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昨日の福島市は、朝から清々しい春の光が降り注いでいます。
家の前でキラキラと輝くのは、白い雪とブルーシート・・・。 京都精華大学の山田先生は、いつになったら実験資材を回収してくださるのだろう。
もうすぐ3年になるというのに、提供したサンプルのデータも送られてこない。 テレビのアナウンサーが「もうすぐ震災から3年・・・」と言うたび、心は
重くなる。
3年も経つのに、家や畑の除染もこれから・・・という現実に、ちょっと目眩がする。 一人でいると「あの日」を思い出して怖くなるという友人と、お茶を飲みながら昔話をしました。
25年前に、青森県八戸市の農業者、久保晴一さんを福島に招いて、講演会を 開いた時の思い出話です。
写真は、1989年3月19日の講演会用に作成した手書きのパンフレットです。 当時、久保さんは、青森県農協青年部の委員長であり、核燃サイクル阻止
農業者実行委員長。
そして、青森県議も務められた「行動と情熱の人」でした。 その久保さんが、昨年2月2日に、肺がんのため、61歳で亡くなったことを、 友人から聞いてビックリ。 とても残念です。 今年は、一周忌だったのですね・・・。 1989年1月、福島第二原発3号機で起きた大事故をきっかけに、福島県内の
農業者や母親たちが、原発や核燃、放射能の問題を、青森の人々と考えようとしていました。
チェルノブイリ事故から、まもなく3年というタイミングでした。 現地やヨーロッパの被害状況などが、マスコミで報じられ、私たちは幼い子どもを抱えながら不安でいっぱいでした。 当時、四国電力に申し入れの交渉をしていた障がい者の大本さんという女性が、こんな記事を書いていました。
「……四電との直接交渉の席や一階ロビーでの四電社員へ語りかける場面において、『放射能の影響が心配でこのままでは子どもを産めない。
将来、妊娠しても産まない』『私は、将来結婚して子どもを産みたいのに
どうしてくれるの』……などと、老若男女が涙ながらに切々と語り、その席に同席した人々がともに涙し、共感の拍手を送る。
ついには、ある女性″障害者″が自らの苦悩に満ちた人生を語りながら、 『私のような不幸な子どもが生まれる可能性のある危険な実験をやめて』と言い、人々に涙と共感の拍手が沸き起こる。
そして、もっと最悪なことには、それらはその場にいた多くの子どもたちの 心に″鮮明な記憶″として刻み込まれてしまったに違いありません。……」 また、同じ頃、野辺明子さん(先天性四肢障害児父母の会)が、『父母の会通信』に以下の内容を書いています。
「今年のはじめあたりから、私にとって気になる“雰囲気”というものが
ありました。反原発、脱原発の市民運動が野火のように全国に広がり、たくさんの集会やデモが開かれていますが、それに参加して感じたものです。
チェルノブイリの事故のあと、原発の危険性はさまざまな角度から指摘されています。事故が起きなくとも、核廃棄物の処理の問題など、全地球的な 規模での汚染が深刻です。
私が気になった傾向というのは、危険性の例として、“「奇形児」「障害児」の出生増加”が引き合いに出されることが多くなったという点です。……結果として出てくる危険性の指摘そのものについては間違ってはいないと思うものの、集会のチラシに、「奇形児が!」という記事が大きく 踊ると、“ちょっと待って”といいたくなります。」
25年前から・・・いえ、広島や長崎で多くの人々が被曝した69年前から、
そのような違和感や問題提起が、当事者の側から繰り返し発せられていたのですが、他人事のように聞き流されてきた結果、「福島」でも
同じような痛みを私たちは体験することとなりました。 最近でもネットで、規格外の形や色が悪いイチゴが収穫されているのは昔からあるわけですが、規格外の形の悪いイチゴをネタに反原発派の人たちが、これは放射能に汚染されたものと勝手に決め付けて紹介されたため、ちょっとした騒動にもなったようですね。
先日のソチ五輪の記事の中で、ナチスの話を書いた後、アンネの日記の事件が報道され暗澹たる思いでおりましたが、差別や排外主義は、一人ひとりの心の中にもあるという自覚を、もう一度想起したいとも思いました。 昨年11月の福島市長選の過程で書いた記事も、合わせてご覧ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/fukushima_apple/11373337.html |
福島は魂の甲子園
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