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			<title>映画感想書き溜め(更新停止ちゅう)</title>
			<description></description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/fukuyaman3001</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>映画感想書き溜め(更新停止ちゅう)</title>
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		<item>
			<title>『レイト・ショー』ロバート・ベントン</title>
			<description>「レイト・ショー」1977年アメリカ映画　探偵映画&lt;br /&gt;
監督：ロバート・ベントン　撮影：チャールズ・ロッシャー・Ｊｒ&lt;br /&gt;
出演：アート・カーニー、リリー・トムリン、ビル・メイシー、ユージン・ロッシュ、ジョアンナ・キャシディ、ジョン・コンシダイン、ルース・ネルソン&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロバート・ベントンのデビュー作『夕陽の群盗』はジョン・フォード、ビクトル・エリセ級の映画であったと言っても全く大げさではなかったと思う。それに比べたら、このベントン第二作はノスタルジーに走りすぎていて、些かガクンと評価を下げる。もちろん『夕陽の群盗』にもノスタルジーはあったけど、それを超えるものがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とはいえフォード、エリセの超一流と比べたら評価が落ちるという話で、同時代の作家と比べたら、この映画はちっとも見劣りはしないどころか、最良作の一つだと断言できる。&lt;br /&gt;
主演のアート・カーニーはある時はジョージ・Ｃ・スコットのように、ある時はイーストウッドのような貫禄すら見せる。爺ちゃんなのに銃の腕前はピカイチで『ダーティハリー』（絶対に意識してる）ばりに車に弾丸をお見舞いして、派手に見せ場を作った後、襲撃犯を追いかけないことを非難されて一言「俺は心臓病で走れねぇんだ！」…いやぁ～カッコ良すぎでしょ（笑）。この後ヘリコプターの光が導入されるけど、この心臓病といい画面の連鎖感といい『ブラッド・ワーク』をちょっと先駆けてるな。アート・カーニーといえばアカデミー主演男優賞を取った『ハリーとトント』は見てないんですが、この映画を見て、そりゃジャック・ニコルソン、アル・パチーノ、ダスティン・ホフマン、アルバート・フィニーという強力なライバル候補を抑えて主演男優賞取っちゃうわ、と思いましたね。アート・カーニー最高です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それと製作がロバート・アルトマンというのも僕としては大収穫。当然『ロング・グッドバイ』は何度も見直した大好きな映画ですが（ついでにＤＶＤは友達に借りパクされている）アルトマンが再び『ロング・グッドバイ』のような映画を作る気概は感じられる。最初に依頼されるのは猫探しですしね。それをリリー・トムリンを起用させてロバート・ベントンに任せたというのも正しい選択な気がする。実際、ベントンは後でフィルム・ノワールを撮っているところを見ると、ノワールの思いはアルトマンよりもベントンのほうがあるみたいですが。&lt;br /&gt;
リリー・トムリンが興奮して「私たちはコンビでやっていくべきよ…『影なき男』の鴛鴦探偵みたいに」と将来計画を饒舌にぶちまけるが、それを言った瞬間に刹那的に破算して、後は後悔と悲しみしか残らないシーンはこの映画で最も美しいシーン。アルトマンも饒舌な演出が好きだけど、このようにしゃべっている間に感情が変化してしまうシーンは演出できないんじゃないだろうか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヤクザの用心棒が最初は主人公以上のタフガイを気取って出てくるのに、後で本物のタフガイである主人公に痛めつけられるというのは、まさに『マルタの鷹』のピーター・ローレだな。ラストで一同で会するシーンもそうだけどジョン・ヒューストンが出演している『チャイナタウン』よりも『マルタの鷹』的な映画と思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（映画館で鑑賞）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/fukuyaman3001/49487177.html</link>
			<pubDate>Sat, 21 Nov 2009 14:43:49 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>『ドクター・ブル』ジョン・フォード</title>
			<description>「ドクター・ブル」1933年アメリカ映画&lt;br /&gt;
監督：ジョン・フォード　撮影：ジョージ・シュナイダーマン  &lt;br /&gt;
出演：ウィル・ロジャース、ヴェラ・アレン、アンディ・ディヴァイン、マリアン・ニクソン、ハワード・ラリー、バートン・チャーチル、ルイーズ・ドレッサー &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
掛け値なしの傑作。フォード＆ロジャース三部作の中では一番好き。鈍感なのか『周遊する蒸気船』と『プリースト判事』を見てもウィル・ロジャースの魅力というのがいまいちわからなかったんですが、これを見て一気に好きになっちゃった。淀川さんが熱っぽく語るのも頷ける。&lt;br /&gt;
実際はプロフェッショナルに徹しているのに町の皆からは評価されないどころか権力者からは疎まれる医者の話で、ほとんど類似点はないものの手塚治虫の『ブラック・ジャック』と黒澤明の『静かなる決闘』に影響を与えているかも。とりわけ自暴自棄になりつつも、体は医者として動いてしまうシーンは『静かなる決闘』で三船敏郎が心境を吐露するシーンを彷彿とさせます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公害によって腸チフスが蔓延しているのを察知したロジャースが孤軍奮闘するんですが、住民…とりわけ婦人会によって町の衛生管理責任者を解任する集会が開かれ、そこでコテンパンに叩かれたロジャースがあれほと落ち込んでいたのに、ずっと診察していた下半身が麻痺した患者に回復の兆候が表れたシーンでは「ついにやった…！」と病気に対して憤り、次のシーンでは町の外に飛び出して「ついに治ったぞ！」と天真爛漫に喜びを露にするシーンはこの映画の白眉。しかもここでは自分をあれほと叩いた人間などまったく眼中になく子供のように喜びまくる。まさにこれこそ人間賛歌！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また結果的に住民を見返すことが示唆されるものの、その敵であった住民が落ち込んだりするシーンはなく因果応報として帰結するようなシーンを提示していないのが素晴らしいと思う。&lt;br /&gt;
冒頭の列車が到着するショットはリュミエールを思わせる。麻痺した患者の部屋では表現主義的な斜光、雪が積もったぼんやりとした早朝の景色も忘れがたい。アンディ・ディヴァインが若い。このときから幾分かデブだけど、後の体型を知ってるから、これでも痩せているように見えちゃう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（映画館で鑑賞）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/fukuyaman3001/49431302.html</link>
			<pubDate>Wed, 11 Nov 2009 15:47:28 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>『犯罪王ディリンジャー』マックス・ノセック</title>
			<description>「犯罪王ディリンジャー」1945年アメリカ映画　フィルム・ノワール&lt;br /&gt;
監督：マックス・ノセック　撮影：ジャクソン・ローズ&lt;br /&gt;
出演：ローレンス・ティアニー、エドマンド・ロウ、アン・ジェフリーズ、エドュアルド・クランネル、マーク・ローレンス、エリシャ・クック・Ｊｒ、エルザ・ジャンセン&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１２月に同じくジョン・デリンジャーを描くマイケル・マン監督の『パブリック・エネミーズ』が日本で公開されますが、だからというじゃないけど脚本がフィリップ・ヨーダンだし、Ｂ級ノワールとして名高い作品なので見ました。&lt;br /&gt;
マンの新作はタイトルからしてウェルマンの『民衆の敵』の原題っぽいですが、この映画の劇中でＦＢＩがデリンジャーを「パブリック・エネミー１号」という台詞が出てきます。でこの“パブリック・エネミー”とはなんぞやと英語版のＷｉｋを斜め読みしたら、どうも３０年代にジャーナリストやＦＢＩが極悪犯罪者に対しそう呼称してたようですね。アル・カポネからこの言葉が使われはじめたようで、他にも有名どころではボニーとクライドにも使われたようです。まあそのへんは映画が公開されたらもっと詳しく紹介されるでしょうが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
低予算映画として名高いこの映画、ほんとに金が無いのがありありとわかる。刑務所内のロング・ショットは実際の映像を使っているし、スクリーン・プロセスと小さなセットを変化させて同じ場所で撮影しているようにしか見えない。結局これらのショットはセット予算を抑えるためにアングルが変えられないから、大体のシーンがその平面的な構図のフルショット気味の１カットだけで終わる。しかしこの平面的な構図というのが逆に異質な空間として見えるので良かったりする。例えば刑務所で食事するショットは、照明さえ凝れば『狩人の夜』の映画館のショットのようにも見えなくもない。このようにこの映画は全体的に簡潔さの美学が冴え渡る。初犯の強盗なんて、外に出た瞬間に警官とばったり出会う！（笑）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
銀行強盗は『暗黒街の弾痕』のストック・ショット（流用ショット）を使った有名なシーンですが、実は『暗黒街の弾痕』のショットは全然覚えてなくて、正確にどこがどのショットがわからなかったので（笑）この映画を見終わってから、『暗黒街の弾痕』の銀行強盗のシーンを見直したんですが、いやこのストック・ショットの使い方は大胆不敵。オリジナルを知っていたほうが断然、凄味がわかります。オリジナルの強盗のシーンは単独犯なんですよね。今作でははストック・ショットを使っているのにもかかわらず複数犯の強盗として見事に演出している。オリジナルでは様子を伺う視線のショットを、今作では目配せをするショットとして、催涙ガス弾も手投げ式から銃撃として、そのガス弾の音もプシューという音からドゴン！という爆弾みたいな音に変えられて迫力が増しています。なぜかストック・ショットを使っているのにオリジナルとは違った新鮮さが出ているアクションになってます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ジョン・デリンジャーを演じているローレンス・ティアニーと、今度演じるジョニー・デップとでは、細身の端整な顔立ちでさぞ実在の人物もこんな顔をしているんだろうと思ったら、全然似てませんね（笑）。実在のジョン・デリンジャーはジョン・ミリアス版のウォーレン・オーツのほうが忠実で、田舎臭いオッサンです。ジョニー・デップを起用したのは、マイケル・マンも『犯罪王ディリンジャー』を見ててローレンス・ティアニーの記憶からジョニー・デップを起用したんだろうか？&lt;br /&gt;
キャグニー等のギャング像とは違って、あくまでも冷徹に仲間を殺していくところにこのギャングスターの怖さがありますね。多分、マイケル・マン版も感情移入をできる余地はない造形になってるんじゃないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（ＤＶＤで鑑賞）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/fukuyaman3001/49412454.html</link>
			<pubDate>Sun, 08 Nov 2009 14:02:46 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>『３時１０分、決断のとき』ジェームズ・マンゴールド</title>
			<description>「３時１０分、決断のとき」2007年アメリカ映画　西部劇&lt;br /&gt;
監督：ジェームズ・マンゴールド　撮影：フェドン・パパマイケル&lt;br /&gt;
出演：ラッセル・クロウ、クリスチャン・ベイル、ローガン・ラーマン、ベン・フォスター、ピーター・フォンダ、ヴィネッサ・ショウ、アラン・テュディック&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
映画の巻頭はマッチに火をつけるショットから、火事へと至る火の映像の連鎖で、このへんの趣味は作家主義的なのだが、しかしそれにしても冒頭の息子の咳（だったのかは、うろ覚えなんだけど）は何の意味があったのかと劇中ずっと疑問だったけど、最後の最後でその謎が氷解するのは、素直に感動した。ただ残念だったのが、オリジナルでは夫を見送るシーンでジョン・フォードの映画ばりの深い感情を定着し、鮮烈な印象を残した妻のレオラ・ダナ（僕のオリジナルのベストシーンはこのシーンです）が素晴らしかったのに対し、今作では妻のヴィネッサ・ショウはきっちり描かれているものの、排除の方向に向かっているのがちょっと残念。&lt;br /&gt;
役者ではベイルもラッセルもそれほど好きになれない（特にラッセル・クロウはどっちかというと好きな俳優なんだけど、このドヤ顔には毎回呆れてしまう。この系統ならコリン・ファレルのほうが断然上手いと思うし、僕は好きですね）。そんなわけで一番好感が持てたのが、息子役のローガン・ラーマン。彼主演で『スパイクス・ギャング』みたいな西部劇をスピルバーグあたりが撮ってくれないだろうか。勝手に第二のゲイリー・グライムズとして期待します（笑）。次に良かったのがリチャード・ハリスを思わせるベン・フォスター。正直、ラッセルよりも凶暴さが出てたと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元々オリジナルが少々頭でっかちな西部劇であり、それを再び頭がいい監督がリメイクした印象。本格西部劇と形容するよりは、やはり５０年代以降の知的西部劇という趣が強い。&lt;br /&gt;
その監督の頭のよさというのは、ピーター・フォンダ演じる探偵を思い切り膨らましたことからもわかる。『地獄への道』のように西部劇でしばしばピンカートン探偵社というのは、西部劇らしかぬ姑息な手段で暗躍する胡散臭い連中として提示されており、その探偵が胡散臭いピーター・フォンダが演じるのだから（笑）やはり頭がいい。（ただし退場のさせ方はもうちょっと何とかならなかったのか）&lt;br /&gt;
主人公の牧場の土地が線路が通り道ということで重要な土地となっており、そのために鉄道会社の圧力があるというのも『地獄への道』で扱われた要素であったし、『ウエスタン』でも言及された西部開拓史の側面だった。さらにこの映画は“探偵社”“鉄道会社”に加え“インディアン”“ダイナマイト”“ガトリングガン”まで出てくるんだから、西部劇ファン、マカロニ・ウエスタンファンへの目配せとなれば、かなり上手く詰め込んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『ウォーク・ザ・ライン／君へつづく道』では描かれてなかったけど、ジョニー・キャッシュは３０年代がカントリーの全盛期だと考えると、自分がカントリー歌手として遅れてきたことに自覚的だった部分があると思う。それは６５年の『西部の伝説を歌う』というアルバム製作のために、幌馬車隊についていくというアプローチからも見え隠れします。マンゴールドもまた遅れた西部劇を作ることに自覚的で、それがこの西部劇の“類型的な要素”の詰め込み具合からも現れていると思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ジョニー・キャッシュ関連で言うと、彼が６０年に出した４ｔｈアルバム『ライド・ジス・トレイン』のライナーノートによれば、このアルバムのジャケットに写っている列車は“３時１０分ユマ行き”であり、これが事実ならジョニー・キャッシュもまた『決断の３時１０分』を愛していたことになるし、その意味でマンゴールドの前作と明確に繋がっている映画である。これもまた父と子の関係性において、キャッシュに捧げられた映画なんじゃないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（映画館で鑑賞）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/fukuyaman3001/49157940.html</link>
			<pubDate>Sat, 26 Sep 2009 17:34:39 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>『ロビン・フッド』アラン・ドワン</title>
			<description>「ロビン・フッド」1922年アメリカ映画　スワッシュバックラー映画&lt;br /&gt;
監督：アラン・ドワン　撮影：アーサー・エディソン&lt;br /&gt;
出演：ダグラス・フェアバンクス、ウォーレス・ビアリー、サム・ド・グラッス、エニッド・ベネット、アラン・ヘイル、ウィラード・ルイス &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アラン・ドワン監督、ダグラス・フェアバンクス製作・主演によるサイレント映画の大作。&lt;br /&gt;
この映画のロビン・フッドは獅子心王リチャード１世に寵愛されている騎士という設定。リチャード王と共に第三次十字軍としてエレサレムに向かう途中、イングランドがリチャード１世の弟、ジョン王子に掌握され圧政で民が苦しんでいるとの連絡が入るが、王の聖戦を邪魔してはならないと思い、理由を話さすに単身イングランドに戻らしてくれと懇願する。しかしジョン王子の部下の罠もあり、幽閉されてしまう（史実ではタイミングは違うものの、幽閉されたのはリチャード王のほうですね）。そこから脱獄しイングランドに戻っては、ロビン・フッドと名乗り義賊として圧政で苦しんでる民を助けジョン王に抵抗しつつ、リチャード王の帰りを待つというストーリー。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ほぼ前編の騎士編と後編のロビン・フッド編に分けられ、ロビン・フッド編は小刻みにアクションがありテンポがよろしい。しかし前編の重厚で、それでいてユーモアも忘れていない歴史劇も見応えがある。サイレント映画だけあって、やはりセットが超巨大（全長３０ｍは軽くあるか？）、大量のエキストラや、細かな衣装や小道具など迫力がある。また城や森でのロマンスシーンのほとんどがロング・ショットで、絵画のような画面になっており、しっとりとした光による撮影が美しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ストーリーからわかる通り、この映画はリチャード１世の側近という立場なので、リチャード王をたっぷりと描いてます。そしてその獅子心王を演じるのは天才ウォーレス・ビアリーなんだから、たまらない。最初は豪快豪傑で見事に演じつつも、ダグラス・フェアバンクスから「何も聞かずにイングランドに戻らしてください」と言われたときには、笑いながら「冗談だと言ってくれ」と、信頼する部下を疑えばいいのか、信じればいいのか悩む繊細な演技も見せる。また暗殺の危機に道化が代わりに死んでしまったときの「ワシの真似をしすぎたばかりに…」と悲しむところも名場面だと思う。それに続くジョン王による圧政の報告が来たと同時に、「ロビン・フッドと名乗る元騎士の義賊が抵抗しているようです」と聞いたとき、「誰であるか、見当がつくぞ！」と大笑いする演技も傑作。しかも鉄火面を被り顔と身分隠しながらロビン・フッドの仲間になるんだから…はっきり言って、ダグラス・フェアバンクスを完全に食ってます。（笑）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（ストリーミング配信で鑑賞）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/fukuyaman3001/49122685.html</link>
			<pubDate>Sun, 20 Sep 2009 15:25:20 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>『これが朝鮮だ！』ジョン・フォード</title>
			<description>「This Is Korea!」1951年アメリカ映画　ドキュメンタリー&lt;br /&gt;
監督：ジョン・フォード　撮影：不明&lt;br /&gt;
ナレーション：ジョン・アイアランド&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フォードによる朝鮮戦争のドキュメンタリー。年代的には『リオ・グランデ』と『静かなる男』の間に公開されたということになりますね。Imdbを見ると、フォードは他にも59年に『朝鮮』というこれも同じく朝鮮戦争のドキュメンタリーも作っているようです。フォードによる戦争ドキュメンタリーは、『ミッドウェイ海戦』、『真珠湾攻撃』、『これが朝鮮だ！』、『朝鮮』の４本かな？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
電気も通っていない貧しい村と素朴に暮らしている村人の紹介のあと、海兵隊が行軍するおよそ異質な光景が展開される。この映画はカラー映画なんですが、フィルムの退色と、おそらく撮影が冬だったこともあり、朝鮮の風景からは徹底的に色彩が排除されており、荒涼な墨絵のような世界観を出ている。フォードが提示するアジアの世界はやはり『荒野の女たち』と近いものがある。また戦闘場面では海兵隊は面白いくらい“山”に向かって攻撃しているように見えてしょうがない。クライマックスで永遠と提示される戦闘は山を爆撃している場面ばかり。もちろんイーストウッドの硫黄島二部作を想起させたのは言うまでもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やはりここでもフォードは戦闘や戦争そのものよりも、興味を置いているのは朝鮮の人々の姿であり、それに対する兵士のコミュニケーション（お菓子を子供に与える）のシーンであったり、食事のシーン（いかにも不味そう）、捕虜の扱い、負傷者が運ばれる姿であり、一人で見張りについている寒そうな兵士のロング・ショットである。全編にわたって、ナレーションは感情を込めず冷静に淡々としゃべるだけ。「Hard Job,Tough Job,Dirty Job（厳しい仕事、タフな仕事、汚れた仕事）」とシニカルにナレーションが入るのは、およそ戦意高揚とは言い難い。武器の名称のナレーションが入るものの、戦闘場面ではほとんどナレーションは黙りこくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とはいえ『真珠湾攻撃』と比べたら、あまりにもフォードにしては普通のドキュメンタリーかなと思った。しかし映画が終わりにさしかかると、突然、墓地のショットが入り「死者は語らず」とナレーションが語り、「御心よ…」祈りの言葉が入る。再び墓地のショットで「忘れないで　我々のことを」と囁くように言い、従軍している兵士に戻って「健闘を祈る」と映画が終わる。『真珠湾攻撃』の最後に幽霊が出てきましたが、つまりこの映画ではナレーションそのものが幽霊だったのだと読み取れる。やはりフォードは一筋縄ではいかない。この死者や墓地、あるいは戦争のスタンスはフォード以外の何者でもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（ストリーミング配信で鑑賞）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/fukuyaman3001/49122507.html</link>
			<pubDate>Sun, 20 Sep 2009 14:23:50 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>『グラン・トリノ』クリント・イーストウッド</title>
			<description>「グラン・トリノ」2008年アメリカ映画&lt;br /&gt;
監督：クリント・イーストウッド　撮影：トム・スターン&lt;br /&gt;
出演：クリント・イーストウッド、ビー・ヴァン、アーニー・ハー、クリストファー・カーリー、コリー・ハードリクト、ブライアン・ヘイリー、ブライアン・ホウ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ラスト・ショットで不意に現れる青空と湖。グラン・トリノは湖の道路に沿って斜め奥に疾走し、やがて見えなくなる。&lt;br /&gt;
観客の前に残された湖は色彩を抑えた撮影のせいか黒味を帯びており、群青色よりも暗い紺青色と形容するのが近い。色鮮やかに主張する青ではなく、あくまでくすんだ色の青。その色がそれまで映画の中で提示されていたのは、元々細めであり老いの皺が重なり観客からは一層見えづらくなったイーストウッドの碧眼と、グラン・トリノのボディの光沢ぐらいだったのではなかったか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
車の光沢、イーストウッドは以前、それを充実した画面として提示したことがある。『センチメンタル・アドベンチャー』の物語は、砂嵐のなか車が突如現れ、車内から倒れたレッド（クリント・イーストウッド）が登場するところから始まる。その突然の訪問に戸惑った親類はレッドを家に中に運び、甥のホイット（カイル・イーストウッド）はレッドの手荷物を運ぶため車に乗り込む。ホイットはその珍しい年代物の車の内装にまず魅せられハンドルを撫でる。後部座席に行くと、そこには美しい光沢を放ったギターが暗闇に浮かびあがっている。車以上に魅せられたホイットはギターの弦を小さな指で触り、静かな音色を奏でる。その瞬間のクロース・アップこそが「Produced and Directed by CLINT EASTWOOD」とクレジットされるときである。そのすぐ後、ホイットは砂埃にまみれた車を洗車する。汚かった車のボディに深く澄んだ赤い光沢が宿る。ギターの表面の光沢と、車のボディの光沢、この相似性は明らかだろう。&lt;br /&gt;
映画はその後の展開は、レッドがホイットに車の運転を教え、ギターの演奏を教えるのだが、映画のラストでこの車とギターはどうなったのかと言うと、車は長旅で再び砂埃にまみれ、最後にはポンコツと化す。ホイットはレッドの墓場に車のキーを投げ入れ、レッドと車を一緒に埋葬する。ギターは車とは逆に最初から最後まで光沢を称えながら、レッドからホイットへと受け継がれていった。なぜギターはポンコツと化さなかったか。それは単純に車の庇護があったからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『グラン・トリノ』において車は幾つか登場するが、美しい光沢を称えれる車というのは、ウォルトの持つ年代物のグラン・トリノだけが許された特権だろう。事実、モン族の不良どもが乗る車や、普段ウォルトが乗っている車の色は白くやや黄ばんだようにも見えるボディで、グラン・トリノが持つの美しい光沢には到底敵わない。しかし、劇中グラン・トリノの光沢が『センチメンタル・アドベンチャー』のように画面の前面に出ることはない。それは最初にグラン・トリノの登場シーンのようにカバーがかけられており、なおかつカットによって黒に見えたり、緑に見えたりもして、色さえ正確に判別がつかない。つまりあの唐突に出てきた湖とは、劇中隠され続けてきたグラン・トリノの光沢とウォルトの碧眼が湖の煌きへと広がり、変容し、静かに世界へと浸透するショットなのだ。そこが『センチメンタル・アドベンチャー』との大きな違いである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
僕は以前『チェンジリング』の感想で溝口の『山椒大夫』を想起させたと書いたが、『山椒大夫』のラスト・ショットもまた『グラン・トリノ』と同じくパンから水辺（海）へと至るショットで締め括られる。&lt;br /&gt;
『チェンジリング』の感想の冒頭で書いた、劇中に展開される要となった三つの映画。先の二つの映画が不吉な影として召喚されるのに対して、最後の三つ目は希望あるものとして提示される。その三つ目に引用される映画が、フランク・キャプラというヒューマニズムを描き続けた作家と、キャプラが撮った『或る夜の出来事』というスクリューボール・コメディの先駆的作品（スクリューボール・コメディで描かれる男性は愚か者であり、女性はむしろ強かな存在として描かれる…それは『チェンジリング』でも溝口でも同様）である点からも、物語と密接に絡まっているのは明らかだ。先二つの映画のように、映画は不幸を呼び寄せるが、同時にキャプラの映画ほどはいかないが、微力な奇跡も呼び寄せる。その両義性の中で、主人公は希望と受け取り街の喧騒と消えていく。これは過酷な現実を突きつけられつつも、『チェンジリング』は映画の庇護で、『グラン・トリノ』はウォルトの庇護、つまりはクリント・イーストウッドという映画そのものの代名詞の庇護において、世界に対してニヒリズムに陥ることはない。映画を信じることは、世界を信じることだと、イーストウッドは二つの作品で力強く教えてくれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（メモ：ポーランド移民であるウォルトがモン族の食事に誘われて、その文化的差異に圧倒されるシーンを見ると、アメリカ人がポーランド移民の食事に誘われて文化的摩擦を感じるキング・ヴィダーの『結婚の夜』を想起させる。『グラン・トリノ』は『結婚の夜』の裏返しという観点からもこの映画を見ることもできる。ウォルトは『グラン・トリノ』において、当初、保守性を発揮するがそれはまやかしであり、なぜなら『結婚の夜』で披露されたような特徴的なポーランド文化の習慣は、片鱗も見られないからだ。本人は伝統的に生きるものと思い込んでいるのは、『許されざる者』で自分は改心したと思い込んでいるウィル・マニーに似ている）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（映画館で鑑賞）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/fukuyaman3001/49088324.html</link>
			<pubDate>Mon, 14 Sep 2009 15:24:30 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>『ヒッチ・ハイカー』アイダ・ルピノ</title>
			<description>「ヒッチ・ハイカー」1953年アメリカ映画　フィルム・ノワール&lt;br /&gt;
監督：アイダ・ルピノ　撮影：ニコラス・ムスラカ&lt;br /&gt;
出演：エドモンド・オブライエン、フランク・ラヴジョイ、ウィリアム・タルマン、ホセ・トーヴェイ、サム・ヘイズ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ネタバレ注意。&lt;br /&gt;
道路を軽く俯瞰気味に画面右上だけ足が見えて、それが少しカメラ移動することによってヒッチハイクしていることがわかるタイトル・バック。道路と足だけでこれだけ格好良く見せれるというのがまさにセンスというもの。そこから車内で乗せた人間の顔が黒い影で潰れているニコラス・ムスラカの撮影にドギマギし、その暗闇からヌッと現れたウィリアム・タルマン…これがまた凄い顔！（笑）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここから厳しく過酷で暑いロード・ムービーが始まるんだけど、腕前を見るシーンが劇中で最も突出したシーンな気がする。ここでは銃なめのショットがあるのはちょっとすごい感覚で、よく見ればこのショットはスクリーン・プロセスを使っている。ウィリアム・タルマンは片目が閉じられない障害をもっており、エドモンド・オブライエンとフランク・ラヴジョイの二人がウィリアム・タルマンが寝ているすきに逃げようとしたら、思わず体が膠着してしまうのは迫真さがあって逆に笑ってしまった。このシーンは二度あるが、二度とも小川が流れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
終わってみると、イーストウッドのようにどこか人物への優しい眼差しが劇中に通底していて、それは誰も死なずに、相棒に「帰ろうか」と語りかけるラストシーンで最も現れている気がする。物語中に緊張のピークが達するシーンの空撮というのは、人間を見下した空撮と同時に優しく包容する『パーフェクト・ワールド』のような空撮でもあるように感じましたね。&lt;br /&gt;
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（ストリーミング配信で鑑賞）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/fukuyaman3001/48732822.html</link>
			<pubDate>Sat, 18 Jul 2009 21:02:04 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
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		<item>
			<title>『逮捕命令』アラン・ドワン</title>
			<description>「逮捕命令」1954年アメリカ映画　西部劇&lt;br /&gt;
監督：アラン・ドワン　撮影：ラッセル・ハーラン&lt;br /&gt;
出演：ジョン・ペイン、リザベス・スコット、ダン・デュリエ、ドロレス・マローン、スチュアート・ホイットマン、ハリー・ケリー・Ｊｒ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『対決の一瞬』はバッド・ベティカーのような単純さに魅せられる西部劇でしたが、こちらは『真昼の決闘』に影響を受けた赤狩り批判の知的西部劇の傑作（むしろ『真昼の決闘』よりも傑作だと断言する）。なんと３－Ｄ映画として製作されたらしいですが、確かに縦構図が多い。しかしそれもあからさまなほどではなく、むしろ連続性に活力を与えるダイナミックな縦画面の連鎖になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば冒頭にダン・デュリエ演じる保安官のマッカーティ（もちろん名前はジョセフ・マッカーシー由来）が町にやってきて、主人公のジョン・ペインのことを町民に尋ねるときの、人物をフレームに収めながら、手前から奥へと視点移動する縦構図の連鎖なんて独創的で驚いた。そしてこの場面で、結婚式を祝う小楽団を提示しつつ、ジョン・ペインとの会話シーンの後に、同じ場所で結婚式の参列者が並んで歩くときに楽団の音楽が流れてしまう対位法的演出に繋げる手際の良さ。ここでマッカーティとは町に元々いる保安官などの武装集団が馬に乗って何事かと思って、参列に加わる異常な状況は、スピルバーグの『宇宙戦争』を想起させた（トム・クルーズが雷の落ちた場所に向かうときに、町の不良二人が話しかけてくるシーン）。&lt;br /&gt;
ジョン・ペインが『対決の一瞬』でも見せた転倒技術はここでも健在で、机の下に潜り込むアクションはダンスを踊ってるような軽やかさがある。それにこの映画、ジョン・ペインもダン・デュリエも、銃を構えたとき、手首をちょこっと動かして銃の軌道を変えて撃っているのが特徴で、これが派手に動き回るジョン・ペインと対比となっているアクション設計で実に面白い。オーソン・ウェルズを想起させる町を横断する長い移動撮影なんかは、西部劇にしてはほとんど過激な域だ。このショットのせいか、この映画は町全体をアクションの場にしている感覚すら受けた。それは『微笑ながら』を例にサイレント時代から一貫したドワンの見せ方なんでしょうね。教会の階段だけ表現主義的な照明が見られる。&lt;br /&gt;
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（ＤＶＤで鑑賞）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/fukuyaman3001/48732531.html</link>
			<pubDate>Sat, 18 Jul 2009 20:12:34 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>『微笑ながら』アラン・ドワン</title>
			<description>「微笑ながら」1918年アメリカ映画　アクション／コメディ&lt;br /&gt;
監督：アラン・ドワン　撮影：不明&lt;br /&gt;
出演：ダグラス・フェアバンクス、ハーバート・スタンディング、ブル・モンタナ、アルバート・マッカリー、マージョリー・ドゥ、キャスリーン・カーカム&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドワンのサイレント映画時代の短編。&lt;br /&gt;
銀行に出納掛見習いのダグラス・フェアバンクスの仕事は頭取のカナリアの世話をする。ある日、カナリアが逃げ出してしまいダグラスがカナリアを追いかけ町中を舞台に、バスター・キートンやハロルド・ロイドのように七転八倒するというお話。&lt;br /&gt;
これが『キートンの隣同士』の後に作られてたら別に驚くべきことじゃないけど、『キートンの隣同士』は1920年である。おそらくロープのアクションや、窓から侵入するアクションは、この映画の影響を受けてる気がする。またキートンはゲームのマリオみたいな平面性がある種の魅力なんですが、この映画のように町を立体的に捉えるドワンの画面感覚も同じくらい素晴らしい。このカット群を見ていたら、ドワンがトーキーになっても問題がなかったことがよくわかる。町はオープン・セットなんでしょうが、上手いから実際の町を使ってアクションを撮っているように見えちゃいます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後半、カナリアを追いかける末に主人公はあるルンペンと出会い人生が変えらえるらしいですが、僕は見たyoutubeで見たバージョンはこの放浪者と出会うところまでです。フィルムが消失しているのか？その後、まるでジャン・ルノワールのような映画になりそうな気がするけど、前半部分でもけっこう満足できる見事な映画でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（ストリーミング配信で鑑賞）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/fukuyaman3001/48732376.html</link>
			<pubDate>Sat, 18 Jul 2009 19:33:25 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
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