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ふくちゃんの総合鉄奮闘記
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泉北高速鉄道の終点「和泉中央」駅で下車しました。
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ここで1時間くらいバスの便がなく遅めの昼食
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「和泉中央駅」から南海バスに乗車します。槇尾山口行ですが終点まで行かずに、槙尾中学校前でおります。
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オレンジバスに乗り換え、終点の「槙尾山」まで乗車します。バスというより乗り合いタクシーのようなものでした。
レンタカー以外の公共交通を利用すると、以前はオレンジバスが運行していなかったので、南海バスの「槙尾山口」から歩くか、又はタクシーを利用して施福寺に参拝しなければならなかったが、便数は少ないけどこのバスの運行により、参拝が楽になったようです。
宗派は天台宗
縁起は欽明天皇の時代(550年頃)に、天皇の病気治癒の勅願により行満上人によって開かれ、弥勒菩薩を安置したのが草創とされています。また、弘法大師はここで剃髪したとされています。かつては非常に栄えたらしいが織田信長が破壊。その後、豊臣秀頼によって再興されたといわれていますが、以前のような隆盛はなくなったとのことです。
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バス停前から直ぐに急勾配の参道になるが、この辺りは舗装されており比較的歩きやすい。
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10分歩くと「仁王門」
仁王門をくぐると、参道は再び急勾配の、自然石で造られた石段になり、道幅も狭くなって歩きにくくなります。こんな階段を約20分も
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登りはかなり厳しく、西国三十三ヶ所霊場の中で難所の一つに数えられているのも頷けます。
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途中廃屋の屋根にはスズメバチの巣が
!
今年の物ではないけど誰も気づかなかったのかなぁ。これだけ大きいと相当な数の蜂が飛んでたと思います
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本堂の下にある愛染堂
空海(弘法大師)が訪れてきて、寺で修行し、この場所で剃髪し得度したとされていて、「弘法大師御剃髪所跡」と銘のある石碑が建っています。
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愛染堂と本堂の間にある弘法大師御髪堂
この堂には、弘法大師の剃髪した髪が納められているそうです。
やっとのことで到着
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本堂
寺の規模はそう大きくはありません
ここでご朱印をいただきます
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墨書きは「
大悲殿」
もともとはこのお寺は真言宗の寺として栄えたとされていますが、江戸時代初期には天台宗に改宗とのことでした。
本尊は秘仏になっており、年に1回だけ開扉されているようです。
ここの桜は八重桜でしょうか。数は少ないけどきれいに咲いていました。
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徳道上人によって創始された西国霊場を再興した花山法皇が、粉河寺からこの施福寺に向かっていたとき、日が暮れ道に迷って困っていると、馬が現れ花山法皇を道案内したという伝説があるため、馬が大切にされているようです。
境内の規模は小さいですが、広場の端からは葛城山、金剛山などの山並みを望むことができ、眺望は素晴らしかったです。写真撮るの忘れてました。
20分程度の滞在で下山
下りを侮ってはいけません。体重が足にくるのでかなりつらいものとなりました
 
御詠歌:深山路(みやまじ)や檜原(ひばら)松原わけゆけば槇尾寺(まきのおでら)に駒ぞいさめる

西国巡礼もかなり進み終わりが見えてきました。
残りの寺院をどうして回るかに思いを馳せつつ、どうしても逃れることのできない到達困難な寺院が残っており、今回はこれをまとめて今回巡ることにしました。
新大阪で下車し地下鉄御堂筋線に。
梅田や難波に行くときよく利用する地下鉄ですが今回は逆方向へ
途中の江坂までが大阪メトロ。江坂から千里中央までは北大阪急行となります。
終点の千里中央まで行きここが今回の旅のスタート
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紅葉の時期ではないのでそうでもないと思っていたらまさかの満員御礼。バスの便がすくないのです。急な山道を進むこと
30分。まずは23番札所の勝尾寺へ
宗派は高野山真言宗。
縁起は、双子の兄弟、藤原善仲と善算が神亀4(727)に庵を結び修行しているとき、光仁天皇の皇子、開成(かいじょう)皇子に出会う。二人は世を去ったが、開成皇子は宝亀6(775)に、堂を建てて、十一面千手観世音菩薩を安置し、この寺を『弥勒寺』と命名したとされている。その後、行巡上人の代に、清和天皇の病気治癒の祈祷を行い、天皇の病が癒えたので、天皇が『弥勒寺』を『勝王寺』に改名した。しかし、寺側は、『王』を『尾』に変え『勝尾寺』としたと伝えられています。以来、源氏、足利氏などが勝運を祈願したところから、本寺は勝運信仰の寺として歴史的にも名をとどめることになり、現在もなお、勝運祈願のため本寺を訪れる人が多いとされています。
 
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バス停からすぐ『應頂山勝尾寺』と彫られた巨大な山号寺号が刻まれた石碑が目に入ります。
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その横には「勅使門」が設けられて菊花紋もありました。
入山料を払い中に入ると、山門
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この「山門」は慶長
8(1603)に豊臣秀頼によって再建されたもので、その後修復が行われ直近では平成8(1996)に修復が完了している。
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池を通って参道を進みます。勝尾寺は箕面国定公園内にあり、秋は紅葉で有名な観光名所でもあります。秋はもみじのトンネルになるのでしょう。
シャクナゲやアジサイなど季節の花が参道に植えられていていつ来ても花があるようにきれいに手入れしてあります。
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 石段参道を上がりきると「勝ちダルマ奉納棚」の前に着く。この棚には大小様々な多くのダルマが納められていました。
更な階段を登りいろいろなお堂を通って本堂に到着
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「本堂」は慶長
8(1603)に豊臣秀頼によって再建されたといわれているが、明らかに新しく、直近の修復は平成11年に完了しているとのことです。
この「本堂」の中に当寺本尊の十一面千手観世音菩薩が祀られています。
本堂横でご朱印をいただきます。
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墨書きは「大悲殿」でした。
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境内からの俯瞰。ほぼ紅葉のようです。秋は見事だと思います。
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境内のいたるところにあるおびただしい数のだるまはどうやらおみくじのようです。
台風が来たらどうなるのか心配でした。
「本堂」から東側に坂道を下ったところに「多宝塔」が建てられています。
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昭和
62(1987)に修復されていて新しいものでした
下りながらも参道にはいろいろな植栽がされていてどこかの庭園に来ているのではないかと錯覚するほどでした
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再び観音池まで降りて錦鯉のお出迎え
勝尾寺参拝後は再びバスで今度は阪急北千里駅へ
ここから阪急千里線、地下鉄堺筋線、南海高野線、泉北高速鉄道を利用
大阪を南北に縦断して和泉中央駅を目指します

御詠歌:重くとも罪には法(のり)の勝尾寺(かちおでら)ほとけを頼む身こそやすけれ
 
 

奈良駅から三条通りを20分程度歩いたところに興福寺はあります。
奈良公園の入り口ともいえる場所に位置しています。宗派は法相宗
南都七大寺の一つに数えられ、藤原氏にとてもゆかりがあり古代から中世にかけて強大な勢力を誇りました。
境内はとても広く、その中の南円堂は西国三十三所第9番札所となっています。
「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産にも登録されています。
南円堂は興福寺の入り口にあり、御参りすれば本来の目的は達成できますが、このお寺に来るのは初めてなので余すことなく効率的に見ようと思いました。
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まずは猿沢の池から。天平
21年。奈良時代につくられた人口の池。
池のほとりを歩くと52段の階段があります。
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五十二段には深い意味が隠されています。仏門に入る気の遠くなるような修行の段階なのです。これを登ると目の前に五重塔が見えてきます
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現存する五重塔は、室町時代中期の再建で国宝に指定されています。
高さ50.1メートルで、現存する日本の木造塔としては、東寺五重塔に次いで高い。
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中金堂
創建以来たびたび焼失と再建を繰り返してきたようです。
江戸時代の火災による焼失後は1世紀以上再建されず、1819年再建されたのですがあまり良い造りではなく、中の仏像などは別のところに移され、2000年に解体。中金堂解体後の発掘調査も終了し、創建当初の姿を再現した新・中金堂の建設と境内の整備が、創建1,300年となる2010年に着工し、201810月に落慶しました。
出来立てのほやほやなのです。中に入るにはお金がかかりましたのでここは断念しました
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南円堂
江戸時代中期の再建。屋根を一重、本瓦葺とする八角円堂で、重要文化財に指定されています。
堂の扉は常時閉ざされており、開扉は1017日の大般若経転読会という行事の日のみとなっています。
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ご朱印は何種類かありますが、もらえるのはここだけとなります。
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三重塔は南円堂の裏手にあります。鎌倉時代前期の再建(正確な建立年次は不明)といわれ国宝に指定されています。
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北円堂
鎌倉時代前期の再建。屋根を一重、本瓦葺とする八角円堂で国宝に指定されています
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興福寺の外れでもあり、三重塔から北円堂にかけては比較的人が少なく奈良公園おなじみの鹿も見ることができました。
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東金堂
現存する興福寺東金堂は、 室町時代中期に再建され国宝に指定されています。
ここは拝観料がかかります
ここと国宝館両方入れる共通券がお得。
国宝の仏像が所狭しと。
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写真
NGなんでウィキペディアより
大きい仏像より周りを囲んでいる小さな仏像の多くが国宝に指定されていました
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国宝館は、文化財の収蔵と展示を目的とする耐火式収蔵施設で、
1959年、食堂及び細殿の跡地に建てられました。
鉄筋コンクリート構造であるが、外観は、創建時の食堂を模したものとなっています。
国宝館の内部には、食堂の本尊であった巨大な千手観音立像(高さ5.2メートル)が中央に安置され、仏像を始めとする多くの寺宝が展示されています。
文化財に与える悪影響が少ないLED照明が採用されたことにより、多くの仏像がガラスケースなしで見られるようになりました
乾漆八部衆立像(国宝)は奈良時代の作。
五部浄、沙羯羅(しゃがら)、鳩槃荼(くはんだ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅(ひばから)の8体が揃って現存。実物を見ると意外にも小さく小学校低学年くらいの体つきでした
中でも三面六臂(顔が3つで手が6本)の阿修羅像が有名で初めて見ることができました。
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館内は写真
NGなんでウィキペディアより
何度も火災にあいながらもこうして残っているのも小ささからなのか、簡単に持ち出せたという事でしょうか
ゆっくり時間をかけて見てきましたが、それだけ価値のあるものが沢山あり、期待を裏切らない寺院でした
御詠歌
春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲

奈良県明日香村。645年大化の改新があった当時日本の中心はここにありました。
車で通ると左右に有名な古墳やお寺が次々と現れます。
明日香を巡るのはレンタサイクルがおすすめです。
一般的に呼ばれている「岡寺」は、明日香村の東にある岡山の中腹に位置しているため地名に由来しています。
正式には東光山龍蓋寺(りゅうがいじ)。開山は義淵僧正で、西国三十三所観音霊場の第七番札所となっています。
また日本最初やくよけ霊場としても知られています。
現在は真言宗豊山派に属しておりますが、もともとは法相宗だったようで同じ西国札所の興福寺・長谷寺とは昔から深いかかわり合いがあるようです。
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仁王門は重要文化財。建物で文化財はこれだけです
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境内全景
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本堂
ここに塑像で本尊の如意輪観音像が安置されています。塑像とは土でできたもので日本最大で、日本最古の観音像といわれています。写真はNGでした
ここでご朱印をいただきました
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厄除大悲殿と書かれています
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本堂の前にある龍蓋池。昔お寺付近を荒らす龍がいて、義淵僧正が小池に封じ込めて大きな石で蓋をしの伝説が残っています。この伝説が龍蓋寺の名前の原点になりました。
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本堂横の庭の上には十三重の石塔があり、さらに上がると奥の院があります。
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三重塔。昭和
61年再建と新しいものです
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ここからもみじのトンネルと呼ばれる小道を歩きます
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とても綺麗です
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上から本堂を俯瞰できました
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ここだけ行けば素晴らしいと思ったのでしょうがあまりにも前に行った談山神社の印象が強すぎて・・・
でも見ごろに来れたのでここも最高に良かったです。
ここは花の寺でもあり、4月から5月にかけて桜、シャクナゲ、さつきなどを見るのもよさそうです。
御詠歌 けさ見れば つゆ岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけりつづく
つづく

高取城から下ること10分で到着
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途中伽藍全体を俯瞰できました
一般的には壷阪寺と呼ばれていますが正確には壷阪山南法華寺。真言宗系の単立寺院。西暦七〇三年弁基上人によって開かれたと言われていて、西国観音霊場の第六番札所となっています。 
本尊の十一面千手観世音菩薩は眼病に霊験があるといわれいます。
第一駐車場に止めて参拝開始
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左の建物は養護盲老人ホーム慈母園。他にも国の内外で福祉事業を展開されているとか
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仁王門
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多宝塔。平成
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大釈迦如来石像。こちらの開眼は平成
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三重塔。こちらは室町時代のもので重要文化財
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塔の前にはおおきな眼鏡があり合掌してくぐると霊験があるとか
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礼堂。こちらも室町時代のもので重要文化財
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扁額には「普照堂」と書かれています
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礼堂の裏手に八角円堂。
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ここに眼の観音様として親しまれている十一面千手観音菩薩坐像が安置されています。さすがに目力がすごいです
これまでいろいろ回ってきましたが本堂内の写真が許可されていたことはなく、ご本尊は秘仏となっている所もあった中で、ここはご本尊の撮影が許されるというなんとも寛大な寺院でした。カメラのレンズは言うなれば目であり、さすがに目の仏さまだけあってお許しになっているんだろうと勝手に解釈してしまいました。
お詣りの後納経所でご朱印をいただきました
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「普照殿」と書かれていて
1番の青岸渡寺と同じです
納経所を出ると、そばには、お里・澤市の像がありました
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お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台としても有名でここの背後の谷に夫婦で身投げしたとか
『壺坂霊験記』とはどんなお話かというと
盲目の沢市は、妻のお里が明け方になると出掛けていくのに気付き、男ができたのではと疑い妻を問い詰める。お里はこの三年間、沢市の目が治るようにと壷阪寺の観音様に願掛けに行っていたと打ち明ける。邪推を恥じた沢市は、お里とともに観音詣りを始めるが、目の見えない自分がいては将来お里の足手まといになると考え、満願の日にお里に隠れて滝壺に身を投げる。夫の死を知り悲しんだお里も、夫のあとを追って身を投げてしまう。二人の夫婦愛を聞き届けた観音の霊験により奇跡が起こり、二人は助かり、沢市の目も再び見えるようになる。
といったものでした。
今も昔もこういった夫婦愛のお話は人の心をつかみ。なおかつ観音様の霊験により奇跡が起こったとなればこれは参拝客は増えるでしょうね
インドでの救ライ事業への尽力に対する返礼として1983に贈られた「天竺渡来大観音像」
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大理石造り、高さ約20m、総重量1200トンの壮大なもの
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釈迦如来大涅槃石像。全長8メートルあります
古いものと新しいものが混在していてお寺のテーマパークみたいに感じました
ここを見るには1時間は必要です
一通り見学して壷阪寺を後にしました
御詠歌  岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭にいさごも 浄土なるらん
つづく

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