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城・史跡以外で訪れた、旅行の事を紹介していきます^^
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鞆の浦史跡めぐり

訪問日:2010年4月30日

ゴールデンウィーク中に、訪問した鞆の浦の紹介です。
鞆浦城後に建てられた歴史民俗資料館に駐車して見学を開始します。
資料館からは、鞆の浦が一望でき良い景色です^^
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駐車場にある案内板を眺めていると、見学を終えた婦人の方が「良かったら、これ使って下さい」と言って観光MAPをくれました。ラッキーです^^駐車場の目の前に[鞆の津商家]がありましたが、あいにく今日は閉まっていたので写真だけ撮りました。
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いろは丸事談判跡を過ぎて風情のある町並みを抜けると[太田家住宅]が見えてきます。
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太田家住宅は、江戸時代初期に特産品として全国に知られた、薬酒・旧保命酒屋の建造物で国の重要文化在に指定されているそうです。この太田家住宅には、幕末尊皇攘夷の三条実美ら京都を追われた七卿落ちの際に、立寄ったとされる部屋が残っていました。
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その後は、目当ての[いろは丸展示館]です。
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中には、いろは丸から引上げられた遺物が展示されており、2階には、龍馬が鞆の津を訪問した際に寝泊りした隠れ部屋が再現されていました。龍馬さんの蝋人形も居ますが似ていないかも^^;
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いろは丸展示館を見終わった後、山中鹿介首塚を見て、ビックリする程短いささやき橋を通ります。
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実際に龍馬が泊まったとされる升屋清右衛門宅の写真に撮って、対潮楼へ向かいました。
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対潮楼は、いろは丸事件のときに坂本龍馬と紀州藩の重役と交渉した場所といわれています。
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江戸時代の元禄年間(1690年頃)に創建された客室で書院造りとなっています。座敷からの眺めは最高です^^
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対潮楼の柱に「丸見えどうぞ」の張り紙が・・・。覗くと弁天島が見えました。
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対潮楼から景色を楽しんでいると船が往来するのが見えたので、渡船場に行ってみると240円で往復できます。せっかくなので、仙酔島に渡ってみました。船の名前は平成のいろは丸!
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平成のいろは丸は、ピストン輸送なので、次の船が到着するまで時間がなくて、展望台から弁天島を望んで戻りました。
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鞆の浦には、レンタサイクルがあったのですが、私は徒歩で移動。良い運動になりました。
5月に入ってから凄い人手だったそうですが、私が訪問した30日は人も少なく、鞆の浦を十分に楽しみました^^

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坂本龍馬(旅立ち編)

ブログを放置してかなり経過しましたが改まって書こうとすると、何を書いて良いのか解らずに気が付けば100日も経っていました^^;

2010年2月7日

海部川清流マラソンを2週間後に控えた2/7の日曜に、フルマラソンを走ると言うのに練習もしないで高知を訪問しました。目的は携帯用ゲームの[ケータイ国盗り合戦]で開催されている、「龍馬の足跡をゆく」旅立ち編です。このイベントは、坂本龍馬ゆかりの地を巡って携帯のGPS機能や、看板に設置しているQRコードで、スタンプを獲得するというシンプルなもので、高知県では6ヶ所が設定されています。

当日、何の計画もなしに、急に思い立って高知県へ向かいました。高知駅前の臨時駐車場に車を停めて行動開始です。最初の1つは、高知駅構内に設置されているボードのQRコートを読み取り簡単にゲット!
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その後は、駅の直ぐ前で2011年1月11日まで高知県で開催されている「土佐・龍馬であい博」のメイン会場「高知ロマン社中」に向かいました。4会場共通券を700円で購入して、会場内で紹介されている龍馬の生立ちをが順番にみてまわります。途中で龍馬の家紋の袴をきて撮影できるポイントがありましたが、ちょっと恥ずかしくてパスして出口に設置されているボード(QRコード)で2つ目のスタンプをゲットしました。(内部は決められた場所以外では撮影禁止です)
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次は「龍馬の生まれた町記念館」を目指します。少し距離がありますが、日曜市を見ながら歩いて移動しました。途中で坂本龍馬誕生地の石碑の前を通ります。龍馬の生誕地は今まで何度か訪問しているのですが、やっぱりテンションあがります^^
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龍馬の生まれた町記念館は2007年に訪問した事があったので『ボードが、出口に設置されてだったら、入館しないといけないなー』と思いましたが、入口付近に設置されてたので3つ目をゲットできました。
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その後は車で桂浜を目指し、GPS機能を使って車中から4つ目をゲット!せっかく高知まで来ているのに通りすぎただけなので、前に訪問した記事を紹介します。
http://blogs.yahoo.co.jp/full_ultra_fan/8969148.html
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そこから車で約1時間走り「安芸・岩崎弥太郎こころざし社中」に到着。高知駅前のメイン会場に比べると少し小さいですが、岩崎家のセットなどを見てまわり、出口に設置されているQRコードで5つ目をゲット!
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最後は、少し離れた場所にある「岩崎弥太郎」の生家に設置されているボードから、QRコードで最後のスタンプをゲット。午後5時を周っていたので、生家の内部は見学できませんでしたが、2007年に訪問した時に気が付かなかった、岩崎弥太郎が日本列島を見立てて並べた石を見て、駆け足で周った高知旅行も終了です。ここも2007年に訪問した記事を紹介しておきます。
http://blogs.yahoo.co.jp/full_ultra_fan/965915.html
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今回、高知市と安芸市の会場を見てまわりましたが、残り2会場は時間を見つけて訪問したいと思います^^
土佐・高知であい博 → http://www.ryoma-deaihaku.jp/roman/main-pavilion.html

道後温泉本館

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訪問日:2009年8月13日

秋山兄弟誕生地を訪問後、少し足を伸ばして道後温泉本館に向かうことにしました。
路面電車沿いに自転車を走らせ、16時20分に到着。時間があれば風呂に入るつもりでしたが、私が駐車している松山城二ノ丸駐車場は17時45分で閉まりますし、当日は松山祭りの最終日らしくて、本館前のアーケードは凄い混雑だったので風呂に入るのは止めました。

ブログを書くにあたり、松山祭りを調べてみましたが「野球拳踊り」なるものがあるそうです。
そう思って写真を見てみると、ハッピを着た女性が写ってます。「野球拳踊り」どんな踊りか気になります^^;

http://www.mcvb.jp/kanko/spot/honkan.html ← 道後温泉

秋山兄弟誕生地

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◆秋山兄弟誕生地

江戸時代末期の天保年間より現在地にあった秋山家は昭和20年、空襲により焼失。
文献によると「家は質素な”わら屋根”で僅かに数室があるにすぎぬ」「生家は低い平屋で玄関の庭は暗くはあるが広くて緯度があった」などとありますが、図面は残っていません。そのため昭和初期に撮影された写真された写真に秋山家子孫の聞き取り調査を加え、昔からあった遺構(部屋4つと玄関、土間)に近い形で復元されました。
〜〜パンフレットより〜〜

訪問日:2009年8月13日

坂の上の雲ミュージアムを見学した後は、秋山兄弟誕生地に向かいました。
「坂の上の雲」で秋山兄弟の知識を仕入れていたので、楽しみにして向かいましたが、建物は新しすぎ、当時を思わせるものは井戸だけでした。入館料(おとな300円)の割には、ちょっとガッカリです^^;

ちなみに、敷地内に有る、兄(好古)と弟(眞之)の銅像は、互いに向かい合っています^^

http://www.akiyama-kyodai.gr.jp/ ← 秋山兄弟誕生地HP

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◆坂の上の雲
松山出身の正岡子規、秋山好古、眞之の兄弟を中心に多くの人物を登場させながら近代国家を目指す明治の日本が描かれています。
初めての国民意識のなかで一定の資格さえ取れば博士にも官吏にも軍人にもなる事ができた時代、式は新聞記者となり、近代俳句、短歌、文章の革新に力を注ぎます。一方、好古は陸軍で草創期の騎兵を育て、眞之は海軍における近代戦術の基礎を確立、ともに日露戦争が勃発する激動期を駆け抜けていきます。
〜〜パンフレットより〜〜

訪問日:2009年8月13日

松山城、二の丸御殿を見学した後、近くにある坂の上の雲ミュージアムに向かいました。
「坂の上の雲」と聞いても、司馬遼太郎の著書という知識で内容は全く知りませんでしたが、本を読んでいなくても十分に楽しめました。また、ミュージアムの直ぐ近くには、萬翠荘と愚陀仏庵があり、萬翠荘には夏目漱石が愛飲したと言われる井戸がありました。
明治維新後の近代史は取っ付きにくい感じがありましたが、これを機に「坂の上の雲」は読んでみるつもりです^^

萬翠荘(ばんすいそう)
萬翠荘は、大正11年(1922)旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵が別邸として建てたものです。陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨好みの、純フランス風の建物は、当時最高の社交の場で角界の名士が集まりましたし、皇族方が御来県の際には必ずお立寄りになられました。

愚陀仏庵(ぐだぶつあん) 復元
愚陀仏庵は明治28年に夏目漱石が、英語教師として旧松山中学校に赴任していた際に下宿として使用していたもので、正岡子規はここに52日間居候をしています。その時は漱石が2階に移り、子規は1階で暮しました。
1階では俳句結社「松風会」の句会が開かれ、子規が指導し漱石も句会に参加し、後の漱石文学に影響を与えたといわれています。

http://www.sakanouenokumomuseum.jp/ ← 坂の上の雲ミュージアム
http://www.nhk.or.jp/matsuyama/sakanoue/ ← スペシャルドラマ 坂の上の雲
http://www.sakanouenokumo.jp/ ← 坂の上の雲「人物列伝」 

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