殆ど無い、つまり「オール1」の生徒を、受け入れてくれる高校はあるのか?
担任からは「公立は無理。私立の通信制でも・・・」と言われました。 地元で私立の通信制といえば、聖光学院高校。
有名な野球部もあるし・・・でも、練習についていけるのかな。 聖光の全日制に「不登校生」が入学した前例はないと、いったんは拒まれましたが、なぜかピンチになるとスイッチが入る私は、やはり小林かおるさんと同じ五黄土星の亥年生まれです。
初めから諦めないのが「いわき魂」というか、「雑草魂」というか(笑) 毎日、七宮さんのCDを聴きながら、パワー充電してました! 音楽は、理屈じゃなく波動で人をエンパワーしますね。 面接の際の息子の「眼力」(笑)で、奇跡的に全日制に入学を許可して頂いた時の
感動は、今も忘れることができません。
その後、聖光学院高校は、不登校生も全日制に受け入れる様になりまして、その 子ども達が特待生(全教科の平均点が90点以上!)を達成したり・・・潜在的な力を開花させているそうです。
前例の無い所に、道を開拓するのが私たち親子の宿命なんだと思います(笑)
大の野球好きで、今も地元野球チームのピッチャーで大活躍の七宮さん。
これも不思議なご縁ですね。 その後、息子は、聖光学院野球部に入部して、3年連続甲子園へ!
記録員(マネジャー)としてベンチ入りさせて頂き、最後の夏は、ベスト8でした。 今年は、七宮さんのデビュー10周年です。
震災後は、避難所などでのライブを中心とした支援活動も行っていた七宮さん。 実は、2010年に、予言的な新曲をリリースしていました。
曲名は「地球の涙」・・・。 七宮さんが、祈りをこめて熱くシャウト!しています。 昨夜、コンサート会場で入手したCD「BESTアルバム」のラストにも入っていました。
この曲・・・アメリカの梶野さん達が作成しているドキュメンタリー映画の挿入曲に 良いかも・・・と思うのは私だけでしょうか? YouTube の演奏、お聞き下さい!
コンサート会場で、ロマンスグレーの男性が、七宮さんの曲を聴いて泣いていました。
まるで震災を体験した私たちの喪失感を癒やすかのような曲を、10年前から、すでに!凄すぎる! 七宮さんのプロフィールと、12月のライブ情報も合わせてご覧ください。 |
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写真は、いわき市内郷の白水阿弥陀堂で撮影しました。
今、梅や杏の花が満開です!
昨日の甲子園センバツ大会では、県勢2校が夢の舞台に立ち、聖光学院高校が
初戦を突破して、今春も懐かしい校歌を聞くことができて感謝でした。 甲子園に行く・・・というか、「帰る」・・・というか(笑) 部員の子ども達の顔つきが変わるんですよね〜。 今回も、中野不動尊の修行僧のような凛々しい顔つきになってますね。 投手の石井くん(中央台南)と捕手の蛭田くん(川部)は、同郷・・・いわき市出身のバッテリーです。
そして、4番の主砲・園部くんも、いわき市勿来の中学から、聖光学院高校に進学した選手です。 その彼らが「第一試合のいわき海星の試合に力をもらって、良い投球ができた」 「いわき海星のお陰で、高い意識で試合に臨むことができた」と語ったそうです。 第一試合に登場した、いわき海星高校は、エース・鈴木悠太くんの素晴らしいスライダーと、ナインの好守備で、初出場とは思えない輝きを放っていました。
津波でバットやグローブを流され、今も瓦礫が積まれたグランドで練習しているナイン。 震災前から練習試合などで交流のあった他県の野球部の皆さんが、瓦礫撤去や 道具類の寄付など、物心両面の励ましで、いわき海星ナインを支えてくださいました。
アルプススタンドの吹奏楽演奏も、埼玉の高校生の皆さんの応援だったそうです。 本当に、ありがとうございます!感謝感激です。 先日、彼岸の中日に、いわき市の白水阿弥陀堂で撮影した梅の花です。
子ども達が、浄土池の周りの遊歩道を走り回っていました。 白鳥が帰った池には、美しい白鷺が・・・。 実は、この白水阿弥陀堂(内郷)から車で20分の場所(遠野)に、
なんと金澤翔子さん(書家)の美術館があることを、つい最近知りまして、早速訪ねてみました。 フラガールで全国的に有名な「スパリゾートハワイアンズ」からは、車で10分でした。 山里の一郭の広い敷地に、宮殿のような美しい建物と庭園・・・。
もともとは「きもの乃館 丸三」さんの展示場だったそうです。 一代で財を成した経営者が、震災前に亡くなり、その遺族が、たまたま「金スマ」と いうテレビ番組に、翔子さん母子が出演していたのを見て、交流が始まったのだそうです。
そして震災後、壊れた内部を直して、2012年の1月に「金澤翔子美術館」が開設されました。 私は、今年1月に、福島市の会場で初めて翔子さんの書と出会い、ブログでもご紹介していましたが、自分の実家のすぐ近くに美術館があったなんて・・・ご縁がありますね。
ブログの紹介記事もご覧ください。 http://blogs.yahoo.co.jp/fukushima_apple/10082201.html 美術館の玄関前の案内と、入ってすぐ目に飛び込んできた「不死鳥」の書です。
常設展示室には、翔子さんが東日本大震災の復旧復興を願い、被災地で揮毫した書が展示されていました。(館内の書は、撮影できませんでした)
「共に生きる」「希望光」「愛」「平清盛」などを含む作品数十点。 別館ギャラリーでは、「翔子この一年」と題した企画展も開催中です。(2013/3/31まで)
京都府指定無形文化財保持者の陶芸家・木村盛伸先生とのコラボ展なども行うとのこと。 庭園を眺めながら、日本茶カフェ「飛翔庵」で、抹茶と和菓子を戴きました。
いわき市遠野という土地は、毎年9月に「満月祭」も開催される「いわきの奥座敷」といった雰囲気の温かな山里です。 周りの山深くに、何か気配を感じますが・・・また別の機会に(笑) 「福は内 鬼も内」という書の傍らに、母親の泰子さんのメッセージがありました。
「翔子は、比べることをしません。翔子は、節分の豆まきの時にも『鬼は外』は言わないのです。
『鬼だけ外なのは可哀想だから』とのこと。じゃあ、鬼には何て言うの?と聞くと、 『鬼も内』と・・・。ですから、我が家では、福は内、鬼も内と豆をまくのです」 また、会場に置かれていた「WAGO(和合)」という本に、熊野神社で揮毫する翔子さんが紹介されていました。
いつも席上揮毫の際は、神様にお祈りしてから筆を取る翔子さん。 その祈りの時間が長いので、ある日、母親の泰子さんが 「お客様が待っているのに・・・」と、翔子さんを急かしたのだそうです。 その時、翔子さんが言いました。 「お母様、私は神様を信じているんだよ」と。 私たちは、慌ただしい日々の中で「何を」恐れているのでしょうね・・・。
「鬼」や「悪魔」を、自分の外に追い払って、二元の世界を生きている私たちです。 本当の平安はいつ、訪れるでしょうか・・・。 翔子さんは、心の底から神を信じて、神そのものとなって筆を動かしているのでしょう。
翔子さんは、鬼や悪魔をも「統合」して、一元の世界を生きているのでしょう。 本当の「平和」とは、そのような境地をいうのかもしれませんね・・・。 非暴力・平和主義者であったガンジーの夫人が、死の床で夫に遺した言葉。
「あたな、あの子を許してあげて・・・」 放蕩息子であったガンジーの長男を、夫が許していないことを夫人は知っていました。 そのダブルスタンダードに気付かせてくれる存在が、ガンジーにとっては、実の息子だったということでしょう。 「障がいを授けられた人々は、私たちに大切なことを教えるために生まれてくる」
ネイティブ・アメリカン(ナヴァホ族)の教えを思いだす、清々しい春の一日です。 |




