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古関さん
福島市は、17日から雪になりました。 吹雪く福島駅前で、古関さんが笑ってます。 道行く人々も、なぜか笑顔。 そうだよね、羽生結弦くんがオリンピックの男子フィギュアで、金メダル! 66年ぶりの五輪連覇です!おめでとう! 羽生くんに続いて、女子スピードスケート500mで小平奈緒選手がオリンピック記録更新で金メダルを取りました。おめでとうございます。
次の女子パシュート(団体追い抜き)も金メダルが期待されていますので、 皆さん応援しましょう。
17日は、将棋の藤井聡太くんも、羽生竜王を破って、史上最年少(15才6ヶ月)で六段に昇段。
私たちは昔「新人類」などと揶揄されたけれど、この新しい世代は「超人類」?(笑) 羽生結弦選手は、仙台市の出身。
高校1年の時に、東日本大震災を体験しました。 この辺りのことは、4年前のブログにも書いていました。 https://blogs.yahoo.co.jp/fukushima_apple/11792697.html 今回、試合後のコメントで印象に残ったのは、以下のやり取りです。
(質問)「羽生選手、金メダルを獲得できた要因は、何ですか?」 (羽生選手)「今回は、逆境があったからこそ、掴むことができたと思います」 昨年11月に負傷した右足首は、当初診断された靭帯損傷だけでなく、腱や骨にも炎症がみつかり、歩くこともできない日々が続いたそうです。
「もうスケートはできないかもしれない」 そこからの復活劇でした! 「逆境」体験をプラスにできる人と、もうだめだと諦めていく人と、何がどのように違うのでしょうね。 駅前の雪と古関さん
羽生選手は、「逆境になればなるほど、スイッチが入る」のだそうです。
おそらく彼の中には、逆境=飛躍という成功体験(ストーリー)があるのでしょう。 気分が落ち込んだ時に、傍らで、そのストーリーの再生ボタンを押してくれるコーチも必要ですね。 17日のフリーでは、鎮痛剤をうち、テープを入念に巻いた右足首で演技した羽生選手。
魂の演目「SEIMEI」で、8つのジャンプを全て着氷しました。 「SEIMEI」は陰陽師、安倍晴明から来ているそうです。和太鼓をベースにした曲でした。 痛みは「今、この瞬間の意識」を強化しますから、必然的に「地に足の着いた」演技となります。
この「痛みの効用」も相まって、最高の結果を引き寄せることができたのではないでしょうか。 合計317.85点で、2連覇を達成した羽生選手のユニフォーム(背中)には、金色の五芒星がキラリ☆ 安倍晴明「降臨」を想わせる神秘的な時間でした。 陰陽師の服をイメージしてか、肩の所に切れ込みがありましたね。
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ありがとう
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福島稲荷神社
12日の「成人の日」を前に、昨日は福島県内38市町村で成人式が行なわれました。
このところ強い西風の吹く福島市ですが、この日は朝から不思議なほど穏やかな日和となり、着物姿の新成人の皆さんにとってはラッキーな一日となりました。
福島稲荷神社を参拝する方々も、年代が若い!
そして、カップル(昔は「アベック」と言った) が多い(笑) 福島も、そろそろ「陰」が「陽」に、「冬」が「春」に転じる、2015年であってほしいですね。
今年も、おみくじを引いてみました。
昨年3月には、福島稲荷神社で「大吉」を引かせて頂きました。 そのあたりの記事は、以下。 http://blogs.yahoo.co.jp/fukushima_apple/11895703.html
http://blogs.yahoo.co.jp/fukushima_apple/11936619.html 今年は、どうでしょう・・・?
第五十番『大吉』☆☆☆
神様、今年もありがとうございます!(笑) そして、ついに大伴家持さんの和歌までが・・・。
「春の苑 紅にほふ 桃の花
下照る道に 出で立つ少女(をとめ) 」 まさに「出で立つ少女」になったような気持ちです(笑)
昨年は、家持さんのお父様、旅人さんの
「わが園に 梅の花散る ひさかたの・・・」
でした。
今年は、家持さんの「桃の花・・・・・」 確実に、「気」温の上昇がみられますね☆ 今年は、敗戦から70年・・・樺美智子さんの死から50年・・・日航機墜落事故から30年・・・。
そして、阪神大震災から20年。 私事ですが、いわきの実家の母が亡くなって10年・・・という節目の年です。 東日本大震災後、5年めの時を刻む福島で、私は、感謝の思いと一つの決意を神様に伝えました。
願いが成就するかどうかは、神のみぞ知る・・・。 大国主命と事代主命のお飾り
さて、今年最初にお届けします「ありがとう!」は、作家・門田隆将さんのメッセージです。
昨年12月5日に、いわき市のいわき明星大学で、双葉、富岡、双葉翔陽3校の高校生にお話された内容の一部をご紹介します。
演題は「福島の浜通りの男たちが日本を救った」
「福島第一原発の所長であった吉田昌郎さんを一年3ヶ月かけて説得し、亡くなる直前にインタビューした。
『あそこで止められなかったら被害はどこまで拡大したか?』と問うと、 『チェルノブイリの10倍』と吉田 所長。
当時の首相は『最低でも避難民は5000万人』と言った。・・・そうならなかったのは、現場で働く浜通りの人たちが、汚染された原子炉建屋に何度も突入し、パルプを開けたり、ベントをしたからだ。」
「暴走する1・2号機の中央操作室に集まった40人の踏ん張りが、奇跡を生んだ。
最初の奇跡は、吉田さんが海水注入を考え、消防車の手配をしたことだ。 全電源が喪失した状況を想像してほしい。 真っ暗闇の中で、放射能濃度は上昇。 中央操作室の廊下は、津波で水浸し。 建屋の線量が高くなり、入居不可になる3月11日午後8時前に、ライン構築を終えたことも奇跡だ。 次に必要になったのは、1号機内部の圧力が上がり、爆発を防ぐため圧力を外に出すベントだ。 高線量の建屋に、誰かが行かなくてはならない。 日本の運命は、2組のメンバーに託された。 2ヶ所のベントが必要だったが、一つは成功。高線量の格納容器に付いている弁を開けることには失敗した。 この失敗で事態は変わり、1号機で10年働き、優秀なエンジニアに成長していた小高工業高卒の男に白羽の矢 が立った。」 「人間には本義がある。何のために存在しているのか。
東電は命を守ったのか。海水注入の際、官邸の本義だけを見て注入中止を言ってきた。 現場の人たちは、自分の死と国家の死の淵を見て闘っていた。 本義が揺るがなかったのは、吉田さんと現場の人たちだけだ。 浜通りの人でなければ、できなかった。」 ☆雪を溶かす光
「福島は、原発事故の被害者的側面ばかりが伝えられるが、事故発生当時、原発で働いていた浜通りの人たちが、危険な原子炉建屋に何度も突入し、
日本を救った事実をもっと多くの人に知ってほしい」と門田さん。
門田隆将さんは、NHKでドラマ化された「甲子園への遺言」(伝説の打撃コーチ・高畠導宏の生涯) の著者としても有名なジャーナリストです。
震災後は、人命救助のために命を落とした福島民友新聞社の記者(享年24才)に光をあてたノンフィクション「記者たちは海に向かった」(角川書店)も、話題になりましたね。 たくさんの方々のお陰で、私たちは生かされている・・・「感謝」があふれる成人の日です。
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