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皆様、今年一年のご愛顧に心より感謝申し上げます。
早朝5時から夜の9時まで、一日10回の餅つきを「千日回峰行」のように無心(夢心)にこなして、昨日無事に終了しました。 直売所「ここら」に出荷したパック餅も完売致しました。 応援いただきました皆様のお蔭です。 本当にありがとうございました。 今年3月、福寿草を撮りに行った喜多方(熊野神社)でひいた大吉の御神籤。 そして昨日、福島稲荷神社でひいた御神籤です。 「わが背子が 捧げて持てる ほほがしは あたかも似るか 青き絹傘」
僧恵行が大伴家持に贈ったという歌です。
なぜ、いつも「大吉」を引いてしまうのか・・・未だに、わかりません(笑) 有りがたいです。感謝いたします! さて、12月22日、福島市にサテライトを置く相馬農業高校飯舘校の演劇部に、梨(王秋)と絵本を届けてきました。演劇部5人で、東北大会優勝。そして、全国大会では優秀賞を受賞した福島県の若いクリエイターです!
なんと!来年2月11・12日に、東京公演があるそうです!
板橋区の「アトリエ春風舎」へ、私も行こうかな(笑)
1月21日には、福島市の駅前「こむこむ」でも、彼らの演劇を観ることができます。 卒業前の最後の上演です。 皆様、この機会をお見逃しなく! 今月は、福島県立図書館から納本依頼のご連絡をいただき、絵本2冊をお届けしました。 「ふくしま夢絵本」のホームページを見てくださった職員さんが、「子どもの本と震災記録のコーナーに置きたいと思います」とおっしゃってくださいました。 新年1月から、貸出しも始まります。 また、福島市で開催された県人会サミット(11月)に、フランスから参加したフランス福島の会の遠藤会長からもメールを頂きました。高校のクラスメートだった彼女とは40年ぶりの再会でした。
オランダのお友達にも絵本を手渡してくださったそうです。 心から心から!感謝申し上げます。祐子ちゃん、ありがとうございました。 絵本出版から2ヶ月で、500冊をご購入いただきました。
神戸新聞の記事が、ネットのYahoo!ニュースでも配信されて、全国からメールやお電話を頂きました。 御協力いただきました皆様に重ね重ね感謝申し上げます。 新しい年も、様々な試練を宝に変えて、一歩をふみだして行きましょう。
皆様、今年一年、本当にありがとうございました。 |
福島の高校演劇
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1/14に会津若松市で、大沼高校演劇部の「シュレ猫」と「よろずやマリー」を観劇した後、松井洋子さんの本「癒しのワークショップ」を27年ぶりに読んだことは書きました。
松井洋子さんは演出家・竹内敏晴さんのお弟子さんです。 私は18歳の時に、竹内敏晴さんの著書「ことばがひらかれるとき」と出会い、その後の進路を決めましたので、竹内さんは「卒啄の機」に、殻の外からトントンと時を知らせてくれた恩人です。 小さな固い殻を破って、いわきの「母港」から旅立った40年前を懐かしく思い起こしました。
それからは、嵐の航海の連続です・・・(笑) 1/22に、飯舘校演劇部のサテライト仮想劇を観た後、偶然うちの書庫で目が合った「日本霊性論」という本を再読していました。偶然・・・です。 「東日本大震災を契機として浮上したのは、日本人の霊的成熟についての問題である」という内田樹さんの問題提起に、福島の現場で、大きく肯く6年目・・・・・。
164ページまで読み進めた時、あ〜っ!と絶句しました! なんと、内田樹さんが、竹内敏晴さんのワークを紹介していました。 なんというシンクロでしょう。いつものことですが(笑) 以下、少しだけ転載させて頂きます。
「竹内敏晴さんはコミュニケーションと身体技法の専門家ですが、竹内さんが行うエクササイズのなかに、何人か立ってもらって、その背中に向かって「こんにちは」と呼びかけるものがあります。 そうすると呼びかけられた人は『わかる』んだそうです。背中に矢が立つようにメッセージが当たるのがわかる。 そのような身体に届くメッセージと届かないメッセージがある。・・・あなたは存在するという承認の合図・・・それは、君に用があると告げている。・・・人間は、自分が存在することについて十全な確信を持つことができずにいます。
自分がいるのかいないのか、いてよいのかいけないのか、いるべきなのかそうではないのか・・・「私はあなたに用がある」と言われると僕たちは強く動かされる」
内田樹先生は、フランス現代思想を大学で教える学者さんですが、一方で合気道を極める武道家でもあります。
それにしても「演出家・竹内敏晴」というキーワードを、立て続けに目にするというのは、「今、書きなさい」ということでしょうか・・・。 聖書のヨブ記や、仏教学者・鈴木大拙の「日本的霊性」を紐解きながら、「合図が降りてくる時代」に感受できるセンサーを覚醒するプロセスと、歩哨のミッションについて語り合った2賢人の講義本・・・
こちらは次回ご紹介します。 さて、飯舘校演劇部のサテライト仮想劇に話を戻します。
そうなんです。 この劇中に、竹内敏晴さんの声のエクササイズを想起させる場面がありました。 生徒会長のサトルは、不登校を克服して頑張っている優等生。 ずっと感情を心の奥に閉じ込めて、「ぶつかれない身体」のまま生きてきました。 一方、吉田沙保里選手似のハルカは、声だけは大きいです。 声が大きいことと、伝わるということは、違うけれど・・・。
ハルカ「ばかやろうって、行ってみな!」 サトル「ばかやろう・・・・・」(声がでない) ハルカ「二人だけなんだから、もっと大きな声で言ってみな!」 サトル「ばかやろう〜!」 そして・・・
サテライトの片隅でひっそりと生きてきた「影」のような存在「ユキ」 彼女が、たどたどしい笛の音で唱歌「ふるさと」を練習している姿を「許せない」ハルカ。 ユキは、ハルカの「影」です。 ハルカは、その「自分の影」を、罵倒します。 ハルカ「やめろよ、そんな曲!何がふるさとだよ!」
ハルカもまた、「できる、できない」という学校評価の囚れ人であり、おそらくずっと以前から自分自身に、ダメ出しのプレッシャーを与え、「弱さ」を鞭打ってきたのかもしれません。 ユキ「『ふるさと』に聞こえなくても、これが私の『ふるさと』。この学校は私の『ふるさと』だよ」 この脚本を演じている子ども達は、自身が正真正銘の「ハルカ」であり「サトル」であり「ユキ」です。
中学時代「オール5」だった優等生が、単に演技として「おちこぼれ生徒」を真似していたら、これほどの臨場感を観客に伝えることはできないだろうと思います。 その魂の叫びのような「声」が、観客の心を掴んでいます。 飯舘校サテライトの「プレハブ校舎」は、「仮校舎」という名前通りの
「仮の空間」です。
いつかは無くなる、仮の舞台(無常)です。 まさに、人生そのもの・・・アングラの舞台(テント)じゃありませんか。 夏は暑く、冬は寒い。 歩くとミシミシと、「優しい音」(ハルカの言葉)がします。 劇中に何度も入る小さな音響・・・「ガラガラガラ」・・・。 プレハブ教室の扉を開け閉めする音です。 この「扉」は、外界と内界の「境」を表しているようです。
内側の世界は、子ども達にとっては「温かい心安まる」お母さんの子宮のような居場所なのかもしれません。 生きていても大丈夫・・・と実感できる「ホーム」です。 「イクミ先生」を演じた高橋さんの、大地の母を想わせるグランディングがすばらしい! ☆劇終了後に、部員の挨拶がありました。
一方、扉から一歩外に出れば、油断できない「危険地帯」・・・闘いが始まります。
「オマエなんか、価値のない人間だ」と、内なる声がささやき始めます。 身体は、ピリピリとした緊張で縮こまり、「自分の声」を失っていきます。 でも、時が満ちた、ある日・・・傷口が疼いて開き始めるのです。 ピリピリと古い皮膚が破れるようにひらいて、成熟した新しい身体が、殻の中から現れるのです。 「脱皮」というのは、昆虫や爬虫類だけのプロセスではありません。
人間にも、あるのです(笑) 内田樹さんが、前出の本の中にこう書いています。 「人間が人間になる瞬間を表現するのが、演劇や舞踏の原初だ」と。 うちら「人形」でも「芋虫」でもないよ・・・と。 そして、コラボした釈徹宗先生が、仏教学者・鈴木大拙の言葉を紹介しています。 「一周回って、あるがまま」 そういえば、劇中で、ハルカやサトルが舞台をぐるぐると歩き回るのです。
何か象徴的ですね。 サテライトという仮の居場所で、みごとに脱皮した子ども達が、空に向かって飛翔する時が迫っています。「同じ」だけれど、一周前とは「違う」存在となって。 棄てられたんじゃないよ。 君たちは、脱皮したんだ。 今は、美しい羽をもっている「新しい身体のわたし」となって。 劇が終わると、部員が劇場の出口に並びます。
私は、感動と感謝の気持ちでいっぱいとなり、一人ひとりの子どもさんと 握手させて頂きました。 部員さん達は、人混みに紛れたら見失ってしまうような目立たない雰囲気の子どもさん達です。 そんな子どもさんが、舞台にたつと「代役が一人もいない自分だけのポジション」を、心を込めて一生懸命演じています。 熱を秘めた、温かい「手」でした。 最後に、応援の3年生(音響係)の男子生徒さんに声をかけました。 「今年8月の全国大会(仙台)、応援してるよ!」と握手しました。 暗く寒い舞台裏で、後輩たちを支えるべく、完璧な仕事を成し遂げた先輩の冷たい手を温めながら、私はまた泣いてしまいました。皆さん、ありがとうございました。 |
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昨日は、久しぶりに朝から晴れ上がり、白銀の吾妻山が姿を見せてくれました。
午後から、福島駅前の「こむこむ」へ! 昨年末に、高校演劇コンクール東北大会で最優秀賞を受賞した、相馬農高飯舘校演劇部の自主公演を「こむこむ館」が主催しました。
福島県大会では、大沼高校に最優秀賞を譲った「飯舘校」・・・。 福島県高校演劇連盟のホームページを見てびっくりしましたが、2016年11月の地区大会(相双地区)では「優秀賞」でした。・・・因みに、地区大会の最優秀賞は、ふたば未来学園高校です。 各地区加盟校 - 福島県高等学校演劇連盟 公式ホームページ! ☆演劇部の4人と応援の音響スタッフ
演劇部は、二年生部員が4人。
音響係の3年生は、音楽部からの「応援」生徒さんだそうです。 なので、一人が、インフルエンザで休んだら、劇ができないのです。 1〜2ヶ月の間に、いったい「飯舘校演劇部」に、何が起きたんだろう? 高校野球も、一試合ごとに子ども達が成長しますからね・・・。 昨日、作品について、何の予備知識もないまま観劇した私は、まったく予想外の内容に完全にノックアウトされ、またしても涙の海に沈みました・・・(笑) 東北大会「最優秀」で自信を深め、さらにレベルアップした子ども達の「Being」に、乾杯(完敗?)です。 ☆東北大会・最優秀賞受賞を伝える河北新報2016/12/28記事
演劇部全国大会へ 相馬農高飯舘校 | 河北新報オンラインニュース ☆高校のホームページに祝福記事があります。 福島県立相馬農業高等学校飯舘校/TOPページ
www.soma-ah-iitate.fks.ed.jp/ それにしても、皆さん・・・。
農業高校・飯舘校の作品「〜サテライト仮想劇〜いつか、その日に、」とタイトルだけ見て、どんな演劇を想像しますか? 現在、福島市の福島明成高校にサテライトを置く相馬農高飯舘校の演劇部。 創部は、2014年です。 東日本大震災と福島第一原発事故による避難に伴い各地にサテライトを置いてきた他校の休校や統合が近づく中、残る唯一のサテライト校の複雑な心境をまとめた仮想劇「いつか、その日に、」 顧問の西田直人先生は、福島明成高校演劇部を指導してきた先生です。
明成高校演劇部は、これまで風評被害で苦しむ福島の農家を描いた作品等を上演していますから、飯舘校もやっぱり、帰村とサテライト廃止で揺れる農業高校生の望郷と葛藤を演じるのかな・・・と、想像していました。 ところが〜・・・。 劇のはじめに登場したのは、アグレッシブな一人の女子高生「ハルカ」。
小柄ですが、レスリングの吉田沙保里選手みたいな雰囲気です。 良くとおる大きな「声」で、飯舘校サテライトの成り立ちと現状を朗々と観客に伝えます。 この時点で「さすが、農業で心身を鍛えた子どもは声がちがうわ」などと思っていました・・・ところが〜。 ハルカいわく・・・IF(もし)・・・このサテライトが廃止されたら、私たちはどうなるのか?を、今から想像したい・・・と 今から少しずつ心に傷をつけて「慣らして」、その時がきたら深傷をおわないように「いつか来る痛みへの準備をしておきたい」・・・・・と。(劇の最後に語る) そこから、飯舘校サテライトに入学を許された彼女、彼らの「様々な事情」が描かれていきます。
その事情とは・・・。 サテライト校に入学する7〜8割の生徒は、飯舘村とは全く無関係の子ども達なのでした。 中学は3日登校して行くのを止めた「ハルカ」は、母親と二人暮らし。 定期試験を受けていないので、通信簿は「オール1」だ・・・・・え〜っ!うちの三男と同じだ〜(笑) 公立高校は不合格。どこにも居場所の無い状況で「飯舘校サテライト」だけが「うちらを受入れてくれた」・・・と。 ハルカ「あの時は、嬉しかったな〜」 (わかるよ〜その気持。うちも同じだったから・・・10年前)
ハルカ「高校では頑張るぞと思った。生徒会の副会長になった時、お母さんも喜ん でくれた。高校であんたは生まれ変わったねって」 その直後に・・・状況が一変する。サテライト廃止が決まったのだ。 ハルカと生徒会長の「サトル」、いじめられっ子の「ユキ」の3人だけが、飯舘村の分校には通わず「転校」することになった。 中学時代に両親が離婚して、姓が変わったことを学校でからかわれてから不登校になったという「サトル」
飯舘校サテライトで心機一転、学習に励み、国立大学を目指すほどの優秀な成績なのだが、福島市から登下校3時間の飯舘村通学は断念。 福島市内の定時制高校に転校することになった。 しかたがないよ・・・と、大人しい性格のサトルは諦め顔。 そんなサトルにハルカが、猛烈にアタックする。(恋のアタックじゃありません笑) ハルカ「いつまで優等生みたいなこと言ってんの?」 「あんた、悔しくないの?うちらは、棄てられたんだよ!」 「ス・テ・ラ・レ・タ」 この言葉、震災直後にも、高校生から聞いていました。 あのころは、大人も子どもも、心が荒んでいたな〜・・・・・。 そして、震災前にも、聞いていた(不登校児の母親達から)・・・・・と、そのとき突然、懐かしい場面が心に浮かびました。 そこから、どのように這い上がるのかを、ずっとずっと考えてきたように思います。 今、原発事故で暮らしが一変した福島の私たちを「棄てられた」という人、言葉では言わないけれど心で思っている人は多いです。 その「棄てられた人々」に、実は震災前から「棄てられていた」小さな存在、小さな声があったことを、私は昨日改めて思いだしたのでした。 「差別される側」にも、同じような差別の構造があること。
次回は、そのことを思い起こしながら、サトルの声をひらく「ハルカ」、ハルカの心をひらく「ユキ」 そして、存在感のある「イクミ先生」のグランディングについて書いてみたいと思います。 以下は、参考記事です。 ☆東北大会出場を紹介する福島民報記事
相馬農高飯舘校演劇部 東北大会出場へ サテライト校の頑張り熱演 ... www.minpo.jp/pub/topics/hotnews/2016/12/post_1277.html 「『その日』が来ることは分かっている。それでも今は頑張る」。福島市の福島明成高にサテライトを置く相馬農高飯舘校の演劇部は12月23日から、いわき市で開かれる第49回東北地区高校演劇発表会に出場する。
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「よろずやマリー」の感想を書こうとしていたら、友人からメールが届きました。
実は、「シュレーディンガーの猫」(略して「シュレ猫」)は、福島県の2012年・高校演劇コンクールでは最優秀賞をとったものの、東北大会での評価が割れて、全国大会へ出場することができなかったというのです。 その経緯を伝える、河北新報の記事を送ってもらいましたので、一部を紹介します。 ☆2013年8月14日付「河北新報」からの抜粋記事 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
劇「シュレーディンガーの猫」は絵里ら2人の転校生、2人を迎えた同級生6人の心の葛藤と
友情を描く。
昨年11月、県高校演劇コンクールで最優秀賞を射止め、12月の東北大会に駒を進めた。 上位に入ったら全国大会への道が開ける。
「重すぎる」 「見ていてつらい」 東北大会での評価は厳しかった。 入賞を逃し、全国行きの切符は手に入らなかった。
ことし3月、全国規模の別の高校演劇大会がいわき市で開かれ、地元枠で出た。
東北大会で受けた評価を教訓に脚本と演出を練り直した。 転校生同士で言い争う場面など深刻なシーンを減らす。
本番では好評を博した。 公演を見た東京の被災者支援団体「ウシトラ旅団」のメンバーが気に入り、東京公演の
道筋をつけてくれた。
5月、会津美里町の仮設住宅で演じた。同県楢葉町の住民が暮らす。
拍手が鳴りやまなかった。 観客の一人が避難者の気持ちを代弁してくれたと握手を求めてきた。
「役が自分のものになったと感じた」 「みんなで作り上げた舞台。避難者の思い、福島県の思いを伝えたい」 ☆福島駅前の古関さん「福島市でも上演してくれ〜!」
演劇部顧問の佐藤先生は、他県の演劇部が演じる震災劇が、現実とあまりに異なるため、体験した自分たちが真実を伝えたいとの思いで、脚本をまとめたそうです。
そして、昨年、福島県高校演劇コンクールで最優秀賞を受賞し、東北大会に出場した「よろずやマリー」・・・。 「シュレ猫」の続編(数年後)として、さらに深く、喪失を抱えた人間の狂気と再生へのプロセスを丁寧に描いた完成度の高い作品です!
なのに・・・、今回も全国大会出場は叶いませんでした・・・。 素晴らしすぎるからでしょうか(苦笑) 東北大会最優秀賞は、同じ福島県の相馬農高飯舘校演劇部「〜サテライト仮想劇〜いつか、その日に、」でした。 この演劇は、1月22日に、福島市のこむこむで上演されます。 福島県のレベル、高いですね〜☆ 「創造の病」が、劇的なクリエイションを生み出しているのだと思います。 ☆福島駅前広場のイルミネーション
一緒に観劇した夫は、2作品を続けて観ることができてラッキーだったと話しています。
そして、晩酌をしながら毎晩「シュレ猫」と「よろずやマリー」の話題で盛り上がっています。 観ながら、泣いて、スッキリしたのかも・・・・・。 演劇は、「浄化装置」ですね(笑) 夫が気に入った登場人物は、3人。 ①「シュレ猫」に出てきた農家の息子「克哉」 「人生は闘いだ」と叫ぶマッチョで、ちょとズレてる男子高校生を、小柄で華奢な女の子が演じてました。
さすがだな〜と思います。マッチョな男性の内面を暗示させるキャスティングです。 彼は、実家が風評被害で経営難のため、進学を諦めた生徒として描かれています。 ②「よろずやマリー」のマリーさん
震災後に亡くなった夫と、毎日「黒電話」で話をしている「よろずや」の女主人。 夫が亡くなったことを認めないマリーさんは「泣けない女」のまま、時が止まっています。 瓦礫の中から拾ってきた「モノ」(過去)がいっぱいの「よろずや」。 周辺住民からゴミ屋敷と疎まれ「放射能をばらまくな」「でていけ」「賠償金もらってるくせに」などと罵倒されても、頑なに居座っているのです。 支援のNPOスッタフ(成長した元高校生の陽佳さん)が訪問サポートをしますが、なかなか聞く耳をもたず攻撃的なマリーさん。 彼女の閉じた心と体を、ひらいていくものは、いったい? この「よろずや」の孤部屋と「黒電話」が、無意識の世界を表しているのでしょうね。 ③「よろずや」にやってくる高校生の「サツキ」
マスクをかけた不登校生のサツキは、震災で家族を失った高校生。 マリーさんが、「つながらない」黒電話で話している夫は、すでに亡くなっていることを知ります。 サツキが「黒電話の使い方が、今、わかりました」と言った時、ハッとしました。 誰もが心のなかに「黒電話」や「白電話」を持っているのではないでしょうか。
マリーさんの想いに寄り添い、自分自身も一歩を踏み出そうとするサツキの迫力ある独白がすごい! 今年の3月11日に、福島県立博物館で、「よろずやマリー」を上演するそうです。
また、3月20日には、山形県川西プラザでも上演予定です。 お見逃しなく! |
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今日は、1月17日。
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から22年が経過しました。 宝塚市の武庫川の中洲では、震災からの再生を願い、石で描かれた「生」の文字がライトアップされています。 大切な家族を亡くされた方、ご友人が犠牲となった方・・・自分自身の生きている意味を問い続ける22年だったのではないでしょうか・・・。 14日に大沼高校演劇部が演じた劇「シュレーディンガーの猫」〜Our last question〜にも、東日本大震災の津波で家族全員を失った高校生「弥生ちゃん」が登場します。 弥生ちゃんは「死んでしまいたい」と思い続けてきた少女として描かれています。 そして、劇中で繰り返される「仲間はずれクイズ」の 最後の questionが「弥生ちゃんは、ぜったい生きていけると思う人?」 でした。
皆が迷わず手を挙げる中、しばらく沈黙する弥生ちゃん。 そして最後に、弥生ちゃんは・・・・・。(ラストは、皆さんのご想像に委ねます) ☆今朝の福島市自宅前
震災後は、ショックとストレスで「声」を失った時期がありました。
マスクをかけて、うなだれ、うずくまる日々・・・。 「体」が完全に閉じていました。 私は、いったいどのように体と声を「ひらいて」来たのだろう・・・そんなことを考えながら、自分もまた劇中の登場人物となって「叫びたい」気持ちを必死で抑えていました・・・・・一緒に叫びたかったです(笑) 「わかったようなこと言ってんじゃね〜よ!」とか。 これは「よろずやマリー」の中の台詞ですね(笑)
私達の気持ちを「代弁」してくれる「言葉」が、たくさん・・・ありました。 ☆2013年の初夏に突然あらわれた「福まろ」君
そもそも「シュレーディンガーの猫」とは、何なのか?
最新の量子力学は「人間の見る行為が、ミクロの物質の状態を変える」ことを明らかにしていますが、その矛盾を示した有名な思考実験が「シュレーディンガーの猫」です。 「放射能の影響が不確定な箱の中で生死の確率が半々の猫」と「私たち」は、同じ様にみえるけれど、私たちはどちらかを選ぶことができるよ・・・・・と、劇に登場する「絵里ちゃん」が言うのです。
絵里ちゃんは、震災後、原発周辺の地域から避難して、雪国の学校に転校してきた高校生。 家族を亡くした弥生ちゃんとは出身の町は違うけれど、大きな喪失感を抱えています。 同じ県内ではあっても、震災体験の質がそれぞれ違う彼女らが、様々な葛藤の中で、果たして共感と和解にたどりつくことができるのか? そのまま、私たち大人の課題でもありますね。
私の心を揺さぶった2つの場面。 ①「シュレーディンガーの猫は、あなた達だけじゃない」 (受入れ先の高校生徒会の陽佳さんが呟く)
この場面で、40年前の私の高校時代がよみがえってきました。 ②「神様は、いないと思う人?」
(仲間はずれクイズの質問に、全員が「いない」と手を挙げたように見えた)
私も、高校生のころは、いないと思ってましたよ。 この劇は、震災劇であって、そうではない・・・と感じました。
脚本を書いた顧問の佐藤雅通先生は、福島のドストエフスキー・・・になれる のか・・・・・なってほしいな〜(笑)
昨年、来福して「福島には抵抗の歴史がない」と語ったノーベル文学賞作家、スベトラーナ女子に、この高校生演劇を観ていただきたいものです。
ピストルで撃たれて、のたうち回っている人間を前にして「皆さん、銃所持反対の運動に立ち上がりましょう!」とか、「あんたらは棄てられたのよ」と語る人がいるでしょうか? まず、傷の手当が必要ですよね。
この6年間、私たちが涙を流しながら再生しようとしてきたものは、病んだ心、声、体、大地、先人が積み上げてきた福島の誇りでした。
これを、闘いと言わずして、何と言うのでしょう・・・? 「わかったようなこと言ってんじゃね〜よ!」
心から叫びたい気持ちです。 以下、参考記事を貼ります。
「チェルノブイリと同じ」=福島の印象、ノーベル賞作家語る−東京外大 時事通信 11/28 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016112800747&g=eqa ベラルーシのノーベル文学賞作家、スベトラーナ・アレクシエービッチ氏(68)が28日、東京都府中市の東京外国語大で名誉博士号の授与を受け、学生との対話に臨んだ。 証言集「チェルノブイリの祈り」で知られる同氏は、前日まで訪問した福島県の印象について「複数の都市と村を訪れ、遠くから原発も見た。チェルノブイリで見聞きしたのと全く同じ」と語った。 国の避難計画や補償について疑義を呈した同氏は「ロシアと同様、日本の社会には“抵抗”がない」と指摘。祖父を亡くし、国を提訴した女性らへの現地取材を踏まえ、それがさらに積み重なっていれば「国の態度も変わったかもしれない」とした上で、別室も含め詰め掛けた700人余りの聴衆に「自分の中に燃えるろうそくを消さないように」と訴えた。(2016/11/28-19:58) |




