気楽な生活

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お城めぐり

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旅行で立ち寄ったお城を、写真を交えて紹介しています。
城の良さを上手く紹介しきれていませんが、気楽に立寄ってください^^
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丸岡城(越前)

◆丸岡城
〒910-0231 福井県坂井氏丸岡町霞町1-59
TEL:(0776)66-0303
築城年代:天正4年〜天正10年(1576-1582)
築城者:柴田勝豊

天正3年(1575)、織田信長が北陸地方の一向一揆を平定を期して、豊原寺を攻略しました。信長は柴田勝家の甥、伊賀守勝豊を豊原へ派遣し城を築かせ、天正4年(1576)、勝豊は豊原城を丸岡に移しました。これが現在の丸岡城になります。

柴田勝豊の後、安井左近家清、青山修理亮、青山忠元、今村盛次等が一時これを支配し、その後、本田成重以下4代の居城となりましたが、元禄8年5月有馬清純の入封以来、明治維新に至るまで、8代にわたって有馬家の領有することになりましたが、明治3年3月(1870)、版籍奉還後、同4年9月官有となり、さらに民有に移り、明治34年8月(1901)町有となりました。
その間、周濠は埋められ、城門、武家屋敷等の建物は売却または譲渡され、現在わずかに天守閣とその付近の石垣の小部分を残存するだけとなりました。

昭和9年1月30日(1934)、国宝に指定されましたが、昭和23年6月28日(1948)、福井大震災により倒壊。昭和25年8月29日(1951)に国の重要文化財に指定され、昭和26年12月に復元着手、用材は80%近くを古在を使用し、昭和30年3月30日(1956)修理復元され現在に至ります。

本城は2重3層、外観は上層望楼を形成し、通し柱をもたず、初重は上重を支える支台を成し構架法、外容ともに古調を伝え、屋根は石瓦で葺き、基礎の石垣は野面積みです。これは我が国城郭建築史上、現在の天守閣の中で、最古の様式です。

〜〜〜現地石碑より抜粋〜〜〜

訪問日:2009年9月22日

早朝より福井城を見学した後、ホテルで軽い朝食を済ませて丸岡城に向かいました。
丸岡城の駐車場に到着したのが8時半。早速見学を開始します。
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駐車場から少し坂を登ると前方に丸岡城が見えてきます。
この丸岡城は60年前の福井大震災で倒壊していますが、その後元あった資材の80%を使用して再建されています。当然、天守閣も木造です^^
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天守閣に上がる前に、あたりを散策。
丸岡城築城の際に、人柱となったお静の慰霊碑、雲の井の大蛇を祀る祠、石の鯱、徳川家康の家臣、鬼作左と恐れられた本多作左衛門重次が、陣中から妻に宛てた手紙の内容を表した碑があります。
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周りを散策した後は天守内部に入ります。やっぱり木造だと趣がありますね〜^^
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小さな天守閣ですが、ちゃんと石落としもあります。
石落としの踏み板の上は立ち入り禁止になっていましたが、石落としと言うよりは狭間みたいな感じですね。
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丸岡城は小さな天守閣で、最上階に上がるには急な階段を上がる必要があります。
これまでに幾つかの現存天守を見てきましたが、ここ丸岡城の階段は一番急な気がします。階段にはロープが備え付けられていました^^
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やっぱり木造天守は味があります、霧が城と呼ばれるだけあって靄がかかっていましたが、見晴は良かったです。ただ、写真を撮ったつもりなのに撮れてなかったので変わりに石の瓦を紹介します^^;
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その後、歴史民俗資料館で展示物を観たあと、茶屋で福井名物の 越前おろし蕎麦 を食べようと思いましたが、11時開店までには時間があり過ぎ泣く泣く後にしました。

最後に・・・。
本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てた手紙の内容を表した碑を撮り損ねましたが、歴史民俗資料館横の側溝の蓋に句があったので紹介します^^
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福井城

◆福井城
〒910-8511 福井県福井市大手3丁目10番1号
築城年代:慶長6年(1601)
築城者:結城秀康

福井藩の初代藩主結城秀康は、慶長6年(1801)から焼く6年かけて福井城(北庄城)を築城し本丸には壮大な天守が偉容を誇っていました。残されている天守絵図によれば、外観は4層ですが、最下層の階高を高くとって2階分の床を張っており、内部が5階になっています。絵図では高さが28mあり、天守台を含めると約30mにもなります。今に残る天守台と控天守台には、大きな礎石が並んでおり、天守台の北半分に天守が建っていたのでしょう。4層5階の壮大な天守も、寛文9年(1669)4月の大火で焼失して以来、再建されることはありませんでした。

訪問日:2009年9月22日

前日から福井県入りしていましたが、福井城の見学は早朝の6時からです。
宿泊したビジネスホテルで散策地図を入手して見学を開始します。

順化小学校横のお堀を通って福井神社に向かいますが、お堀から写真を撮っていると、餌をくれるのかと思って水鳥が近寄ってきます。しかし何も持っていないので、そのまま福井神社へ。
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福井神社は幕末に徳川譜代大名の尊王派の中心人物となった松平慶永(号 春嶽)を祀る神社として、総檜造りで昭和18年(1943)に創建されたそうですが、第二次世界大戦の戦災で焼失。その後、昭和32年にそうコンクリートで再建されています。
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そして、中央公園をぐるっと1周。
公園内には、坂本龍馬と日本の将来を語った、由利 公正(ゆり きみまさ)の像がありました^^
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公園を出て、御廊下橋を渡り山里口御門跡を通り、福井県の福井の名の由来となった井戸や、昭和23年(1948)に起こった福井震災で崩壊した控天守台を見学。うーん自然の力は恐ろしいです。
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写真は初代福井藩主、結城秀康が築城した天守閣跡です。
慶長6年(1601)から約6年をかけて建てられた天守は4層5階。さぞ立派だったんでしょうね^^
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天守を見た後は、お堀沿いに歩き御本城橋を渡って、少しずんぐりとした結城秀康の石像を見ました。
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下の写真は石垣から内堀を眺めた写真です。結城秀康の石像の側から上がる事ができました^^
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最後に、内堀公園を通って見学終了です。
ここには横井小楠と三岡八郎(後の由利公正)の旅立ちの像がありました。
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最後におまけ・・・。朝と夜に撮影した、御本城橋です。
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金沢城

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◆金沢城
〒920-0937 石川県金沢市丸の内
TEL:076-2324-3800
築城年代:天正8年(1580)、天正11年(1583)
築城者:佐久間盛政、前田利家

金沢城は天正8年(1580)、佐賀一向一揆の拠点であった金沢御堂を織田信長軍の佐久間盛政が陥落させ、そこに城を築いた事に始まります。
天正11年(1583)、前田利家が加賀に入封して犀川浅野川にはさまれた子立野台地上の金沢城が加賀支配の拠点とすべく近代城郭へと改修しました。基本的な縄張を行ったのはキリシタン大名の高山右近といわれる。天守は慶長7年(1602)の落雷により焼失。残念ながらその姿については記録がなく不明です。
名城の姿を壮美にするためにとり入れたといわれる鉛瓦や海鼠壁(なまこかべ)、唐破風突出し出窓や二重二階の多聞櫓なども、加賀百万石の居城にふさわしい格調の高さと美しさを見せています。

訪問日:2009年9月21日

もう1ヶ月以上も前になりますが、9月のシルバーウィークを利用して金沢城を訪問しました。
金沢市の渋滞を抜けて西の丸駐車場へ到着。駐車場へ入るにも10分程並んで並び、それから見学を開始します。加賀藩の穴生(石垣普請食)後藤権兵衛によって改修された「薪のまる東側の石垣」を通り三十間長屋に到着。この長屋は安政5年(1859)に再建されましたが現在の長さは26間半だそうです。訪問した時は、内部が見学できました。
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その後、再建された菱櫓と五十間長屋、橋爪門続櫓を見学します。
2001年に再建された菱櫓ですが、明治以降の木造系築物では全国最大規模で、耐用年数は200年〜250年を想定して建てられたそうです。菱櫓から三の丸広場を眺めてみますが、結構な人で賑わっています^^
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菱櫓を見学後は、戌亥櫓→鶴丸倉庫→丑寅櫓跡→辰巳櫓橋爪櫓と見て廻りましす。
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橋爪門続櫓の石垣は切り込みハギ積みは、カラフル石で少し違和感がありました^^;
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最後に兼六園へ向かいましたが、時間がなく前田利家の銅像を見て宿泊場所となる福井へ向かいました。
出来るだけ城を巡りたいと強行日程を組みましたが、今思うと、せっかく金沢まで足を伸ばしているのに勿体ないです^^;

駐車城へ向かう途中で撮った、申酉櫓下の石垣です。
向かって右側が慶長年頃の石垣で、左側が寛永頃に新たに継ぎ足されたものです。
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松前城(伊予国)

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◆松前城

所在地:愛媛県伊予郡松前町筒井1410
城主:合田氏,河野氏,粟野氏,加藤氏

松前城の起源は明らかではないが、平安時代初期すでにこの地に定善寺(性尋寺、今の金蓮寺)があり、
軍事・交通の要衝として境内に砦が設けられたのが始まりであろうといわれています。松前城の文字が初めて文献にあらわれるのは、建武3年(1336)、南北朝時代南朝方の今田弥四郎貞遠のたてこもる「松崎城」を北朝方の祝彦三郎安親が攻略したとあります。「松前」は、古来、「松崎」「真崎」「正木」「柾木」「満崎」等書かれており、「松前」に定着したのは、寛永12年(1635)松平定行入国以来です。

湊川の戦に楠木正成を討った功により、砥部の豪族大森彦七が松前城主を兼ねていましたが、やがて荏原の平岡氏と交替します。正平年間(1360年ころ)穴草入道、同出羽守らが松前城にいましたが、南朝方で九州に赴いていた河野通直が大兵を率いて松前浜に上陸、松前城を攻略しました。以後、松前城は河野氏の本拠湯築城の西方海上防衛の出城となりました。

その後、河野氏の武将栗上因幡守通宗、同但馬入道通閑らが松前城にいましたが豊後の大友氏、安芸の毛利氏、土佐の長宗我部氏らが相次いで侵攻し来り、松前城攻防の激戦が幾度となく繰り返されました。天正16年(1588)、栗野木工頭秀用が松前城主となりましたが、秀次事件に連座除封されました。

文禄4年(1595)、加藤嘉明が淡路志知城より6万石をもって松前城にはいります。
翌慶長元年(1596)、嘉明は足立重信らに命じ金蓮寺を現在地に移転、伊予川を改修して城郭及び松前港の大拡張を行いました。松前城の規模は明確ではありませんが、地の利を得て自然の要害堅固の城でした。
慶長2年(1597)には嘉明は松前城を根拠地として2400余名の諸将を率いて朝鮮に出兵しました。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに嘉明は東軍に従って出征しましたが、留守に毛利勢3000が三津浜に上陸、河野氏の残党と松前城をうかがったが佃十成らの勇戦により撃退しました。

関ヶ原の戦い功により20万石となった嘉明は、慶長8(1603)松山城に移り松前城は廃城となりました。天保以降、二の丸を耕地化し、余り土を盛った所が現在地です。明治42年耕地整理により、様相は一変し大正11年11月23日龍燈の松が倒壊して松前城をしのぶ物がなくなりました。

大正14年10月に記念碑を建立し、昭和四十四年町指定史蹟となりました。
〜〜松前城跡案内板より〜〜

訪問日:2009年8月1日

この松前城、愛媛県の東レ工場の真ん前にあります。
松前城の写真を撮っていると、ちょうど出勤時間なのか、多くの人が不思議そうな顔で見てました。
現在は石碑しか残っていませんが、松山城には松前城から移築されたと言われる、乾櫓と乾門、筒井門が今も残っています。8月の連休で松山城に行ったので合せて紹介しておきます^^

http://blogs.yahoo.co.jp/full_ultra_fan/33865568.html ← 8月に訪問した松山城です
http://www.hb.pei.jp/shiro/iyo/masaki-jyo/ ← 松前城(まさきじょう)

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◆二ノ丸史跡庭園
二ノ丸は、本丸(天守閣など)を防備するための施設で、南と西側には内堀があり、高い石垣と強固な櫓や門、それらをつなぐ堀によって囲まれ、その内側には藩主の生活や政務のための二ノ丸邸がありました。貞享4年(1687)に新たに三之丸邸が完成し、藩主は三之丸に移り、その後の二ノ丸邸は、世継ぎの方の屋敷などとして使われました。

明治時代になって一時期、二ノ丸邸は藩庁・県庁として使われましたが、明治5年(1872)に火災により焼失し、二ノ丸邸は270年余りにわたるその歴史の幕を閉じました。
〜〜パンフレットより〜〜

訪問日:2009年8月13日

松山城を堪能した後、二ノ丸史跡庭園を見学しました。
写真は、松山城の天守からみた二ノ丸庭園ですが、綺麗に整備されています。中でも防火用水として備えられた大井戸で、発掘によって東西18m、南北13m、深さ9mもあり、東半分は井戸の中に3列各3本の柱が縦横に貫を通して組まれ、その上に低がせり出して建てられていたそうです^^

このほか庭園内には有料施設として、観恒亭・聚楽亭・勝山亭があります。
勝山亭には女子学生らしき人が居ましたが、なぜだか忍者の格好をしていました^^;

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