ここから本文です
ふくちゃんの総合鉄奮闘記
楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する

書庫名刹・古刹めぐり

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

壷阪寺から明日香村を通って桜井市多武峰(とうのみね)を目指します。
次の観光先は談山神社。中臣鎌足が祭神となる神社で紅葉の名所として知られています
神仏分離以前は寺院であり、多武峯妙楽寺といったそうです
言われについては談山神社ホームページより
舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。 この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。

たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、 聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、西暦645年の5月、二人は多武峰の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。 後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。

ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。 天智天皇8年(66910月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。藤原の姓はここに始まります。

足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。 大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。
日本史の教科書で勉強するような事柄がいっぱい詰まっています
駐車場には大型バスが10台以上は止まっていました。さすがに関西随一と言われるだけあって平日とは言い観光客は多いです
イメージ 1

こちらから参拝開始
イメージ 2

140
段の階段を登って右左に迫ってくる感じです
イメージ 3

奈良は室生寺や長谷寺も素晴らしかったですがここは桁違いの美しさ
イメージ 4

どこを切り取っても素晴らしいです
イメージ 5

楼門。重要文化財
ここでご朱印をいただきます。何種類かありました。
イメージ 6

拝殿内部。重要文化財
イメージ 7

拝殿から
イメージ 8

拝殿縁側からの眺望
イメージ 9

本殿。重要文化財
イメージ 10

十三重塔
藤原鎌足の子、定慧と不比等により父の供養のため678年建立。神殿は701年建立となっていたので一番最初にこれができたことがうかがえます。
イメージ 11

現在のものは
1532
年の再建となっていました。木造の十三重塔としては現存する世界唯一の物です。
イメージ 12

重要文化財の指定ですがいずれ国宝になることでしょう
イメージ 13

けまりの庭より十三重塔、権殿、神廟拝所。重要文化財
2回ここで蹴鞠が行われます
藤原鎌足と中大兄皇子が蹴鞠会で初めて出会い「大化の改新」の発端となったことに因んで行われているとのことです
イメージ 14

いくらでも滞在できそうな景色の中でしたが次があるので最後に全景を見て談山神社を後にしました
全国いろいろ紅葉の名所はありますが、私が今までに行った中では5本の指に入ると断言します。これを超える物を見てみたいものです
つづく

NO.13 弥彦神社

3日目。最終日です
新潟随一のパワースポット弥彦神社にお参りしました。
昨夜の雨もあがり早朝なのでとても凛とした雰囲気がありました。
まず心静かに、その美しさと荘厳さを素直に受け入れてみましょう
天照大神の曾孫にあたる「天香山命(あめのかごやまのみこと)」を御祭神とする、越後一宮。
万葉の昔から「おやひこさま」の愛称でひろく人々の信仰を集め、また神領地として時の朝廷や幕府、武将の手厚い庇護も受けてきました。
イメージ 1

神社後ろの弥彦山は標高634メートル。これってスカイツリーと同じ高さ
山そのものがご神体なのです
頂上からは佐渡島も望めロープウェーや車で行くこともできますがこの日は雲の中でした
イメージ 2

ここは佐渡弥彦米山国定公園の一角です
イメージ 3

まずはホテル前の一の鳥居から
イメージ 4

鳥居の下が浮いている
雪や雨によってこの柱が腐らないために浮いているとのことですが、これには船旅で嵐にあった船が助かったら帆柱を弥彦様に奉納すると願ったところ、ぴたりと止んだものの、奉納を忘れたため不気味な火の玉が飛んできてあわてて奉納すると現れなくなったという言い伝えがあるためだそうです。
イメージ 5

神橋を渡って参道を
イメージ 6

玉の橋。神様が渡る橋だそうです。さすが違いますねぇ
イメージ 7

二の鳥居
イメージ 8

隋神門
イメージ 9

拝殿。一の鳥居から5分くらいかかりました。
イメージ 11

拝殿の横にはさすが新潟と思える光景が。様々な銘柄の酒樽が奉納されています。
お参りしたのちご朱印いただき引き上げです
イメージ 10

十柱神社
境内では唯一の国の重要文化財です
一社一社、二礼二拍手一礼の作法でお参りすればきっとご利益があるのでしょうが急ぎのため旅の安全を祈願するのみでした
でもここが普通のところとは違うパワースポットであることは感じることができたような気がします。
イメージ 12

津軽石。別名、重軽石や火の玉石とも呼ばれています。境内のちょっとわかりにくいところにあります
願い事をしてから重軽の石を持ち上げてみて、持ち上げることができればその願いは叶い、重くて上げられない時はかなわないと言われているそうで、
持ち上げてみると意外にずっしりときましたが私にはできました
女性はやっとかもしれません
かなり急ぎ足でしたが8時前にはいったんホテルに戻り、今度はフロントの方に道をよく聞いたので迷わず駅にたどり着きました
つづく
そばを食べ、ケーブルカーに乗るまでに日吉大社に寄ってみました。
ここも紅葉が素晴らしいとのこと
この神社はなんの知識もないうちは、豊臣秀吉を祀る神社と思っていました。
秀吉が小さいころは日吉丸と呼んでいるのをテレビ等で見ていたからです。
しかしそうではなく全国3800余りある分霊社の総本宮だったのです
お近くに日吉、日枝、山王と名の付く神社がありますか?
その頂点に立つお宮という事ですね
あんまり山口ではなじみがないですね〜
東京に行ったとき国会議事堂の近くに溜池山王という地下鉄の駅があったことを思い出しました。あの近くにこの名のつく神社があるのでしょうか?
イメージ 1
まず大宮橋を渡ります
イメージ 2
走井橋。大宮橋のすぐ横にあります
イメージ 3
二宮橋。少し離れて東本宮の付近にあります
3つの橋は「日吉三橋」と呼ばれ、いずれも重要文化財です
橋を渡ると大きな鳥居があります
イメージ 4
山王鳥居
神仏習合の信仰を表す独特の形。「合掌鳥居」と呼ばれているそうです。
こんな鳥居はじめてみました。この辺りは紅葉のスポットなんですがもうちょっと終わってました。
イメージ 5
西本宮本殿
1586年に建てられた「日吉造り」という独特な形で国宝です
境内には沢山の分社がありました
イメージ 6

宇佐宮本殿。1598年建築で重要文化財
イメージ 7
白山宮本殿。1598年建築で重要文化財
イメージ 8
樹下宮本殿。1595年建築で重要文化財
往復1時間かかるので行きませんでしたが山の上には三宮宮と牛尾宮があります
イメージ 9
そしてこちらが東本宮本殿。1595年建築でこちらは国宝に指定されています。日吉造という建築はここでしか見ることのできない貴重なものでした
イメージ 11

ご朱印です
若い巫女さんが書いてくれました(*^。^*)
そしてここのご祭神のお使いが猿なんです。
猿も実際いましたが沢山お守り等でも売られていました
「神猿」まさると呼ばれ、「魔が去る」「何よりも勝る」として縁起の良いものになっているようです
イメージ 10
来年が猿年なんで自分も買いました。
きっと来年の初詣はすごい人が来るんだろうなと思いながら神社を後にケーブルカーの駅に向かいました
つづく

北条町での待ち時間1時間を利用して駅から近くにある酒見寺に行ってきました
泉生山酒見寺は新西国三十三箇所霊場29番札所となっています。泉州の水間寺に続いて2か所目となりました。
お寺に向かう参道は山陽と山陰を結ぶ西国街道の北条の宿として北播磨の交通の要衝となっていた場所です。
今でも昔ながらの商家が続く街並みを残していました。
イメージ 1
うだつ
装飾と防火を兼ねたものですが富の象徴でもあります。裕福でないと上げられなかったので、出世できない人の事を「うだつがあがらない」という言葉の語源になりました。
イメージ 2
虫籠窓
多くの商屋にあるのは盗難防止や風通しを良くする意味があるとのことです。
かつての繁盛ぶりを垣間見ることはできましたが残念ながら営業しているお店は少なく、人通りもまばらで春に行った宇治の平等院への参道と比べてしまいました
イメージ 3
10
分ほど歩いて楼門に到着
酒見寺は高野山真言宗のお寺。
聖武天皇の勅願寺。山号は泉生山(せんしょうざん)、本尊は十一面観世音菩薩、開基は行基とされる。
天平17年(745年)に開創したと伝わる。
2度の火災を経ても、姫路城主となった池田輝政が姫路城の守護寺に定めて援助を行い、さらに江戸幕府3代徳川家光が朱印寺と定められ、これまで天皇や幕府、藩により厚く保護されてきた歴史があります。
イメージ 4
本堂は1689
年再建
イメージ 5
鐘楼は1664
年再建。兵庫県指定文化財に指定されています。朱色の鮮やかな木組みが素晴らしいです。
イメージ 6
そしてここで最も有名なのが多宝塔で、1662
年に再建されたものですが、国の重要文化財に指定されています
イメージ 7
地蔵堂と多宝塔
仏塔の様式は五重塔、三重塔、多宝塔に分けられます。二重の塔が多宝塔ですがほとんどが高野山真言宗の寺院にあります。国宝は全国で6基、重要文化財は全国に23基あります。
その他お寺の近くには五百羅漢や住吉神社などの見どころもあるんですが時間の関係で見れませんでした。
イメージ 8

帰りに駅前のスーパーでご当地の地酒「冨久錦のひやおろし」を買いました。
なんかここでお昼の食べ物を買えばよかったのですが、もうちょっと後でもいいかなって買いませんでした。これが後々ひびいてくることはこの時は解りませんでした
つづく
宇治橋より上流にある橘橋と朝霧橋を渡って対岸へ
イメージ 1
橘橋から見た宇治川の河川公園。現在工事中でしたが、ここもきれいな桜が
宇治には平安時代から貴族の方々が住んでいました
そんな中から生まれた代表的な文学が源氏物語
作者は紫式部。ここまではなんとか知っていますが、文学はほとんど無知です。
全部で54帖からなるそうです。
そのながで45〜54帖は宇治を舞台に書かれていることから宇治十帖と呼ばれています。
光源氏というイケメンが繰り広げる女性遍歴ではなく、光源氏亡き後の物語が描かれているものだそうです。
イメージ 2
朝霧橋と宇治十帖の石像
イメージ 3
渡ってすぐにある鳥居は宇治神社のものです
その後方に宇治上神社があり対をなしています
両神社が平等院の鎮守社なんだそうです
広々とした神社ではなくこじんまりとしたものです。

イメージ 4
鎌倉時代に作られた国宝の拝殿
イメージ 5

1060年平安時代後期に作られた本殿。
数ある京都の神社仏閣の中でこの神社がなぜ選ばれた世界遺産かというとやはり古さという事でしょうか。本殿は現存最古の神社建築だそうです
屋根の曲線がすばらしいですね
イメージ 8
朱印もいただきました
イメージ 6

また境内には宇治で唯一現存する「宇治七名水」の1つに数えられる。「桐原水」と称される湧き水がありました。
ここから歩いて京阪の宇治駅に向かいます
イメージ 7
宇治橋。嵐山の渡月橋ともちょっと似ています
「瀬田の唐橋」と「山崎橋」と共に、日本三古橋の一つに数えられます。
宇治橋のいわれは、東詰の橋寺にある「宇治橋断碑」に刻まれています。
宇治橋断碑は日本現存最古の石碑といわれているそうです
この川の上流に琵琶湖があるってちょっと不思議。膳所から流れ出る川は迂回し宇治を通って淀川となります。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

ふくちゃん
ふくちゃん
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事