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原稿

今春、開沼博さんの本の書評をペンネームで書いていました。
原稿依頼を頂いた編集者の了解を得て、今回初めて書評をアップいたします。
下記、未来塾すばるのホームページに掲載しました。


未だに、ネットの世界では、「福島の農民=人殺し」というバッシングもある中で、
HPへの掲載を決断したのは、ある高校生からの重い問いかけがきっかけでした。
先日10月31日の福島駅前マルシェで、アルバイトの皆さんと一緒に果物や餅を
販売していた時のこと。
接客していた私の胸ポケットの携帯が鳴りました。
知り合いの高校生Aさんからのメールでした。
一部を転載させていただきます。

 「今朝の福島民友新聞、読みましたか?
  10月10日に、浜通りの国道6号で中高生が清掃活動をしたそうなんですが、
  企画したNPOに『狂気の沙汰』とか『殺すぞ』とか脅迫のような誹謗中傷が
  あったと書いてあります。
  ネットで、その活動の様子を記事にしたブログを読みました。
  小出裕章先生という人が、『福島は、子どもも含め皆んな棄てられた。
  棄てられてしまえば、そこで生きるために、キレイにしたいとか、福島のもの
  を買ってくれと言いたくなるだろう』とコメントしていました。
  私たち、棄てられたんですか?」

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☆9月の駅前マルシェのステージには、いわき市の高校生フラダンスチームが登場しました!

福島は棄てられた・・・という言葉。
震災後は反原発集会の発言者が、「棄てた」人たちを糾弾するために使うのを
良く耳にしました。
そのたびに、妙な違和感を感じていました。
簡単に使ってはいけない言葉だと私は思います。
高校生のAさんに、何と答えたら良いのだろう・・・。

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☆10/31ハロウィンフェスティバルの参加者で賑わう福島駅周辺

思えば、原発事故から4年半・・・・・
「惨めで可哀想なストーリー」の主人公にはなりません!という強い思いで生きてきました。
健康被害が起きるとしたら、原発事故直後から早々と春の農作業に着手した私たち農業者から・・・という不安と覚悟の中で、現場主義を貫いてきた私たちです。

課題を受けとめ、積極的に道を切り拓こうとする人間の生き方に、「棄てられた」という消極的な言葉は馴染みません。嘆いている時間があったら、新たなビジョンを掲げて前進あるのみです。

結果論ですが、福島県民がライフラインを守ることで、宮城や岩手の被災地が救われた経緯もあります。
そして、浜通りの地元技術者の命がけの機転で、福島第一原発事故の最悪のシナリオが回避された・・・という事実も。
当時は「棄てられた」ように見える状況の中にあっても、私たちは何らかの役目を果たすべく、その「場所」が与えられていたのかもしれない・・・とも思います。

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☆ケルト発祥のハロウィンは、先祖の霊を迎える日本の「お盆」のような風習とのこと。

今、福島市の私の農園で生産する農作物は、限りなくゼロに近い「不検出」の結果となっています。
田畑で働く私たちの一年間の積算被ばく線量は、約1ミリです。
局所的にホットスポットがあるのは、東京のディズニーランドや、東京ドーム、関東
周辺の河川や田畑も同じこと。
なので、福島だけを叩く人々には、政治的な悪意を感じます。
低線量被ばくを心配する皆様には、ぜひとも東京の子ども達の甲状腺検査や、ディズニーランド除染等を呼びかける運動に、時間とお金を使っていただきたいと心から願います。

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☆10/31マルシェ会場で、自作パンを販売する福島南高校の生徒さん達。

子どもは、大人を通して世界を見ていきます。
「棄てられた」というセルフイメージで、子ども達の自己肯定感を育むことはできないでしょう。
自己肯定感は、困難に立ち向かう時の「生きる力」です。
弱った体を復活させるのも、この力です。

2011年4月19日に、チェルノブイリ救援・中部の河田昌東先生の講演会を一緒に
主催したスタッフは、メンタルサポートの仕事をしている友人でした。
余震も続く中での、震災後初めての市民集会でした。
当初から、私たちが一番危惧していたのは、被災者の心の問題です。
心にダメージを受けた時に、集まって傷みを分かち合う「時間と空間」が早急に必要だと感じていました。
小出裕章さんは、長年反原発を貫いてきた原子力工学の専門家ですが、心の専門家ではありません。
福島の問題に関して、謙虚な対応を忘れないで頂きたいと、心から願っています。

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10月31日に開催されました福島駅前イベント「アキフェス」におきましては、ブログ
読者の皆様にも多数お越し頂き、嬉しい再会や熱い激励に、感謝感激の一日でした。
午後2時過ぎには、果物も野菜も完売し、過去最高の売上を達成しました。
ご来店頂きましたお客様、販売スタッフの皆様に心から御礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました!

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追記
 昨年3月11日、『報道ステーション』で、古舘伊知郎さんが、甲状腺がんの特集を
組みました。
古舘さんは東京の医師にも取材を行っています。
その医師は、東京・関東の子どもたちの血液、特に、白血球の数値が低くなっている、と伝えました。
柏市や三郷市のようなホットスポットだけでなく、埼玉市や川崎、横浜、相模原の
子どもたちの数値も悪くなっている・・・と。
その具体的な数値や、原因についてここで述べたいのではありません。
お伝えしたいのは、その後のTV局の対応です。
話を聞いた古舘さんたちは驚いて「先生の名前と顔が出るが、話していいのか」と
聞いたそうです。
医師は、「大事なことだから、きちんとした良い番組を作ってくれるなら出して構わない」と、OKを出しました。
ところが、数日後に連絡が来て、「実は、東京が危ないということは報道できない」と、全面カットになったそうです。
それで、福島だけの問題になってしまった・・・と。
 今のマスメディアには、「東京は安全だ。危険なのは福島だ」という情報操作があるのでしょうね。
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☆福島駅の外壁がレンガ色に変わりました!

昨日3月23日は、福島県内の公立小学校の卒業式でした。
避難先の学校で、または出席できない自宅の部屋で、6年間にお別れした子ども達もいたことでしょう。
6年間、ほんとうにがんばったね!
広い河の岸辺から、ゆっくりゆっくり希望の小舟を漕ぎだしていく、3月です。

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岩瀬書店の児童書コーナーで、先月出版されたばかりのふくしまからきた子 そつぎょう」を見つけました。
作者は、絵本作家「いわさきちひろ」さんの息子の松本猛さんと、孫の松本春野さんです。
松本春野さんが、2012年に出版した「ふくしまからきた子」は、父・猛さんとの初めての共作絵本。
そしてこの2月、続編「ふくしまからきた子 そつぎょう」が店頭に並びました。

「福島の真実」を、自分の目で確かめ、住民の声に耳を傾けてきた松本さん親子。
先日東京の反原発行動に参加した春野さんが、マイクを握って福島への思いを話してくれました。
まだ、福島を訪れたことのない皆さんにも読んでいただきたい内容です。
以下、合わせてご覧ください。
3.8 NO NUKES DAY 反原発統一行動でのスピーチ原稿
http://www.harunomatsumoto.com/blog/2015/03/38-no-nukes-day.html

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絵本の主人公「まやちゃん」は、原発事故のあと、お母さんと二人で広島に避難しました。
久しぶりに福島に帰ってきた「まやちゃん」。
自転車にのって、以前通っていた小学校へ向かうと・・・。
体育館では卒業式が始まっていました。
懐かしい思い出がいっぱいの小学校。
たくさんの友だちが「まやちゃん」を見つけてかけ寄る・・・ラスト。

絵本の最後に、作者の松本猛さんが「この絵本を読んでくれた人たちへ」を書いています。(以下)

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年間放射線被ばく量のグラフには、福島市渡利地区の保育園と、他国の数値が記されています。
フィンランドや、スウェーデンの数値に、ビックリ!

実は、3/23からフランスで開催されている国際高校生放射線防護会議において、福島高校の生徒たちが調査した各地の累積線量の結果が報告されます。(3/21付朝日新聞記事)
その報告書によると、
福島市民の累積線量の「中央値」は、0.86ミリシーベルト/年。
岐阜県恵那市は、0.87ミリシーベルト/年。
横浜市は、0.59ミリシーベルト/年。
フランス、ベラルーシ、ポーランドなど海外は、0.51〜1.17ミリシーベルト/年。

この結果を示しても、いまだに「汚染地帯・福島から避難してください」という方々もおられます。
「福島」といっても、東京より線量の低い地域もあるわけですが、福島は福島なのでしょう・・・。
この単語は、もはや単なる「地名」ではないのかもしれません。

ファンタジーの中に存在する「島」なので、「半分くらい避難している」とか、「米のほとんどは100ベクレル以上」とか、「子どもはグランドでバタバタ倒れている」などと、平気で言う人が出てくるわけです。
リアルな福島を生きている私たちの「実感」「体感」は、今も「期待されるファンタジー」と解離し続けている・・・そのことを、感じ取れる感受性を磨いていただきたいものです。

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「パズルをひっくり返すのは一瞬だが、バラバラになったピースを元にもどすためには、時間が必要だ」とは、福島の今を暗示するメッセージだったのか・・・。
今春、神奈川に就職する息子に、新刊「はじめての福島学」を贈ろうと思います。

著者の開沼博さんは、いわき市のご出身(1984年生)です。
現在、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。
東京大学出身の気鋭の社会学者で、大学時代は上野千鶴子ゼミで鍛えられたそうです。
まず、本の「はじめに」を読んで、ショックを受けない農業者はいないのでは・・・と思いました。
皆さんは、検索エンジン・Googleの「Googleサジェスト」という機能を使って、福島に関するキーワードを検索してみたことはありますか?
まず、「福島 農家」というキーワードを入れます。
出てくる「おすすめキーワード」(検索が多い項目) は、いまだに「人殺し」「死ね」「食べない」・・・
だそうです。(2015年1月17日現在)
県内農作物のセシウム数値は、限りなくゼロに近いところまで推移しているというのに・・・首都圏では、今も3割の消費者が、福島産を拒否しているという調査結果がでています。

開沼さんは、講演などでいくつかの質問をするのだそうです。
たとえば
質問(1)「現在、福島県から避難して、県外で暮らしている人の割合は?」
そして、
質問(2)「県内産の米1000万袋の全量全袋検査で、100ベクレル/kgを超えた袋の数は?」
皆さんは、答えられますか?

質問(1)の答えは、「約2.5%」
質問(2)の答えは、「2014年度米で、100ベクレル/kgを超えた袋は『ゼロ』」

おそらく福島県人でも、正しい回答ができる人は少ないのでは・・・と思います。
99.98%の米が、25ベクレル/kg以下です。
25ベクレル以下といっても、限りなく「ゼロ」に近い玄米です。
白米に精米して、水で磨いで炊くと、セシウム値は、玄米の数値の半分以下になります。

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食品の汚染が、想定外に低く抑えられていることは、不幸中の幸いだったと思います。
なので、ホール・ボディ・カウンター(WBC)の検査では、子ども達ばかりか、農業者の私たちでさえ「ND」の結果となっています。(検出限界値300ベクレル)

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積み重ねてきたデータの正確な伝達。
しかし、それだけでは風評を払拭できない厳しい現実があります。

「御用学者・人殺し」の誹謗中傷や罵詈雑言。
身の危険を感じるような脅迫状や、職場へのクレーム電話。
福島の真実を発信し続ける開沼さんへの風当たりも、想像以上に厳しいようです。
その風圧の中で研ぎ澄まされた覚悟。
考えぬかれた戦術・戦略。

NHK番組「東北発☆未来塾」のファシリテーターでもある開沼博さんが、学生たちに伝える「震災と向き合う力」は、そんな向かい風の中で自ら拓いてきた力なのだと思います。
「思考停止はしないでほしい」
「不快であっても、向き合い続けてほしい」
多くの福島県民・・・そして、遠くから福島を想ってくださる皆様にも、ぜひ読んで頂きたい「おすすめの一冊」です。
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先週、フォーラム福島で映画「日本と原発」を観た帰り、何気なく立ち寄った駅ビルの書店で、NHKテレビテキスト「100分de名著」2月号が目に留まりました。
「フランケンシュタイン」・・・一瞬にして、25年前の論文を思いだしました。

この頃、ラセン的回帰のように、「あの頃の出会い」に、引き寄せられている私です。
1990年に開催した「なの花まつり」の前後でしたか・・・
当時、山口大学におられたA先生から、西表島のフィールドワークの資料などを送って頂いた封筒の中に、大学の研究論文集が入っていました。
A先生の手紙には、
「若手の女性研究者が書いたフランケンシュタインの論文、とても素晴らしいので読んでください」
と・・・。
その若手研究者が、このテキストの著者、廣野由美子さんでした。
今は、京都大学大学院の教授になられた廣野先生は、私と同い年です。

「フランケンシュタイン」・・・と聞くと、私と同世代の方々は、マンガ「怪物くん」のフランケンのイメージでしょうか(笑)

でもネ。ビックリなんです!

実は、フランケンシュタインは、「怪物」の名前ではなく、
怪物を作った青年の名前なんです。(ビックリ①)
原作では、怪物に固有の名前はないとのこと。

そして、怪物は、人並み以上の知性や教養を備えた存在として描かれています。(ビックリ②)
なんと、作者は、19才のイギリス人女性作家、メアリ・シェリー。(ビックリ③)
1818年3月11日に出版されました。(ビックリ④)

「ヨーロッパに妖怪が現れた」という有名な冒頭で知られる「あの本」が出版されたのは、1848年ですから、時代背景がなんとなく想像できますね。
このテキストを使った廣野先生の講話は、今月の毎週水曜日、午後11時からNHKのEテレで観ることができます。
 
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☆久しぶりに積雪があり、雪だるまを作りました

先日ご紹介した「ゲド戦記・帰還」の場合もそうでしたが、
震災後に改めて「フランケンシュタイン」を読むと、以前とは全く違うイメージと感情が湧いてきました。
「フランケンシュタイン」とは、いったい「何者」なのか?
怪物を生み出しておきながら、恐ろしさのあまり「逃げ出す青年」とは、いったい?
皆に嫌悪され「涙する怪物」とは、もしかして・・・・・。
「怪物」を排除する「私」も、鏡を見れば、同じ「怪物」だったりするのかもしれない。
などなど・・・。

放射能という見えない「怪物」を、きゃ〜怖い!と突き放すことで得られる「安心」って、なんとなく解るような気がします。

おそらく、福島でこんなふうに「フランケンシュタイン」が読まれているとは、外部の方には想像もできないかもしれません。
「フランケンシュタインの涙」は、人ごとではない・・・です。

以下、東京の主婦の方が、震災後の自分自身を振り返ってインタビューに
答えた内容を、実名を伏せて一部掲載させて頂きます。涙を流す、福島の青年の話がでてきます。

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雪の梨畑

「放射能パニックからの生還〜ある主婦の体験から〜 」
東京在住のAさんは原発事故後に放射能パニックに陥り、そこから抜け出した。
その経験を実名で語った。
冷静に自己分析できるAさんのような女性でも、こうしたパニックに陥ってしまった。
遠い存在ではなく、私たちの身近に存在する心の病なのかもしれない。

①不安による心身の変調と家庭不和
震災直後からおかしくなりました。・・・原発の状態と放射能汚染の事ばかりを考え、情報収集に明け暮れ、ノイローゼでした。「このままでは放射能汚染で死んでしまう。その前に関東で地震が起きて死ぬ可能性もある」という思いに取りつかれ不安がぬぐえず、めまい、頭痛、だるさ、激しい動気に悩まされ、体調も最悪の状態でした。
生活もおかしくなっていました。食材は東北から離れた西日本や北海道、外国産のものだけを利用。原発事故前につくられた米を大量備蓄しました。私の家は母子家庭なのですが、子どもにマスク登校を強要し、教育委員会には給食やプールの安全性について問い合わせをしました。子どもは私に反発して毎日親子喧嘩を繰り返しました。それでも私は、「自分が正しい」と思い込み、子どもの気持ちを無視して、毎日おかしな情報を集めそれを自らも拡散していたのです。

②福島県民の苦しみを知りパニックに気づく
疎開先を探し、北海道の田舎に移り住もうとしました。引っ越しの準備を始めようとした矢先、私の狂乱ぶりを心配した現実での友人たちが何人も「やめなさい」と忠告をしてくれました。仕事に支障が来たすし、私が常軌を逸していたことを指摘してくれました。しかし同じ放射能パニックに陥っていたネット上だけの知人達からは「疎開決定おめでとう」コールが殺到しました。
 (中略)
生活や収入のことを考え、東京にとどまることにしました。
疎開を止めたころから考え直したり、しっかりした人の本を読んだり、行動が少しずつ変わったのです。
そして友人である福島出身の若い男性が「福島から来た」というだけで、ひどい差別とイジメを受けたことを聞きました。彼は私の前で泣きました。
それを見て、私は大きな間違いを犯していたことに気が付いたのです。私は被災者のことは考えずに自己中心的な思いだけで「放射能」を捉えていたのだと理解したのです。
私のノイローゼが悪化したのは、自分の生活や、心の問題があったためです。
落ち着き始めると、それに気づきました。東日本大震災から私の生活は悪化しました。
私は自営業をやっていますが震災自粛ムードで、仕事が減りました。
そして震災や原発事故のテレビ映像にばかり関心を向けて、何もできなくなってしまったのです。
すると、あらゆることにやる気を失いました。どうせあがいても、放射能で東北と関東は壊滅する、もう未来はないと思い込みました。絶望感でいっぱいでした。
ところが同時に、当時は正直に言うと、うれしい気持ちもあったのです。「放射能と地震で、私の苦しみが解放される」という矛盾する気持ちも、わいてきたのです。

③「苦しみからの解放」
私は44歳です。数年前から幾つかの大きな壁に直面して、困惑していました。まず自分の年齢により、容姿とスタイルが明らかに劣化しています。「おばさん」として社会から扱われ、自分もそう見ている。この現実が受け入れられませんでした。
そして仕事の問題がありました。大きなことをして世間をアッと言わせたい。長年そんな願望がありました。けれども、何もできていません。
他にも子育てや人間関係など悩みは一杯ありましたが、どれも解決の見通しは立っていませんでした。自信を喪失していました。
「心に大きな穴」というか、絶望めいたものがあったのです。
そんなときに、放射能問題によって、すべてがリセットされて、一から人生をやり直すことができるのではないかという思いが起こったのです。
破壊の中に救いを求める気持ちです。私が震災情報に夢中になったのは、それが刺激的で、これまでの人生の悩みを忘れる事ができるほどのものであったためです。
不安が強ければ強いほど現実の問題から目を背ける事ができました。
「放射能で子どもが死ぬ」というのは強烈なメッセージで心底怯えました。
しかも母親として子供を救う使命感もありました。
「母親」という立場が、パニックに拍車をかけたと思います。
私は役割を得たとも思いました。
思うような人生を歩むことができない事を、社会のシステムの責任にしていました。
「原発」問題は社会に反撃を行うチャンス。原発というこれほど分かりやすい「悪」はありません。
「反原発」を唱えることで、特別な使命を持った選民意識を持てましたし、自己愛が満たされました。
自分のパニックの背景に、「自尊心の維持」があったと、今になって思います。

④脱パニックは周囲の理解でゆっくりと
おかしさに気づく過程で自分の嫌な面に気づき、自己嫌悪に陥りました。
またおかしな情報を拡散したことや、福島や被災地の差別に加担したことの罪悪感も抱きました。また自分の心の先行きにも心配しています。
私は極端から極端に触れやすく精神のバランスの悪い人間です。
以前は放射能ノイローゼに依存しましたが、今は「脱放射能」に傾きすぎているのではないかと不安を抱きます。放射能や生活のリスクを直視せずに「これでいいのか」という心配があります。
パニックから抜け出ることも、かなり精神的に苦しいことでした。
放射能パニックはカルト宗教への依存と似たものがあったと感じています。パニックに陥った人々の世界には、不満や不安を抱いている自分を心地よく受け入れてくれる仲間がいます。同類同士が傷の舐め合うことができます。
しかも現実の煩わしさの少ない、ネットでの情報のやり取りが多かったのです。
さらに自分の頭で考えることを放棄できます。道を示してくれる崇拝者、つまり「恐怖情報ソース」がいるのでとても楽でした。居心地のいい場所で、現実の世界にはない絶対的安心感を抱けました。
しかし、それが何も問題を解決しないこと、さらに虚構の上に成り立っていることを、この中にいる人は知りませんし、認めたがりません。そこからの脱出の道筋は人それぞれであると思いますが、他の人が示す情報によって、少しずつ気づかせ、変えることしかできないのではないでしょうか。周囲の協力が必要であると思います。

私は「心の闇」を持ち、それが放射能パニックに陥った大きな原因であると思います。ただし、私のような人ばかりではないでしょう。情報を調べることが得意ではないとか、子どもへの心配が大きすぎて冷静ではいられないとか、人間関係も苦手で情報が手に入らないとか、多様な視点から問題を考えられない状況にいるだけの人もいると思います。そのような人は私よりも、気づかせることで簡単に状況から抜け出せると思います。
私はできるなら、こうした方々を救うお手伝いをしたいと思ってインタビューに応じました。パニックに陥った人を批判、攻撃するのではなく、
温かく見守ってほしいと思います。

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 吾妻山

3月が近づくと、なぜか急に海が恋しくなります。
あ〜、いわきに帰りたい(笑)
水石山あたりから、空気の粒子が変わるよね・・・と息子。
匂いが、まるで違うよね・・・と私。
小名浜港の汽笛。
カモメの鳴き声。
潮騒の子守唄の中で育った人間には、何か不思議な「体内時計」が埋め込まれているのかもしれません。
もしかして「海賊の娘」の末裔かな〜・・・・・。
そういえば広島から届いた蜜柑の送り主は、因島の村上さんでした・・・
ご縁に感謝(笑)
とりあえず、吉野弘さんの舟の詩を読む・・・。

二月の小舟

 冬を運び出すにしては
 小さすぎる舟です。
                 
 春を運びこむにしても
 小さすぎる舟です。
                  
 ですから、時間が掛かるでしょう
 冬が春になるまでは。
                  
 ・・・・・

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そうですね、「春」を呼び込むには、大きな舟(器)にならなければ・・・。
そのことを、私は「ゲド戦記」から学びました。
偶然ですが、前回ご紹介した吉野せいの「洟をたらした神」(中公文庫)の
解説は、翻訳家の清水眞砂子さんが震災後に書かれたものでした。
清水眞砂子さんといえば、「ゲド戦記」全五巻の翻訳をされた方です。

清水さん曰く。(「解説」より)
 「三巻で終わるかと思っていた『ゲド戦記』の第四巻が、18年の間隔をおいてアメリカで出版され、翻訳の準備にとりかかったとき、さて、主人公
テナーの台詞をどうするかと考え、あの作家、この作家の文体を考えて最後に行き着いたのが、吉野せいだった。
ずっぷりと土着のようでいて異邦人。人を愛し、慈しみ、静かに、時に激しく生きて闘った人のことばがここにはある。・・・生活をくぐりぬけた、しっかりと実の入ったことばがそこにはあった。」

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☆22年前のコピーです

実は、この「ゲド戦記」・・・
アメリカの作家、アーシュラ・K・ル=グウィンによって、1968年から2001年にかけて出版されたファンタジー小説なのですが、第一巻が邦訳出版されたのは、1976年でした。
そしてその翌年、心理学研究会の先輩に「いいよ〜」と推められ、岩瀬書店の児童書コーナーで購入した私でしたが、主人公の「魔法使いゲド」に、
全く感情移入できないまま、本は棚の奥でホコリをかぶっていたのでした。
なぜ読めないんだろう?・・・その違和感の正体を掴みきれないまま、16年の時が流れて、私は、果樹農家に嫁ぎ、二人の男の子の母親になっていました。
1993年3月。
生まれたばかりの三男を抱きながら、朝日ジャーナルの書評を読んでいて、ある本の表紙に目が止まりました。ゲド戦記第四巻『帰還』でした。

第四巻「帰還」の主人公は、魔法使いゲドではなく、果樹園を営む未亡人、テナーである、らしい。
テナーの養女、テルーは、火に投げ込まれて火傷を負った幼い女の子である、らしい。
そして、テナーとテルーは、ヤギを飼いながら、梨の栽培をしている、らしい・・・。

え〜っ・・・梨農家の母娘が、冒険ファンタジーの主人公になってるんだ〜・・・???
さっそく乳飲み子の三男を背中にくくりつけて、吾妻公民館に向かいました。
公民館には、小さな図書館が併設されていたのでした。
今だったら密林・・・いえアマゾンで検索して、新刊ゲット!なんでしょうけれど、皆さん!運命の出会いは、図書館から始まるってことも、あるのです〜(笑)

図書館には、ベテラン司書のAさんがいらっしゃいました。
そのAさんから、私は「ゲド戦記を生きなおす」というル=グウィンの講演資料を頂いたのです。
この講演は、オックスフォード大学で行なわれたもので、翻訳は清水眞砂子さんでした。
そこには、ル=グウィンが第四巻の主人公を、英雄的な「強い男」ではなく、「有色人種の農家の未亡人」にした理由が書かれていました。
そして両親による虐待・レイプ・火傷で身体の右半身が不自由となった少女(竜の娘)に託された「使命」についても・・・。
それは、ジェンダーと芸術の本質的問題を、女性自身が「白人の男性有識者」の前で問題提起した、画期的な講演内容でした。

そうだったのか・・・・・。
「なぜ、
読めないのか?」その謎が解けるまでに、15年・・・。
そして、私が本当に「ゲド戦記第四巻」を主人公と共に「生きる」ことができたのは、 東日本大震災と原発事故を体験した、この「島」・・「福島」で・・・必然のように。

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       ☆自然に芽が出て20年・・・・・私たちを見守ってくれた木

22年前(1993年)、三男をおんぶしながら読んだ第四巻「帰還」は、私にとって、まだ現実世界から遠く離れた「向こう側のファンタジー」でしかありませんでした。
土の匂いのする女性の感性をリアルに表現した「画期的ファンタジー」・・・だと。
なんだかんだ言っても「女・子どもの本」なんだ・・・と。

魔法の力を完全に失って帰ってきた「元大賢人のゲド」・・・昔は英雄だったが、今はアラカンのフリーター。
彼を支える中年農婦・テナーと養女テルーが、ヒーローに変わって「悪」と対峙する「ヒロインの物語」なんだ・・・と、ずっと思っていたのです。
それが・・・・・
震災後に、一変しました。
まるで違う物語として、『帰還』は、私の中に入ってきました。

①『帰還』は、喪失から始まる物語でした・・・。
(暴力に傷つき捨てられた少女テルー。オジオンの死と少年時代の回想 etc.)
自分の人生に、新たな物語を作り出す力は、心の中のどんな領域から湧き出てくるのでしょう。
「物語の力」が、福島という場所には必要なんだと感じています。

②そして、少女テルーは、「福島の私たち」そのものでした。
ローク魔法学院の長のような、群馬の大学教授(火山の長か?) 早川氏が
ツイートした、
「福島で放射能を浴びた娘は我が家の嫁には迎えないが、それは実害なので差別ではない」に、
多くの福島の娘たち、大人たちは傷つきました。
「私は子孫を残しても良いですか?」と、福島の女子高生が朝日新聞に投稿したのは、ちょうど一年前の3月です・・・。
「実害」を隠さず公表し損害賠償請求すべき!という脱原発の人々の「善意と正義」に、セカンドレイプのような「無意識の暴力」を感じる私たちは、少女テルーの痛みを自分のことのように想うことができます。
どこかの可哀想な女の子・・・ではなく、テルーは間違いなく「私たちの娘」です。

そして、福島から作物を出荷する行為は「殺人予備行為」とまで指弾され、
泣きながら『帰還』と向き合った時、この物語は現実世界を苦しみながら生きる「私たちの物語」そのものではないか・・・と、何度も思いました。

③また、『帰還』は、私の中に住む「弱い男性性」「傷ついた幼子」「死を目前にした老人」の存在に気づかせてくれました。女性の中にも、抑圧された「男性」が住んでいます。逆もまた真ですが。
物語の中で、「夢」の話や「神話」が語られる時、私たちは、無意識の深層に下りていくのかもしれません。
弱さの中に、真の力が完全な形で現れる・・・。
そして、最後に力を解き放つ「竜」の物語を、様々な登場人物と共に生きる時、
私たちは心の中の「何に」スイッチを入れているのでしょうか?
そんなことを、震災後の福島で想っていました。

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「ゲド戦記」全体に貫かれているテーマは、光と闇、異文化、善と悪、男と女といった二元対立と、その和解。相反する二つのものを「統合」するためには、それなりの「器」が必要なのだ、という暗示もあります。内にも、外にも・・・。

最後に、オックスフォード大学での講演内容から一部抜粋します。
ル=グウィン曰く。
「英雄空想物語を書き始めた時、自分が何について書けばいいかが私には良くわかっていました。
まだ字も読めないうちから、父は私たちにホメロスの書いた話を次から次へと聞かせてくれていましたし、もの心ついてからずっと、私は勇者の物語を好んで読んできました。・・・
勇者の物語に登場するのは、英雄や、邪悪な魔女、傷を負った王、わが子かわいさに前後のみさかいをなくす母親、知恵ある老人などです。・・・しかし、60年代後半になって、そんな時代にも終止符が打たれました。」
「70年代のはじめ、私がゲド戦記の第三巻を書き終える頃には、男らしさとは何か、女らしさとは何かが、その価値も含めて議論の対象になっていました。・・・そして、
1972年からずっと私は第四巻を書かなくてはと思っていましたが、実際に書き出せたのは、それから16年後のことでした。
・・・舞台は、それまでと同じようにピラミッド型の権力構造をもった男の支配する社会です。
けれども今度の作品では、勇者の物語の伝統だった性なき男の視点などというまやかしは排除して、女の目から世界を見ています。」
「この本の終わりの方では、ゲドとテナーは古い伝統を守ろうとする者たちと正面から向き合うことになります。伝統的なヒロイズムを放棄したふたりは実に頼りなげに見えます。・・・彼らを力づけ、その苦境から救い出すものは、これまでの制度や伝統の外からやってこなければならない。それは、新しいものでなければなりません。」
「私は『帰還』の神話をこんなふうに理解しています。取り返しのつかないまでに虐待された子ども、人間の恵みという恵みはことごとく奪い去られた子ども・・・テルーのような子どもは世界に、今私たちのいるこの
世界に数限りなくいるわけですが・・・そんな子どもこそ、私たちの道案内に立ってくれるのだと。」
※主人公の肌の色を黒くすることで、作者は人種差別の問題にも踏み込みました。
ヨーロッパの伝統の中では、勇者たちは男であると同時に、常に白人です。
主人公をアウトサイダーに設定した作者に対して、出版社は、いろいろ待ったをかけたそうです。
本のカバーに黒人が描かれると、売上に影響する・・・などと。
  
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テナーの師である年老いた魔法使いオジオンが死を迎える過程の描写は、父の最後とシンクロして涙でした。
死の間際、オジオンが、夢にうなされながら少年時代を回想する場面があります。
「その女の子を助けようとしました。でも屋根が落ちてきて、みんなその屋根の下敷きになってしまった。地震だったんです。助けようと精一杯やってはみたんです。」
この第四巻の邦訳が出版されたのは、阪神大震災のちょうど2年前でした。
オジオンは、地震を鎮めるために魔法の道を志し、その師ヘレスと共に、
ゴント大地震を鎮めたと、物語には記されています。
「ゲド戦記」は、もしかしたら、私たちの未来を予言する「道案内の書」であるのかもしれません。

(過去の関連記事)

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梅の蕾

雨露が梅の蕾を・・・と書いたところで、手が止まりました。
「梅」の中には「母」があったのですね・・・今、気づきました(笑)
先日、NHK「クローズアップ現代」で紹介された詩人、吉野弘さんの詩にも
母の詩があったことを思いだしました。(昨年2014年に他界された吉野さんの詩が、最近たくさんの人に読まれているそうです)
「漢字喜遊曲」の中にこんな一節が・・・

 母は
 舟の一族だろうか。
 こころもち傾いているのは
 どんな荷物を
 積みすぎているせいか。
 
 幸いの中の人知れぬ辛さ
 そして時に
 辛さを忘れてもいる幸い。
 何が満たされて幸いになり
 何が足らなくて辛いのか。

吉野弘さんは、その著書「現代詩入門」の中で、
「母と舟は似ている・・・舟という字の形が、私には、母という字の下部が水に浸っているために、水面から見えなくなっている形のように思えるのである。」
と、書いています。
吉野弘さんの詩を読みながら、なぜか同じ名字の、作家・吉野せいさんを想いました。
先日、吾妻学習センターの新春名画映画会で、彼女の作品を映画化した
「洟をたらした神」を観たところでした。
雪の夜でしたが、50人ほどの皆さんが集まっていました。
浜通りから福島市に避難されている皆さんもいらっしゃったかもしれません。

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若く瑞々しい樫山文枝さん演じる「吉野せい」が、止せばよいのに(と観客の誰もが思った・・・) 、貧しい開拓農民の吉野義也(詩人・三野混沌) と結婚を決意する場面。
風間杜夫さん演じる「三野混沌」が、「お茶でも一杯・・・」と、囲炉裏に火を熾すのですが、松葉?に火をつけて小枝をパラパラ・・・・・急にメラメラと燃え上がる火・・・おそらく一瞬にして鎮火するだろう・・・ウソっぽいな〜と思いながらも・・・見入る観客。
まさに二人の愛の行方を暗示するような場面です。
意図的な演出だったのでしょうか・・・?

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「混沌」ではありません。寒風の中、梨畑で剪定作業をしている、うちの夫です。

1921年(大正10年)福島県いわき市好間の菊竹山で、小作開拓農民の吉野義也と、せいの結婚生活が始まりました。
一町六反歩を開墾したそうです。
一町歩の「梨畑」と、自給自足の穀物作りに渾身の血汗を絞る、二人・・・。
せい曰く。
「無資本の悲しさと、農業不況大暴れ時代の波にずぶ濡れて、生命をつないだのが不思議のように思い返されます。1945年、敗戦による農地解放の機運の渦に、混沌(夫)は飛び込み、家業を振り返らぬこと数年。
生活の重荷、労働の過重、6人の子女の養育に、満身風雪をもろに浴びました。」

「ここに(「洟をたらした神」) 収めた16篇のものは、その時々の自分ら及び近隣の思い出せる貧乏百姓たちの生活の真実のみです。口中に渋い後味だけしか残らないような硬い木の実そっくりの魅力のないものでも、底辺に生き抜いた人間のシンジツの味、にじみ出ようとしているその微かな酸味の香りが仄かでいい、漂うていてくれたらと思います。」

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家業を振り返らず、自費で!県内を飛び回る夫。
せいは、その夫を「酔うている」と言いました。
「可哀想な子どもや人々」を救うために、自分の子どもや家族は犠牲にして「献身」のドラマの主人公を演じてしまう人・・・・・「被災地」という場所があると燃えてくるタイプですね。
自己不信などの、深刻な心の問題を抱えた人が多いといわれています。
社会的に意味のある活動で、スケジュールを一杯にしておかないと、心の奥の虚ろさを充たすことができない。
まず、そんな「自分」を自覚する・・・そこから、始めないと周りの人々が大変な苦労をします。
吉野せいさんのように・・・。

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「ゲド戦記」の翻訳者・清水眞砂子さんについては、次回!

映画の中では、赤子を背中にくくりつけた乱れ髪の吉野せいが、傍らに幼子を連れながら、川で水を汲み、山上の自宅まで重い桶を運ぶ様子が描かれていました。
「水を運ぶ女」・・・実に、象徴的な場面です。

いわき市の海辺の町(小名浜)に生まれ、小学校の教師をしながら、ドストエフスキーやクロポトキンを読んでいた娘が、「なんで金も地位もない男と、開拓なんだっぺ?」と、観客の誰もが思ったことでしょう。
私たちの祖母の世代のいわきの女性が、ドストエフスキーですか〜と、
私もびっくり。
若気の至り・・・いや、若気の祟り?か・・・と、自分自身を省みて想う(笑)
せいも私も、青春時代の残り香や、沈む翳りの全てを振り祓うように火にくべて、嫁ぎました。
写真一枚、残さずに・・・です。
赤子を背負い、幼子と一緒に山を這う母は、まるで、天上に憧れる自由な魂に重い碇をくくりつけて、地上世界の水底にあえて沈もうとする修羅のような女・・・です。
子どもを産まなければ、せいは「太宰治」になっていたかもしれない。

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   ☆吉野せいの菩提寺・龍雲寺(いわき市好間町)のお地蔵様

映画に描かれていたのは、苦しいながらも夫唱婦随の開墾生活・・・息子は出征したものの無事帰還・・・
最後は、子ども達が立派に出世して、可愛い孫にも恵まれ、昔の生活を懐かしむ母、せい・・・という、なんとも「感動的な」ハッピーエンドのストーリーでした。
皆さん、「よがったない〜」と頷きながら、満足そうに雪道をお帰りになりました。
「葛藤」(真実)を描いた映画なんか、見たくない・・・「現実世界」が葛藤の連続なんだから、映画くらいハッピーエンドでいいべした・・・とも思う。
それはそれで良かったのかもしれないけれど。
草葉の陰で、吉野せいが「これ、うそだ〜」と嘆いているかもしれないので、以下の本も合わせてご紹介しておきます。。。

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夫・混沌とせいの確執は深く、縺れに縺れており、最後は子らにも疎まれて、混沌は畑わきの小屋に独居し、寂しく亡くなったのだという。
1970年4月、夫が他界した後、友人の草野心平に「あんたは書かねばならない・・・」と強くすすめられ、、
せいがペンを握ったのは、70歳を過ぎてからでした。
ひとたび「結んだ糸」を、解すということは大変なこと。
なんでこんなに固く結んだの〜、なんて結んだ本人が叫んだりします。

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せいは、貧しさの中で、「梨花」と名づけた赤子を亡くしています。
この純白の花を、吉野せいはどんな気持ちで眺めたのだろう・・・・・。
一つひとつの作品を、鎮魂のように、あるいは懺悔のように書き遺し、
1977年、吉野せいは、享年78歳で永眠。
「洟をたらした神」は、大宅壮一ノンフィクション賞、田村俊子賞を受賞しました。
中公文庫の「あとがき」を書いている清水眞砂子さんは、あの「ゲド戦記」の翻訳者です。
その不思議なシンクロについては、また次回にご紹介するとして、今日は、
吉野弘さんの詩を心に響かせながら謙虚に自分と向かい合いたいと思う、真っ白な雪の日です。

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「最も鈍い者が」  吉野弘

 言葉の息遣いに最も鈍い者が
 詩歌の道を朗らかに怖さ知らずで歩んできたと思う日
 
 人を教える難しさに最も鈍い者が
 人を教える情熱に取り憑かれるのではあるまいか 
 
 人の暗がりに最も鈍い者が
 人を救いたいと切望するのではあるまいか
 
 (中略)
 
 言葉の道に行き昏れた者が
 己にかかわりのない人々にまで
 言いがかりをつける寒い日

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