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残暑お見舞い申し上げます。
急に暑くなりましたね。 やっと8月の太陽が戻ってきました。 太陽と一緒に、ラッキーボーイも戻ってきましたよ! 今夏の高校野球・甲子園大会で、ベスト8をかけて広島の広陵高校と対戦した福島県代表の聖光学院野球部。(4-6で惜敗)
広陵の中村選手との激闘を終えて帰郷した、部員のYくんとお母様が、向日葵のような笑顔で甲子園の貴重なお土産を届けてくださいました。 感謝感激です! 今年の甲子園の土。そして息子が2010年夏に持ち帰った土・・・さて、どちらでしょう(笑) 表舞台を裏方で支える、たくさんの人々の思いが伝わってきます。
皆さん、今夏も感動を、ありがとうございました! 8月20日付の朝日新聞・社会面に、聖光学院野球部の平野サビィ投手の記事が掲載されました。
一部、まとめてご紹介します。 「平野サビィ君(3年)は、母が日本人、父がパキスタン人。日本で生まれてすぐにパキスタンのハリプールへ移ったが、国内でテロが繰り返されるようになり、4才の頃に日本へ。野球は、小3で始めたが、東京に住んでいた中学の頃は、夜中に家を抜け出して遊び回っていた。 不真面目でだらしない自分を変えたいと、福島での寮生活を選んだサビィ君。聖光学院では、毎日の練習後、約1時間のミーティングを行う。「支えてくれる人がいて野球ができる」恵まれた環境にいる自分。図書室でパキスタンやテロについての本を借り読み始めた。将来は、パキスタンのために働きたい。そのために大学へ進み、貧困問題や国語のウルドゥー語を学びたい。」 まるで、福島の芳しい木の枝で脱皮して飛翔する「蝶」のようですね。
サビィ君、頑張ってね! 8月22日付の朝日新聞には、こんな特集もありました。
50万を超える投票で選んだ「甲子園ベストゲーム47ランキング」です。 47都道府県のベストゲーム・・・ランキング1位の「激闘」が出揃いました。 福島県は、もちろん「決勝戦まで勝ち進んだ磐城高校」かと思いきや・・・。 なんと1位は、聖光学院高校! 2010年ベスト8の夏の2回戦、優勝候補の広陵と対戦して勝利した試合です。 2年生投手の歳内くんの力投で、投手戦を制し、1-0で勝利しています。 あの夏は、3回戦で大阪代表の履正社を破り、準々決勝で沖縄・興南高校と対戦。 勝った興南が、決勝まで進み、優勝しました。 震災前年の懐かしい思い出です。 (8/25追記)
2013年の夏に、いわき駅から乗った高速バスの中で、福島市の野球少年と乗り合わせました。
「不動心」の聖光ユニフォームを着た少年でした!
実は、この少年・・・今夏、聖光学院野球部のレギュラーとしてベンチ入りしたSくんではないかと思うのです。4年前からの地道な努力が、今夏、実ったのですね。
その時のブログ記事を貼ります。
さあ!今年も秋の陣へ。
梨の検査結果も届きました。(限りなくゼロに近い「不検出」です) 今秋も、福島の果物をご愛顧頂きますよう、宜しくお願い申し上げます。 |
福島は魂の甲子園
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☆桃「あかつき」をいただきました!
暑中お見舞い申し上げます。
連日、暑い日が続きますが、皆様お元気でおすごしでしょうか。
早朝4時過ぎからお盆用の菊の収穫をしていますが、今年も
お隣の桃農家さんから、すばらしく立派な桃をいただきました。 甘いですね〜!
ありがとうございます。 今夏も「聖光ブルー」の朝顔が咲きました!
本日(8/1)、高校野球の福島県代表、聖光学院高校野球部は、雨の中を甲子園に
むけて出発しました。
今年のチームの言霊は「雑草魂」だそうです。 逆転のドラマをたくさん見せてくださいね〜。 ☆梅雨が明けて、大輪のヒマワリが開花しました
8月1日付の福島民友新聞、一面は、東京都知事選で初当選を決め、万歳をする
小池百合子さん。
285万票あまりを獲得して、女性初の都知事となりました。 そして、読者のページ「窓」には、私の投稿が初めて掲載されました。
ビックリです。 夏の大会10連覇の偉業を成し遂げた聖光野球部への応援メッセージです。
中国の故事に由来する「木鶏」の話を入れたのですが、「都知事選の結果」と妙にシンクロしていて、さすが編集部!と思いました。
リンクさせる意図があったのかもしれませんね。 小池さんが大差で勝利できたのは、「木鶏になれなかった」石原慎太郎さんのお陰ですから・・・。
2012年のブログ記事「甲子園の思い出」
7/31開催された野田中央公園の盆踊り大会に集う親子連れ
今年も、盆踊りが始まりました。
福島市の、ある盆踊り保存会は「誇り高きもの好きの会」ともいうらしい(笑)
やぐらの上では、子ども達も元気に太鼓を叩いていました。
8月5〜6日の福島わらじ祭りにむけて、踊りの稽古も始まります。
今夜は、あるアメリカ人男性の実話をシェアします。
彼の名はW・ミッチェル。
彼は、ある日、オートバイに乗っていた時に
トラックと衝突事故を起こしてしまいました。 その事故の衝撃でバイクの燃料タンクのふたが
開いてしまい、中のガソリンがまき散らされました。 そして、彼は全身にガソリンを浴びた状態で、
ガソリンに火がついてしまったのです。 彼は、大事故にも関わらず、一命をとりとめました。
しかし、この事故で、ミッチェルさんは
全身に大やけどを負い、顔もやけただれ、 手の指もなくなってしまいました。 何日も生死の境をさまよい、一命を取り留めた後も、
毎日、手術や痛みを伴う治療の連続。 顔も指も失い、生きる意味など見出せなかった
ミッチェルさんは 「治療をやめてくれないか」
と、担当の医師に頼みました。
しかし、医師はこう言いました。 「治療を続けるかどうかを決めることができるのは、
私達医者ではない。あなた自身です。」 この時、治療をするかしないかの権限を医師から
委ねられたミッチェルさんは、ある事に気付きました。 それは、
”これは自分の人生であり、
どう生きるかは自分の選択である” ということ。
想いも新たに、人生を生きる事を決意した
ミッチェルさん。 退院後、ミッチェルさんは、
友人と事業を興し成功をおさめます。 しかし、そんなミッチェルさんを 再び不幸な出来事が襲います。 今度は、ミッチェルさんが操縦していた飛行機が墜落し、
その事故で下半身不随になってしまったのです。 しかし、ここでも 「どう生きるかは自分の選択である」 そう考え、この事故も乗り越えます。 そして、 やけどで変わってしまった顔、
なくなってしまった指、 動かなくなった下半身、 そんなハンデをものともせず、
ミッチェルさんは市長に立候補し 当選したのです。 福島から、そんな「物語」がたくさん始まるといいな。 「大逆転」は、野球だけの話じゃありません。
「求む ストーリーテラー 福島県」
ポスターのキャッチコピーに、いかがでしょうか(笑)
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本日3月13日は、福島市立の中学校の卒業式です。
7年前の今日、中2の夏休み明けから不登校だった三男は、卒業式に出席しませんでした。 午前中の式とは別に、午後から「第二部」があることを・・・私は初めて知りました。
卒業式に「出席できなかった生徒」の保護者が、子どもの代わりに証書を受け取るのです。人生、初体験(笑)
同じクラスに不登校生は、5人。(35名のクラス)
私たちは、クラスごとに校長室で一枚の証書を手渡され、式はあっけなく終了しました。
なんでこんなことになってしまったのか・・・これからどうなるのか・・・。 重い心を引きずりながら、無言で学校を後にしたことを思い出しています。 当時は、様々な暴力行為で教室を閉めだされ、別室登校の子ども達もいました。
「不登校」の子どもたちは、炭鉱で危険を鳴き知らせるカナリアのように、学校や家庭や世の中の危機を、いち早く察知する感受性の豊かな存在なのではないか・・・と今は思っています。
あれから7年。
私たちは息子の小舟(不登校)に運ばれて、素晴らしい方々と出会い、奇跡のような体験を与えられました。 感謝の思いで、以下、息子のメッセージをお届けします。 「不登校を体験した僕が、今、伝えたいこと」 皆さんは「不登校」というワードを目にして、耳にしてどう感じるでしょうか。
僕は、「かけがえのない時間を過ごしているね」と思います。
世間一般ではマイナスイメージしかないと思います。
また、同級生には「学校サボってんじゃねぇよ」とか「授業とかテスト受けなくていいなぁ〜」とかいわれていることもあるかもしれません。
もちろん、中にはそういった「サボっている」生徒さんも本当にいるのかもしれません。
しかし、中には人と会う事でさえ恥ずかしいと思う人もいます。
なぜなら「自分は普通じゃない(不登校)」と自覚しているからです。 はっきり言うと不登校を経験している人は普通の学生生活を送ったとは言えないと思います。
なぜなら普通の学校生活というのは“決められたカリキュラムを修業する”ということだからです。
不登校の生徒さんは学校に行かなかったり、別室登校をしたりして世間一般に言われている“普通の生徒”とは違った時間を過ごしています。 「そんな自分は出来の悪い人間だ」
「恥ずかしい」
そう思ってしまっても仕方のないことなのだと考えます。
まだまだ不登校に対しての理解がなされていないのは悲しいことではあります。
蓋をしたくなる気持ちもわかります。
嫌なことから目を背けたくなるのは誰でも一緒です。 こんなこと言っている僕もかつては不登校生でした。 「こんな役立たずは死ねばいい。そうすれば迷惑をかけ続けなくて済む」とさえ
考えました。
でも、僕は根性無しだったので死ねませんでした。やろうともできませんでした。
そんな僕は現在、医療系の専門学校を卒業して春から病院でリハビリの先生として働かせて頂けるまでになりました。
中学校では不登校生、高校では赤点ギリギリの成績。
なぜここまでこれたのかを少しお話させて頂ければと思います。
☆福島駅の「大わらじ」
中学校を卒業したと同時に決意しました。
「自分は変わる。高校へ行けば中学校のときの自分を 知る人は少ないから
ゼロからのスタートが切れる」
そう思い、高校へ入学しました。
しかし、そんな簡単に人間は変われません。
1年の秋頃に、所属していた野球部の部長先生からマネージャーをしないかという
打診がありました。
その時の僕は、怪我をして別メニューで日々の練習をやっていました。
失意のどん底までいき、「野球をやめよう」とさえ考えていました。
そんなときに、与えてくれた役割が“マネージャー”というものでした。 マネージャーの役割を全うすることで周りからの信頼を得ることができ、「自分は
必要とされているんだ」と自信がもてるようになり ました。
専門学校に入ってからは、野球の代わりに勉強に力を入れました。 時間はかかりましたが、3年次の最後の方でクラスで1位をとれるようになるまで成績が上がりました。
3年になってからは級長を任されるようになり、クラス運営に携わることもしました。 自慢話に聞こえるかもしれません。
僕も中学当時はそういう感覚で見聞きしていました。
「元々そういう才能があったんでしょ」 「その人のようなすごい努力なんて、できっこない」
「無理無理。絶対無理」
なぜ、こう考えてしまうのでしょうか? 答えのひとつとして“自信がなくなってしまった”ということが考えら れます。
不登校になる時期というのは、精神的なコントロールが上手くない子供の時期に起こりやすいです。
特に中学校になると多感な時期でもあるので、ちょっとしたことが自信を失ってしまう契機になりかねません。
また、子供は「これを言ったら相手がどんな気持ちになるか?」という思考が出来上がっていませんから、相手に関係なくズバズバ言ってしまうこともあります。 しかし、言ってしまった子に対して全責任を負わせるのもどうかと思います。
なぜなら、「どんな気持ちになるか?」という思考がなされていなかった可能性もあるからです。 ある意味仕方のないことなんです。
だから大人の方たちに、フォローして頂きたいんです。
先生や保護者、第3者的な立場の方。
一度崩れた自信を再構築するには、どうしたって時間が掛かります。
突然ですが、ジグソーパズルをやったことはありますか?
サイズにもよりますが、完成させるまでには結構な時間が掛かります。
得意な方は比較的短い時間で、苦手な方は2倍3倍も時間が掛かってしまうかもしれません。
子供たちが、それぞれ自分に自信をつけていく過程は、ジグソーパズルに似ていると思います。 元々足が速かったり、テストの点数が良かったりすれば自信はつきやすいでしょう。
何をやってもうまくいかない子は、なかなか積み上がっていかないと思います。
不登校の子は、好きでやっているわけではありません。
崩れたピースを必死になってもう一回組み合わせているんだと思います。
“また自分に自信が持てるように” 完成したパズルをバラバラにするのは簡単です。 ひっくり返せばいいんですから。
では、それを元の完成形にするまでにはどれくらい時間が掛かるでしょうか?
バラバラにした時間と同じように一瞬にして完成させられますか?
再構築するには時間が掛かります。 保護者の方や先生方はピースが上手くはまるように見守ってほしいんです。
手伝うのはあまり好ましいとは思えません。
誰かがやった100点のテストを自分のものにして評価されても、自信がもてるでしょうか?
誰かの100m走の結果を自分の名前にすり替えて自信がもてますか?
自分で成し遂げられるからこそ、自信がもてるようになるんだと思います。 だから“見守って”あげてください。
ピースをはめるかどうか迷っていたら、後押ししてあげてください。
時間はかかりますが、それだけで十分なのです。
なぜなら、たくさん手を貸すとプレッシャーになることもあるからです。
だから、そっと後押ししてあげてください。
傍にいてあげてください。
2015年3月13日 中学校卒業式の日に ☆福島のみんなの小舟に幸あれ!
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猪苗代湖
ソチ冬季パラリンピックのアルペンスキー男子回転座位で、福島県立猪苗代高校出身の鈴木猛史選手(25才)が、金メダルを獲得しました!
本当に、おめでとうございます。 ちょうど17年前の3月13日、小学2年生の時に交通事故に遭い、両足を失った鈴木選手。
その運命の日に、金メダル・・・☆☆☆ 本当に、人生には不思議なシンクロが起きるんですよね。 8才の子が、ダンプカーにひかれて両足を切断する・・・そこから、です。 どんな復活劇があったのでしょう・・・。 鈴木選手は、小学3年生からチェアスキーを始め、友達と同じように滑れるのが楽しくて熱中したそうです。
中学3年の冬には、世界選手権の代表に選ばれました。 海外遠征費は、1回50万円ほどで、自己負担。 「妹2人もいるのに、ここまで僕にお金をかけて大丈夫なの?」と心配する
猛史さんに、、
「おまえは心配するな」と父の保さん。 駿河台大に進み、バンクーバー大会で銅メダル獲得後、母校の大学に就職した鈴木選手。
初月給で、事故後付きっきりで看病してくれた母の弘子さんにマッサージ器をプレゼントしたそうです。 猪苗代町といえば、野口英世博士の故郷です。
息子を想う母シカさんの手紙が有名ですね。 野口博士の「復活の物語」が、地元の人々の心にしっかりと根づいているのではないでしょうか。
地域教育の力は、とても大きいです。 鈴木選手のコメント。
「脚はなくなったが、悔やんでいることはなくて、幸せかなと思う。 健常者と障がい者の両方の世界を知ることができた。 障がい者になってからも、普通の子と同じように育ててくれた両親に感謝している」 どんな体験も、意味があって与えられているのかな・・・と感じます。
鈴木猛史選手、力強いモデルを、ありがとうございました! 実は3/12に、福島稲荷神社の初午祭で引いたおみくじが「大吉」でした。
そしてそこには、万葉集に収められた大伴旅人の歌が・・・。 わが園に 梅の花散る ひさかたの
天より雪の 流れくるかも 大伴旅人は、万葉集を編纂した大伴家持の父親です。
3/15に、農業技術交流会の集まりで、宮城県の多賀城に行く予定だった私はビックリ! 多賀城は、大伴家持が亡くなった土地でしたので・・・。 大伴旅人、長屋王、古事記・・・家持、万葉集・・・このあたりのお話は、次回!
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また、ひとつの討論資料として、2010年に起きていた、
名古屋地下鉄広告問題「赤ちゃんの指、5本ずつありますか?」 の内容をご紹介したいと思います。 正直なところ、これらの問題提起に関して、福島の一部の方々からは、
「運動を分断するな」「もぐら叩きはやめろ」とか、 「年を取ると、差別の問題はしんどいので考えたくない」等のお叱りを頂くこともありました。 それでも、私は、70年間、核を廃絶できないでいる日本人の無意識の暗闇に、光注がれ、鎮められる時を「待っている」何か得体のしれない気配の様なものを感じるのです。
それらを表に出していくことが、福島の私たちの役目なのかなとも想う、 4年めの春です。
■名古屋地下鉄広告「赤ちゃんの指、5本ずつありますか?」は、 核と放射能、福島差別の問題を考える際に、多くの貴重な視点を私たちに 与えてくれます。
それぞれの異なる立場や思いがあると思います。
一人ひとりが、この問題を考えていく際の資料として、 以下、名古屋の方がまとめてくださったものを、掲載いたします。 ◆概要
特定非営利活動法人名古屋NGO センター(以下、NGOセンター)および独立
行政法人国際協力機構中部国際センター(以下、JICA中部)の共催により
実施した「地域NGO の広報力を高める研修」において、研修プログラムの
一環として作成し、2010 年10 月から11 月まで名古屋市営地下鉄鶴舞線に
掲載した6種類の広告のうち、劣化ウラン弾や放射能汚染の影響の深刻さを
伝える目的で制作した広告のキャッチコピー(下記「広告コピー」参照)に対して、複数の団体および個人の方から抗議が行われた。
◆広告コピー
「赤ちゃんの指、5 本ずつありますか?」
「出産時、日本では「先生、男の子ですか?女の子ですか?」と聞きますよね。地球上のいくつかの地域では、おかあさんはこう聞くのです。 「指は揃っていますか?」。それらの地域の多くは放射能や化学兵器などで汚染された大地を持っています。傷ついた子どもたちやおかあさんを救うため、あなたにもできることがあります。」
◆抗議を行った団体・個人
・斎藤亮人 名古屋市議会議員 (往訪および来訪、文書受取)
・先天性四肢障害児父母の会 (来訪、文書受取) ・愛知県重度障害者団体連絡協議会 (文書受取) ・障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワーク・インクルネット愛知 (文書受取) ・個人名で4名(障がい者関係団体の方2名、国際協力NGO 関係の方1名 個人名のみの方1名)
◆抗議内容(報告書)
・「キャッチ・コピーの表現は、「奇形児は生まれて来ない方がよい」即ち、「障害がある子は生まれないで」という連想をさせ、障害者の感情を逆撫でするもの。このような表現が新聞記事や地下鉄広告になることは、不適切でかつ障害者に対する配慮を欠く行為だと考え、怒りを覚える。」
・「広告を見た人々が、障害者・児を「悪い結果」の象徴ととらえかねない。障害者・児への差別を助長する。障害者・児、ことに「奇形児」への恐怖、これから出産する女性の不安をあおるものであり、障害者・児およびその家族に対する連帯感が感じられない。」
◆経過
2010/10/01 名古屋市営地下鉄・鶴舞線の車内に広告掲載(11月末まで
予定)
2010/10/22 朝日新聞、愛知、岐阜、三重版、夕刊「NGO列車「発信」車内 広告作り、PR力学ぶ」記事
2010/10/23 名古屋市栄で開催された「ワールドコラボ・フェスタ」に ブース出展し、制作 された6種類の広告を掲示。来訪した
市民の方に投票形式で評価してもらう
2010/10/25 斎藤亮人名古屋市議のほか、各団体、個人からの抗議、要望を 受ける 2010/10/26 抗議を受けて緊急協議(NGOセンターとJICA中部は、広告作成 団体、研修コーディネーターを含めて協議)
2010/10/27 朝日新聞朝刊(愛知、岐阜、三重版)に当該広告掲載中止の 記事が掲載 20101027 広告取り外し、ホームページ上にお詫び 文を掲載、検証委員会(NGOセンター理事長、理事、事務局長
JICA中部、次長、課長、調整員で構成)を設置
2010/11/27 第1回検証委員会 2010/12/04 第2回検証委員会(広告作成団体を訪問、当該団体役員および 研修参加者へ聞き取り実施) 2010/12/09 第3回検証委員会(広告作成団体を訪問、当該団体役員および 研修参加者へ聞き取り実施) 2010/12/17 第4回検証委員会 2010/12/22 第5回検証委員会 2011/01/09〜21 抗議を行った団体・個人と話し合い ◆資料 ◇NGO列車「発信」 車内広告作り、PR力学ぶ (朝日新聞 2010年10月23日 愛知、岐阜、三重版 夕刊) ◇先天性四肢障害児父母の会 2010/11/25
「朝日新聞の記事、写真に抗議」『父母の会通信』391 ◇名古屋NGOセンター・中部国際センター 2011/01
『「地域NGOの広報力を高める研修2010」に関する広告 検証委員会報告書』【PDF】 ◇JICA中部「地下鉄広告に関する「検証委員会」による検証結果の報告について」http://www.jica.go.jp/chubu/topics/2010/110314_01.html ■下記は上記の一部引用です。
◆NGO列車「発信」 車内広告作り、PR力学ぶ
(朝日新聞 2010年10月23日 愛知、岐阜、三重版 夕刊) 「戦争や貧困など、様々な分野で地道に活動しているのに、その姿がなかなか市民に伝わらない。非政府組織(NGO)のそんな悩みにこたえようと、名古屋NGOセンター(名古屋市中村区)などは今年、地下鉄の車内広告づくりを通じて、情報発信能力を磨いてもらう講座「NGOを広めるプロジェクト」を企画した。参加14団体が知恵を絞って六つの広告を制作。今月初めから、名古屋市営地下鉄・鶴舞線で「NGO列車」が走り始めている。
幼い子どもの握り拳の写真。その横に「赤ちゃんの指、5本ずつありますか?」のキャッチコピー。 制作したのは、イラク戦争で傷ついた子どもたちを支援する「セイブ・イラクチルドレン・名古屋」(名古屋市昭和区)と、1986年の旧ソ連での原発事故被害者を救援する「チェルノブイリ救援・中部」(同)。劣化ウラン弾と事故による放射能汚染で、いずれも子どもの先天性障害などが問題になっている。 コピーの下には「出産時、地球上のいくつかの地域では、おかあさんはこう聞くのです」「傷ついた子どもたちを救うために、あなたにもできることがあります」と続く。 ◆先天性四肢障害児父母の会 2010/11/25 「朝日新聞の記事、写真に
抗議」『父母の会通信』391
10月30日、朝日新聞名古屋本社あて「要望書」 「私たちの会の目的は、障害のある者も、ありのままに受け入れる社会を築いていくことです。
もともと障害児は一定の割合で生まれてくるのは自然なことであり、原因も殆どわかっていません。過日の記事の中では、子どもの手の写真と共に「5本指がありますか」とキャッチコピーが添えられ、指が欠損した子どもが生まれるのは「あってはならないこと」のように取り上げられています。障害者の人権が認められるようになってきたにも関わらず、障害者の存在を否定するような記事には怒りとともに悲しい思いさえ致しました。」 ◆先天性四肢障害児父母の会の抗議行動の動き
2010/10/01 名古屋市営地下鉄・鶴舞線の車内に広告掲載(11月末まで 予定)
2010/10/22 朝日新聞、愛知、岐阜、三重版、夕刊「NGO列車「発信」 車内広告作り、PR力学ぶ」記事
先天性四肢障害児父母の会会員、朝日新聞に抗議、名古屋NGO センターに取り外し要求
2010/10/27 朝日新聞朝刊(愛知、岐阜、三重版)に当該広告掲載中止の 記事が掲載 2010/10/27 始発から広告取り外し 2010/10/28 先天性四肢障害児父母の会会員、朝日新聞と話し合い 2010/10/30 先天性四肢障害児父母の会、朝日新聞名古屋本社に要望書を 提出 2010/11/02 朝日新聞より先天性四肢障害児父母の会へお詫びの文書 2010/11/06 先天性四肢障害児父母の会、名古屋NGOセンターと話し合い (第1回)
2011/01/09 先天性四肢障害児父母の会、名古屋NGOセンター、中部国際セン ターとの話し合い(第2回) ◆名古屋NGOセンター・中部国際センター 2011/01
『「地域NGOの広報力を高める研修2010」に関する広告検証委員会報告書』【PDF】 「この広告を制作したのは、劣化ウラン弾による残留放射能の影響を受けているイラクで医療支援に携わる団体と、チェルノブイリ原発事故による放射能汚染地域で住民の保健・生活改善の活動に携わる団体です。二つの団体が日本の市民の関心を引きつける広告を制作した背景にあったのは、今現在、残留放射能の影響で多くの被害が出ている現状を早く何とかしたい、できるだけ多くの人々に現状を知ってもらいたいという焦りと、この現状の背後にある核開発や核兵器の問題に対して、私たち日本人にも責任があるという思いでした。
制作団体の関係者は、活動地域の人為的な障がいを受けた人々と日常的に接し、障がい者の方々への強い共感をもって支援活動に取り組んできました。広告を制作する際にも言葉の使い方には気を使っていました。関係者の一人は、障がい児を持った知人に文案を見せて感想を聞くなど、表現に不適切な点はないかを慎重に検討しました。しかし、効果のある表現、インパクトのある表現を追求して言葉を研ぎ澄ます作業に没頭する中で「障がい者の方々への思いは頭から抜け落ちてしまった」と、聞き取りの中でこの関係者は述懐しました。 実は今回の問題と同じ問題が20年前にも起きています。チェルノブイリ原発事故をきっかけに原子力発電に反対する活動に取り組んだ団体が、現地の状況を伝え、原子力発電の危険性を訴えるために、人為的障がいを前面に出した広報を行なったのです。これに対して、障がい者の方々から「障がいのある子は生まれない方がいいということか」との抗議の声が上がりました。このときの団体と、今回の広告制作に携わった団体とはつながりがあります。20年前の経験が団体内で十分継承されないまま、再び同じ事が繰り返されました。当時の経験が、当該団体のみならず国際協力に携わる団体の間で共有し、継承する取り組みが行われてこなかったことも、今回の事態を招いた要因です。」(p.8) |


