夫馬基彦の風人日記ブログ篇

書斎からの秘かな呟き、世へのあれこれ、よしなしごと。

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 長年、台湾関係の本を書いてきた当人が、前回は『若山牧水 さびしかなし』(晶文社)という純粋日本の書を出しノンフィクション作家としての間口を拡げたが、今回は台湾から満州・上海へと舞台と時代を大きく拡げた。

 李香蘭とは言わずとしれた旧満映の看板スター、いや、満映のみならず日本の東宝、上海の中華電影公司のスター女優でもあり、戦前戦中の日本、中国、台湾などで広く知られた存在だ。
 日本語の出来る中国人美女、歌もうまく、日中というかいわゆる大東亜共栄圏の象徴的歌姫、というイメージでもあった。

 だから、敗戦時、上海でいわゆる〈漢奸〉(中国を裏切った者)として裁判にかけられかけたが、日本の戸籍謄本が見つかってやっと釈放・帰国出来た。以降は日本人「山口淑子」である。

 その後はアメリカにわたり彫刻家イサム・ノグチと結婚、その後日本の外交官と再婚して大鷹淑子となり、やがて参議院議員となった波乱の人生の人だ。

 その李香蘭が上海時代、ひょっとしたら「恋人」だったかもしれないと匂わせた人物が川喜多長政らの中華電影公司の中心人物の一人、台湾人映画監督兼脚本家の劉吶鴎(りゅう とつおう)だった。彼は1940年9月3日、上海の共同租界で中国国民党特務と思しき相手に対日協力者として暗殺されたのだが、李香蘭はなんとその日その時間に劉吶鴎と秘かに会う予定だった、というのである。

 ということは二人の関係は? しかしどうも符合せぬことも多い、いったい真実は、というのがこの本のミステリアスな眼目で、結局、全体として浮び上がるのは、当時、国際陰謀都市といわれた上海での、日中、そして当時は日本国籍であった台湾人や朝鮮人映画人たちの、巨大な戦争宣伝メディアとしての映画(ヨーロッパではナチスドイツが盛んに用いていた)との関わりそのものである。

 著者はそれを緻密な調査と考証によって次第に浮び上がらせ、やがてその謎の「逢い引き?」と死の像を現出させる。
 引き込まれて読み終わると、強い残像として残るのは、デビュー以来日本人でありながら中国人として嘘と共に生きねばならなかったスターの虚実と悲哀、植民地下で生まれたがゆえに日本人なのか中国人なのか、自分でも翻弄され続けた才能ある映画人の悲劇、である。

 最初、3分の1くらい、そういった複雑な時代背景、主人公たちの二面的背景を理解するのに多少の時間がかかるが、理解するにつれ話はどんどん面白くなっていく。まだ存命の山口淑子氏がこの件に関して詳細を頑なに沈黙していることと合わせ、真実への興味が尽きない。本書のあとがきの最後は、もはやほぼ唯一の証言者たる山口淑子氏への、著者からの質問の手紙になっている。読者としても答を聞きたいものだ。

この6月10日発売で、久々の新刊本を出した。大都市中心の配本になるようだが、アマゾンで申し込めば送料無料で短期間に届きます(定価1800円)。ぜひ読んでみて下さい。
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以下は講談社刊「本」今月号に書いた著者エッセイです。 


 ちょっとヘンなタイトルだけど
               夫馬 基彦

 今度の本の書名『按摩西遊記』は、ひょっとしたら誤解を生むかもしれない。何やら按摩マッサージの発祥地を訪ねて中国からペルシア、天竺インドまでの探索記か、はたまたよぼよぼの爺さんか按摩さん本人が、よろけながら按摩の国を求めてさすらっていく話みたいにとれるからだ。
 当然、ちがう、ちがう、全然ちがう、と言いたいところだが、後者は満更ちがってなくもないのが書いていていささか物悲しい。
 というのは、書名にした「按摩西遊記」の主人公は、マ、言ってみれば筆者とほぼ等身大で、折から重症の五十肩でズボンのポケットに手も突っ込めない、りんご三個が持てない、という哀れな初老。それが主観的には極めてよんどころない事情で、片手でガラガラ荷物を引きずりつつ中国は往昔の都長安、今の西安から、かの三蔵法師が歩いたと同じ道を、供もなくたった一人で西へ西へと辿っていく話だからだ。
 時は八、九月、気温は三二、三度から途中のトルファンなぞでは四〇度以上、鎮痛剤飲みつつでも微熱と痛みが引かぬ身は、頭は茫々、肩はばりばりに凝って意識朦朧の上、砂漠の蜃気楼やらウイグル族の麗しき胡姫に幻惑されて、もはや時空も定かならなくなる。
 なのにそれでもなお天山南路の奥の奥、最果てのカシュガルまで赴くのは、一体いかなる因縁か。
 それを描くのがわが眼目だが、その「なぜ」については推理小説と同様、ここで明かしてしまうわけにはいかない。

 本には他に三作入っており、うち二篇はかつてのベトナム戦争と三〇年後のベトナムが出てくる。
 何を隠そう、私はあのベトナム戦争中最大の激戦にして転換点とされた〈テト攻勢〉の際、旧サイゴンのただ中、反政府派の拠点とされたアンクアン寺に滞在していたのだ。そこを迫り来る政府軍のロケット砲弾で爆撃され、軒先をつたい走って日本大使館に脱出した。
 されど、そこで居合わせたのちの危機管理評論家、当時香港総領事館から偶然来ていた警察庁出向の臨時大使館員佐々某氏から、こんな時期、そんな妙な場所にいた怪しいヤツと見なされ、場末の安ホテルに半ば閉じこめられ、以後閉塞状態になった。寺で親しかった青年僧Tともそのまま生き別れである。
 そのアンクアン寺や、その後社会主義国家となったベトナムを三〇年後訪れてみたら、一体どうなっていたか。
 これも私にとってはほとんど涙ぐむ話である。小説ではあるし、差し障りに配慮もしてあるが、ほぼ事実は隠していない。まして、あの戦争とその後の変化、社会主義の現実に関するある〈真実〉は、率直に語り得たと思っている。
 もう一つの作は、二〇〇一年のあの九・一一事件の折のニューヨークを描いたものだ。
 これまた偶然だが(そうじゃないという説も身辺にある)、私はあのときもジェット機激突で崩落したWTC(国際貿易センター)ビルから直線距離でほんの二キロの下町に滞在していた。
 しかも泊っていた宿は、事件の主犯モハメッド・アッタと同じエジプト人経営で、場所は移民国家アメリカの原点となったロウアーイーストの歴史的移民街にして長くユダヤ人街だった界隈である。
 そこでの新旧の移民たちーアメーバのごとく増殖する中国人や逆に今や稀少存在となってきたユダヤ人たちは、あの事件後、刻々の緊張感の中でどんなふうに動き、どう変化していったか。
 私が一番好きだったユダヤ人作家アイザック・バシェビス・シンガーや、インドやネパールでの若きヒッピー時代、教祖だったユダヤ人詩人アレン・ギンズバーグにまつわる思いは、どんな微妙な思いをもたらしたか。いや、それどころか今やブッシュ政権の最強硬派、戦争の推進者とも言われるネオコン創設者たちの多くが、このニューヨーク出身の元トロツキストであった事実は、いかなる歴史の輪廻によるものなのか……。
 そして、私の出会った何人かのユダヤ人庶民たち、下町の洋品店主ミレックやミュージアムおばはんは、何とユニークで愛すべき人たちであったことか。
 私はそれらを描いたつもりだ。

 つまり、私が書いたのは、かつての戦争の国ベトナム、九・一一事件のニューヨーク、そしてつい昨夏の中国領シルクロードと、すべて旅にまつわる話であり、その意味ではこの本は一種の紀行文学、紀行小説である。
 が、しかし、空間の広がりの他もう一つの主題は、時間だ。
 即ち、私が歩いたのは、最初に二四歳の時歩いたパリからベトナムに至る旅から始まって、二七歳の〈西遊記〉を気どった二回目のインドへの旅、そして五四歳の時のベトナム再訪と、その三年後のアメリカ・ニューヨークへの旅、更に昨年の三四年ぶりにおのれの西遊記を完成させるべき旅、の五つの空間の旅だったと同時に、それらすべてを通した三八年間にわたる時間だったのである。
 大げさでなく、この本には私の人生と時間がある。
 そんなことを言い出すのは歳をとった証拠だとこの本の〈あとがき〉にも書いたが、しかし確かにそれだけの時間が流れ、私はザックを背負ったバックパッカーだった青年から、自分の腕すらろくに上げられぬ、殆ど片手の、腹ばかり出た初老になりまさったのだ。
 青春を追憶するのは、私にとって哀しく、辛い面の方が多い。かつて見えなかったおのれの無知や愚かさが今はかなりはっきり見えるとしても、取り返しはつかないからである。しかも有り体に言えば、現在のおのれはいくらかましになったとはいえ、相変らず青年期以来の何ものかを引きずっており、ものごともこの世の真実も一向分らぬままだ。
 まったくこの世とは一体なんだろう。
 時間とは何と不可解なものであろう。
 その中で生きる個人の人生というのも、訳の分らぬものである。

 私は新人賞デビュー以来、まもなく三〇年になる。この間、大した才も運もなく、ずっと寡作で来てしまったが、それでも少数ながら支持し続けて下さる人もあって、この本につながった。
 気がつくと、還暦も過ぎてはや二年である。
が、人生に対しても文学に対しても、意欲は少しも失っていない。体力も、肩はぶざまに弱れどまだまだ世界を歩きまわる余力はあり、簡単には引っ込まぬ気でいる。
 時間の旅に関しても、やはり歳とともに見える透視力、認識の多重性の深まりはそれなりにあり、齢を重ねることは面白くもある。かつて私は三〇代の頃、「早く歳をとりたい」と言って、当時親炙していた佐々木基一さんら年長者連から「面白いヤツ」と笑われたが、今や自分自身がその時の年長者たちとほぼ同年齢になってきている。
 かつてのおのれのせりふを思う時、満更間違ってもいなかったと感じたり、やはり出来ることならもう一度青年に戻りたくもある。ただし、その場合も肉体と恋愛方面についてだけで、その他についてはあまりいいイメージ自体が想い浮かばない。
 時代性や人間性は必ずしもよくなっていないからである。新聞やテレビやインターネットや世の中に触れるたび、そう思う。
 さて、また旅にでも出ようか。           (了)

ラクダの涙

 しばらく前に『ラクダの涙』(ビャンバスレン・ダバー監督)という映画を見た。モンゴル人の若い女性監督が、ドイツで作った映画で、舞台はもちろんモンゴルである。

 ほぼドキュメンタリー映画だが、やらせも若干ありそうな仕立てだ。おおざっぱなストーリーはゴビに住む遊牧家族にラクダの子が生れる。何頭もいるのだが、うち1頭が真っ白な毛の赤ちゃん。

 親はらくだ色なのにどうしてと思える。ラクダにもいわゆる白子がいるのかしら。
 そのせいか難産だったせいか、母親が子を嫌い、乳を与えようとしない。飼い主の一家はなんとかしようと知恵を絞り、ついに町から馬頭琴の楽士を呼び、その音色に合わせ、若い嫁が美しい声で唄を歌って聞かせる。

 馬頭琴の音はラクダの腹に共鳴するのか、ラクダは次第に優しくなり、子に乳を飲ませるようになる。そして、涙を流す。

 このシーンは本当にラクダの大きな、眠そうに見えていた目から、涙が次々あふれ出てくる。ヘーエ、本当に泣くのか、としばし見とれてしまうほどだ。

 だが同時に、しかしラクダは本当に子供の件で泣いたのかな、どうも人間の都合のいい解釈ではないか、ひょっとしたら他のことで涙が出たシーンをくっつけたのでは、という気もしてくる。

 が、映画は牧歌的で、遊牧生活の日常がよく出て面白い。登場人物の顔も朝青龍そっくりだったり、むかし田舎の小学校にいた同級生そっくりだったりで、いかにも懐かしい。

 よし、今度はモンゴルへ行くか、と思った次第。ただし、冬は零下40度、映画のスタッフはいつも誰かが体調をこわしてダウンしていたとか。厳しそうではある。

 前作(2月25日作)がどうも説明的で気に入らぬので、もう一つと思ったのだが、さて如何。

 昨日の民主党永田議員の記者会見は面白かった。頭を下げるは、下げるは。顔つき、おっちょこちょいぶり、いかにも若い感じ、すべて自民党の杉村太蔵君とそっくりなのがまた面白い。

 あとで別に登場した前原代表の顔も面白い。かねがね「デコ坊や」にそっくりだなと思っていたが、民主党の国会議員会で非難されている時の、質問者に視線を合わせず空を向きっぱなしの表情が、いよいよデコ坊やふうだった。

 デコ坊やとは、腹話術師が使う人形のことである。

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