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ふくちゃんの総合鉄奮闘記
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萩反射炉

萩の世界遺産の3個目は反射炉です。
反射炉といえば静岡県伊豆の国市韮山の反射炉が有名です
あちらは実用型
こちらは試作型として製作されたものであるといわれています
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そもそも反射炉とはなんぞや
簡単にいうと金属を溶かす溶解炉です
萩藩が海防強化の一環として、大砲を鋳造しようとしました。
しかし当時は技術的にも費用的にも難しかったことから、試験的に作ったものだけで実用的な物は断念しました
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高さは11メートル
上の2.5メートルだけがレンガで下の部分は安山岩だそうです。
上のレンガの部分の傷みが気になりました。何らかの対策が必要ではないかと思われます
現在日本に現存している反射炉はこの2つだけです。貴重な産業遺産である事がいえますね。
ここまでは一般的な紹介
当ブログとしては日本一線路に近い世界遺産としたいと思います。
反射炉のすぐ横を山陰本線が走っています
当然列車の車窓からも間近で見ることができます
山陰本線で東萩〜越ヶ浜間を乗るときは是非海側を注目です。

恵美須ヶ鼻造船所跡

恵美須ヶ鼻造船所跡は萩市内からすこし東に行ったところにあります。
萩反射炉とは目と鼻の先にありました
恵美須ヶ鼻造船所跡は萩藩の軍艦を作った所です
萩藩最初の洋式軍艦「丙辰丸」は安政3年(1856)にここで完成しました。
船は全長25mなので軍艦とはいえ小さなものです。
完成後は一時閉鎖されましたが、周布正之助によって再開され、万延元年(1860)には2隻目の洋式軍艦「庚申丸」が進水します。こちらは全長43mありより大型な物になりました。
平成21年発掘調査や文献調査が行われました
丙辰丸はロシアの造船技術。庚申丸はオランダの造船技術によって作られたいたことがわかり、異なる洋式造船技術が共存するという他に例を見ないことから平成25年に国の指定史跡となりました。
そして今回の世界遺産登録ですからとんとん拍子ってことになりますね。
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現在も当時の規模の大きな防波堤が残っています。
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石碑
この石碑の向こう側にドックがあったようですが、ここには最近まで民家が建っていて発掘調査がさえ行われなかったのです
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防波堤の先端から
私が行ったときは数名の観光客とパンフレットを配るおばさんがいました。
はっきり言って見るものがないので観光客も足早に次の場所へ向かっていました。
パンフレットをもらっておばさんと少し雑談しました
ニュージーランドからの青年が見に来たそうです。あまりにも貧相な実態に申し訳ない気持ちだったと言っておられました。
今後は発掘調査行われ全容が見に来た人にわかるような施設になり、世界遺産にふさわしい場所となるよう期待したいと思います。

大板山たたら製鉄遺跡

いろんな紆余曲折があったものの「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」という名前でついに世界遺産として決定しました。
日本で19番目になります。
ここでは8県にまたがる23施設のうち萩にある5か所について一つ一つ見てみたいと思います。
5か所の施設とは
大板山たたら製鉄遺跡
恵美須ヶ鼻造船所跡
萩反射炉
萩城下町
松下村塾
です。以前も述べましたが最初の2つは全く面識がありませんでしたのでこの間行ってみました。
まずは大板山たたら製鉄遺跡
イメージ 1
市内から最も離れた紫福
(しぶき)というところにあります。私の田舎からは最も近く車で30分弱です。
イメージ 2
最寄駅は山陰本線奈古駅。とはいえ、かなりの距離があります。
またアクセスは悪く公共交通機関はないので、現在ここに行くには車だけです
たたら製鉄遺跡は、江戸時代の中・後期に操業された鉄の生産現場です。ここで生産された鉄は、幕末、萩(長州)藩の洋式軍艦建造に役立てられました。この船を作った場所が恵美須ヶ鼻造船所(後述)になります。
この遺跡は、在来の製鉄技術により洋式造船を支援したという、自力でのユニークな近代化を証明するものです。
「たたら」は、日本で独特の発展をとげた伝統的な製鉄技術です。
浜田でとれた砂鉄は船で奈古まで運ばれここに届きます。
周辺の山々の木を伐採し木炭にして、砂鉄を溶かして鉄に加工していくのです。こんな山奥でなければいけないのは砂鉄よりも、燃料の木炭の入手を重視したことがわかります。
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遺跡には、製鉄用の炉跡、天秤ふいご跡など関連施設の遺構が良好に残っています。
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砂鉄洗い場
砂鉄が水に沈むことを利用して不純物を取り除き純度を高めます
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高殿
鉄が作られていたところです。中央に製鉄炉がありました。
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鉄池
(かないけ)
高殿で作られた熱い鉄の塊をここで冷やしました。
ここで操業された記録は3回確認されていて最後の幕末期に生産されたものが洋式軍艦建造に使用されました。洋式軍艦がすべてメイドインジャパンでできたことが他に例を見ないものとなったようです。
私が思うに今回の世界遺産は、だれが見ても一見でわかるというものではなく、歴史の過程を詳しくたどって初めて理解できる施設といえるのではないでしょうか。
次回は恵美須ヶ鼻造船所跡です
道の駅から急な上りの山道になります。さすがに時速5キロの速さでは無理で息が上がります
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登りきって少し下ったところにあるのが悴坂駕籠建場
(かせがさかかごたてば)です
藩主一行が休憩したところです
駕籠を置くところが復元されています。萩往還にはこのような駕籠建場がこのほかに5か所あります。
さらに下ると旧萩有料の上を走る昔の道路に出ます。
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ここにあるのが鹿背隧道
(かせずいどう)
長さは200mもなく、幅は4.2m、高さは3.9mしかなく現在のトンネルとは一回り小さいものです。
このトンネルは石造りで明治17年開通
トンネル内部がすべて石張りの隧道としては大変貴重で当時としては国内最長だったそうです。
そくなものが萩に行く途中にあったなんて。萩出身の人がいっぱいいたからなんでしょうね。政治の世界は昔からすごいです
なんと国の登録文化財に指定されています
さらに下ると萩往還らしい石畳の道が歩けます
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悴坂の石畳
石畳の道は萩往還ではここの他2か所あります。
山道の下りきって平坦なところへ出て振り返ると、今とおってきた峠道が見えます。
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窪んだ山の稜線が悴坂峠となります。
ここからは平たんな道のりを30分程度あるくと最初の宿場町となる明木市(あきらぎいち)です。
市に入る前大きな石碑がありました
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吉田松陰が作った漢詩です
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説明版見てください
萩に帰る前に作った漢詩は自分がやったことは間違いなかったと自負しているようですが、夢が破れて萩を去る時に読んだ涙松の句はとても対照的だと思いました。
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現在の明木橋です
そして明木市につきました
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現在の街並みは明治時代に大火があって当時の建物は消失してしまったいるようですが。道の両側に建つ家並みは宿場町の感じがしてますね
下田で海外の渡航を企てた吉田松陰と金子重輔は萩に帰る長旅の最後をここで泊まったといわれています
 
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明木の通りの一角に造り酒屋がありました。
瀧口酒造
銘柄は「旭鶴」
お土産ににごり酒を1本買ってしまいました(^o^)
20114月に歩いて以来滞っていた最後の区間をやっと歩く気になり、やっとのことで完全踏破となりました。なんと3年越しです(^_^;)
田舎からの帰り道どうしても萩まで行かないと手に入らない醤油が欲しくなったのがきっかけです。
唐樋札所跡は萩の中心部に位置していて、ここが萩往還の起点となります。
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幕府や藩からの御触れを掲示する場所だそうです。だから町の中心部なんですね。
ここから明木市まで約9キロ。いつもジムでは5キロから5.5キロくらいのペースで歩いているから2時間ちょっとあれば十分だと思い帰りのバスの時間を決めてスタートしました。
街中は特に見るべき物もありません。
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藍場川。萩らしい景色です
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こんな道しるべもありました。
大阪まで130里と書いてあります。約520キロなんでほぼ正解ですね(^o^)
3.5キロくらい歩くと次第に萩の街から離れていき山間の景色になります。城下が見える最後の場所で萩の町を見返り涙を流す場所とのことから、ここのあたりの並木を「涙松」と呼んでいました。
イメージ 4
現在は松並木はなく「涙松の址」の石碑がたっています。
吉田松陰が安政の大獄で江戸に送られるとき
帰らじと思いさだめし旅なれば一入ぬるる涙松かな
と読んだことで一躍有名になりました。無念ですね
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涙松付近から見た萩の街並みです。
ここから少し行ったところに悴坂(かせがさか)一里塚があります。
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一里塚ということはスタートから約4キロということですね
萩往還は53キロくらいあるので防府まで一里塚は12基あり最初の塚となります
このすぐそばに大屋刑場跡があり1759年に日本で初めて女性を解剖したという石碑が残っていました。
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杉田玄白の解体新書は1774年刊行となっていましたのでそれよりも前ということになりますね。薄気味悪いなんとも物騒なところです。このあたりは車では何回も通っていますが少し道から離れていたのでまったく知りませんでした。
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昔は萩有料道路として料金所があったところ、現在は無料となっています。
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ここには道の駅萩往還があり松陰記念館が併設されています。吉田松陰の歴史を知ることができます。施設は無料で見ることができます。今回は先を急ぐので中には入っていませんがなかなかいいところなんでお奨めします。
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中央が吉田松陰。向かって右が高杉晋作、左が久坂玄瑞そのほかにも松下村塾門下生の銅像が並んでいます。
どの人も明治維新にかかわった有名な名前が連なっていました
ここから明木まで峠を一つ越えないと行けません
峠の頂上が約半分くらいでしょうか
それは次回に(^o^)
 
 

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